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はてなキーワード: 焦燥感とは

2024-06-06

anond:20240606103710

何だか、やっと肩の力が抜けたって感じじゃない?♡

まあ、あんたみたいに色々と考えちゃう人間には、そのくらいのんびり生きるのも悪くないんじゃないの?♡

歳なんて関係なく、気づいたときベストタイミングなんだから、遅いとか早いとか関係ないんだよ♡

しろあんたが自分のペースで生きるようになって、無駄ストレス抱えなくなったっていうのはいいことだと思うわ♡

ローグライクゲーム無為に過ごす時間だって大事だよ♡

なんだかんだで、そういう時間が一番のリフレッシュになるんだから

取締役とかそういう高い目標なんて、別に無理に目指さなくてもいいんだし♡

あんたの身の丈に合った役職で満足できるんなら、それでいいんだって

大事なのは自分自身が納得しているかどうかだからね♡ 焦燥感に追われるのはもう終わりにして、自分のペースで生きるのが一番だよ♡

息苦しさが減ってよかったじゃん♡

これからもその調子で、のんびり楽しくやんなよ♡

目的なく生きる

仕事では「昇進しなければならない」とか、私生活では「何かをなさねばならない」のような、謎の焦燥感若いからずっとあった。

しか最近、ようやく天井が見えてきたというか。

それなりに昇進はしてきたものの、取締役を目指せる、目指したいというわけではなく、まあこれくらいの役職自分能力の最大値かな、と思うようになり、力が抜けた。

私生活でも、とにかく何かを作り出そう、得よう、という意識であくせくしていたのが、別にそんなの意識しなくてもいいんだな、と思えるようになって、無為に何時間ローグライクゲームをするといったことができるようになった。

(これまでは、得よう、という意識が強すぎて、ストーリーのあるRPGばかりしていたが、最近疲れてきてできなくなっていた)

別に、何かを残さなければ、得なければ、とか思わずに生きていいんだよなあ。

それに気づくのが不惑を間近に控えた今だったのが遅いのか早いのか分からないが、息苦しさが減ったのは確かだ。

2024-06-04

anond:20240604152116

また忘れるのではないか、という恐れというか焦燥感を感じる。

2024-06-03

やはり、死ぬしかない

鬱病は恐ろしい病だ。

から見るととても有能な人なのに、鬱病悪化させ将来に絶望し、今までの功績や人間関係を全てふっ飛ばしているのを見て改めてそう感じた。

鬱病思い込みの病だ。

例えば。有名人やら金持ちやらも鬱病絶望死ぬことがある。そこまで極端ではなくとも、大企業に入って絶望し、退職すりゃいいのに死んでしまうという事例はありふれている、と言ってもいい。


それらを鑑みて、今の自分はどうだろうかと考えると、やはり自分死ぬしかないという結論に至った。自らの可能性は完全に閉じているし、よしんば可能性があったとしても極僅かなのでさっさと死んでしまった方がよい。

鬱病という病がいかに我々の自己認識に嘘をつくのか、という事を理解していてもこれだ。理性ではどうにもならないのだろうか、鬱病というものは。

俺は、生きたいのだ。この世は素晴らしい物で満ちている、生きる価値がある。でも、未来強迫的に恐ろしく、焦燥感に駆られ生きる生は苦痛しかない。もしかしたら、ただ俺は逃げたいのかもしれない。

