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はてなキーワード: 生き方とは

2024-06-07

anond:20240606161200

生き方矯正されなかった人間がどういう性根か考えれば矯正もやむなし

ネット婚活相手愚痴ったり、不潔なまま出歩いたり、フリーターだったり…

人としてやるべき義務を疎かにしてそれを自由と履き違えるアホがそのまま他人相手してもらおうなど図々しいわ

2024-06-06

もし少子化対策女性就労禁止したら

最大の反対勢力左翼フェミニストではなく

しろ資本主義を動かしてる側のあらゆる大企業やで

皆なぜか女性社会進出と聞くと高学歴大卒オフィス勤務者

フェミ思想の影響を受けて女性自己実現意識高い系

しかいないかのように錯覚しとるが

現実に働いてる女性の圧倒的大多数は

商店店員工場の工員(おもに高卒)やで

しかも働いてる理由意識高い自己実現とかではなく

単なる目先の生活のためが圧倒的に大多数

この人らが全員一気にごっそり労働市場から消えたら

世のスーパーやらショッピングモールやら工場やらの

経営者はみな頭を抱えることになる

無人レジみたいな機械化も外国人技能実習生も足りない

***

そもそも近代日本の「女性社会進出歴史」は

明治期の製糸工場やら紡績工場女工から始まってる

彼女らとフェミ思想とかほとんど関係ない

貧乏農家家計を支えるため働きに来たのが大部分

しろ子だくさん家庭で口減らし奉公一種出稼ぎに出された

当時の企業経営者はとにかく労働力が欲しかっただけ

***

市川房枝集』に収録されてる

1930年に書かれた『現代婦人問題』という文章にはこうある

婦人工場労働は、産業革命の直接の結果、生活必要のため

家庭から工場へ追い込まれもので、そこには婦人自身自覚

まったく見られないといっても差し支えはない。」

***

女性雇用昭和戦時下に男手が次々と兵隊にとられて

若い女性が大量に勤労動員された時期にさらに加速する

ええか、左翼フェミ思想じゃなくてもしろ

政府愛国思想女性社会進出を拡大したんやで!!!

黒澤明戦時中監督した国策映画一番美しく』を見るとわかる

***

戦後高度経済成長期も中卒や高卒工場集団就職した

大量の若い女性工員が電化製品やら精密機械の輸出を支えた

(この辺はNHKドラマひよっこ』で描かれてる)

そのころの大学進学率はせいぜい30%台な

女性大卒ホワイトカラーなんて圧倒的に少数派

***

『「育児休職」協約の成立 高度成長期家族責任』(勁草書房

という本によれば、1968年専売公社職員女性比率は43%(1万5600人)

平均年齢は35歳、平均勤続年数は16.4年、半数以上が既婚、82%が製造

――ええか公社やぞ、政府の金で運営してる企業やそ

国家が率先して女性労働者を雇っとったんじゃ

***

女性の働き方』(ミネルヴァ書房)という本によれば

東京商工会議所女性の軽労働について時間外労働(1日2時間)の制限撤廃

1952年労基法改正で、映画製作に深夜業禁止が解除

左翼フェミではなく資本の側が女性労働制限撤廃を主張していた!!!

***

誰も信じないが左翼フェミによる「女も働かせろ運動

などというもの現実にはほぼなかった

実際にあったのは「すでに働いてる女も男と同待遇しろ運動」な

それが実現したのが1985年男女雇用機会均等法なのだが……

***

読売新聞1985年5月17日夕刊の

男女平等へ”器”はできたが…」という記事にはこうある

「この法そのものが、職場での男女平等を進める労使の合意によって生み

だされたものではなく、国連婦人差別撤廃条約批准するため政府が成

立を急いだという色彩が強いことから、「お役所仕事として、性急にコト

を運ばれては困る」(大手通信機メーカー)という批判も出ている。」

読売新聞1985年5月18日朝刊の

女子差別撤廃批准には意義 外務省見解」という記事

西欧諸国の中には「安い女子労働で支えられた日本集中豪雨的な輸出

貿易摩擦を生んでいる」と非難する向きもあり、同省は「こうした誤解

を解いていくためにも条約加入は意義がある」としている。」

――雇用機会均等法の成立は左翼フェミ労働組合の要望もあったが

それだけでなく他の先進国経済的外圧で実現したのだ!!!

