個人的に、なかなか難しいと思っているのが、標記の考え方からの離脱。
いあ、何かものを見るときに、どこか自分の知ってるものにカテゴライズするってのは、脳が最初から持っている習性的なものなのだろうから、けど、だからこそ、根が深く難しい問題なんだと(自明の事なのに、今さら)、最近、追認させられることしきりって感じ。
物事ってのは、どんなものでもカテゴライズすることができるし、逆に、あらゆる物事をカテゴライズして、そのカテゴリーの中からの差異をいちいち見付ける方が楽。
カテゴライズする能力は、ものの概形を掴む能力とイコールで、だからこそその能力を持っていることは、物事の本質をつかむためのスキルと見られるし、そういう思考法ってのは合理的だと考えられているわけだよね。
でも、本当はそれって程度問題なわけで。
1を見て10を知る事ができるってのは素晴らしいし、便利。
それだけ労力を省くことができるし。
けど、ほんとにそれってできることなのかしら?
氷山の一角を見ているとして、その氷山は水中でクラックが入ってるかもしれない。
なんか、氷山を例に出したのはつくづく自分のセンスのなさを実感するほどの悪い例だけど、一部をみて、その全体像が見えていると思うのは幻想なんじゃないかしら?
いあ。
たしかに、最後の最後まで見つづけていって、結局、最初に組み入れたカテゴリーに入っていたなんていうのは、労力の無駄に思えるし、それこぞ見つづけたエネルギーを返せと感じるかもしれないけれど。
一部をみて、何かに当てはめて考えるのの度が過ぎると、単なる思考停止だし、思考の怠慢にほかならないんじゃないのかしらね?
水は低きに流れるだとか、性悪説だとか持ち出すまでもなく、生き物はすべからく労少ない選択をしがち。
というか、生物の遺伝子には須くそう書き込まれているんだとおもう。
エネルギーを費さない方向に、楽をする方向に、進化ってのは進んできたみたいだし。
カテゴライズする能力は必要だし、その能力に長ける人は、きっとできる人に分類されるんだと思うけど、人はその方向に生物的なバイアスがかかりやすいことを常に意識しながら、そちらの方向にはブレーキをかけつづけるくらいの方がミスリードを少なくできるし、思考の怠慢に陥らないんじゃないかな。
と、「段階の世代」とか「ゆとり」だとか「いまどきの若い(ry」とか言う典型的なそれが溢れる様を見ながら、自戒することしきりなのでした。
ま、これだけ自戒したとしても、なかなかうまくブレーキを踏めてないから、自戒の質に問題があるのか、自分のブレーキが壊れてるかなんだろうけども。
社会人になって10年、今までのほほんと働いてきた。
SEとしてシステム構築やらお客様への提案やらを生業にしてきたが、
先輩も同僚も後輩も、それぞれ得意な分野を持って仲良く働いてきた。
競争というのは他社とするもので、社内では一致団結、協力していい仕事をするものだと思っていた。
しかしさすがに10年も働いていると、敵は他社だけではなくなるらしい。
いつの間にか、敵意は社内から感じるようになっていた。
どれだけ自分の存在感を大きくするか。
いかに出世を早くするか。
そんな競争に、知らず知らず巻き込まれていた。
そういう価値観の人がいて一緒に仕事をしていたんだと知って、虚しい気持ちになった。
仕事が好きで、うまくいったときの達成感を味わいたくて働いていたのに、
その成果を疎ましく思っていたり、その成果に乗っかりたいと思っていたり、あわよくば横取りしたいと
思ってる人が少なからずいる。
そんなことを意識しなかった僕は、組織というものを甘く見ていたし、世間知らずでバカだったんだろう。
しかし、そのことの端緒をつかんでしまった今、もう前のように仕事が好きだというだけで働くわけにはいかないだろう。
評価ばかり気にする人の近くにいると、本当に疲れる。
言葉尻で揚げ足がとられるんじゃないかと思う。
あからさまに外しにかかられると、怒りとも悲しみともつかない感情に襲われる。
僕はもっと広い視点でこの事態を捉える必要があるんだろうと思う。
今、目の前で行われているパワーゲームに気を取られていると、自分が消耗してしまうことは明らかで
それよりもっと、ずっと前を見て、もしくはもっと自分だけを見てもいいかもしれない。
僕が生きている世間は狭い。見えている世界もまだまだ狭い。
それでも、狭いことを理解したうえで、今の状況を別な角度から眺めて、乗り切って行こうと思う。
とあるサービスを利用していて、私の使っているプロフィール画像のことを「これって自分で描いたんですか?」と聞かれることが多かった。なにを当たり前のことをいっているんだろう…と戸惑ってたけど、謎が解けたわ。どっかから「借りて」きている人が多いってことなのか…。
