はてなキーワード: 格ゲーとは
そういうのが好きな知り合いで「この人本当に良い人だな」と思う人いる?
ああいうボードゲームが好きな人ってどこかで負けず嫌いだったり頑固だったりするでしょ?
そういう人間になるようにゲームの側がプレイヤーを洗脳していく仕組みがあるからなんだよね。
だって囲碁や将棋って、格ゲーやFPSの前世みたいなもんだもん。
自分の手先だけバチバチやりながら、勝った負けた潰した殺したで身体もロクに動かさないままアドレナリンドバドバになる。
健康にいいはずがないんだよ。
ちゃんとした友達を作りたいなら体を動かす趣味を見つけたほうがいい。
ヨガや旅行みたいな「特に何をしたら勝ちとかはなくて、あえて言うなら今を楽しんだもの勝ち」みたいなのがいいかな。
食べ歩きとかもオススメなんだけど、「俺はこの店が繁盛するのを予言してた!」とか「めっちゃコスパがいい店を知ってる俺は情報通!」みたいになるととたんに頭がおかしくなるから気をつけて。
ストリートファイター6を機に格ゲーのプロゲーマーが注目を集めている。
YouTubeやTwitchで人気が高まった大きな理由は、VTuberとのコラボ配信にある。
格ゲー界の大御所・ウメハラが、これまた業界で有名な壱百満天原サロメや赤見かるびとコラボしたのは大きく話題となり、
他にもどぐら、立川、ボンちゃん、マゴ、ときどなど格ゲー界の有名人が続々と参入し、
にじさんじやホロライブのVTuberに格ゲーをコーチングする企画が人気を博している。
格ゲーの裾野を広げるためには大会に出るよりコラボ配信した方がいいなんて声が出るほどだ。
格ゲーマー×VTuberの集客力に味を占めたのか、格ゲープロとVTuberのチーム加入が相次いでいる。
そう考えると、大のVTuber嫌いでVTuberファンを障害者呼ばわりまでしているたぬかなが現役を退いているのは不幸中の幸いかもしれない。
なぜ日本でFPSが流行らなかったかといえば、制作されるのがチーム対戦ゲームばかりだったからである。
チームで勝つためのセオリー・規範の確立は、参加者を隷属させ、そこには「労働」が現出した。
普段から臆面もなく雑に働く欧州人にとっては「労働」がレジャーたりえるのであって、
日本人はさような「労働」に無賃休日出勤するほど殊勝ではなかっただけである。
かつて唯一の希望があったとすれば、ArenaFPSが1on1路線の重大さに気づいていればよかったのである。
しかし、数ある対戦モードの一つ、余興の一つという扱いを辞めるべきで、
覚悟と決意をもって、FPSにおける個人対戦ゲームの道のりを進むべきだった。
個人参加なら「デスマッチ」でも「バトルロイヤル」でも良いというわけではない。
数ある群像の中の一人では、観戦コンテンツとして弱いのである。
無論、「チームデスマッチ」だの「キャプチャーザフラッグ」だの「サドンデス」だの「ドミネーション」だの「エスコート」だの、
「デュエル」にしても、遮蔽物ごしの駆け引きという消極的なシーンが多々見られる点はいただけない。
観客にしてもプレイヤーにしても、壁や景色を監視し続けるために、わざわざ休日を割いているわけではない。
格闘ゲームのように、対戦プレイヤーの位置は常に表示しても構わなかったのだ。
FPSにおいては、位置情報秘匿も駆け引きの内と、信じて疑わなかったところが限界だった。
防御を軸にした格闘の駆け引きと、回避を軸にした銃器の駆け引き、題材の根本的差異が生み出す限界であった。
マップ上に点在する武器やリソースを拾い集めるというArenaFPSのコンセプトは、それに付随するものだ。
そうでもしなければ、有利なポジションで銃を構え続けるだけなのだから。
怠惰なFPSプレイヤーたちを動かすために、ゲームデザイナーはエサをバラまいて釣らなければならなかった。