俺も当時の事情を調べ直してこの辺の経緯を知ったら驚いたが

かに1985年ごろなら日米貿易摩擦とかで叩かれてた時期だ

***

本稿は左翼フェミ擁護するものでなく

しろ左翼フェミは屁ほどの社会的影響力もなかった

という論旨なのである

では少子化根本原因は何かといえば日本が豊かになったか

より正確には農業中心社会から第三次産業中心社会になったか

昔の農民は家が仕事場子供も中卒ぐらいで労働力にしてた

それが昭和30年代からみんな会社員になって

家庭内労働力として家に何人もの子供必要なくなり

子供大卒会社員にさせるのがイケてる生き方になって

それだけ子供1人にかかる教育費がべらぼうに高騰していった

昔ながらの農家やら自営商店なら家と家産(農地や店)の継承

結婚出産義務感に大きく影響していたはずだが

みんな勤め人になればその義務感だった自然に解消する

どこの国も産業構造が高度化すると政治思想関係くそうなる

からといって農業中心社会に後戻りすることはできない

左翼フェミが反対するからじゃねーぞ

それ以上に産業界資本家が反対するからだよ

***

いまだに定期的に

炎上覚悟の暴論だけど日本のため言うが女性就労を~」

論者がくり返し何度も飽きずに出てくるが

悪いけど完全に的外れなんだよ

きみの最大の敵は左翼フェミじゃないんだ、資本主義なんだよ

ま、絶対に信じたくないだろうけどね

anond:20240606150120

話としてはおもしろいけど、政策論としては無理だよね。




と言う建前論を書いた上で、実は地方公営結婚相談所ではやってる。

超やってる。妖怪婚活ババアみたいなものが出てきて、生き方矯正をやってる。

それに嫌気をさして入らないと言う人ももちろんいて、そんなことしなくても結婚する人はもちろんいるんだけど、そう言う講座が密かに開かれていて訓練されてる。

と言っても、そういってよく訓練された男が結婚できるかというとそれはわからんのだが。よく訓練されててもスペック足切りが出来てしまうのが戦場なので。

ただそういった妖怪は男女ともに生き方強制ブートキャンプを通して自分の言う事を聞く人間キープしており、そういった者同士を結びつけて制約するということで実績を上げる常套手段で生き残っているため、ひたすら妖怪のご機嫌を取れば結婚できるという伝説が、その妖怪封印したと伝えられる報告書に記されて、村役場書庫に眠っているとかいないとか。

もちろん冗談なので本気にしないでね☆

死にかけると生き方模索するのは必然ってことで

韓国ブームって実は死に直面したらどう生きるかっていう学習なんだよね

日本捨てる予備動作

2024-06-05

anond:20240605184500

やはり「デフォルトなのにそれを選べない人が増えている」ことの方に危機感を持つべきだね

生き方多様性とか言ってごまかしてはならない

西村賢太みたいな生き方

独身おっさんでもあそこまで酷いのは以外と少ない気がする

朝まで酒飲んでタバコ吸ったり、深夜にバカ食いドカ食いしたり

でも羨ましい~

あんな風に生きたかったわ

子なし様が申し訳無さそうに生きる時代が来るという記事見たけど

それって皆婚時代子供が2人以上居るのが当然だった時の話だよね?

やっと色んな生き方が認められるようになって、生涯独身とかDINKSとかが肩身狭い思いをしなくなってきたのに、また旧世代の考え方に戻そうってことなのかな?

それともファッションみたいにまた昔の流行りに戻るって言いたいのかな?

2024-06-04

オルカンが1億になったよ

オルカンが気づいたら1億を越してた。今後の生き方をどうしようか悩んでいるので投稿したよ。

皆の考えを教えておくれ。50代、独り者、持ち家有り、職場にはウンザリしている。

キミならどうする?

オルカンが1億になったよ

オルカンが気づいたら1億を越してた。今後の生き方をどうしようか悩んでいるので投稿したよ。

皆の考えを教えておくれ。50代、独り者、持ち家有り、職場にはウンザリしている。

キミならどうする?

両方の報告書読んで日テレエグいなーって感じたところ

それは今回の問題点を、ドラマ制作サイドの意図原作者に充分伝わっていなかった、つまり説明不足」に求めているところ。

本打ちメンバーが当該原作の設定を変えようと試みたことには、それ相応の議論積極的理由があった。しかしながら、本件原作者上記返信内容をみる限り、本打ちメンバー議論した内容・意図が十分伝わっているとは思えない状況であったことがうかがえる。

いや、そうじゃないんだよ。原作が何を大切にしているかプロデューサー脚本家を含めた制作サイドがまったく理解していない改変を繰り返すことが原因なんだよ。だから原作者が誤っている箇所とその理由を事細かに指摘し、それを繰り返しても一向に直ならない状況に絶望し、心身を疲弊させていく羽目になったんだよ。

