はてなキーワード: 流れるとは
生きていると、
嫌なことばかり起きる。
自分が嫌な思いをするのは仕方ないと、人のために行動すると、
迷惑だ、関わるなと
忌避される。
極力、誰とも関わらずにいると、
蔑まれる。
どうしようもないのだと、首を括ろうものならば
馬鹿な事をするなと
罵倒される。
俺はこんなに嫌々生きているのに、
死んでいく奴はずるい。
生きて行かなければ、気が済まない。
――「生きるのは苦痛だ」より
理不尽な強制として産み落とされ、理不尽な強制として生きていく
ストレッサーに対してストレス対処が生じるように、作用に対して反作用が生じるように、
人は苦悩と悲哀を抱え、縛られ、それらの奴隷として生きていく
遠い我らが祖先は、きっと寒い冬の時代に抑鬱状態になっただろう
怯え、不安になり、神経質になり、目の前にいつでも最悪の状態を想定していただろう
だから、生き残った
呪い多き我々は、それでも生きる価値があるとこの世を這いずるだけの人生である
Life's but a walking shadow, a poor player
障害を負い、新しい心と体になり、しかし「以前の自分の連続に生きる自分」としての意識もあり続ける中で、それでも機能低下という現実に向き合い
何度言っても、母が雨の日に家中の窓を開けることをやめない。
窓から雨が入ってくる、という話ではない。——まあ、そういうこともあった。増田が若い頃は、母が梅雨時期、勝手に部屋の窓を開けていて(そしていつもすぐに開けたことを忘れるのだ)、帰ると何故か部屋が水浸し、という事件が一度ならず起きた。
それは何度も注意するうちに流石に無くなったが、それでも雨の日に「風通し」をするくせは抜けていないようだ。
母は、湿気の多い時期に窓を開けないと部屋がカビると信じている。
というのも、実家はマンションだからである。国道16号沿いに建つ、築20年ほどの、普通の郊外型のマンションだ。
基本的に気密性の高い鉄筋コンクリートづくりのマンションの場合、梅雨時のように外気の湿度が高いときに「風通し」に意味はない。どころか、逆効果だ。
この場合、閉め切っていた方が、内装建材の調湿効果(木材や布地は天然の調湿効果がある)で、室内の方が湿度は下がるのだ。
(余談だが、エアコンをつけたあとはなおさらだ。よく夏場にエアコンを消してすぐ窓を開ける人がいるが、除湿エネルギーの無駄遣いである。)
これは増田自身、経験則でなんとなくそんな気がしていたが、家を建てたときに勉強したらやっぱりそうなのだと知った。
それ以来また何度も注意しているのだが、今度は増田自身の部屋でないこともあって、何度言ってもやめてくれない。
母が生まれ育った、古い木造平屋の昔の家屋では、そうしなければいけなかったという恐怖から逃れられないのだ。
日本の「家」に関する話には、こういう、対象が違えば原理も違うという話が整理できず、ごちゃ混ぜになったものが少なくない。
例えば「気密性が低い方が湿気が籠らず良い」というようなことを言う自称「専門家」がいるが、こういう人はもちろんマンションと木造の違いなんて理解してないし、さらに木造でも昔の家と今の家では壁の中の構造が違うから、一概に「気密性が低ければ風通しが良い」なんて言えないことも、正確に理解していない。
今の家では「気流止め」という施工が壁内に施されている。(https://www.dannetsu-takumi.com/contents/column/kiryudome/)
昔の日本の家では、床下、壁内、天井に至る全体が通気口の役割を果たしていた。空気が壁の中を自由自在に流れることで、湿気やカビを防いでいたのだ。
しかし、それでは当然、寒い日は寒く暑い日は暑い。外気そのままの環境を家でも我慢しなければいけないことになる。まさにあばら屋だ。
だから現代の住宅では、基本的にすべての床、壁、天井に「断熱」をする。そして「断熱」をするためには、逆に「気流止め」を施して、壁内を空気が動かないようにした方が良いのだ。
これ以上の理論的な説明はここに書くには専門的すぎることと、検索すれば専門家のページがいくつも出てくるから割愛するが、この「気流止め」を理解していないと、風通しが良くなってカビないどころか、北海道で起きた「ナミダタケ事件」のような凄惨な結果が待っている、ということだけは書いておく(検索してみよう)。
マンションの場合、壁はコンクリートの完全な一枚板なのだから、はなから通気なんかしないのは言うまでもない。
このように、現代の家はより過ごしやすくするために、見た目は同じでも、昔の日本家屋とは壁の中の構造がまったく変わっているのである。当然、その根拠には(ナミダタケ事件以来)半世紀以上に渡る科学的研究がある。
