はてなキーワード: プロフィール画像とは
Twitterで長年片思いユーザーだった人が僕の事をフォローしてくれた。
そだけなら問題ない。ただ、僕としては「本当に全部見た上でフォローしてくれたのか?」と思ってしまう。もしくは、何かの拍子に間違ってフォローボタンをクリックしてしまったのかと。
僕は一応websiteをやっている。その人もやっているのだが、相手はイラスト関係で僕は技術関係の事を主に取り扱っているし、Twitterの方も投稿ジャンルは別段一致するわけではない。
お互いの活動内容が大きく食い違っている。
相手は「この人とも投稿内容で共感できる部分がありそうだしフォローしてやろう」と勘違いしているのだろうか?
まずそう考えられる根拠として
相手は僕の創作活動全般を全て見た場合僕をフォローから外す可能性がある。なら最初からフォローしてほしくない。なんだか嫌な気分になってしまうからだ。だからといって一々「本当に全部見たの?」と確認をするのも鬱陶しがられるだけで双方が嫌な思いをするのは必至。
何だか、何となくだけれど不吉な予感がする。但し1ダメージ程度の。
30まで来てしまった。我ながらよく書くなぁと思う。
さておき、最近興味深いと思ったことを書いておく。
今週の大きな(と言うとやや大げさだが)トピック。
端的に言うと、ダイアリーであった市民制度をハイクにも広げたというものだけど、ハイクでのこれに対する反応はなかなか興味深かった。
これをネタにしてキーワードが盛り上がる、みたいなのはいいとして、私が関心を持ったのは、
「はてなハイク市民なんていらない」
こんな反応を示す人が幾らかいたことだった。
今後市民制度は何らか機能拡張されていくらしいけど、今のところは「はてなキーワード」の編集権を持つくらい。
それ以外の変化と言えば、「Entries」で表示されるアイコンにメダルらしきものが付くくらいだけど非常に過剰に反応している。
しかも割と長くハイクにいる人、いわゆる「古参」に部類される人の中にその傾向が散見される。
アイコンに「メダル」が付くのも面白くないらしく、アイデアで改修も要望されている。
上記のような反応をとても不思議に思う。そんなに目くじら立てるものだろうか?と。
以前ハイクで「Profile」タブが廃止され「Entries」タブに統合されたことがあったが、
これに関してはユーザーの使用感に関わることなので(「Profile」へのPOSTとそれ以外のキーワードへのPOSTを分けて管理したい場合など)、
ある程度要望が出るのも理解できる。でも今回に関して言うと、そのような使用感の変更は今のところない。
「メダル(バッジ)」にしても表示されているのが「Entries」の画像のみなだけなのに「そんなに?」と思う。
アイデアの件に関しては「人の画像を改変」というところが問題になるみたいだけど、そもそも「人の画像」をアイコンにしてるひとも多々いる(アイデアを立ててる人はそうではないかもしれないけど)わけで。
何というか、力みどころがズレてるような気がしてならない。
何が重要かは人それぞれだから一概に「ズレてる」とは言い切れないのかもしれないけど。
話を「勝手に市民に認定されること自体に違和感」を感じているというところに戻して考える。
今回の「自分の思惑から外れたことが降りかかってくること」に対する拒否反応って、これまでこの観察記で取り上げてきたハイク内の衝突に関係しないだろうか?
例えば先日取り上げた「実況」の件とか、しばしば話題に上る「連投」の件とか。
勝手に作り上げた「自分の」ルールから外れるものに対する拒否感の表出という点では似ていると思うのだがどうだろう?
