無限が言いすぎだとしても、おれのような平凡な人間ですら選べる選択肢は無数にあった。
無理に高望みした会社を狙いさえしなければあらゆる職種に就けるチャンスがあり、起業してみる事も、飛行機を使わずに世界一周することも可能だった。
最短コースで一流企業を目指したりするわけでもないのなら、それぞれの可能性をすこしずつつまみ食いしてから決めても手遅れになるってことはない。一生懸命やってる限りは大抵何をやってもコヤシになる。前に向かってさえいれば多少の回り道をしても結局は前進しているものだ。
なんだかんだで定職に就き、結婚し、周りの友達も同じような感じに「成熟」してくる。
子供が生まれたりする人もいるし家を買う人もいる。会社などでそれなりに重要な役目を担っているやつもいる。
そんな中にもいつまでも夢みたいな事を言ってる人がいる。
世界を放浪して生きていきたいとか、音楽で食って行きたいとか。
ずっとアウトロー(と言っていいのかわからないが)としてずっと生きてきた人ならまだわかるが、定職を捨ててまで突然に「やりたいこと」に気がつく人がいたりもする。
そういう人に対して「おとなになれよ」とみんなが言う。結婚して、子供を育てるのがまっとうな人間の生き方だと言う。
なぜうまく行っている仕事を投げ出すのか?将来の保証がなくなってもいいのか?のたれ死ぬかもしれないぞ?とみんなが彼らをたしなめる。
おれらを見てみろ。仕事は確かに大変だがやりがいはあるし、磨いてきたスキルと、そこそこの社歴や業界歴のお陰でお金もそんなに悪くはない。確かに金持ちにはなれないかもしれないが広くも狭くもない家で慎ましく子供を育てるんだ。お前もそうやってちゃんと先を考えた人生を歩めよ。楽しいことだけやって生きていけると思うなよ。しっかりと勤めを果たして小さな幸せを得るのが大人だろう。もう学生じゃないんだ、無限に広がる可能性なんて無いんだよ。
とてもまっとうな意見だと思う。
せっかく先進国日本で平均ぐらいの暮らしを手に入れたのだ。国家財政は先行き不透明とは言え保険制度も年金もある。このまま生きていればそんなにひもじい思いはしなくて済むのかもしれない。
しかし一方で人生の先なんかを考えてもしょうがないし、自分で敷いたレールに自分を縛り付けて我慢して生きるのはバカらしいのではないかと疑問が沸く。
決して刹那主義的な意味ではなく、いつまで生きるかわからない人生を我慢してやり過ごす必要はあるのだろうかと。
安定した仕事、穏やかな家庭を求める人が多くいるのは当然よく理解できるしまったく否定するものではないけれど、本当はそういったことに大きな魅力を感じていないのに無理やり自分を大多数に合わせる必要があるのかどうかがわからなくなる。
医者にもかかれず悲惨な晩年を送るのは嫌だけれど、晩年のためだけにそれまでの数十年を「なんとなく」「普通の暮らし」に合わせるべきなのだろうか。
バンドで売れる事を目指したり、外国の僻地でインチキ日本料理屋を開いたり、田舎で半自給自足の生活をしたり、地ビールを作ってみたりしてもいいんじゃないかと心が揺れる。失敗は怖い。キャリアを捨てればもとの稼ぎに戻ってくることはできないかもしれない。暖かい家でうまいものを食って発泡酒じゃないビールを飲みたい。でも、それだけでいいのかと不安になる。
一人で考え始めると視野狭窄に陥りがちだという自覚があるのでバカにされたり叩かれたりすることを承知で増田に書いてみた。
「やりたいことがあるならやればいい」とか「勝手にしろ」とか言われるのかなとも思うけど、自分でも何がいいのかよくわからなくなってきているのです。
何かの意見を貰えたらうれしい。
都内か近郊に住んでて今は一応安定した職についてて昔サブカルみたいなバンドとかやってた関係でそういう知り合いもいて20代後半位で思い悩んでる人?
昔俺が書いたエントリ。 http://anond.hatelabo.jp/20130211162905 書いてからしばらくしていきなりバズってて驚いた。 ちなみに「盗んだバイク」を真に受けてる奴が結構いるけどもちろんそうい...
何年か好きなことをやってくればいいと思う。 その場合にも逃げ道は用意しておくべきだが。 親が金持ちだったら好きなことをして生きていけばいい。
俺はむしろ刹那主義的な意味で、楽しいことして生きたらいいじゃない?と思うけど。 たぶん君は俺よりずっとポジティブで、生への欲求や執着が強いから、そう言われても「違う」と...