中の技術者です。日立の中の悪い面は、やはり外から見ても分かるんですね。
「クラウド・コンピューティング」って何それっていう社風です。
全くやってないわけではないけど、もっとこの手の新しい技術に金と人をかけて欲しいと個人的に思えるくらい、細々としたもの。
日立はネットワークの技術にきわめて弱い印象があります。ベンダー体力としては劣りますがNECの方が面白いかもしれませんね。
それは同感。NECは、キーワード的にはSaaSとかWeb2.0系とか言われるようなものに、割と早い段階から手を出している。
私もこういう技術に手を出したいが、なかなか難しい状況。
うちのところに来ている営業マンはおよそ他社では25歳くらいで身に着けるべきビジネス・スキル(期日管理、プレゼンテーション力)を30歳から35歳の三人とも身に付けていません。
優秀な人は優秀なんだけど、そうでない人も少なくない。簡単にクビにできないから、そういう人も残ってしまう。
他と比べると、ビジネス・スキルが低くても、それを許容してしまう甘い社内文化もあるのかもしれない。
中から見ても、社内調整の大変さはどうにかして欲しい。上層部の声が強いし、何かやるにしても部署外の関係者が妙に多い。
人の黒歴史をきいたときに、、
デズニーランドに男2人でいってしまった。
という逸話は聞いたことがある。
どうしてもいきたかったんだけどいく相手がいなかったから友達さそったんだと。
ま、なくはない話しなんじゃないの。
一人でいくやつもいるし。
好きすぎて働いたやつも2人ぐらいしってる。
あとこの流れで連想したんだけど、たまに
みたいな主張する人っているじゃん、
自分で自分を追い詰めるだけでなんもいいことないのになーと思うんだけど、
どうしてそういう美化が起こるんだろう。
フィクションとかの影響かな。
後悔とかはしても良いことないというのは理屈ではわかってても感情がそうなっちゃうものでは?
どうして美化されるかというのは
http://anond.hatelabo.jp/20080720220306
でも似たようなこと書いてあるけど、結婚とか経済的な打算が絡みまくるからどうしても汚く見えるんだよ。金目当てのどこが悪いんだよと開き直れる人とか結婚後の生活考えないで付き合える無計画な人ならそうでもないのかもしれないけど。
趣旨とはちょっとずれるけど、女の子同士二人で行ったりってあんまりしないものなの? 私はだいたい女二人で行ってるわ…。人数増えると予定あわせが面倒くさいしw
逆に考えるんだ。お前とセックスするくらいなら死んだ方がマシだと死を選んだのだと。
非礼には礼をもって接しましょう。
一般論としてはその通りだと思う。その上で、ね。
この一連の引用元の彼の言説の肝ってのがさ、意図的にそこに巣くうことで成立しているわけですよ。
この増田が書いてるけど
彼自身がもっとも矛盾している点は彼がいくら非人間として振る舞ったところで彼自身が”自称”人間からは逃れられないという点を意図的に無視している点であって、だから彼は自分の人間性に関しては一切言及していない。そのうえで
人間的な人間を包摂し、承認するためには、非人間的な人間と認識されている人間を排除し、非承認対象として無視するしかない。とはいえ、非人間的な人間も、元を辿れば人間だ。同じ人間を排除することが「人間的な人間の本質」だというのならば、歴代の人間中心主義者たちは、非人間的な「自称人間」だということになる。
つまりこちらをいくら”自称”人間だとdisってみたところで、そのdisられたおまえら”自称”人間はいくら俺が非人間的な言説を繰り返したとしても俺のことを人間扱いするしか選択肢はないだろ?じゃなきゃ自己矛盾するもんな?って言ってる訳。
繰り返すけど、彼がどうやってその矛盾した”自称”人間から逃れ得たのかに関して彼は一切言及しないのね。だからまず、彼はなんなのだろうか?って思うんだ。
彼に突きつけるべきナイフは、”人間は人間としか対話しない”って原則だと思うんです。”自称”人間は“自称”人間としか原則として対話しない、でもいいかな。”自称”非人間の言うことなんて耳を傾ける必要は無いんですよ。時間の無駄。思想が云々とかそういう次元の話じゃないよ。
だれかおかしかったら教えてね。
むしろ、先方さんはもうあなたのブログなんて忘れちゃってると思うよ。
そんなコメントは消しちゃったらどうかな。
ただ、あなたのブログの話題が
横だけど。
これはダメだろ。
たとえばまだ人格がしっかりと形成されていない子供を相手にするときにこちらまで子供になって対応するようなもんだ。
それがたとえ大人だとしても人間としての成熟度には個体差がある。
それを低いところに合わせたら収集つかないだろ。
非礼には礼をもって接しましょう。
これが大人な対応の第一歩です。
なるほど、スケジューリングか。。
そういえばスケジュール管理するような手帳は普段持ち歩いてないし、Googleカレンダーを中途半端に使うだけで、自分のスケジューリングを徹底するようなことは今までの人生で一切やってこなかった。思えば昔から、予定を立てずに思いつきで行動するのが好き(というか怠惰なだけ)な人間だった。
数年前までは、周りの大多数の人間と共通した締め切りにだけ間に合えば、とりあえずひどい目には合わなかったので、そのコミュニティに属していることで、何か公的な締め切りが近いことは察することができた(周りがそわそわしだすので)。そして前日か前々日あたりから準備に取り掛かり始める。結果、ぎりぎり間に合う。そんなことを繰り返してきたんだった。最近までは毎回、結局それで何とかなっていたのだが、最近はそのやり方が破たんしてきた、という認識。
(やる気のなさや怠惰といった)自分がこういう状況になったそもそもの原因は、自分のスケジューリングを他人任せにしたりする甘さ(甘え)に起因するのだと思う。気付かせてくれてありがとう。
「昔は良かった」ってよく言う奴いんじゃん。
似たような心理なんじゃないの?