だが、その涙ぐましい工夫でさえ、リソース差をつけて、まだ何も拾っていない丸腰に等しい相手を蹂躙し続けるという、
観戦に堪えないシーンを産み出し、それがテクニックや力量の証であるという開き直りに至る始末であったが、
もちろん内輪の人間以外に通るわけもなく、順調に衰退コンテンツたる現状に至っているわけである。
だが、日本の世間一般では格闘ゲームがesports・プロゲーマー第一号とされているとおり、その試みは歴史の闇に潰えたと見るのが客観的に妥当であろう。
その観戦のつまらなさと敷居の高さは内輪志向を加速させ、限界集落と揶揄される衰退コンテンツとなった。
私としては、個人対戦FPSが、プロスポーツのように、生計を立てる手段の一つとして勃興していてほしかった。
野球のダルビッシュ選手は「自分は価値がある人間じゃない、1番最初に野球のルールを作ってくれた人がいて、そこに自分達が生まれてきて、その才能がたまたまあっただけ」という。
FPS以外になんの取り柄もない私が生計を立てるには、FPSを通じて身を立てるのが自他共に最も幸福だろう。
しかし、そうはならなかった。
数少ない上位プレイヤーたちは、内輪の馴れ合いとゲーミングデバイス実演販売業で満足してしまった。
後からFPSにきた若者たちも、チーム対戦ゲームの限界に気づき、今ではゲーム配信者として、揃いも揃って格ゲーを嗜む有様である。
芽は、私が来る前に、とうに枯れていたのである。
チーム対戦ゲームの攻略・基本が、ひとたび確立されれば、人はそれに従うべきとなる。
チーム対戦ゲームのスラングには「義務〇〇」や「〇〇奴隷」といった表現がある。
〇〇をしないと不利になる、〇〇を使わないとチームに迷惑がかかる、など、消極的に〇〇に取り組む様を皮肉ったものだ。
普段から臆面もなく雑に働いている欧州人にとっては、チーム対戦ゲームで熱心に規範に従う経験が新鮮で興味深い体験に映るのかもしれないが、
幼少より学校教育を通じて一人前の労働力になるべく躾を受けてきた人間にとって、チーム対戦ゲームは単なる労働でしかない。
休日にわざわざ自分から望んで取り組むようなものではないのだ。
LoL・CS・Valorant・Apex・Overwatch、これら世界のesportsがいつまでも日本でメジャーになりえないのは、チーム対戦ゲームが労働だからである。
望みがあるとすれば、野球やサッカーのように、労働は有志またはプロに任せ、プレイせずともなんとなく眺めているだけで時間をつぶせるコンテンツであればよい。
しかし、列挙したゲームたちは、その画面の意味合いを知るためにもお勉強が必要であり、到底ダメである。
話を戻すと、社会の規範に馴染めず、自由を希求し、個人の世界に没頭する、といったゲーマー像にとって、チーム対戦ゲームなどそもそも相容れるはずがない。
ゲームという言葉に惑わされて、ミスマッチを起こし、人生を棒に振ることはない。
スト6が流行るのは当然であるし、むしろ、なぜ今まで個人対戦ゲームの格ゲーが見向きもされなかったのかが不思議であるが、
前述したとおり、画面の意味合いを知るためにお勉強が必要な有様ではダメであり、その点、スト6は鑑賞に堪えうる設計になっているということだろう。
藤井総太呼んで「じゃあ今日は駒の種類と動かし方を教えてください」なんて言おうものなら
トッププロを呼んで何か教えてもらおうって時には、トッププロからしか教われないことを教わるべきだろ。
トッププロがこれがドライブインパクトっていうやつで~このボタン押したらドライブパリィっていうのが出て~みたいな
ゲーム初めて1か月です!みたいなやつですら言えそうなことを延々と教えてるの、正直バカにされてると思うんだけど。