カンフルとして用いていた自傷行為は、いつしか身体を動かすためになくてはならない常備薬になった。切って、切って、切りまくりたいところをぐっと堪えて、刃先のほころびたはさみを手慰みにそこへ押しつけたら、思いのほか鋭い痛みを伴って、すっと切れた。一本の赤い糸をみるうち、心の底から、「ざまあみろ」そう思った。何に対して嘲りと軽蔑の念を抱くのだか分からない。というより、分かりたくない。まだ、知りたくない。それを明らかにしたくはない。ただ、思う。ざまあみろ。私の身体の所有権はここにある。
巣まで全滅系の毒エサ買ってきたほうがいいと思う。ゴキホイや一匹ずつ駆除はキリがないから。
巣の近くにゴキホイを置いて、巣になっている場所を徹底掃除という戦いをもう数ヶ月も繰り返してきたが、巣の位置が変わるだけでゴキの数は全然減らなかった。
これはダメだと思ってつい最近、毒エサ置いてみたら一週間でゴキを見かけなくなった。
でもゴキの死体は一体どこに転がってるんだろーねー…ハハハ
このタイプの増田にうんざりしてるユーザがそんだけ多いんだと思うよ。ついでに、このタイプの増田が出た後に別増田登場で
こういう「ねぇねぇあいつ変じゃない?」「だよね、私もそう思ってた!
(中略)
というトラバがつくのも正直何度目だって感じ。芸風変えたら?
大体そういう扱いを受ける機会が多いなら、それなりの言動をしてるってことだと思うけど?
マンガを描いてるんだが、最近「同人誌にキャラクタを借りました」「イラストにキャラ借りました」って言ってくる人が多い。ひどい人は自分が著作権を持ってるかのように振る舞っちゃう。もちろん雑誌や単行本には「転用禁止」「二次創作禁止」の旨を明記しているんだけど、そんなのは全く気にしていない。むしろ本人に伝えてて「無断じゃないからいいだろ」とでも言いたいのかもしれない。メールやブログのコメント欄でそういうことを言う人には「使うな」と直接返事できるけど、質が悪いのは増田などで無記名でそういったメッセージを残していく人で、直接注意できないのが非常に歯がゆい。いろいろ対策もしているものの、監視には限界があるので、見せしめに海賊版として訴えてやろうかと思っている。
「どうぞご自由にお使いください」とでも明記していない限り、マンガを描いた人は二次創作されるために絵を描いたわけじゃない。「使いました」じゃなくて「借りました」と言えば許してくれるとでも思っているのだろうか。いっそ隠れて使われたり、堂々と「使ってます」と言われた方がまだいいよ。「かわいくてつい」とか「ごめんなさい」とか言えばいいものじゃないですよ。
きっと全部使いたい放題・盗用したい放題にしてしまった方が気が楽なのだと思う。でもやっぱり自分のキャラクタが二次創作素材のように使われるのは悲しい。描いたものはどんなものでも大切だから、やすやすと使われたくないっていう気持ちががどこか心の奥底ではある。
結構驚いたのが、自分のところの場合、20代・30代が男女関係なくこういうことやってるってこと(実際に二次創作者のmixiプロフィールやブログプロフィールを見てみた。偽っている可能性ももちろんある)。ぱどやCURURUのイメージが強いからかもしれないけど、こういうことは著作権知識に乏しい中学生や高校生がやるものというイメージがあったんだけどなあ。むしろ作者に無邪気に「かわいいので描きました♪」と連絡してきちゃうあたり、もっとひどいかもな。
まあ自分のキャラを使ってるの人のブログをみると、キャプ画像をバリバリアップしちゃってる人が多いから、キャラクタ物ってジャンル自体がダメなのかな…。それとも自分が変に二次創作に対して必死になってるだけなのかな…。
inspired from http://anond.hatelabo.jp/20080624195121
同人初心者は自分の黒歴史を呼び起こすから、なるべく遠ざけたい(できれば直ってもらいたい)って思うがゆえに厳しくなるんじゃないかな。
「電話連絡は基本的に自宅にすることに…」云々というのは、中学になると担任が生徒を常に見てるとは限らないからでそ。小学校とは違うのよ。家庭調査票というのは担任が保管する機密文書なわけでそのへんにほいほい放りだしてあるものではないわけ。コピー取っておけ?そりゃ取ってますよ。でもそのコピーもある程度鍵のかかるとことか見えないとこにしまってあるもので、一番簡便には、誰か対応した人間が生徒名簿か何か(スペースの関係&情報保護の観点から自宅電話番号しか普通書いてない)みて連絡するという対応になるし、それを「不親切だ」と言われても学校も困るわけですよ。まあ普通今ドキの担任の携帯には問題児の親の携帯くらい登録してあるもんだが、今回は中1だし初めてだし、で対応しきれなかっただけじゃね?そもそも担任が出張で学校にいないこともあるんだから、いつでも家庭調査票みて対応汁というのは実際難しいもんですよ。
そもそも
もしまた飛び出すようなことがあっても学校側は探しもしないし、その過程で事故が発生しても責任持たないということですか?と尋ねると「そうです」とか言うわけ。
そもそもここで、「また飛び出す」前提で、「学校の責任」とかいうフレーズが出てくるのが、まずわけわからん。
の?