「カビない家」に対して現代科学の出した答えは「気密」し「断熱」し、空気の籠るところは「換気扇で換気する」だ。
まかり間違っても、すきま風のする粗悪な家を作ることや、無駄な「風通し」で外気からわざわざ湿気を取り入れることではない。
母のようになるともう仕方ない。本当は老体にも悪いからやめて欲しいが、まあそれも本人の人生だろう。
しかし、素人の母のレベルで認識が止まった自称専門家がいつまでも嘘をまき散らし、若い人がまだそれに騙されるという現状はいくらなんでも忍びない。
少なくともそろそろ、無根拠な「通気」信仰はなんとかしてくれと思う。
確かに通気は必要だ、しかし、それは「どこに空気を通すのか」をキチンと理解した上ででなければならない。
なんとなく「通気してるから」良いなどと信じていると、ナミダタケ事件のような逆効果なことはいくらでも起こってしまうのだ。
室内の温度や湿度のコントロールに関する科学的な研究というものは、もう半世紀も実績がある。
というのも半世紀前、オイルショックを景気に、世界中が暖房エネルギー削減の研究を始めたからだ。
電子回路勉強しようと思ってもグランドの意味がわからなくて詰んでる。
殺すぞ。言葉の定義ぐらいわかるわ電位の基準点であり電流を逃がす場所だろ。いや。電子は-から+に流れるんだから、グランドは+に必然的になるはずで、-側が電流を逃がす場所であるはず無いだろうが。
ふざけるなよ。
電流は+から-に移動するのに、電子は-から+に移動するらしい。
頭イカれてんのか?
なんで電流と逆方向に電子が流れてるんだ?って聞いたらChatGPTもClaudeもそれは歴史的経緯で便宜的に電流が+から-に流れてることになってるだけとか抜かす。
ブチコロスゾ。+から流れてきた電流を抵抗で操作してる回路があるだろうが!!!!眼の前で動いてる現実があるだろうが!
どう見ても電流は+から流れてるだろうが殺すぞ!なんで-側をGNDに繋いでるんだ!ぶち殺すぞ!逃がす場所からなんで電子を呼び込んでるんだぶち殺すぞ。
そんな感じで、ふたりともまともに答えてくれない。
ネット調べてもまともにこの辺の矛盾を解説してる情報見かけないし、電子回路作るにしても電子の動きを無視してて、電流がそもそも+から発生しないはずなのに発生している状況過ぎて、電子工作ができません。
原子核が+、電子が-の電荷だとかいわれても、意味がわからんし。
電荷のいみがわからん。仮に電荷という概念を飲んで、電荷によって電位差ができて電子が-から+に移動しよう。したとして飲もう。その動きを現実として。
おまじないだとか、こう言うものですと飲むにはあまりにも矛盾がひどすぎる。真逆だろうが。
水道水(電子)はダムや水道局から家庭に流れているけど、水流(電流)は家庭からダムに向かって流れています。と言ってるのと同じだぞ。殺すぞ。
たぶんPS1の原作路線で作るんだと思う。じゃなきゃPS1版のサントラが今になって再販するわけ無いんだよなあ。
石野卓球やマイクヴァン大工のテクノサウンドがアニメに載せて流れるとか最高じゃないっすか・・・・今見てもPS1版のアニメシーンは神なので検索して見ろ
この時刻以降に奈良線六地蔵駅の京都行き側ホームからいつも見えてる昔ながらのネオンサインみたいな流れる表示やってる遠くにあるビル屋上の電光掲示板、いったい何を映しているのだろうか、いつも京都ですぐに降りられるようにホームの端にしか居ないので内容が判らない、これはここでバイトして帰るときにしか浮かばない疑問なので、もうやめるから永遠の謎になるのだろうな
目が悪いのか興味がないのかわからないけど化粧が全くわからない
俺は男で化粧がわからない人間なんだけど、ほんとにマジで気が付かない。化粧してるのかもわからない。
色の薄い口紅だったらつけているのもわからないし、ニキビをコンシーラーで隠してたって言われてもわからなかった。何ならすっぴんと化粧アリのビフォアフでも(ああここにニキビがあったんだ)くらいしか思わなかった。もしくはその子がすっぴんで十分出来上がってる美人だった可能性もある。
時々TikTokとかで流れる変身メイクくらいになったらわかるんだろうけどそこまでいかないと全くわからない
髪とかロングからショートになるくらいじゃないとわからない。背中まであるロングの女が5センチ切っても誤差だろ。気がつかないよ。
メイクはマナーとか言ってるけど気が付かない俺にとっては、メイクなんて自己満でしかないから、自分に自信が持てるように、もっと好きになれるようにやればいいだけで周りはそんなにみてないんじゃないかと思う。だから変に強迫観念にとらわれてやる必要もないんじゃないかと。
まあ俺が例外なだけかもしれないけどね