必ずしも「実況」「連投」、その他の件に異を唱えていた人が「市民制度」に異を唱えているとは限らないのだけど。
上手く表現できないけど、何か繋がってる気がするんだけどな。
http://anond.hatelabo.jp/20081108194131
もしかしたら気分を害する話かもしれないのだが真剣な悩みなのでできれば聞いて欲しい。
最近気づいたのだが、俺はどうやら好きなマイミクのタイプというものは「プロフィール画像が自分好みなマイミク」らしい。
(揚げ足を取られる心配よりわかりやすさを優先すれば「プロフィール画像が可愛いマイミク」ということ)
これまでの炎上でわかったことだが、他のマイミクがブロックしてきたようなマイミクも含めて、俺の場合、相手のコメントに関しては、かなり酷いところまで許容できる。というか、いくら歪んだ解釈されようが破天荒な妄想されようが相手のコメントやメッセージはだんだん好ましいものに思えてきたりするのだが、プロフィール画像だけは(ブサイクな場合)頑張っても好ましいものとは思えなかった(たとえその子が画像加工などして頑張っているのがわかっても)。
理不尽な紹介文つけられたり雪山の雪崩ほど弾幕なエコーに他の人のエコーが流されたり裏表のある公開範囲限定日記に気付かされても、俺はだいたいマイミク削除したりもせず真剣に付き合ってレスを返すのだが、そういうときに心に湧き上がっている思いは「こいつコメントスルーさえしないでくれればなー」ではなく、「こいつがもうちょっと可愛ければコメントスルーされても苦じゃないのになー」という気持ち。醜い思いかも知れないがそれが正直な感情だった。コメントスルー自体には耐えることができた。耐えられなかったのはそのプロフィール画像なんだ。
逆に可愛いマイミクとマイミクし合っていたときは、本当に何度でも足あとつけたい気持ちだった。上記と同じような目にあっても最初からおおらかな気持ちで受け止めることができた(日記を読みに来てさえくれないから諍いがおきようが無いとかではない)。
結局他の男に先にサシオフされて以来よそよそしくなったりするわけだが(涙)。
※足あとが頻繁につくとマイミクにキモがられるよとかいう話は本題ではないのでここでは結構。
プロフィール画像が一番好きなところだと、真剣に興味があるのだと思ってもらえないのだろうか。プロフィール画像ってそんなにその人の素顔とは別物? 俺はそうは思えないのだが・・・。
「好きなマイミクのタイプはプロフィール画像が可愛いマイミクです」なんて言うとヤリ目にみられてしまいそうな風潮があるのはなぜだろう。プロフィール画像最優先でマイミク対象を選ぶことはそんなにいかがわしいことなのか?プロフィール画像ってそんなに猥褻な要素?
少なくとも今まで生きてきた中で見掛けて来たプロフィールやバトン等で、好みのマイミクを(冗談やネタ以外で)プロフィール画像重視に答えている人はとんと見たことがない。
その理由としては、
のうちのどれなんだろう。
「好きなマイミクのタイプはプロフィール画像が自分好みな人です」ということは、本当にヤリ目なことなんだろうか。
別に相手の日記を読む気がないわけじゃない。日記は読めば好きになれる自信があるのだ。
だから、俺はプロフィール画像が自分好みなマイミクがタイプとしか言えない。
だから聞きたい。
もしあなたの目の前に、「好きなマイミクは可愛いプロフィール画像のマイミク」「好きなマイミクはプロフィール画像が美人なマイミク」というような人が現れたら、感じ悪い?
別に傲慢な気持ちで言っているのではなく、それが正直な気持ちだから今後そう言って申請すべきかと考えているのだが・・・
とd:id:hokusyuがここのブコメで書いていたわけだが。
http://b.hatena.ne.jp/hokusyu/20081101#bookmark-10639649
まー厨二病患者ってのはどこでもバカの割に口が減らないもんで、「大阪城を建てたのは秀吉ではなく大工だ」みたいな屁理屈をいうわけだ。
しかしd:id:chnpkが、ここで
http://d.hatena.ne.jp/chnpk/20081101/1225541142
hokusyuさんはただのサヨク。←昨日からピーピー騒いでたのはこれが言いたかった。
と言っているのは、異議を唱えたい。「ただのサヨク」とか言わないでくれ。本当の左翼が可哀想だから。
hokusyuはサバイブのプロフィール画像でもグラムシの画像を使っているが、グラムシという人は、決して、
こんな思考停止は言わん人だから。人生の多くを獄中で過ごしたので、自分で実践ができなかったという事情はあっても、自明だなんだと「自分が楽してサヨクぶれる小理屈」を捏ねるのとは対極の人だから。本当に、一緒にしたらグラムシに対する侮辱以外の何者でもないから、「ただのサヨク」という言い方は止めてやって下さい。