以下なんてまさにその無理解を露呈してるよね。

原作では朱里短大に進学した設定があるが、本打ちでは、同設定に関して、「短大に進学するよりも専門学校に進学する方が近時の10代、20代としてはリアリティがあるのではないか」、(短大進学の原因となっている)「父親リストラドラマとしては重すぎるのではないか」等の議論を経て、高校受験の際に、父親が勤める会社不景気になり、母親から高校公立いいんじゃない?」と言われて本当は友達と一緒に制服かわいい私立校に行きたかったけど、「うん、そうだね」と笑って受け入れたという設定に変更する旨のプロット案を送信した。(中略)上記プロット案に対する本件原作者の返事として、かわいい制服私立高校に行けなくなったことなどは「心底どうでもいい」ことである原作ジェンダー要素も逃げずに書いて欲しい、制作サイドは短大での設定を避けているのか?といった趣旨記載がなされた文章送信された。

日テレ報告書は、調査にあたった外部有識者弁護士)が、本件以外取引がなく、独立性・中立性が担保されているとわざわざ冒頭に記しているが、上記を見れば外部有識者日テレの側に立っていることは明らかだ。日テレも外部有識者もこれで騙くらかせると思ったんだろうか。舐めすぎじゃないかね。

再発防止策を本気で練るなら以下以外にありえない。

日テレ側は当初(3月9日あるいは29日打ち合わせ)で「本件原作者意見無視するような改変はしない、リスペクトをもって取り組むという趣旨の話をした」と日テレ報告書にあるが、それがなかったのは上記からも明らかである

リスペクトとは何か。それは原作が、畢竟原作者がその作品大事にしていることを同じように大事にするということであろう。

原作者は一切の改変を許さないというスタンスではなく、むしろ当初は上手く料理されることを願っていた節さえある。

芦原氏は、監修者として漫画ドラマ媒体が違うので、ドラマ用に上手にアレンジするのがベストであることは理解している。全てお任せして「ああなるほどそうくるのか!面白い!」と思える脚本が読めるなら、一番良いが、「ツッコミどころの多い辻褄の合わない改変」がされるなら、しっかり、原作通りの物を作ってほしい。脚本100 点を目指すのはもう無理だと思うので、演技や演出力で、なんとか80~90点に、引き上げて欲しい。ベストは無理だと判断したので、限りなく全力でベターを目指して欲しい。と一層の努力を求め、原作者として「作品根底流れる大切なテーマを汲み取れない様な、キャラ破綻させる様な、安易な改変」は、作家を傷つけることをしっかり自覚して欲しいと要請しつつ、役者スタッフ等多数人の労苦に感謝しており、「闇雲に原作を変えるな!と主張しているわけではなく、よりよいドラマになるように、自分を守るために、現段階でできるベストを尽くしているつもり」と結んで本件脚本家理解を期待した。

上記小学館側の記載だが、原作者の当初の期待とそれが失われていった様を如実に表した一文であろう。

報告書を読んで最も強く感じたのは原作者孤独絶望である原作者小学館を間に挟んでドラマ制作サイドと戦っている感覚だったのではなかろうか。

本来なら原作者と同じスタンス原作によりそい、ともにドラマを作り上げていく仲間であるはずの制作サイドが敵となってしまったのは、本事件における最大の不幸である

なぜそんな不幸が生まれたのか、制作サイドが真剣反省し再発防止策を明文化し、プロデューサーからADに至るまでそれを徹底的に学び、実行しなければこの悲劇は繰り返される。

のではあるが…

●今回のことを受けて

・これで怖がっちゃいけない。安全ドラマを作る方法なんてない。それはみんな意見が違うし考え方が違う。その中で人間生き方みたいなもの提示していかなければいけない。意見の食い違いもケンカもいろんなことがあって、プロデューサー代表して、こういうドラマを世に問うんだと原作者脚本家をまとめやっていかなきゃいけない。それを怖がっていたら面白いモノが出来なくなってしまう。そういう危険は今後もはらんでいるだろうけれども、だからこそ話し合ってコミュニケーションをとってやっていくしかない。

放送局としてはまず第一社員を守ることが仕事社員を守るために早く結論を出すとか、その原作に係るトラブルの際に早く赤信号みたいなものキャッチし、社員ができるだけクリエイティブに物を作る環境を整えるのが会社仕事

・若手プロデューサーの起用については、(トラブルになりやすいというのは)正直言ってあるとは思うが、それを恐れていたら駄目。失敗しないと学ばないからこそ、失敗してもフォローが出来る体制を作っていく方が大事

日テレ報告書の別紙3を見る限り無理そうである

anond:20240604132326

地域に学ぶ中学生体験活動週間「トライやる・ウィークhttps://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/career/05010502/026/007/001/006.htm

地域に学ぶ中学生体験活動週間「トライやる・ウィーク

兵庫県教育委員会

1 事業概要

(1) 趣旨

 中学生職場体験福祉体験、勤労生産活動など、地域での様々な体験活動を通じて、働くことの意義、楽しさを実感したり、社会の一員としての自覚を高めるなど、生徒一人一人が自分生き方を見つけられるよう支援する。

 また、「トライやる・ウィーク」への取組を通じて学校・家庭・地域社会連携を深め、社会全体で子どもたちの人間形成社会的自立の支援を行うことで、子どもたちを中心とした地域コミュニティの構築へと発展することを期待するものである

ふーん要は仕事体験

何が極悪なの?