もう手に入れられないものは美しいものに見えるんだよ、きっと。
http://hakushaku.9.dtiblog.com/
アダルトブログやるならば、やっぱり一人暮らしのほうがいいと気づいたが、ともかく続けていくつもり。
なかなかアクセスがない。
前途多難だ。
エロブロクの管理人って、毎日毎日エロに埋もれて生活しているんだよね。
そのうち発狂するんじゃないかってくらいエロエロな言葉の羅列に勝負掛けてやってる姿はまさに漢だ。
俺は家が狭いから、PCのある部屋とはふすま一枚隔てて親がくつろいでいたりする。
こんなの運営活動しているのを親に見られたらきっと泣かれるに違いない。
しかし、今はお金欲しいから続けていく。
普通の雑貨や本なんかを扱うよりも、エロエロ大好物な男どものスケベ心をくすぐったほうが、クリックしてもらいやすそうだから、敢えてアダルトアフィリエイトやるよ。
あと、どうか子供は見ないでくださいね。
仕事をしていく上でいくつも壁がある。それにぶつかって、乗り越えないと「頑張ってもダメ」という結果が自分に植え付けられ、結果、頑張れなくなる。こうすればいいんだ!というのが見つかれば、その壁は乗り越えられる。
壁にぶつかったら、乗り越える方法を考えるか、逃げるか、逃げる事を保留するか。
君は最後のだ。逃げる事を保留してる。
普通なら、君みたいな状況ならスケジューリング能力について悩むと思う。自分の仕事のスピードと今抱えてる仕事の量、そして締め切り、頼まれる仕事の見通し。それを全部スケジューリングして、常にボーダーラインを超えなければ仕事は廻る。
世の中にはそれをサポートする道具が山ほどある。メモ帖1つでも充分だけど、カレンダーの方がいい。
……と、ありきたりな返答をしてみたけど、元増田は拒否すると思う。これでスケジューリングするぐらいならこんな状態になってない。
ただ、スケジューリングするか、死か、そんな状況に今なりつつあるんじゃないのかな?と思い、無駄とは思いつつ、スケジューリングしなよ、と言っておきます。
中学2年頃から高校卒業ぐらいまでの女子の自殺数って相当なもんです。
僕がそれを調べた頃は確か1600人ぐらいでした。
その時「ああ、死ぬぐらいならえっちさせて欲しいな」などと思ったものです。
調べてから15年ぐらい経つ今考えても、死ぬぐらいならえっちさせて欲しいと思っていたりするのです。
どうせ死んじゃうんだから、かなり無理なプレイをさせて下さい、とか思っちゃったりするのです。
どこに行けば会えるのかなぁ、そういう子。
某所で非常勤講師をやっている者です。
専門学校なので相手は高校生を卒業した人が中心なんですが、2割ぐらいは主婦というか、年配の方もいらっしゃります。
教えている内容はF1の基本的なことと、フェラーリとかマクラーレンの使い方で
「今更こんなこと教える必要あるんだろうか?」
と思うような内容。さすがにそれだけでは申し訳ないような気がするので、
これからの時代に必要とされそうなピットの戦略的なことも教えています。(タイヤを交換しようね、とか)
で、そういう非常勤講師をやっていて気づいたのだけれど、割と多くの人は未だに
「F1って何?」
という認識である、ということ。いや、それ以前に
「クルマって何?」
という認識の人が割といるという現実。年配の人とかに限らず、若い人でも多い。
ヒールアンドトウどころかシフトレバーですら使えない。ダブルクラッチやドリフトなんて全然できない。
「基本なので、しっかり覚えてください」
「ブレーキの場所だけを覚えてください。それだけでほとんどのコーナーは曲がれるようになります」
とお願いしても、授業中は頑張るがそれっきり。次の授業では綺麗さっぱり忘れて神風ドライビング。
「オーバーテイクが簡単にできる(富士の)環境は恵まれてますよ!」
とか言っても全然興味を示さない。そもそも、F1なんて授業で使ってるだけで普段の生活では見たくもないらしい。
だから使わないし、いつまで経っても覚えられない。まぁ、それでも全然普段の生活には困ってないんだろうけど。