これがトップ帯のいっこ手前で停滞しているんですが、どこを直せばいいでしょうか!とかならまだプロに聞くのもわかるけど
どのボタン押したら何が出るかすらわからん奴にプロが教えることなんか何一つないだろ。
つーかそんなもん、説明書とチュートリアルですむだろ。そんなことでトッププロを呼びだすなよアホか。
「eスポーツはルールがコロコロ変わるからオリンピックにふさわしくない」
どれもeスポーツを理解してないアホの意見だ。というよりスポーツをわかってない。
将棋で例えるならこんな感じだ。
・歩を強化
1つ前に進む→1つまたは2つ前に進む
・飛車を弱体化
縦横にいくらでも進める→縦に移動できなくなり、横にのみ移動できる
駒の性能が多少変わったところで、初心者が上級者に勝てるようにはならない。
将棋を麻雀にするような変更でない限り、藤井聡太がトップであり続ける。
ストリートファイターが変わっても梅原大吾がトップにいるように。
野球も同じだ。ボールのサイズや塁間の距離が変わろうとも、大谷翔平はトップであり続けるだろう。
FPSで求められるエイムとキャラコンは、どんなFPSでも普遍性がある能力だ。
だからFPSのプロゲーマーは新しいFPSですぐトップになれる。
eスポーツの代表ジャンルであるFPS・MOBA・格ゲーにはそれぞれに普遍的な競技性がある。
たとえゲームタイトルやグラフィックが変わろうとも、根底にある競技性が変わらないので、スポーツ競技として成り立っているわけ。
ゲームは誰でも勝者になれる世界だったのに、eスポーツは勝者と敗者を作り出す。
弱者は勝負事を嫌うので、FPSや格ゲーに嫌悪感を持っている。
衰退していないにも関わらず「なぜ格ゲーは衰退したのか」という議論を延々とやっている。
日本で定着したにも関わらず「なぜeスポーツは日本で成功しないのか」と主張し続けている。
彼らはeスポーツが上手くいってほしくないわけだ。
5chとまとめサイトは多くの弱者が集まる一大コミュニティだが、
一体何をされたらそこまでeスポーツを憎めるのだろうか?
競争したくない。負けたくない。ゲームでまで優劣を付けられたくない。
対戦ゲーム
まずメタが存在して、一定数の参加者がいて、競技性があるのなら立派な趣味になる
それでいて、メタの変遷があって、ある程度の歴史があればなおよし
コミュニティもきちんとあればなおよし
ソシャゲと区別したのは、ギャンブル依存症と同じ無料のドーパミン中毒ゾンビが増えているから。
→やったことないんだろうが、細部のこだわりは本当に性格が出るぞ
→好きな人間なら、一度は描いてみたり、書いてみたりするだろう
そこに自分なりの解釈を入れたり、他人の解釈や書評を見たりするだろう
アニメと区別したのは、単純に"周囲と仲良くなる"ツールとして消費している人間が増えているから。
ま、結局はどのような姿勢でその物事と向き合うか、だけだから本来は貴賤なし、だけどね。
巨大資本が入り込むと決まって衰退するのよな。
20年前から同人やってるっていう割に、界隈のことを何も知らんのな。大手や壁のスペースにはレイヤーの売り子の一人や二人はいるのが普通の光景でしょ
俺はもう同人活動から引退してるし、コロナ以降はイベントにも出てないから最新情報は知らんけど、少なくとも俺がバリバリやってた10年前でもそれは普通の光景だったはず
で、イケメンには「お前の人生にはアニメや漫画なんて必要ねーだろ」だって? 勝手に決めつけるんじゃねーよ
「アニメや漫画は社会不適合者が最後に逃げ込むオアシスだったんだよ」だって? これまた勝手に決めつけてるんじゃねーよ
ウザいだろうが少し自分語りさせてもらおう。俺は子供の頃からスポーツも好きだったけど、同じぐらいアニメやマンガ、ゲームが好きだった。DBに星矢、勇者シリーズ、ガンダム、カプコン、SNKの格ゲー、FF、どれも大好きだった