責任というのは管理下において発生するものだと認識してますが、管理を振り切って飛び出して事故に、というのは、たとえば赤信号を無視して逃げ回った暴走族がスピード出しすぎて事故って遺族が警察を訴える、みたいな話と同じ?そんなこと言うから、相手を無意味に警戒させたんじゃないの?
(1)「まあありがちなことだから大げさに騒ぐなよw」
(2)「逃げ出して何かあったらあんたら責任とってくれんの?wwww」
(4)「しゃあねえから連絡くれる?つーか仕事中なんで自宅困んだけどw」
…って聞こえてると思うんだよね。かなりモンスター補正入ってるとして。
で、たぶん学校側の期待してた対応はこんな感じ。
(1)「あってはならないことです。今後二度とこういうことはおこしません。おこさせません。」
(2)「仮に息子が逃亡しようとするならば、それは私の指導が行き届かないためです」
(3)「仮に逃亡したとして、何かあったとしても、もう中学生なんですから、その責任が本人と親にあるのは当然です」
(4)「そもそも息子がそのように不安定な状況であれば、当然私は仕事より息子の教育を優先すべきだと考えています」
……まあ、いささか時代錯誤ではあるわな。
しかし、これはそういう双方のディスコミュニケーションじゃねえかなと思うわけです。難しいね。んじゃね。
腐女子に限らん気がするけどな、そりゃ。奥様方の井戸端会議とか、高校生の集団とかサラリーマンとかOLとかでもありそうだが。ある程度の集団になったときにそういうイジメの源泉のようなものが生じてしまうのが人の常なのかもしれない。だとしたら悲しい。
思うにマンガのセレクトが悪いんだと思う。
成年男子がコロコロコミック読んでつまらんっていうようなもの。(年齢的に会わないって意味で)
とりあえず「臨死!!江古田ちゃん」読めよ。
あなたの読んだのとは真逆だと思うから。
元増田じゃないけどさ、こういう「ねぇねぇあいつ変じゃない?」「だよね、私もそう思ってた!てかあいつオタクじゃん?w」「やっぱそうだよねwてかオタクだからきっとあんなんなんだろうねwホントキモいw」「だよねw」みたいな陰湿なコミュニケーション、多分女性同士がやってるんだと思うけど嫌いだわ。
増田ですら結構見るから本当うんざりする。言っちゃ悪いけど、こういうコミュニケーションこそ、寧ろまんま「腐女子」って感じ。まあ私も腐女子だから強く言えないけど、同人板とかいくとこの手のコミュニケーションが一杯あるんだよなー…。一人をあげつらって、その一人を陰から皆で「キモいよねw」「だよねw」って言い合う感じ。この「型」が一度出来上がると、当人がいくら反論しようがその反論のさますら「なんか反論してるしw」「必死になってるよね」「だよね必死だよねw」「てことは私たちの言うこと図星だったんだろうねw」「だろうねwマジ受けるw」って感じで消化されちまうんだよなー。この「型」って、各人がグループ内の意見を肯定し合って補強していくからもう最強なんだよね。どんな意見がきても、相手が一人な時点で数で勝ってるから、悪口をグループ内で肯定しあっていけばそれで勝てちゃうから(当人達的には)。
……てかこう書くと、イジメの素みたいなもんだなこういうのって。
自分もよく言われた。「目がつぶれる」「視覚公害」「慰謝料もらわないと」とか定番だった。
なんでそういうこと言うのかって理由は、この増田が言ってるようなことだった。普通じゃ言わないようなことを言って、そんなことまで言い合える自分達の親しさを確かめ合う、みたいなノリ?ファックコミュニケーションてやつ?