もうちょっと詳しく言うと、読み専がネットストーカーしていた同人書き手のことが大好きになってしまって困っている。
とあるコンテンツにどハマりした。そのとき映画を上映していて、友人に誘われてみたのがきっかけだった。
コンテンツ自体と同じくらい、出てくるキャラおよびカップリング二次創作が好きになった。ハマりたての情熱はすごくて、地方民御用達の通販に飽き足らず、久しぶりに片道ウン万かけて同人誌即売会に行くようになった。
数ヶ月後、ジャンルのオンリーがあるというので喜び勇んでピクシブで新刊サンプルをチェックしてまわっていたとき、神がかったカップリング本のサンプルに出会ってしまった。
良い。そう直感が囁いた。
出会いがあまりにもうれしくて、その勢いで「とても好みで読むのが楽しみ。本を出してくれてありがとう。絶対買いにいく」という内容の匿名メッセージをその書き手に送った。すぐにツイッターもフォローした。
イベント当日は心臓をバクバクさせながらビッグサイトに行って本を買い、その際にサンプルを読んでとても楽しみにしていた旨を伝えた気がする。あまり記憶がない。
ビッグサイトを後にしてすぐさまカラオケに飛び込み、これはレジェンド入りの同人誌だと痛感しながら読み進めた。文字通り全身で悶えた。たまらなかった。こんなに好みド真ん中の作品を書く人が本当に存在するんだと感動した。
私は同人誌やWeb作品の感想を伝えるのが好きだ。私自身が全然創作できないのもあると思うが、とにかく大好きな作品を褒め称えたくてしょうがない。さっそく数日後に感想を匿名メッセージツールで送った。幸いにも好意的に読んでもらえた上に、WEB上で返信までくれてとてもうれしかった。この返信をもらったのはもうだいぶ前なのに、いまだにこのもらったメッセージを読んで幸せな気持ちになれる。プリントアウトしてあるから、私が死んだら該当の本と一緒に燃やしてほしい。地獄でも絶対に読みたい。
ツイッターをフォローしたことにより、どんどん情報が入ってくるようになった。私は書き手…今後はAと表記する。Aのアカウントだけのリストを作り、毎日チェックするようになった。今思うとこの時点で自分がおかしいと気づくべきだった。
Aは日常ツイートが多くて、そこから垣間見える人柄もとても好感が持てた。
最初はネットストーカー度合いも、気候についてのコメントが似ていたから同じ方角に住んでいる人かな、と思う程度だった。日本が縦に長いのもネットストーカーには優しい作りだと思う。日々ツイートを追いかけていると投稿内容にだんだん既視感というか、まさか?と思うことが多くなってきた。
ある投稿を見たとき、思わず息を呑んだ。これは私が先週末行った店では?特徴的なロゴなどはスタンプで隠されていたけれど、料理の写真や投稿されていたエピソードから推察するに絶対絶対あの店!
心拍数が急上昇し頭がガンガンし始めて、震える指でお店のインスタを検索した。投稿された写真と見比べても予想は当たっているようにしか思えない。血液が循環しているということをあれほど実感したのは久しぶりだった。
生活圏がかぶっている。もしかしたら知らず知らずのうちに私を狂わせたきっかけのあの映画を私達は共に地元の映画館で見たのかもしれない。近隣で上映している映画館は一つしかなかった。知りたいという欲がどんどん止まらなくなって、指が勝手に彼女のアカウントから映画についてのツイートを検索する。おそらく、私たちは同じスクリーンで映画を見ていた。
Aは長年アカウントを運用していたので読むべきものがたくさんあった。誰かのツイートを1週間ごとに区切ってアカウント開設から全て読むのはもう一生ないんじゃなかろうか。たわいのない生活のあれこれ、購入したグッズ、仕事の話、美味しい食べもの、そのときにハマっているジャンルの話、ずっと好きなキャラクターの話、見た映画の感想、原稿の弱音、今度出す同人誌、旅行先の写真、もう存在していないアカウントとのやりとり、句読点の打ち方、今とは少し違う文体。
生きている。ため息が出るほど彼女のことが知りたい。話してみたい。推しカプのこと、今までのジャンルのこと、好きなカプの傾向、心ゆくまで話したい!こういうとき、さっさとツイッターなどで話しかけられればいいのだろうが、ネットで人に話しかけたことのない読み専同人女には作法がわからぬ。というか心理的なハードルが高くてそういったアプローチはツイッターのいいねを含めて一切できなかった。できることはもう、ツイッターをひたすら読み込むことだけだった。
花火が見えたという投稿を見て、流れるように近隣の花火大会の日程を検索し始めたとき、心底自分が怖くなった。驚くほど自制心が効かない。地元というアドバンテージを活かして居住地を含めた個人情報にあたりをつけるところまできてしまった。LINEも本名も、ツイッターに書いてないことはなにも知らないが、逆に言えばツイッターに書いてあることはなんでも知っている。私は彼女にクソデカ感情を抱きすぎていないか?というのをこの辺りから気づき始めたような気がする。遅すぎる。