2024-06-03

anond:20240603174414

俺もお前よりの価値観ではあるが

なんとか増田でふざけ合ったり、俺みたいな能天気を上から叩くことで少しでも辛い気持ちを紛らわせてくれればいいと思う

俺は無職に毛が生えた生き方しかできないか社会的には弱者なんだが

良い友達と巡り会えたから恵まれてると自覚してる

anond:20240603150531

性欲に振り回される生き方のほうがよほどゾンビだよ?

最も強固で、柔軟で、効率の良い生き方自分自分哲学を構築して修得することなんだな

気になる哲学者こちら↓

2024-06-02

底辺の者だが、40歳になった。

おれは今、こどおじをしている。 反ワク活動の結果社会から排斥されてしまい、 もう自活して生きることが経済的不可能になったからだ。 しかしおれは反ワクを辞めない。 それがおれの生き方からだ。

麻布高校同級生が、40歳になったということで集まってパーティをするらしい。 食堂を貸し切って。 麻布高校卒業生には強い母校愛がある。 みんなで思い出の校舎に集まって、今の状況を語り合うのはきっと素晴らしい日になるだろうと思うが、 おれは不参加に投票した。 第一に、おれは底辺の者でありこどおじであり、他のエリート同級生たちに合わせる顔がないから。 第二に、おれの反ワク活動をいじられる可能性があるから。また逆に、気を使わせたくもない。 第三に、ワクチニストが多すぎるから

しかし、ふと考えると、もしかしたら今回会っておかないと もう一生会えなくなるやつもいるんじゃないかという気がしている。 一番大きなファクターワクチンによるファだが、 仮にそれを抜きにして議論しても、 めちゃくちゃざっくりいうと、300人の同級生統計的にいえばこれから1年に1人弱くらいの 勢いで死んでいく。

そもそも統計的にいえばそもそも40歳になるまで生きられる確率すらたったの98%しかなく、 2%は死んでいる。300人の同級生でいえば6人は死んでいることになる。 とりわけ、麻布高校出身者は知能が高い人間が多いから、おれのように社会に順応出来ず、 シャカハメされた結果自殺というパティーンや、 エリートサラリーマンになった結果ストレスで体を壊すとかも少なくないのではなかろうか。 おれが知らないだけで、死んだやつはいるかもしれない。

ワクチンに関しては、意外なことに打ってるやつが大半なのだが、 海外出張海外での活動があるから打ったというケースがかなりある。 この点については、底辺の者で救われたと思う。 日本に戻ってくるためには3回接種が必要だったから、 駐在エリートになんかになってたらワクチンして IgG4がハネて確定で免ファされてた。 ワクチンのことも考えると今後、麻布同級生はこれからかなりの率で死んでいくのではないかと思い、 やはり参加しておくべきかとも思ったが、 頭の弱いやつに反ワクをいじられたら喧嘩になってしまうのでやっぱやめた。 おれは今日ベンチプレス102.5kgを5回した。

ところで、最近自殺のことをよく考えるようになった。 理由は、もうこの世界に興味がないからだ。 この世界のことはもうよくわかってしまった。 この世界大事なことは2つある。 1つは、お金持ちの家に生まれることだ。 経済的成功に限っていえば99パーセントは生まれで決まっていると思う。 日本は、その他大勢人間にとっては共産主義に等しい。 もう1つは、IQ100に生まれることだ。 社会においては、大部分であることが正義になる。 そのことはワクチンでよくわかった。 ワクチンの正しさや誤りなど、誰も気にしていないのだ。 ワクチンをみんなで打つことがもっと大事なのであって、 ワクチン危険性を見抜いてしまうような賢い人間社会不適合と見なされてしまう。 とてもおかしなことだが、これは事実だ。

まり馬鹿馬鹿しく、生きる気がうせた。 おれがテレビを見たくない理由は、知的障害者を見たくないからだ。 醜くて頭が悪そうな顔を見ると、吐きそうになる。

子供でもいれば、子供が育つまでは泥水をすすってでも生きようとでも思うのかも知れないが、 おれには子供はいないし、今すぐに近くの森に行って首を吊ったとて、 親が悲しむくらいで、それ以上のことは何も起きない。