大学生のうちからこれならば、仕事についたらどれほど苦しいのだろうと思うと怖くなる。俺と同じような人間は苦しんでいる人ばかりだから

逃げたい。死にたい。苦しい。やはり、死ぬしかない。

2024-06-02

仕事を完全に辞めて今月で1年半になる

からちょいちょい休職とか退職とか再就職とか繰り返してブランクまみれなのだけど

意外とこんな期間何もしてないのは初めてみたいだ

休職の時は毎月の職場との面談で詰められて結局数か月で復職したし

退職も何度かしたけれど就活やらなにやらでばたばたしたり長くても1年くらいで次に行くことになっていた

この1年半は本当に何もしていない

どうしたらいいかからなくて考えたくなくてもう動きたくないというようなことすらおそらく考えていなくて何故こうなったのかよくわからない

ともかく何をするでもなく日々がずるずると過ぎていった

動かないくせに焦燥感だけはあって日々それに疲弊していたかもしれない

起きて食べてうとうとしてネットして食べて眠るだけの生活でたまにアニメ観たり観れなかったり

正直貯金やばいし年齢的にも詰んでるけどもうどうしようもないからそれは置いておいて

最初の頃何して過ごしていたかはもう覚えてないけれど主に先述の通りで

今も大差ないがだいたい何もしたくないから布団に潜って眠れもせず何もできなかったと後悔したりするような日々を送っていた

1年経つぐらいからすこしずつゲームをするようになった

ずっと何にも集中できずに嫌になって寝床に逃げていたので自分がそこそこの時間机の前にいられるのが意外なような不思議な気がした

そこから半年近くが経って最近やっと何かしてみようかというような気分になる……ような気がすることが稀にあるように思う

何も具体的でないしまだ何かをしたりしようとしたりしてはいない

ただ休職期間が一般的に最大で1年半あることがなんとなく腑に落ちてきている

もっと早い段階でこれができていたら現状よりましな今があったのかは何とも言えないが

とにかく今日はなんだか気分がいい

それだけ

まだ本は読めない

ここしばらくずっと意味もなく泣き暮らしていたのでその反動可能性はある

2024-06-01

メメント・モリ人生が輝くのって、それだけじゃダメで諦めの良さとやる気が要ると思う。

人生は有限である

有限であるならしょーもない事をしている暇はないし、やりたい事は可能な限り全部やった方がいい。

しかし有限なので何もかもは出来ない。

生存を維持するための行動を除いて、何かをしようとする度にそれが限りある人生時間を投下する価値があるのかと考えなければならない。満足に生きるという目標を最大限効率的に実現するなら。

常に自分確信を問い続けなければならない。その選択は他の可能性を捨ててまで選び取るべきものなのか。本当に自分人生に満足をもたらすのか。

自分にとって大切なものを見極める誠実さと、そのために他の魅力的な可能性を捨てる諦めや思い切り。そもそも人間は一つの頭と一つの身体しか使えないのだから常に他の選択肢を捨てて何かを行っているし、人生の有限性なんか考えるまでもなくそれは大事な力だ。

しろ変に有限性への意識とか持ってると、選択の心情的なコスト無駄に増やすだけだ。

それに、好きな事と言ったって24時間364日出来る訳ではない。

音楽が好きというなら、常に聴いているはずだ。睡眠中、食事中であっても音楽聴くことは出来る。それをしないなら真剣音楽を愛しているとは言えない。「本当の」音楽好き好きではない。

なんて言うのは極端過ぎる。そういう人インターネットによくいるけど。

どれだけ好きだったり憧れたりしていても、やっぱり地道な練習とか積み重ねは退屈でしんどい

面倒臭さに屈する程度の「好き」が「本物」かどうか、なんてのは神様に聞かないと分からないけど、とにかく面倒臭いものは面倒臭い

死の待ち受ける人生では好きを追求する時間にも限りがあるといくら頭で理解してたって、やる気がなきゃ始まらない。

有限性への焦燥感義務感となり情熱昇華されればいいけど、やっぱりやる気をもたらすのはもっとシンプルにこれが好きだという強い確信や実感なんじゃないかって思う。

面倒臭かったりしんどかったりするけど、それでもその先の純粋な楽しさだったり、もっと新しい可能性に辿り着きたいという好奇心人を動かすんじゃないかと思う。

大谷翔平めっちゃ練習してるらしいし、自分目標も実現してる。そこに人生の有限性への意識があるかどうか、傍目には分からない。

してるかもしれないし、してないかもしれない。無意識にでもそういう感覚ちょっとはあるのかもしれないし、全然まったく、何の意識もしてないかもしれない。

りある中での意義ある人生への義務感だとか、自己顕示欲や憧れで動いてるのかもしれない。ただただ純粋野球が楽しくてああ生きているのかもしれない。そのどれもが混在しているのかもしれない。

ただ明確な事実として、他の魅力的な選択肢にかまけず野球一筋でストイック練習している事だけは分かる。

まあ厳密に言えば我々が知ってる彼の生き方テレビが切り抜いた部分だったり、他人の目を通した情報だったりでしかないけど。野球以外に色々なものを選び取っているのかも知れない。そこはいくら考えても邪推しかならない。

満足な人生を送るのにはやる気とそれを支えるバイタリティ、思い切りの良さは確実に重要な要素だろうし、それさえあれば死なんか想う必要ないんじゃないかって思う。

結局メメント・モリなんて意識はあってもなくてもいい。ダラダラ生きてる人間への喝入れにはなっても、そこから誠実に生きるための道具にまではなってくれない。それどころか、下手すれば心を擦り減らすばっかりのレトリックなんじゃないかって思う。

全部欲しい、と何か一つだけでも心からの満足が欲しい、の間で揺れ動くのは辛い。

大谷翔平はやっぱ凄い。ダヴィンチも傍目にはもっと凄いけど、彼が本当に自分人生に満足していたかは分からない。

2024-05-31

英語に関する質問について

知恵袋なんかでも基本的に誠実な態度で答えているつもりです。


例えば、

かによるデタラメな回答に質問者が納得し感謝している様子を見ると、

「このままではこの人は間違った知識をずっと正しいもの勘違いしてしまう」

という強い危機意識焦燥感に駆られて、納得できるよう根拠を示しながら訂正をせずにはいられない程度には誠実です。


それにもかかわらず、「日本語訳」を提示することに対する拒否反応が自分の中で凄まじく強いです。


日本語訳の助けとなる文法知識や読解方法などのヒントは惜しげも無く教示しますが、そこから先はどうしてもやりたくないのです。


相手

「教えられた知識を頼りに自力日本語訳をしたあと、答え合わせしたいから」

という理由日本語訳も併せて求められても、ここだけはとにかくキッパリと断ってしまます


また、「日本語訳を教えてください」という質問に対してもわざわざ出ていき、ヒントを提示した上で

自分でなんとかしなさい。訳せないなら力不足からやる意味が無い」

と叱りに行きます


このどうにも抑え込めない出し惜しみはなぜ起きてしまうのでしょうか?