そんな折、なんとAがまた同人誌即売会に出て新刊を出すという。すぐさま東京行きの交通チケットをとった。一般参加の待機列形成時間ぴったりにビッグサイトに向かった。差入れと既刊の感想を綴った手紙を渡したが、話しかける勇気はなかった。もちろん新刊も最高だったし、うれしくて泣きながら読んだ。本当にこの人の書くカプがあまりにもツボすぎる。
新刊の感想をまた匿名メッセージツールで送った。まる一日悩んだが、つい欲が出て近隣に住んでいるかもしれないということを一緒に書いてしまった。そこからは倍速で事が進んだ。差し支えなければアカウントを教えてほしいと返信が来て、それから長文でDMのやりとりをして、週末に地元で会うことになった。スピード感にくらくらした。
実際に会ったAはビッグサイトで会った彼女とも、ツイッターで見る彼女ともなにも変わらず、本物だった。カフェの閉店まで5時間話した。夢みたいだった。
それからいまいち距離感が掴めないままイベント会場でも会っているし地元でも何度か遊んでいる。イベント会場で会った回数の方がまだ多いかも。もう正直大好きだから会えるだけで夢見心地だ。会って話すのがすごく楽しいし、一緒ににおいしいものを食べるともっとおいしいし、本の感想を直接言えるのもとてもうれしい。カプの話するだけで笑顔があふれる。話すこと語ること全部解釈一致!大好きすぎる。
これはかなりの自惚れだと思うのだが、最近のAの本は、ところどころ私の性癖に配慮して書かれている気がする。感想でここが良かった、こういうところが好きだと主張したところや何気なくコンテンツ本編についてツイートしたことが次の本で形を変えてちゃんと書かれていて更に好きになってしまう。信じ難い……気のせいかな……。いや、気のせいでもいい。こんなの大好きのかたまりだ。
いまだにネットストーカーはやめられない。言っておきたいが決してAがザ・個人情報ツイートをしているわけではない。彼女は何も悪くないし投稿にも十分気をつけている方だと思うし、そもそも私が悪いし不道徳だと思う。ただ、たわいのない情報でもそれが十数年分あると推察するのに十分なくらいの証拠になってしまうのは確かだ。実際、血液型の情報は10年以上前のツイート群をつなぎ合わせて発掘した。私から彼女に輸血できるのがうれしい。輸血が必要なときはいつでも言ってほしい。
まぁとにかく投稿内容には本当に気をつけてほしいし、日常をアップするのは……絶対にやめないでほしい……。日常ツイートを見るのが大好きだから、その日の出来事全部教えて欲しい。
こういうベタベタした好意にドン引きされるのが怖くてあまり深入りしないように心がけている……つもりだが、失敗している気がする。私は残念ながら声がでかくなりがちでいつも慌てていて、騒がしくてかなりテキトーで……ネットストーカーの結果、おそらくAのちょっと苦手なタイプだろうな、と考えている。ずっと仲良くしてくれるかどうか、自信がない。
向こうが想定しているより10倍くらい私はAのことが好きだと思うし、こんな気持ち悪い斜め上の好意を抱かれていて本当にかわいそうだと思う。LINEも本名も知らない誰かをこんなに好きになって、本当に困っているけど幸せなのかもしれない。よくわからない。会う約束をするとうれしくて何週間も前から心が浮ついてしまうし、Aからいいねが飛んでくるたびに、メッセージをもらうたびにスマホを握りしめて大喜びしてしまう。大好きだと思うたびに泣きそうになる。
実は誕生日が数日しか違わないのも、同じタイミングで同じジャンルにハマってることも、過去ジャンルで同じカプが好きなこともちょっと運命的すぎて本当に困る。嘘ですごめん、それについては全然困ってない。
彼女は私といつまで遊んでくれるのだろうか。仲良いオタクと同じ老人ホームに入って…というよく聞く幻想がずっと頭をチラついている。歳をとってもジャンルが別れてもおばあちゃんになっても住むところが離れても他に大切な誰かがいてもずっと一緒に遊んでほしい。できるだけ長く一緒に過ごしたい。どうすれば人とずっと長く仲良くいられるんだろう。とても困っている。
一問一答タイムショックやってんじゃねぇぞと思うが持ち前の善性で答えていく
ただ1分毎に繰り返される質問を受ける側は完全に口頭で中途の課題を作っている状態でこちらの作業が一向に進まない
プロの将棋指しは盤がなくても空で将棋が打てるというが俺もまさにその境地に至ったわけである
てゆうかなんで目の前にパソコンがあって単語の意味や仕組みについて俺に聞くんだろうな