しかし、あと2年くらいは様子を見てみようかと思っている。 ワクチン薬害ゴリゴリにハネてきたからだ。 今日も村島未悠という若い女が、体調不良で当面休養というニュースがあった。 ワクチンだろう。スパイクタンパクエストロゲン受容体を結合することがわかっている。 だから乳癌子宮癌白血病が増えているのだ。 女ホルがかなり高い女だから、きっとスパタンにファックされたのだろう。

こんなのもあった。よしよし。

間違いなくワクチン薬害は若年化してきており、今後数年で国民のかなりの数がファされる可能性は十分にある。 おれは、6000万人死亡を予想しているが、確度としては5割以上はある。 そうならないためには、免ファされた場合でも時間が経つと回復するという楽観的な仮説が成り立つことが必要なのだが、 今起こってることは明らかにそれを示していない。 むしろ、免ファは確実に進行している。

IQが80-120しかない知的障害者ワクチンの毒性を見抜けないから打つ。 裕福な家にたまたままれ人間たまたま事業がハネて金持ちになっただけの人間自分ポジションを守るために必ず打つ。 だからワクチン薬害がハネれば、この国はおれにとってパラダイスみたいな国になる。 ワクチン頼むぞ!!!差せ!!!!!差せ!!!!!!

2024-06-01

メメント・モリ人生が輝くのって、それだけじゃダメで諦めの良さとやる気が要ると思う。

人生は有限である

有限であるならしょーもない事をしている暇はないし、やりたい事は可能な限り全部やった方がいい。

しかし有限なので何もかもは出来ない。

生存を維持するための行動を除いて、何かをしようとする度にそれが限りある人生時間を投下する価値があるのかと考えなければならない。満足に生きるという目標を最大限効率的に実現するなら。

常に自分確信を問い続けなければならない。その選択は他の可能性を捨ててまで選び取るべきものなのか。本当に自分人生に満足をもたらすのか。

自分にとって大切なものを見極める誠実さと、そのために他の魅力的な可能性を捨てる諦めや思い切り。そもそも人間は一つの頭と一つの身体しか使えないのだから常に他の選択肢を捨てて何かを行っているし、人生の有限性なんか考えるまでもなくそれは大事な力だ。

しろ変に有限性への意識とか持ってると、選択の心情的なコスト無駄に増やすだけだ。

それに、好きな事と言ったって24時間364日出来る訳ではない。

音楽が好きというなら、常に聴いているはずだ。睡眠中、食事中であっても音楽聴くことは出来る。それをしないなら真剣音楽を愛しているとは言えない。「本当の」音楽好き好きではない。

なんて言うのは極端過ぎる。そういう人インターネットによくいるけど。

どれだけ好きだったり憧れたりしていても、やっぱり地道な練習とか積み重ねは退屈でしんどい

面倒臭さに屈する程度の「好き」が「本物」かどうか、なんてのは神様に聞かないと分からないけど、とにかく面倒臭いものは面倒臭い

死の待ち受ける人生では好きを追求する時間にも限りがあるといくら頭で理解してたって、やる気がなきゃ始まらない。

有限性への焦燥感義務感となり情熱昇華されればいいけど、やっぱりやる気をもたらすのはもっとシンプルにこれが好きだという強い確信や実感なんじゃないかって思う。

面倒臭かったりしんどかったりするけど、それでもその先の純粋な楽しさだったり、もっと新しい可能性に辿り着きたいという好奇心人を動かすんじゃないかと思う。

大谷翔平めっちゃ練習してるらしいし、自分目標も実現してる。そこに人生の有限性への意識があるかどうか、傍目には分からない。

してるかもしれないし、してないかもしれない。無意識にでもそういう感覚ちょっとはあるのかもしれないし、全然まったく、何の意識もしてないかもしれない。

りある中での意義ある人生への義務感だとか、自己顕示欲や憧れで動いてるのかもしれない。ただただ純粋野球が楽しくてああ生きているのかもしれない。そのどれもが混在しているのかもしれない。

ただ明確な事実として、他の魅力的な選択肢にかまけず野球一筋でストイック練習している事だけは分かる。

まあ厳密に言えば我々が知ってる彼の生き方テレビが切り抜いた部分だったり、他人の目を通した情報だったりでしかないけど。野球以外に色々なものを選び取っているのかも知れない。そこはいくら考えても邪推しかならない。

