はてなキーワード: 集会とは
増産反対のマイティーストライクフリーダム、コンビニで売る必要ありますか?
(中略)
ガンプラは資産価値があり、注目されて今の人気を獲得しました。
つまり、我々セドラーが人気コンテンツとして育てた立役者と自負しています。
なのに、この仕打ちですか。
(中略)
中には会社で上手く行かず、パワーハラに追い詰められ働けなくなったセドラーもいます。
一発逆転を賭けてセドラーとして奮起したのに、その投資さえも無碍にするのでしょうか?
どう、生きていけば良いのでしょうか?
コンビニですら売ってる。
もし、そんな商品になった時、子供達はそのガンプラにありがたみを感じるでしょうか?
欲しくても買えない、品薄で出回らない、だから魅力があったはずです。
値段設定だって、ただ高く売れば良いわけじゃない。
子供のお小遣いでは買えないけど、親が買う価格設定だからこそ親子でコミュニケーションが生まれ、ネグレクトを根絶しつつ子供達を笑顔にできた。
中には会社で上手く行かず、パワーハラに追い詰められ働けなくなったセドラーもいます。
一発逆転を賭けてセドラーとして奮起したのに、その投資さえも無碍にするのでしょうか?
どう、生きていけば良いのでしょうか?
売るだけ売って、通販や小売店は客の損失は知らないフリですか?
前金まで払わせといて!
こちらだって無在庫の時から出品してるものが何十件とキャンセルされてます。
劇中で原爆投下後に原爆開発責任者として一般市民の前で「成功した!アメリカは勝った!」とスピーチする場面があるんだけど、そこで幻覚を見る。例のノーランの娘だが、熱で顔の皮が剥けた娘、泣き叫ぶ人たち、炭になった死体。オッペンハイマーが集会を立ち去るとき床に伸びていた集会参加者の人の影が、苦しみ悶えているようにうごめいていた。
批判している人は、はだしのゲンレベルのグロさのある映像を30分くらい流さないと納得しないのだろうか。それだと話の辻褄がなくなるけど。
オッペンハイマーはたしかに嫌なやつでロバート・ダウニー・Jrに嫌われたのも納得だし、迷いの多いうかつな人だった。不倫とか共産党のこととかあったし。
結局原爆についてどうしたいのか終始本音がはっきり説明されてなかったけど、自分主導で完成させた手前、日本に落とさないでとは言えなかっただろうし、その後水爆開発に一貫して反対してたのは、後悔からじゃないかなと。
俺がガキンチョのころは近所の市立図書館のちっちゃいやつに漫画も置いてあったり
マンションの自治会の集会所にご家庭で不要になった本が寄贈されてたりしてて
休みの日とか学校終わりとかにガキンチョが集まって古い漫画とか読んでたりしたんよね。
俺はそこで高校鉄拳伝タフを読んだし、ブラックジャックも読んだし、プライベートアクトレスも読んだし
マーダーライセンス牙も読んだし、ドカベンも読んだし、コブラも読んだし、ガラスの仮面も読んだし。
そうやっていろんな古い漫画を小中学校くらいで接種したんだけど、今となってはもうどこも残ってない。
法学系のKO大学のO氏や飯田橋の某大学のK氏などの言説投稿からは、切り取りじゃないかという指摘もあるようです。
で誤解があるならと撤回させて、撤回したらやっぱりそうだったのだというフォーマットについておっしゃってます。
まあ知事はもともと産めないので比喩であることは明らかでしょう。
で、当然出産できないひと、してないひとにも含まれるわけではありながらも、女性の集会で産むのは女性だといえば、
やっぱり女性の支持者がもっと頑張れ、というネタとして、出産を使ったということは言えるでしょう。
自民党がおしている候補者を当選させるのはひとり一票である以上、ほかの人にも声をかけろ、という
意味で言ってるわけで、まあそれが出産と同じように大変でも頑張れということですか。
じゃあ出産してない人は大変なことを避けてるのか?