それは俺が丁寧に教えすぎてそう仕向けてしまったんだろうと猛省
今日やんわりと指摘をした
仕事をしている上で他の人も作業をしており無言で手が止まっていても思考を巡らせているわけで
いきなり話しかけて主語もなくあれは何ですか?と質問しても思考の切り替えが出来ないから即答出来ないよ
もし質問があるのならいつ質問してもいいか時間を尋ねてから質問した方がいいです
前職の職場環境がどうだったか分からないけれどそうした方が円滑に進められると思うより、と
たじろいでいたが何とかわかってくれたと思いたい
こちらの状況顧みず自己主体で質問してくるのは本人の認知能力の限界であると思うからどう質問するかを示しておいた方がいいだろうという判断での指摘
その後は様子を伺うような感じになって質問する頻度が減って切り替えたので効果があったと思う
ただそれでもいきなり質問してくるのでこちらの思考を断絶してくるので勘弁してほしいものだ
質問したい相談したい時は30分後に質問してもいいですかとかで予め言ってくれれば教える相談する時間を確保するのに急にくるから頭がしんどい
いくつか口頭で回答して時には席で紙に書いて図示したりし説明していった
課題の終わり間際に次の課題のデータをメールで依頼しておいて終わりましたと報告きたら次の説明をしようとしていたら失敗があったので手戻りが起きていた
手戻りの説明をして中途にやっててもらってる内にさっきの指示しようとしてた課題はこっちで10分ぐらいで終わらせて客に送り付けて本来の業務をしてた
課題は項目毎に順序良くすれば前提条件も推論も流れるように行けるはずだがどうにも進んでいなかった
成果物をざっとみて説明通りにはしていないのでもう一度手順の意味を説明した
どうも指示から外れたり違うことをし始めるので要注意かも
俺の予測よりは遅れ目なので今週続けて来週も継続でその内容を教えるかなと教育方針を修正
仕事をしながらステップアップしていくような教材を考える俺は給料を2倍貰った方がいいかもしれんな
そんなこんなで中途に作業を教えつつ自分のタスクも終えて定時になったら即帰宅
中途はまだ課題が終わってないから残業するようだが作業ボリューム的には朝やれば終わるだろうから残業しなくてもいいのにと思いつつそんじゃーなって言って帰っておいた
家帰って振り返りをしていたが中途から何かと質問が生じるのは書式の様式が悪いような気がするから様式の修正を上司に相談してみるか、と修正案とマニュアル草案を作りかけていた
ホロドモールの計画餓死をロシアは認めてないってだから何、農民から家畜農地食料種子を強制的に収奪して、飢饉が発生してからも小麦を徴発して海外に売っといて、ウクライナ人を餓死させるつもりがなかったって真のキチガイじゃん。
「富農」と認定されたウクライナ農民たちはソ連政府による強制移住により家畜や農地を奪われ、「富農」と認定されなくとも、少ない食料や種子にいたるまで強制的に収奪された結果、大規模な飢饉が発生し、330万人[14]から数百万人ともされる餓死者・犠牲者を出した[7][15
特にウクライナでの被害が甚大で、かつウクライナを標的としたソビエトの政策が飢饉の原因であったことから、ホロドモールはソビエトの政策に抵抗したウクライナの農民に対するソビエト国家による攻撃の集大成であるともされる[5]。ホロドモールがジェノサイドに該当するかについては議論がある[16]。ウクライナ飢饉[2]、飢餓テロや飢餓ジェノサイド、スターリン飢饉などとも呼ばれる[17]。
ソビエト・ロシアにとって、ウクライナから収穫される小麦の輸出は貴重な外貨獲得手段であった。飢餓が発生してもウクライナの小麦は徴発され、輸出に回され続けたため、それが更なる食糧不足を招くことになった(飢餓輸出)[17]。富農撲滅運動(ラスクウーラチヴァニェ)の名の下での反革命分子の粛清・殺戮、コルホーズによる強制農業集団化によって多数の犠牲が生じた[17]。
10月31日に発行された「レジャー白書2023」(日本生産性本部・編集発行)によると2022年の将棋人口は前年の500万人から460万人、囲碁人口も前年の150万人から130万人と減少した。
病院の待合室、スーパー銭湯、電車や駅、タクシー、いろいろな場所にテレビやデジタルサイネージが置いある。
仕事の合間の少し気を緩められる場所にモニターから流れるクソみたいなコンテンツを脳に入れさせないでくれ。
映像は見なければいいが音は嫌でも侵食してくる。特に地上波テレビのクソコンテツは地獄だろ。
キー局決算で見えた「TVerによる驚きの配信収入」 50億円規模の事業が3割も4割も伸びている | テレビ | 東洋経済オンライン
[B! TV] キー局決算で見えた「TVerによる驚きの配信収入」