満足な人生を送るのにはやる気とそれを支えるバイタリティ、思い切りの良さは確実に重要な要素だろうし、それさえあれば死なんか想う必要ないんじゃないかって思う。

結局メメント・モリなんて意識はあってもなくてもいい。ダラダラ生きてる人間への喝入れにはなっても、そこから誠実に生きるための道具にまではなってくれない。それどころか、下手すれば心を擦り減らすばっかりのレトリックなんじゃないかって思う。

全部欲しい、と何か一つだけでも心からの満足が欲しい、の間で揺れ動くのは辛い。

大谷翔平はやっぱ凄い。ダヴィンチも傍目にはもっと凄いけど、彼が本当に自分人生に満足していたかは分からない。

友達の作り方、あるいはどうすれば友達と認められるか

友達の作り方がわからない。

アラサーを迎えて振り返ってみると、リアルはもちろんネット世界でも友達と呼べる人が皆無な事に気が付く。

仕事人間関係はあるが、ここには自己を開示できるような関係は無い。

それは自分自身仕事自己ビジネスを切り離してきたのもあるし、同僚もそのように考えている人がほとんどなので、押し売りのような事を避けたいからというのもある。

孤独には耐性がある方だとは思っていて、死ぬまで一人でも耐えられるかなとは思っていた。

しかし、それはそれとしてせっかく生きるなら楽しめた方が良いとは思う。

友達がいれば自分の好きなものを共有できるし、自分の知らない世界を見せてくれることもあるだろうし、それはきっと幸せことなんだろうと思う。

白状すると、わいわいVC繋いでオンラインゲーム楽しんだり、そういうものに憧れがある。それを体験せずに死ぬのもなんだか損な気がしてくる。

こういう問題意識というか、あるいは下心によって、年齢や環境的に既に手遅れかもしれないが友達を作ろうと考えてみる。すると、思考を深めるほどに私には友達の作り方がわからないことが分かる。

結局のところすべての人間関係はギブアンドテイクで成り立つものなんだと思う。

人が友達を作るのは、自分の話したい事柄について1話すと10返ってくるような、そんな知識量があったり、あるいは私もそういうのを期待している通り知らない世界に連れ出してくれるのも嬉しいだろう。

または、ルックスに優れていて関わっているだけで楽しくなったり、趣味に合う創作物があったり……つまり、与えられるものがあるから友人になりたいと思うし、思われるのだろうと。

逆にこれを満たせない人間とは関わりたくないものだろうと。そんなものだと思う。

では自身を顧みるとどうか?私にはいくつか趣味や好きなものがあるが、ミーハー気質で幅は多分あるものの底は浅め。

ただ、それ以上に私の好むコンテンツというのがどれもメジャーではないような、人を選んでしまうようなサブカルばかりなので、多くの人と共有できる話題ほとんど持たない。

何かしら創作を通じて自己表現ができればと苦悩はするものの、将来への不安から金につながる短期的なことばかり、例えば仕事関連の事に時間を割いてしまい、人に見せられるようなものさらさらできずじまい。

本当は金の事に苦心する生き方なんて反吐が出るほどしたくないのに。人と会話するための話題が不足してしまうのも、こういうのが原因なんだろう。

更に内向的性格なのでそもそも人と関わること自体が苦手。それはそれとして寂しさは感じるからめんどくさい人間だと思う。

少し愚痴っぽくなってしまったが、こんな人間なので人に提供できるものなんて無いんだろうと思う。

要するに現代においては私よりもよっぽど時間を割くべき価値ある人々で溢れている。SNSを通じてそういう人々とつながることができる。ゲームだって下手くそよりは上手い人としたいだろう。

なんだったら大抵の場合ChatAIとでも話してたほうがずっと楽しい有意義なんだろうと思う。

実際私自身も仕事の悩みやスキルアップメンターのお願い、あるいはこういう人生の悩みの相談をChatGPTにしてもらうことが多々ある。きっとAIがなければ人に投げかけたはずの話題機械で解消してしまう。

から、人に声をかけるところまで至れない。友達を作るための最初の一歩を踏み出すことが出来ない。

出来ないと分かりきっていることに時間を割くほど私も暇ではないし、恐らくスパム扱いされるようなリプライ他人に投げかけて時間無駄にさせてしまうことも申し訳なくなる。

とはいえ、結局自分自身の悩みの原因は自分自身のギブアンドテイクではない人間関係を想定できない狭い世界観とそれに裏打ちされた行動によって縛られているからなんだろうとは思う。

では、世界のすべての人は世界一の人だったり優れた人間とのみ繋がっていれば良いではないか、ということになるものの、実際にはそうはならない。

世の中には明らかに問題のあるような人ですら多くの友人に恵まれているというのを多々見るので、このような砂漠のような人間観に対する反証はいくらでも思い浮かぶ

きっと世界自分が思ってるほど厳しさに満ちたものではなく、恐らくもう少し優しさを内包しているんじゃないかなと。

今は「友達が欲しい」という、まだ自分の中では深刻でない悩みとして表出しているものの、他人を頼れないから嫌でもお金を優先して生きなきゃいけないと思いこんでいたり、そういう更に切実な問題に繋がっている気がしないでもない。