そしてこう言っちゃなんだが、足も速くて顔もイケメンとまではいかないがまずまずで、コミュ力も高かった俺はまぁまぁ女子からモテてた。妹もいたから女子の扱いには慣れてたってのもあるだろう
そんなある日、当時大学生だった従兄弟が、たぶんふざけて俺に見せてきたものがある。従兄弟は俺にとってのオタク趣味の先輩、先生みたいなところがあって、それまでにも俺の知らない世界をいろいろと教えてくれたのだが、この時はレベルが違った
それはセラムンの薄い本だったのだけど、俺はめちゃくちゃな衝撃を受けた。もちろんエロ本ぐらいは見たことはあったが、「アニメのキャラクターがエロいことをする」というエロ同人には度肝を抜かれた。こんなものが存在するのか、存在していいのか。いったい誰がこんなのを描いたのか、などなど、混乱しながらも目が離せなかったのを覚えている
さすがに従兄弟もそれ以上は見せてくれなかったし、詳しいことも教えてくれなかった。が、その日俺は知ってしまった。エロ同人誌というものの存在を
そこから俺は自力で調べて、エロ同人についてある程度の知識を得た。だいたいは捨ててあったエロ漫画雑誌からだが、そこでエロ同人の通販というものが存在することも知った。コミケやイベントに行っても良かったのだろうが、さすがに小学生には売ってはくれないだろうと諦めかけていた矢先に、通販という手段を知れたのは僥倖だった。通販なら顔も年齢も知られる恐れがないからだ
そして同人サークルと直接やり取りをするのではなく、とらやメロンのような会社の先駆けとも言うべき存在の「LLパレス」という店があることも知った。カタログを取り寄せてみると、そこにはまさに目くるめく広がるエロ同人のパラダイスがあった
さっそくお年玉を取り崩して為替に変え、何冊かを注文してLパレに送る。一週間ほどしてからだっただろうか、送られてきたセラムン、ナコルルのエロ同人誌に俺の興奮はMAXに達した。本当に送られてくるまで、実はまだ詐欺の可能性も考えていたからだ。だがエロ同人誌は実在したのだ。ラピュタは本当にあったんだ!
そこから俺は小遣いやお年玉をやりくりして、Lパレからエロ同人を買い求め続けた。一方で俺はこんなことを友人にも話したりはしなかった。もうすぐ中学生とはいえ、こんな本を持っているなどバレたら何を言われるか分かったもんではないからだ。学校ではクラスの良きリーダーとして振る舞い、勉強にも習い事もしっかりやっていた。そしてそれは中学生になっても同じだった
しかしある日、その平穏が破られた。母親にエロ同人の存在がバレたのだ。
俺の愛したエロ同人誌はすべて捨てられた。いちおうこんな事もあろうかと、多少の対策はしてあったのだが、それも無駄だった。俺は絶望した
だが、同時に俺はあることに思い至った。「だったら自分で描いたらいいのでは?」と
自分で描ければ、仮に捨てられてもまた描けばいいだけだ。ノートに描けば、まさかそこにエロマンガが描かれてあるなど親の想像の埒外だろう。これも捨てられる可能性を低くする
そう思いついた俺はそこからひたすら絵を練習することにした。ジャンプ系は親の監視が緩く、あっても不自然ではないため、ぬ~べ~や桂正和先生のマンガを参考に美少女を練習した。拾ってきたエロマンガのキャラの身体をトレスして、顔だけ自分の描いた綾波にするとかした。そして俺は決心した。将来、俺はエロ同人作家になろう、と
高校への進学は、オナニー猿だった割には上等なところに入り込めた。何度も言って恐縮だが、俺は外面はまぁまぁいい。そしてこの頃から俺はコミケやイベントに実際に行くようになった。しかし未成年だとバレたら売ってくれないという不安、下手をしたら通報されるのではないかとさえ恐れていた。なので、俺はまぁまぁの外面をさらに磨くことにした。具体的に言うと「大人っぽくみせる服装」や身だしなみ、髪型や振る舞い、口調を意識するようになった