配信収入に関するコラムがホッテントリに入っていたので覗いたところ、Tverの収入に関する疑問、懸念が諸々ブコメに集まっていたので、自分のわかる範囲でテレビ放送に関する収入、また配信に関する収入について解説する。
正直タイトルに挙げた疑問にバシッと答えを出すのは難しいが、そもそもテレビ放送の収入や「スポンサー」について色々誤解している人も多そうなので一助となれば幸いである。
一般的にスポンサーと聞いて思い浮かべるのはどういうものだろう。
好きな球団やゲーミングチーム、有名選手、また好きなアイドルをCMに起用した企業など・・・推し活のイメージだと推しを起用してお金をくれる会社!みたいなイメージが強いかもしれない。ただテレビの場合はその対象が番組となるため、お金がそのまま番組に還元されるという考えで番組への投資や制作費の提供のように捉えているひともいるだろう。そのため、タイトルに挙げたような疑問が出てくるのだと思う。
まずお伝えしたいのはスポンサーが払っているのは制作費ではない。
番組の途中で広告や提供クレジットを表示する広告枠に対する対価である。件のコラムで書かれていた「減少する放送収入」はこれに該当する。厳密にいうとこの放送収入のうち「タイム収入」と呼ばれるものがみなさんが一般的に想像するテレビ番組のスポンサーである。「スポット収入」と呼ばれるものもあり、詳細は割愛するが、実はタイム収入とスポット収入の規模はそこまで差がない。いわゆる「この番組は~」とアナウンスされるスポンサーだけが放送収入を支えているわけではない点だけ覚えてもらえると幸いである。
レギュラ―番組におけるタイム収入のセールスの流れとしては、改編期に編成が番組表(テレビ欄)を作成すると営業が大体この番組であればこれくらい視聴率が取れるだろうと想定し、それを基にどれくらいのひとにCMを見てもらえるかというアピールをしてスポンサーを集める。
手越とベッキーが並んでいた頃のイッテQ全盛期にはスポンサーになりたい企業が列をなしているという記事も出ていたが、イッテQが面白いから出資したいのではなく、イッテQを沢山見る人がいるから高い金を払ってでもCMを流したいのである。
無論、スポンサーの意向が強い番組や、一社提供のような特殊なケースもあるが、一般的にはスポンサーは広告枠に対価を払っているだけで全体の収入から各番組の制作に使える予算を割り振るのも、改編期に番組を存続するか終了するか決めるのも、スポンサーではなくテレビ欄を考える編成と呼ばれる部署である。お金をもらってくる部署とお金を配分する部署が異なるのはよくあることで、そういう意味ではテレビ局も普通の企業といえるだろう。
期待された視聴率を出す必要があるので、スポンサーの多い番組では予算も増え、人気タレントを出したり、お金のかかるロケができる。スポンサーと制作費は確かに関係しているが、直結しているわけではない。
もしそうであればVIVANTのスポンサーは同じ時間帯の番組に比べて相当な金額を払わされていることになってしまうだろう。
まず前提として、ここで触れるのは件の記事で取り上げていた「Tverにおける配信広告収入」のみとする。配信事業という括りでは他にも色々あるのだが説明するのが面倒なうえに、配信事業は各局の開示具合が異なるのであまり具体的な話ができないためである。
ネット広告といえばサイトにしつこく出てくる不快なバナー広告、恥ずかしいぐらい検索履歴が反映されたバナー広告、またYoutubeを再生しようとすると流れる怪しい商品の広告など、日々のネットサーフィンで吸い上げられた年齢性別嗜好から選ばれた広告がアドサーバーから出力される。「Tverではスポンサー以外のCMが沢山流れるからスポンサーが損をする」という疑問がこの記事の始まりだが、このようなネット広告へのイメージから出てきた疑問だろう。
当然Tverでもアドサーバーを介して表示されるCMは多い。ただ全てではない、というのがポイントである。
実はTverの広告は、各局を通してある程度番組を絞り込んで出稿することができる。これは特に秘密の話でもなく、「テレビ局の名前 営業サイト」で調べると、ここまで書いたことは大体書いてあるし、その一角にはデジタル広告のメニューも存在する。フジテレビの営業サイトにもフジテレビドラマのみを対象にしたメニューが紹介されている。企業にとっては単なる属性だけでなく、ターゲットに即した番組でCMを打てるのは大きなメリットとなる。
テレビのタイムCMのように同じ番組を見れば万人が100%同じCMが見るとは限らないが、Tverで同じドラマを属性の異なる人が見た場合でも、同じCMが流れることがあるということだ。