閑話休題、だからこそ、私にはわからない、ギブアンドテイクではない友達というのはどうしたら作れるのか?きっと存在するはずのその疑問の答えを見つけたい。

そんなものが本当に成立し得るのか全くわからないし、こういう問題AIにも答えられないだろう。でも、これを解決しない限りは私は他人に対して希望を見いだせないと思う。

色々詰め込みすぎてしまって長くなってしまって申し訳ないです。こんな長文をここまで読んでくださった稀有な方で、さらにもしも友達に恵まれている方、あるいは同様の問題を抱えていたもの解決できた人がいれば、この哀れで孤独人間に少しの同情心を持っていただき、その心得を少しでも分けていただきたいです。

カブトムシみたいに

カブトムシみたいに美しくなりたい。

写真には写らない美しさがあるから

 

カブトムシの角や光沢、見た目の力強さと儚さのコントラストは、実際に手に取ってみないと分からないものだ。その美しさは、表面的なものだけではなく、存在のものにあるのだと思う。私はそんな内面から滲み出る美しさを手に入れたいと願っている。(美談

日常生活の中で、私たちはどうしても見た目や表面的な部分に囚われがちだ。スマホカメラに収まる範囲自分評価しがちだが、実際にはそこに写らない部分こそが本当の価値を持つ。人間関係も同じだ。見た目や表面的なやり取りだけでなく、その奥にある感情や思いが重要なのだ。でしょ?

ところで、私は彼氏が正し過ぎて別れたことはありません。

多くの場合、人は自分価値観や考え方が正しいと信じてる。でも、正しさだけで人を惹きつけることはできない。むしろ完璧すぎる正しさは、時として距離を生む原因にもなる。人間らしい弱さや不完全さが、逆に魅力となることもあるから。そう、カブトムシみたいに。(?)

過去恋愛を振り返るとき、私は彼の正しさに圧倒され、息苦しさを感じることがあった。それは、彼が悪いというわけではなく、私がその正しさに対して自分を見失ってしまたからだ。カブトムシのような自然な美しさとは、無理に完璧を目指すのではなく、自分らしくいることにあるのだろう。どや?

日々の中で、自分を偽らず、本当の自分でいることの難しさを感じることもある。それでも、自分自身を大切にし、自分らしく生きることが、最終的には最も美しい生き方だと信じている。写真に写らない美しさを追求すること、それが私の目指すべき道だ。

 

今日も頑張リンダ。

anond:20240601053112

大衆リーチする言葉を虚空から引っ張り出すのがマスコミュニケーションの神髄だから

文化資本かいバズワードを用いながら上京してきた自分に誇り持ってるような奴はマスコミに踊らされた要するにアホだよ

定義通りの(アホ向けに「本当の」と言ってもいいが)文化資本を持ってたら、

「親兄弟との縁を捨てて身一つ上京し、資本家の為に汗水垂らして働き孤独死

地方で親の助力も得つつ結婚子育てをし、いったん偉くなってから必要に応じて適宜東京に行き、コスパ良く楽しむ」

のどっちが文化資本に優れた生き方なのか一瞬で理解できるから

2024-05-31

「ふらっとば~す」を否定するような奴らで溢れたインターネットとか地獄すぎるだろ

単なるROM専集団が回るカウンター数字を通して「ああ、俺は今一人じゃないんだ。この世界の何処かで俺と同じように今このコンテンツアクセスしている誰かがいる。名前も知らない。心持ちもわからない。でも今ここに誰かが確かにいるんだ」と人恋しさを慰めていた頃の、孤独で人付き合いが苦手で、ネットゲームでもパーティーを組みたがらなくて、新作ゲームCO-OP要素が出るとキレ散らかして、そんなどうしようもないボッチでコミュ障で除け者な連中が、コミュニケーションを煩わしいと忌み嫌う者同士での連帯感を得られる空間だった頃のインターネットを俺は愛していたんだ。

でも次々と乗り込んできたウェイの連中がインターネットから静けさを奪い去ってしまった。

コミュニケーションを介することなく人の気配だけを薄っすらと感じることが出来る静かな温かみを感じられるインターネットを地上から消し去ろうとする闇の勢力共め、お前らは自覚のない異常者なんだ。