上川外相のうまずして発言ですが、自民党の女性支持者を固めるための発言であったようです。
当初は新聞には普段よりも熱を持った話を上川外相が地元静岡で行って首相への意欲満々みたいな記事が出てたと思います。
実際のところ、いつかNHKの昔の番組を流す番組で離れた場所の方言バリバリのおばあさん通しが話すのに、最初はあまり反応が良くなかったのが、出産の話になったら、ことばは違っても打ち解けて話し出したのを見たことがあります。
ということで出産の話題はある年代の女性の集会でうける”鉄板”ネタなんじゃないでしょうか。
それこそ出席していた人からすると大した問題とも思われなかったのではないかと。そういうひとは自民党支持しないし、ましてや、そういった集会に集められる層というのは上川外相がイスラエルでどうのこうのというよりもそういう話のほうが受けると踏んだのでしょう。
ただ、ライターが誤ったのは、いまやお笑い番組などでもこういった性別に関する”笑い”のようなものは外されているということです。
ちょっと気になるのはこういった風潮を”窮屈”とおもうひとはいて、例えば松本某の支持者などもそんな感じじゃないでしょうか。
ということで、長くなりましたが、この複雑な時代に、自民党の候補者が何をするかじゃなくて、女性が生み出すみないなスローガンをしゃべっている風潮がなんなのか?とか、先に書いたようにわりと年配の女性を集めるとそういう話題が”熱をもって話した”とかいう評価になる(最初はそんな報道が出てました)新聞記者のセンスの方がよっぽど問題だと思ってます。いつもですが、今でも例えば朝日新聞はひとごとのような伝え方で、なんだかなあという感じですな。
パパ活という言葉が流行り始めたのは2015年頃かららしい。今回はその前の2013年、地方でパパ活のようなものに出会ったときの話をしたいと思う。
2013年、大学を卒業し、地元で就職した私は友達に飢えていた。小学と中学は不登校だったので、いわゆる「地元の友達」が居なかったのだ。
Twitterを見ていると、東京に住んでいるフォロワーがそのフォロワーとオフ会をしたり、さらにそこから親交を深めて友達になっている様子がたくさん流れてきた。
家と会社の行き来ばかりで親しい関係の人も居なかった私はそれを見てさらに孤独感を深めていった。
そこで、私もインターネットで友達を探すことにした。mixiに登録して、地元のコミュニティを探して「友達を募集している」という旨を書き込んだのだ。
そこで、一人の男性とメッセージのやり取りをした。その男性は42歳だった。友達になりましょうと言ってくれて、まずは会いませんか?と誘われた。
アラサーの終盤を迎え、いろいろと世の中のことが分かってきた今の私では決してその誘いには応じなかっただろうが、その時の私は応じた。
理由としてはあまりにも「友達」という関係性に飢えていたことと、地元のボードゲームをする集会の中で一回りや二回りくらい年上の男性と純粋に楽しくボードゲームできていたから、「この人も純粋に私と友達になりたくてメッセージしてきてくれたんだ!」と思ったからである。ボードゲームの人と友達になればええやん!とツッコミを入れられるかもしれないが、当時の私にはその発想が無かった。
というわけで、地方の中でも一番大きい駅で待ち合わせして会うことにした。電車に揺られる中、「友達になれるかな……?」ととても緊張していたことを覚えている。
実際に会ったその男性の姿は、白髪交じりで小太りだった。そのことは特になんとも思わなかった。容姿なんかより友達になってくれるかが私にとっては重要だったのである。
挨拶を交わしたあとは、そのまま男性と駅ビルにある中華料理店に入った。そこでいろいろと話をした。
男性は既婚者であるらしい。最近出会って数ヶ月で結婚したスピード結婚らしい。「そんなに早く結婚することもあるんですね〜」と私が驚いて言ったら、「大人はそういうこともあるんだよ」と言われたのが印象に残っている。
「俺、月収いくらだと思う?」と聞かれたので、当時の私にとってはとても大金である30万ですか?と答えたところ、「もっと多いよ……」とちょっと不機嫌な顔をされたのを覚えている。女性の「私、いくつに見える?」の男性バージョンは「俺、月収いくらだと思う?」なのだなあと感じたものである。