今までテレビ番組の広告枠しか売ってこなかった各局の営業マンが手探りで始めたがゆえに、テレビ営業の風習が残った結果、一般的なネット広告とは異なる形態になったのかもしれない。
またコンテンツの性質上、動画サイトに比べて平均視聴時間や完全再生率も高いこともウリであり、各局がセールスをかけた結果、記事で触れられているような急速な成長を見せているということだ。
コラムにもある通り、放送収入に比べれば配信広告収入はまだまだ対抗できる規模ではないが、再生回数やUU数のような新たな基準が生まれたことで、これまでの視聴率では決して評価されなかった番組が評価されつつあるのは確かである。
ここまで読んだ方であれば、既にこの懸念に対する認識が多少変わっているのではないだろうか。「スポンサー」の定義はもちろん、Tverで流れるCMが必ずしもYoutubeと同じ仕組みで流れているわけではないということも理解いただけたと思う。
ただTver中心にテレビを見ている方はタイムスポンサーの名前を一切見ないこともあるわけで、出稿金額の規模に対して損しているのではという懸念が残るかもしれない。
落陽といえどテレビCMにも強みはあり、集中して出稿するだけで幅広い世代になんとなく名前を覚えてもらうことができるのはその一つである。近年だと川口春奈の顔を見たら思い出してほしいと言わんがばかりのNidecのCM、ベテラン選手だと企業名以外は何も頭に入ってこない日清紡の犬CMがまさしくそれである。先日もカーポートマルゼンのCMでタイヤを転がしている兄ちゃんが実は社長になっていたというツイートがバズっていたが、実店舗が5つしかない専門店が共通の話題となって盛り上がるのはテレビCMならではの現象であり、東京ブギウギのメロディを思い出そうとすると暑苦しいトータス松本の顔とクリアアサヒしか出てこなくて困ってしまうのも同様である。またリアルタイムでの視聴が予想される国際試合などのスポーツ中継で気合の入ったロングCMを流すのも、同時に万人に見せることによって話題に上ることを狙ったものだ。
(おそらくここで「自分は昔からテレビを持っていないから例に挙げられた話がさっぱりわからない」といったコメントが出ることが予想されるが、この記事はタイトルのような懸念を持つ、テレビにある程度関心がある人を前提で書いているので悪しからず)
先ほど挙げたような企業名ゴリ推しCMは電車の車内広告でも見かけることが多い、時代の変化に伴い他のチャネルとの組み合わせの一つとしてテレビに出稿しているスポンサーもいるということだ。
若い世代が一人暮らしを始めるときに意気揚々と「これで一人でチャンネルを独占できるぜ!!」とテレビを購入することがほとんど無くなっていることも、学校や職場で当たり前のようにドラマやバラエティの話題が上ることがなくなっていることも紛れもない事実である。それでもなお、テレビCMには認知拡大に強く、放送収入が未だに大きな規模を保っていることも事実なのである。
タイトルの懸念に対してYESやNOで答えることは難しいが、現時点ではそこまで深刻なものではない、というのが自分が出せる回答となる。これは自分の個人的な視聴体験なのだが、テレ朝系(ABC)の「DAIGOも台所」をTverで見ていたとき、DAIGOがイメージキャラクターを努めるクックパーと番組にキッチンを提供している企業のCMばかりが流れてきた時期があった。やろうと思えばこれくらい振り切った出稿もできる。当たり前だがスポンサー企業もテレビ局もお互い計算しながら広告を買ったり売ったりしているのだ。
この記事を書こうと思ったキッカケは「Tverスポンサー以外のCMが流れるから、最近は広告カットツールを使って見ている。代わりにスポンサーの広告を後で見に行っている」というブコメを見たからだ。
X、インスタ、Tiktok、Youtube、ニコ動・・・あまりにもそこらじゅうに動画があふれているおかげで忘れているが、動画の視聴は無料でも、動画の再生自体には費用が発生している。情シスやエンジニア関連の話題で頻繁に盛り上がるはてな村の皆さんには説明するまでもないが、サーバーなり運用なり作業や費用が発生しているところをプラットフォーム側が整えているから、基本的に利用者が金を払わずに見れているだけである。それはTverも同じであり、扱うCMが増えるほど、コンテンツが増えるほど、サービス維持にお金がかかり、テレビ局はTverから広告収入をもらう一方で、インフラ費用をお支払いしている。電波という圧倒的な存在により、テレビと線を繋げれば、電気代だけで見られる(某公共放送以外)テレビのTverの大きな違いである。レコーダーで録画した番組を再生する際にCMをスキップするのと同じノリでやっているのかもしれないが、性質が全く異なる。