声変わりはしていたものの、さらに低く、大人っぽくしゃべる。僕とは言わない。私という。それまでも続けていた(親にやらされていた)習い事というのはある武道なのだけど、大人っぽい体格を目指して、絵の練習の合間に筋トレなどもするようにした。顔だけはどうにもならなかったので、イベントではサングラスを常に付けていた
もっとも、こんな微笑ましい努力など、当時のサークル関係者の皆様方にはバレバレで、「色気づいたガキがまた来たよwww でも可哀想だから売ってやるかwww」と思われていたかもしれないが(後に自分がその立場になったから分かるのだ)、通報されることなく3年間を無事に乗り切った。そして余談ながら、こうした俺の偽装の効果はクラスの女子にも及んだ。いや、クラスだけではなく部活や別学年の女子にもだった
そしていよいよ大学入試が迫ってきた。大学に入りさえすれば、ついにエロ同人作家としてデビューできる。それだけを信じて、嫌だった勉強も嫌々ながらにエロ絵の練習の合間に頑張った。おかげでまずまずの大学に入ることに成功した。親を納得させるために、ある程度の知名度があり、偏差値もまぁまぁの私立大学だ。実家からは微妙な距離で、状況次第では一人暮らしも許されるかも知れない。そんな大学だった
大学に入学した俺は、せっかくなのでマンガ部とかアニメ部とかそういうのに入ろうと思っていた。中学高校と違って、ここでは昔の俺を知る人はほとんどいない(いちおう一人だけ同じ高校出身者はいた)ので、外面を気にする必要はない。学友とオタク話に花を咲かせるというのも夢だったのだ。なんならいわゆるキモオタ的な振る舞いや言動を共有し実行したい。「デュフフ」とか「拙者は~ござるよ!」とか言い合いたい。そんな風にも思ってたのだ
そして俺はマンガ部の門を自分から叩いた。アニメ部(アニ研)も行ってみたのだが、そこはやはり批評とか分析が主で、絵を描く人はほとんどいなかったので、これは違うな、と感じてしまった。俺はアニメやマンガは当然好きだが、分析とかはあまり興味がなかったのだ
エロ同人部というのがあればベストだったのだが、残念ながらそんなものがあるはずもなく、エロとは言えマンガを描こうとしている自分には、まだマンガ部の方が合っているのではないか。そう思って俺はマンガ部の門を叩いた
サムライトルーパーが腐女子に受けて莫大な経済効果、その後も分厚い腐女子層がジャンプ系とガンダムWなどオリアニと格ゲーFFの3大ジャンルを支え続けた世代だからね
渋谷区で生まれて、大学の時に4年間だけ地方都市に住んでたけど、
ひい爺ちゃんの代から東京なので、まあ江戸っ子と言っても遜色ないかなと思う。
やたらと敵視してる人がいて、東京育ちの人間からするとマジで意味がわからない。
恵まれてると言われれば、そうだと思うけど、それは地方だっていい所あるんじゃないの?知らないけど。
んで、本当に東京で生まれ育った人間について、書いてある文章少ないなと思ったので、ちょっと実情を書いてみる。
・オタク仲間がたくさんできる
思春期が90年代〜2000年代くらいだったのだけど、明らかにオタク系の友達が沢山いた。
新宿の西スポのヴァンパイアハンターの大会とか出て、梅原にボコボコにされたり、
秋葉のイエサブでMtGの中古カード買い漁ったり、国府田マリ子のラジオの公開収録行ったりと、
コミケに初めて参加したのも16の時で、中学校の時の同級生の女子がレッツ&ゴーのコスプレしてたのに出会ったりしてた。
押切先生のハイスコアガールの世界観はかなりリアルで(可愛い女の子は出てこないけど)、