コミュニケーション禁止メタバースにわざわざ乗り込んでいって、あの手この手荒らし行為をを繰り返してはBANされたことを自慢する。

お前らのやっていることはサービスが始まったばかりのソシャゲでデュープを繰り返しては億万長者を気取り、BANをされれば被害者を気取り、そして誰かの組み上げた世界嘲笑することを生きがいとする陰湿狂人達と同じだ。

というか、きっと全く同じような人種なんだ。

自分のチャチな楽しみのために荒らし行為を繰り返すことが異常だと気付けない。

そのくせしていざ自分が少し痛手を受ければ喚き散らす。

繊細さを拗らせ構って欲しさを不良アピール解決しようとする安っぽいチンピラのような生き方だ。

本当にクソみたいな奴らだよ。

恥を知れ。

どれだけ嫌な事があろうが、満足している瞬間が少しでもあればそれだけで人生肯定出来る。それは自己実現の喜びであってもいいし町中で買える喜びであってもよくて、重みは問題ではない。

そもそも重みなどない。快不快勘定しようとする事自体ナンセンスだ。限界効用だのアドレナリンの分泌量だのと数字を持ち出してお茶を濁した所で、我々が常に瞬間的に感じている快不快とは定性的ものなのだから

こういう風に考えれば、生きることに対して割と無条件に近い状態希望を持てるような気がする。というよりは悲観に屈しないといった方が正確かもしれない。

こうありたいような気もする。安直ヒューマニズムとはまた違うと思う。リアリストを気取っていてその実単にペシミストしかない奴は嫌いだし。おれはニヒリストではあるけれど、ああいう連中はいけ好かない。

ただあんまり無闇矢鱈に人生は素晴らしいと考えるのも、それはそれでなんかなって思う。少しでも引っかかりがあるのなら、そこを無視して人生バンザイと言うのも自分に不誠実な気がする。

やっぱりなんとなく心の中に秤をイメージして、総体的に納得ある人生を送れているかを気にしてしまう。

自分の望む生き方を出来てる人はこういう考えでも別に問題無いんだろうけど、そうでなきゃ辛い。

辛さをバネに、とかそういう気にもあんまならんし。

不快気持ち特別意味見出したり、道具として支配してやろうってのもなんかなあって思う。嫌なことをただただ嫌なだなあと受け止めるのも大事に思えてならない。 まあ嫌なことは嫌だし、大して楽しくもないのに面倒臭さだったり不快さだったりを抑えながら生活に追われるくらいだったら死んだ方がマシだろ……

みたいな考えが頭の中をぐるぐるぐるぐる回ってる。

結婚でもするなりして他人への奉仕に生きよう、なんてのはありがちだけど、それを実践してる人が果たして幸せそうかというと微妙なところはある。他人な上に立場も違えばもちろん視点のものが違うし、そういう人らの人生のほんの一部しか見てないから何とも言えんのだけど。

anond:20240531095923

ごめんな、今は平社員だけど一流大学通ってたか文化資本受けてたんだわ

嫌味になるから言わなかっただけで

英語の本も好きだから五十冊くらい洋書屋で買って読んだり、都立多摩図書館でお硬い洋雑誌片っ端から読み漁って知的生き方してた


資格教養必要な界隈に入れない底辺コンプレックス刺激しちゃってほんとにごめんな

努力もしないし人を殴りたいだけの田舎のド底辺が読む事を想定してなかったからさ

ほんとに悪かったな

2024-05-30

anond:20240530223415

生き方が悪かった自覚があるのに改めようとしないその性根から腐臭が漂ってるんだろう

そんな直接的なこと言うなよ。知ってるんだよそんなことは。俺が悪いっていうことぐらい。

ただこの年齢になってまで派遣しているようなダメ人間は、好奇心を持つことができないのよ。

もうプラスの方向に何も心が動かない。ただただ悔しさや、惨めさしか感じられないんだよ。

ガンダムも一ミリも興味ない。

Vガンダムっていうアニメに昔好きだったアーティスト楽曲提供しているから、それきっかけでサントラ買った思い出だけある

よかったら聞いてくれよな

https://youtu.be/X_1Bs-ntkdk?si=euH4txs0cms6Zuvq

anond:20240530221548

生き方が悪かった自覚があるのに改めようとしないその性根から腐臭が漂ってるんだろう

いじけてもお前の人生は一切好転しないぞ

人生を楽しむコツは志と好奇心とやってる感だ

糞みたいな言い訳してる暇があったらまずは好奇心を持ってみろ

ガンダムたことないなら見てみろよ

anond:20240530220614

そうだろ。

から誰も俺と口を聞かないし、社内でも派遣から浮いている。そして発狂しているオーラでまた浮きに浮いている。

そんなやつが、30代から友人や恋人を作ろうとしても、できるわけがねえんだよ

これまでの生き方が悪いんだから

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