広告カットツールを使って見るということは、Tver上である程度番組を絞って出稿した企業にとっては機会損失となり、広告imp数の実績にもならず、再生回数やUU数に反映されない可能性もあるので番組の評価にもつながらない、コンテンツの再生に関わる費用だけは発生するのでテレビ局も損をする。得するのはCMを飛ばして少しいいことをした気分になっているあなただけである。
「君、つかまるよ」とまでは言えないが、番組とタイムスポンサーへの気遣いのつもりであっても、あなたがしていることは違法視聴であり、損害を与えていますよということだけは、あなたが応援しているテレビ番組のためにもハッキリお伝えしておきたい次第である。
わびとは、新鮮で素朴なもの。
シンプルさと静けさを表し、素朴な美しさも取り入れている。
自然によって作られたものと人間によって作られたものの両方が含まれる。
また陶磁器に流れる釉薬によって作られる模様のように、全体に優雅さと独自性を与える偶然の要素 (あるいは小さな傷さえも) を意味することもある。
経年変化のことを指し、使い込むことで変化していく概念が、物をより美しく、より価値あるものにしてくれるかもしれない。
これには、人生のサイクルを正しく理解することと、損傷を注意深く巧みに修復することも含まれる。
「わびとは、素朴でありながら洗練された孤独な美の性質です。さびとは、青銅の緑色の腐食であれ、木や石の苔や地衣類の模様であれ、風化と経年変化によって生じるその特質です。」- 精神の反映:アメリカの日本庭園、マギー・オスター
「もともと、日本語のわびとさびはまったく異なる意味を持っていました。さびはもともと「寒い」「痩せた」「枯れた」という意味でした。さびは本来、社会から離れて自然の中で孤独に生きる悲惨さを意味していました...14世紀頃両方の言葉の意味は、よりポジティブな美的価値観の方向に進化し始めました...その後何世紀にもわたって、わびとさびの意味は大きく交差し、今日ではそれらを分ける境界線は実際に非常に曖昧になっています。」- 「アーティスト、デザイナー、詩人、哲学者のためのわびさび」、レナード・コーレン
「わびという言葉は、翻訳には向きません。孤独、寂寞、素朴な素朴さ、静かな風情、骨董品に対する優しい愛情、気取らない、そしてむしろ憂鬱な洗練など、さまざまな意味を持ちます。」- 「日本建築の古典的伝統:現代版」数寄屋の流儀』 伊藤貞二、二川幸雄
「...小堀遠州、桂離宮の設計者として広く知られている男。建築や庭園に適用された遠州の様式は、宮廷の伝統の優雅さと優雅さと、千利休が好んだ厳格な素朴さを統合したものでした。この組み合わせは、思っているほど突飛なものではなかった。なぜなら、利休のさび(人里離れ、静けさ、牧歌的な簡素さ、自然への近さを暗示する美的理想)は、長い間伝統的な日本人の顕著な特徴であったある種の現実逃避的な要素に似ていたからである。」- 「桂 王子の隠れ家」内藤彰、西川丈志
「わびさびとは、不完全、無常、不完全なものの美しさです。控えめで謙虚なものの美しさです。型にはまらないものの美しさです。...わびさびに最も近い英語はおそらく「rustic」でしょう。 ……わびさびなものは、研究されておらず、気取らないものである……彼らの職人技は、見分けるのが不可能かもしれない。- 「アーティスト、デザイナー、詩人、哲学者のためのわびさび」、レナード・コーレン
「侘び寂びは、謙虚さ、抑制、単純さ、自然主義、奥深さ、不完全さ、非対称性を特徴とし、シンプルで飾り気のない物体や建築空間を[強調]し、時間と手入れが素材に与える穏やかな美しさを[称賛]します。」-「はじめに:茶の湯」、裏千家シアトルホームページ
「荒々しさに対するある種の愛が関係しており、その背後には隠された美しさが潜んでいて、私たちはそれを独特の形容詞で渋い、侘び、寂びと呼んでいます。...この内に秘められた美しさを渋いと呼んでいます。創造者によって鑑賞者の前に提示される美。鑑賞者が自分自身で美を引き出すことができる作品。 世界には、それぞれの性質や環境に応じて、美のさまざまな側面が溢れています。しかし、その味わいがさらに洗練されていくと、必然的に渋い美しさにたどり着くのです。」- 「知られざる職人:美への日本の洞察」、柳宗悦、バーナード・リーチ
「日本滞在中、渋いという言葉を頻繁に聞いたことがあるはずです。この言葉を英語に正確に翻訳することは不可能です。「厳格」、「抑制された」、「抑制された」、「陰気」、これらの言葉は許容される代替品に最も近いものです。語源的には「渋い」という意味で、奥深く、控えめで、静かな感覚を表すのに使われます...この単純な形容詞が最高の美しさの最終基準です。」- 「日本の民芸」柳宗悦