ゲーセンに居た夜職の兄さんに誘われて行ったのが初めてだったと思う。
ちょうどR&B全盛期の時代で、宇多田ヒカルがAutomaticをクラブに歌いにきてたり、
ダンスバトルみたいなのもよく見に行った。
当時は無茶苦茶緩くて高校生でも、なんか適当な偽造IDとか作ってもらって、それで入ってた。
高校生男子に色々と教えたい大人達がたくさんいて、とてもみんな優しくてアットホーム。
週4〜5でクラブに行ってた時もあった。行きつけのクラブは店員も友達になったりしてたので、
自分はTCG大好き格ゲー大好きのオタク少年だったが、クラブに行くときはコンタクトに変えて
ダボっとしたKANIを着込んで、武装してた。上京したての女子大生をナンパして、
初めての彼女を作ったのもこの頃だった。
・東京のコミュニティはすぐに生まれる。そして、すぐになくなる。
東京で生まれるコミュニティは、基本的に新規参加者へ寛容である。
地縁や血縁を軸としたコミュニティではないので、基本的に同じ興味対象があれば、誰でもウエルカム。
逆に来なくなっても、別にそれはそれ。誰も追いかけてはこない。
なんなら、突然コミュニティ自体が簡単に霧散するなんてこともよくある。
とにかく、こういった人の集まりが無限に生まれて、どんどん消滅する。
自分を振り返ってみても3年くらいで周りの友達関係は一掃する。
ただそれでも、その中で特に仲の良かった人とかは、コミュニティがなくなっても
普通に友達として繋がったりしてて、それで人間関係が残っていったりする。
逆に自分と繋がってない人に対しては、全く興味を持たない。
隣が誰住んでるのかも知らないし、参加しなければ近所のコミュニティなども全く知らない。
人はたくさんいるけど認識しなければ風景と同じで、お互いにそういう感じで過ごしている。
逆説的に、人を認識しないので人との繋がりが少なくて快適なのだ。
総じて、東京の良さは何かにハマった時のコンテンツの距離が近いこと。
ポケモンセンターでバイトしたりしたこともあったけど、中の人との距離感近いのも東京の特徴だと思う。
あとは、周りが放っておいてくれる。勉強しろとか言うのは、親と学校の先生くらいで、
それ以外の大人や世間は、ほとんど自分に対して興味を持っていない。
おかげで、ファッションがどうであれ、趣味がどうであれ、自由に自分のやりたいことにハマれる。
そしてハマった先には、もっとハマってる先輩方がいて、受け入れてもらえることが多いような気がする。
自分はオタク系の趣味とクラブという趣味2つの全く異なる趣味にハマったけど、
こんなことを許容してくれたのは、東京という土地だからのように思う。
多分、美術マニアでも、ラーメンマニアでも、フィギュアマニアでも、
なんでも受け入れてくれる懐の広さが、この街の良さだ。
「波動拳」って有名な技があるけど、あれの
強化版が「真空波動拳」なんだけど(真空竜巻旋風脚もあるけど割愛)
よくある強化版は「超」「スーパー」「大」「メガ」「ギガ」「極」「改」みたいな一言で強化版ってわかる言葉を付けるけど「真空」って本来強そうな意味無いよね。真空パックとか真空管とか、日用品のイメージしかない。
でも真空波動拳は何か強そう。(当時のカプコンだし何かのパロディかと思って調べたけど出てこなかった)
しかもリュウって硬派なキャラクターに合ってる。リュウが「超波動拳」「スーパー波動拳」って言うのは何か軟派な感じで合わない(ライバルのケンなら合うけど)
同時期くらいに別会社で「龍虎の拳」って格ゲーがあってリュウに似たリョウってキャラは
「覇王翔吼拳」だったけどコレはもう漢字全てが強そうで分かり易い。
その後のストリートファイターシリーズで色んな波動拳の強化版が出てきたけど「電刃波動拳」「滅・波動拳」など分かりやすいネーミング。