半数以上の人は、そういう面白い情報を教えてあげると喜んで飛びついてくれる。フォースインディアとか教えたら喜んでやると思う。
現にHONDAで去年のマシンを借りるだけでスーパーアグリやらを喜んで作る。
タクマを乗せて非常に楽しんでいる。
でも、一貴の人は何をどう頑張っても無理な気がする。
ウイングの作り方(といってもフロントのウイングを強めにするぐらいなのだが)を教えても、
授業で提出を求められているから作るのであって、道路を走るのにF1を使うなんて考えられないらしい。
そもそも、F1なんて言ってみればTV番組とか、暇つぶしのようなもので、
専門家が上手くやってくれればそれでよくて、自分たちが何かをする所じゃない、という認識なのだろう。
昔から個人的な意見として交通の世界はもっとF1を有効活用すべきだ、と思っていたが、
こういう現実を目の当たりにして、それは全くの間違いだと気付いた。
F1を通して見える世界っていうのは、本当に偏った世界なんだ、と。
コンドーとウキョウの意見を集める時に、コンドーの意見だけを集めているような、
----
おいおい、神経すり減らしすぎだろ
しぬほどうっとうしい。
世間知らずの極みなのかなんなのか、大手企業に勤めてる人に対して「転職するべきじゃね」とかイミフな事言ってかじりついてるし…。
そうはいっても男女関係なく中高生ぐらいのほうが恋愛楽しめると思う。
大人になってから同じような満足感は無理。
こういうのって、どんな人が言ってんのか興味ある。
中高生のときも大人になった後もそこそこ男女交際の経験がある人が言ってるのか、
中高生のときだけ経験あって大人になってからは縁遠い人が言ってるのか、
それとも逆で、中高生の頃に経験なくって心残りな人なのか。
直感的には、最後のパターンの人が中高生の恋愛を美化して言ってるような印象を受ける。
もしパターン1の人だったら、そもそも恋愛の定義が自分とは違うんだなーと思う。
あとこの流れで連想したんだけど、たまに
みたいな主張する人っているじゃん、
自分で自分を追い詰めるだけでなんもいいことないのになーと思うんだけど、
どうしてそういう美化が起こるんだろう。
フィクションとかの影響かな。
こういう事書いて鬱病とか言う輩は議論したいんじゃなくて
「ああまた人に嫌われるような事を書いてしまったやっぱり僕は最低な人間だ生きている価値はないんだああ早く死にたい」という思考を引き出したいだけなんだよ。
構ってやったらコイツの死ぬ理由の一部にされるだけだ。
荒らしではないけれど、こちらに対して好意をもっていないのは確か。
元々、100pv/day行かないようなブログだからコメントをもらうのが久しぶり。そのため、このコメントが目立つ。
一週間前に有名なblogにトラックバックをしたところ、pv数が一気に増加。そんな状態の時に上記のコメントがされていた。
正直言って、こちらの言いたいことをほとんど理解していない。多分、脊髄反射で書いたんだろうなという内容。
反論の文面をつくってupする直前にふと思った、このコメントに反論して意味あるの?
自分の想いに対する反発のコメントなので、反論したいのは山々だけど、たぶん、先方はこちらのコメントにコメントをしてくるに違いない。
お互いの根本の考え方が違う以上、建設的な議論にはならない。ブログ主の私が自分の文章を噛み砕いて説明して、先方がそれの問題点を
指摘する(揚げ足を取る)。文章だけで行われる不快度100%の議論。
そして、ジャッジをする人がいない以上、決着はつかない。議論が議論を呼び、どちらかが疲れた時点で終戦。
以前、人のブログで議論した時の徒労感を思い出した。その時は、対立する建設的な意見の議論だったのだが、数日にかけて行われ、非常に疲れた。
身のない議論に時間を費やしても仕方ない気がしてきたので、一度書いた文章は破棄。アルファーブロガーでもコメントに対してコメントをしない人も
いるので、それに倣うことにした。
幸い、コメントにコメントをしたことはほとんどない。ブログを見た人には、反論できずに黙っているのではなく、元々コメントにはコメントしない