こんなこと言ってもなぐさめになんないかもしれないけど、彼らにとっては、増田は充分可愛いので、ブスネタが冗談で言える範囲なんだと思うよ。本当に洒落にならない人には言わないもん。(その分性質が悪いとも言えるけど)
だからって言った奴の罪が軽くなるわけでもないし、傷ついた気持ちが消えるわけでもないけど、周囲にそういうタイプの連中がいるなら、このこと知っておいて損はないと思うよ。
それにしても腹の立つ連中だよね。「絡み方を間違えただけで、悪いのは冗談を冗談と受け取れない女の方だ」とか思ってるんだよ。あー気分悪い。今後会っても無視無視無視!
こういうのを軽口だからって言ってくる人は、本気で言ってる人よりも許せない。ついつい本音がポロっと出たならまだしょうがないけど、「本気にすんなよ」って反論を塞いでおいて言葉を投げつけてくるのはそっちのがよっぽど悪質だと思う。しかも自覚ゼロ。救いようナシ。
確かに主婦と低年齢層は何かと敵視されているな。主婦なんて「チュプ」という蔑称まであるし。
一応嫌われている理由としては、
・主婦は同人サイトを持つと、日記で何かと夫や子供の生々しい話を繰り広げる。センスが古臭くて痛い。
・低年齢層は同人がグレーゾーンという認識もなく、安易にサイトを作ったりする(その結果、色々な問題を起こす)。センスが携帯小説のよう。また、プロフィールで高校生だと明記しているのに日記で酒・煙草やってます的中ニ病日記を書いたりと何かと痛々しい行為をする。
って感じらしいけど。
恐怖や罪悪感から逃れるため、ってのは文字通り後ろ向きな発想だよな。
俺ももっと前向きにがんばりたいんだけど。
前向きになりたいけど、前向きになるのって難しいなー。
不倫を弁護するつもりはさらさらねーが「頭の足りない不倫儲氏ね」じゃなくて人間がどうしてそういう馬鹿なことをしてしまうかに興味は?
俺は両方興味があるなw
努力しないと食べていけない。でも、食いっぱぐれる恐怖にも耐えられない。
努力しないと家族に迷惑をかける。でも、大切だと感じている人を傷つける罪悪感にも耐えられない。
恐怖や罪悪感は努力するための駆動原理になりうると思う。しかし、「今、努力して目の前の恐怖や罪悪感を取り除かないと、将来、更に大きな恐怖や罪悪感に襲われますよ」と言われても、今現在逃げられる場所があれば逃げ込んでしまうと思う。
努力するための駆動原理として、恐怖や罪悪感だけでは不完全過ぎる。やはり、"努力する意味"というのが必要だと思う。
努力する意味、なんて完全な答えは無いんだろうけど、自分が大切だと思う人との関係、社会との関係、そして自分自身との関係の中で、恐怖や罪悪感を払拭しがたいリアルなものとしてそこに軸足を置きつつ、でもそこにそれ以上の"意味"を自分で見つけ、それを自らの努力の駆動原理としないかぎり、真に自発的かつ持続可能な努力はできないんだろうと思う。
「努力しないと、あなた、最終的には路頭に迷いますけど、怖くないんですか?」
「努力しないと、あなたの大切な家族も巻き込んで路頭に迷うことになりますけど、怖くないんですか?恥ずかしくないんですか?」
「努力しないと、社会システムを経由して他の社会のメンバーに迷惑をかけることになりますけど、よく平気な顔でいられますね?」
といった意見は、まったく地に足の着いた助言だとは思うけど、やはり、恐怖や罪悪感を自覚させ煽るだけでは、努力の駆動原理としては不完全だと思うのですよ…
なるほどなー。俺んとこは田舎で2クラスしかなかったけど確かに新任が問題クラス、ベテランが真面目クラス受け持ってたなー。
逆にすりゃいいんじゃね?と思ったが、その辺は受験指導が絡んでるのかな。
そして30歳を過ぎたころからまた「なんだ、今見たらこれはこれでけっこう面白いもんだ」なんて思ったりするわけだ。
あーゴーオンジャーは面白いなー。