「そのうちホテルにも行きたいね〜」とも言われた。さすがの私でもホテルに行きたいの意味はその時知っていたので「友達とはちょっと違うな……?」とそこで思った。
料理も食べ終わり、その後、解散する流れとなった。男性は食事を奢ってくれて、私に家族の分も含めたケーキの詰め合わせも買ってくれて、帰りの電車賃も出してくれた。「そこまでしてくれていいんですか?」と聞くと、「出したいから出してるの」と言われた。「そういうものなんだ……」と思った記憶がある。
家に帰ってからその後は、「ホテルに行きたい」という言葉からしてこれって友達じゃないなと思って連絡はしなかった。相手からメッセージは来たが無視をすることにした。
エピソードはここで終わりである。「お金を自ら出したがる人」がいるんだな〜って思ってたけど、これってもしかしたら無自覚にパパ活しかけた話なのではないかといま振り返ると思う。今の人は自覚的にこれをやってるんだな〜と思うとなんだかすごいなあと思うのであった。
ちなみにその後、友達募集掲示板で同世代の友達を募集して300人くらいとLINEのやり取りをしたが、交友関係ができたことは全く無く、しばらくやり取りをするうちに切れてしまった。
Twitterでフォローしてる人たちとはなんとなく関係が長く続いて、会ってくれたり、遊んでくれたり、友達になってくれた人も複数人いる。
そんな話なのであった。
俺が所属していた団は集会場所に近所のカソリック系の教会の敷地を借りていたので
日曜日の朝礼拝に宗教上の理由がない限りは参加する決まりだったし
その協会が所有している保育園のクリスマス会やイースターイベントの手伝いをよくさせられていた。
俺が所属していた団の隣の団は金光教の支部の敷地を集会場所に借りていたので
候補者以外の安倍へのヤジが合法な時点で、候補者である俺らが違法なわけがない
北海道のヤジも、俺らがやったヤジも全く同じ
音量がデカかろうがなんだろうが定義が曖昧な以上、ヤジであると一括りにされる
https://twitter.com/nemoto_ryosuke2/status/1790019943834227068
つばさの党・根本良輔氏「安倍氏へのヤジが合法で俺らが違法なわけがない」 選挙妨害疑い
https://www.sankei.com/article/20240514-MEYMGQ723FF3ZIBV7ZBVDTKSJI/
これなんだけど、これを読んで成程と思う人も結構いるらしいけど他人のいうことを純粋に信じちゃう人の良さなら嫌いじゃないし悪でもないよ
まともに問題も理解してないのに、グダグダと話をひっくりかえすしかしないためにこの言説を使う人は悪かもしれんがな
信じちゃう人はともかくとして仮にも政党の幹事長がこれを言うのはどんなもんよと思うので見てみるよ
公職選挙法の選挙妨害は225条で今回はおそらく1項1号と2号の問題となると思うけど、とりあえず2号の方で見るね
第二百二十五条 選挙に関し、次の各号に掲げる行為をした者は、四年以下の懲役若しくは禁錮こ又は百万円以下の罰金に処する。
二 交通若しくは集会の便を妨げ、演説を妨害し、又は文書図画を毀き棄し、その他偽計詐術等不正の方法をもつて選挙の自由を妨害したとき。
演説を妨害して選挙の自由を妨害した場合に罪となるという規定であり、妨害の方法は別に規定してないわけだ
と言っても意味なくて、せめて言うなら「ヤジのせいで安部氏の演説が妨害されたのに合法だった」なの
一応言っておくと、この事件で選挙妨害は争点になってないので選挙妨害の事案として持ち出すのは不適切なんだけど、なんであいつは逮捕されないのっていう部分で持ち出したのでまあいいか
別に法律とか知ったこっちゃない層ならヤジが問題なんだで吹き上がってもいいけどまがりなりにも政党の幹事長なら公職選挙法の条文位は知っていないと困るでしょ
本当に知らないんじゃなくて知っているけどあえてそう言っている可能性もあるけどさ。トランプとかと同じで正しいことより金を出す層に受けるアジを振りまいているって可能性
これでも分からんと言う人がいるかもしれんので、ヤジを持ち出すことのおかしさを別のケースで例えてみよう
人を殴って殺した奴が殺人罪を問われているときに「俺じゃなくてあいつも人を殴ってるのに殺人罪になってない。間違ってる」と言うの変でしょ