はてサというのは、ブクマで集団リンチする快を貪っていた低俗な、ファッション似非左翼、シャンパン体制批判派だから。こんなのに比べればまだd:id:inumashのほうがまともに見えるくらいだから。
とあるサービスを利用していて、私の使っているプロフィール画像のことを「これって自分で描いたんですか?」と聞かれることが多かった。なにを当たり前のことをいっているんだろう…と戸惑ってたけど、謎が解けたわ。どっかから「借りて」きている人が多いってことなのか…。
イラストブログをやってるんだが、最近「mixiのプロフィール画像にイラストを借りました」「ブログにイラスト借りました」って言ってくる人が多い。ひどい人はスタイルシートで背景に引いた画像まで持っていって使っちゃう。もちろんブログには「転載禁止」「転用禁止」の旨を明記しているんだけど、そんなのは全く気にしていない。むしろ本人に伝えてて「無断じゃないからいいだろ」とでも言いたいのかもしれない。ブログのコメント欄やメールでそういうことを言う人には「使うな」と直接返事できるけど、質が悪いのはWeb拍手のコメントで無記名でそういったメッセージを残していく人で、直接注意できないのが非常に歯がゆい。いろいろ対策もしているものの、ブログカスタマイズに限界があるので、ブログに絵を載せるのをやめようかと考えている。
「どうぞご自由にお使いください」とでも明記していない限り、イラストを描いた人は誰かに貸すために絵を描いたわけじゃない。「使いました」じゃなくて「借りました」と言えば許してくれるとでも思っているのだろうか。いっそ隠れて使われたり、堂々と「使ってます」と言われた方がまだいいよ。「かわいくてつい」とか「ごめんなさい」とか言えばいいものじゃないですよ。
きっと全部使いたい放題・転載したい放題にしてしまった方が気が楽なのだと思う。でもやっぱり自分の描いた物が素材のように使われるのは悲しい。描いたものはどんなものでも大切だから、やすやすと使われたくないっていう気持ちががどこか心の奥底ではある。
結構驚いたのが、自分のところの場合、20代・30代が男女関係なくこういうことやってるってこと(実際に転載先のmixiプロフィールやブログプロフィールを見てみた。偽っている可能性ももちろんある)。ぱどやCURURUのイメージが強いからかもしれないけど、こういうことはネットリテラシーに乏しい中学生や高校生がやるものというイメージがあったんだけどなあ。むしろ転載元に無邪気に「かわいいので借りました♪」と連絡してきちゃうあたり、もっとひどいかもな。
まあ自分のジャンルの人のブログをみると、公式の画像をバリバリアップしちゃってる人が多いから、ジャンル自体がダメなのかな…。それとも自分が変に転載に対して必死になってるだけなのかな…。
虐殺の巻物を手に入れた。入手経路の詳しい説明は省くが、分かりやすく言うとこれはすごいデスノートみたいなものだ。デスノートと違うのは、個人名ではなく、種族を書くと、その種族が一斉に死ぬところである。「アメリカ人」と書けばアメリカ人がみな、「悪人」と書けば悪人がみな死ぬ、そう説明書には書いてある。種族の定義については割愛、とも。
そんな巻物が手元にある。私は想像を思い巡らせたが、最後には緊張しつつも「非モテ」と書いた。「はてなブックマーク」の注目エントリーに「非モテ」話がいつも挙がってくることを、私がどれだけ苦々しく思っていたかご理解いただけるだろうか。他に虐殺すべき種族もいるが、あまりに大規模では、どのような影響が生じるか予見出来ない。まず肩ならしとして「非モテ」はちょうどいいサイズに思えた。
書き終えて、私は窓を開けて街を眺めてみる。なにも変化がない。テレビを点けたが、なにも変化がない。テレ東は世田谷区で一番うまいラーメンはどこかと騒いでいる。知るか。西武新宿線に乗って新宿まで出てみたが、やはりいつもと変わらない、騒がしくて汚ならしい新宿である。カラオケ店の呼び込みがわずらわしい。巻物は偽物だったのだろうか。私は不安になった。クーリングオフは効くのか。残りのローンはどうなる。私はふて寝した。
変化に気付いたのは翌朝のことだった。いつもなら深夜のうちに更新されるはずの多くのブログが、今日は更新されていない。もう何年も毎日更新されてきたようなブログもだ。私は不意に勝利を確信した。「非モテ」は死んだ。私が殺したのだ。大停電の日や家族の葬儀があった日、自転車で転倒して両腕を骨折した日でさえ携帯電話を片手に絶えずブログを更新してきた者たちだ。彼ら彼女らの沈黙は死でしかありえない。私は更新が止まったブログを次々に見つけては微笑んだ。意外なアルファブロガーも沈黙しており、だからプロフィール画像がアレだったんだ、と私は一人ごちた。
その日の「注目エントリー」は「非モテ」話が消え、ライフハックで溢れた。無数のブログが同時に活動を止めたことに気付く者はいなかった。どうでも良かったのだ。特に「非モテ」でない者にとって。私は「ライフハッカー」と巻物に書いて床についた。