人を殴った結果、傷つけたなら傷害罪かもしれないし暴行になるかもしれないし、あるいは殴ったという語感の問題で触れた程度なら罪に問われることもないよね
人を殴って殺したから殺人罪であって、殴ったかどうかが問題ではない
それと同じでヤジが問題ではなく、ヤジの結果選挙の妨害になるのが罪になる
だからヤジで一括りにしてるわけでもないし、ヤジの定義が曖昧だから困ることは何もないの
ヤジってる時点で選挙の妨害じゃねーか、と言う人もいるやもしれんが妨害になるのは
と言われてるの(正確に言えば公職選挙法ができる前の衆議院選挙法についてだけど)
だから
音量がデカかろうがなんだろうが
と言われようと音量がデカけりゃその分演説の邪魔になるんだから、当然有罪へのプラス評価になって関係ないわけないんだよ
聴衆がどの程度の妨害で聞き取ることを不可能になるか分かんねーだろ、やっぱ曖昧じゃないかと言われたら
お前がそう思うならそうなんだろう。お前ん中では
ああ「ヤジのせいで安部氏の演説が妨害されたのに合法だった」以外にも言えることあったぞ
「つばさの党は聴衆が演説を聞き取ることを不可能又は困難にはしていない」
これなら正しい反応だと思う。それが実際にどうだったかは別として
しかし、今の日本の状況を見ていると、どうしても財政破綻した夕張市のことを思い出す。
表面上はきれいごとばかりで何が起こったのかわかりにくいが、
といった緊縮策が実際に行われたようだ。
夕張市民が市長に詰め寄るシーンをまだ覚えているが、こんなことになってもまだ自分たちは被害者だと有権者は信じていた。
同じことが日本という一つの国家規模で起こるか?間違いなく起こるだろう。
国際的な日本企業は数多いが、家電もパソコンもスマホもほとんどは東南アジアで作っているし、車も現地生産の割合が多い。
国内の工場は下請けの小企業でさえ外国人研修生が主力だ。今の日本人には国際競争力が何もない。
武内 暁さん: 九条俳句応援団をやっている。各方面の議論が必要で、事実を踏まえて考え、議論する。議題設定を権力側ではなく、市民の側でつくっていくこと。当面ネットワークは各地の表現の検閲や規制の情報提供をよびかけ、共有して知恵を出し合うことをやっていきたい。
だが、その後も行政側の「自主規制」は全国各地で相次いだことから、九条俳句問題で当事者団体の代表を務めた武内暁(さとる)さん(70)らが「問題を繰り返させず、権力への忖度(そんたく)や息苦しさに立ち向かおう」と、同じような問題を抱える全国の人々に「表現の自由を市民の手に 全国ネットワーク」の設立を呼び掛けた。
https://www.pref.saitama.lg.jp/kenpou/bn/R04_11/1122_t365/item/20099/t365_20221122i20099.pdf
1 請 求 人
蓮田市 辻 忠男
・世なおし埼玉県民の会
同じ人物がこれらの社会活動団体として動いているということを明記せずに【市民】というだけの肩書で良いのだろうか?
森友デモ@衆議院第2議員会館前。はじめに実行委より「告発プロジェクト」の発表がありました。安倍総理夫妻を皮切りに「忖度官僚」など次々に刑事告発していくとのこと。写真はプロジェクト共同代表の田中正道さん、武内暁さん。藤田高景さん。
人口一万人未満の町で生まれて大学時代と社会人数年を都内で過ごして、地元に戻って公務員兼農家やってる自分からすると
・隣の部屋の人に廊下やエントランスで挨拶しても怪しげな顔で会釈されるだけ
っていう都内の感覚になんとなく違和感を持ちながら学生時代や会社員時代を過ごしてきた。
会社を辞めて鬱気味になってた頃は「都会を孤独に過ごす時の疎外感」が身に染みていた。
地元で自分の情報を近所の人が全て知ってたって何も思わないし、むしろ「あれ帰って来てたの?」って言われると「この人知らなかったの⁈」ってなる。
祭りの運営は楽しいし、自分の地区が年番(神輿のコース含め祭り自体を仕切る年)だと気合いが出る。
ゴミの選別(地元では家庭では分別せずにゴミ袋を集会所に集め、自治会で決めた当番がみんなのゴミを分別して処理場に持っていく)は世間話しながらやるから暇つぶしになる。
車を1時間くらい飛ばせばイオンもあるし、車や公共交通機関使えば日本全国どこでも行けるしネットもテレビもスマホもあるから退屈はしない。