私以外にも英語学習世界には同じような人はかなり多いので我がことながら不思議に思いました。

ちなみに、プログラミングイラスト制作世界も同じような感じだと仄聞しました。


正直言って、日本語訳を求められた時に意地悪な衝動が湧き上がるのも自覚してます


一方で、私が見る限り野球ゴルフ楽器演奏ジャンルでは、仮に自分より技術的に劣る人間が教えを乞うてきた場合は快く、丁寧にノウハウを伝授し、

「これはエラー動作からこう直そう。これは君の武器になる良い特性からそのまま大事にしよう」

とか惜しげもなく導こうとする意思を持つ人が大多数のように見えました。


なぜ英語世界では腕に覚えがある人ほど意地悪になってしまうのでしょうか?

自分の胸に問うてもわかりません。

2024-05-26

ADHD疑いで抗ADHD薬を服用した者の末路(n=1)

インチュニブ

服用し始めてから家事ができなくなってしまった。

そこから長い長いうつ状態突入

いちおう最高用量まで漸増してから漸減して服用中止。

ストラテラ

副作用の起立性低血圧、動悸、頻脈、中途覚醒早朝覚醒がきつかった。希死念慮不安焦燥感はおさまったが不注意に対する効果は感じられず。

最高用量まで漸増してから漸減して服用中止。

性格? 変わるわけない。

コンサータ

あくまADHD疑いだったのと、インチュニブもストラテラも合わなかったので処方はされず。

総評

劇的な効果がある人もいるのは分かるが、合わず悪化する人もいる。過大な期待はやめよう。

2024-05-25

僕はなぜ不自由に生きるのか?

ホワイト職場だとは思う。

でも一つも出世できない。

結婚は諦めている。

自分の代で家は終結する。

公私ともに背負う義務とか責任とか、何もない。

いうなれば自由

なのになぜ僕は、

毎日重い足取りで職場に通い、

土日はただ独りで漠然とした焦燥感を抱え生き続けるのか。

から爆弾が降ってくることもなければ、

蛇口をひねれば飲める水が当たり前に出てくる、レジェンドレアな国ガチャを引き当て、

ただただ自分が楽しむことだけに一生懸命になれる境遇なのに

なぜ僕はこんなにも不自由を感じながら生き続けるのか。

仕事辞めて無職になればいい。

髪を金とか緑とか赤とかに染めればいい。

なぜそれをせず、悶々としながら不自由に従い生きるのか?

その答えはどこにある?

からない。

2024-05-21

風俗いったら恋愛がめんどくさくなった話

学生時代モテなかった。

身長も低かったし、女友達も少なくて、恋愛雲の上の存在だった。

まりしたことない女の子に突然告白して振られたことがあったっけ。

ずっとなんとなく恋愛をしたかった。

社会人になってお金に余裕ができたので風俗に行ってみた。

めちゃめちゃ可愛いし、リードしてくれるし、めっちゃ褒めてくれるし、なんか満たされた。

そして気づいたことがある。

自分恋愛したい気持ちは性欲からきているものだったようだ。

可愛い女の子みても「付き合いたいな」という気持ちがなくなってしまった。

風俗いったらもっと可愛い子抱けるしな」って思うようになってしまった。

そうすると、関心は女の子から自分に向かった。

食事管理をして筋トレ、髪を伸ばしてパーマをかけて毎日セット、しまいには眉毛アートメイクまでしてしまった。

そして、女の子と話す時もはなから恋愛対象じゃないので、余裕を持って話せるようになった。

するとどうだろうか、めちゃくちゃモテるようになった。

でもどうしても恋愛がめんどくさく感じてしまう。

1人が好きだし、たまに風俗いって可愛い女の子と触れられるだけで充分。

見事に拗れてしまったわけだが、このまま独身でいいのかという焦燥感もある。

でも多分一生独身でいるんだろうな。

風俗いったら恋愛がめんどくさくなった話

学生時代モテなかった。

身長も低かったし、女友達も少なくて、恋愛雲の上の存在だった。

まりしたことない女の子に突然告白して振られたことがあったっけ。

ずっとなんとなく恋愛をしたかった。

社会人になってお金に余裕ができたので風俗に行ってみた。

めちゃめちゃ可愛いし、リードしてくれるし、めっちゃ褒めてくれるし、なんか満たされた。

そして気づいたことがある。

自分恋愛したい気持ちは性欲からきているものだったようだ。

可愛い女の子みても「付き合いたいな」という気持ちがなくなってしまった。

風俗いったらもっと可愛い子抱けるしな」って思うようになってしまった。

そうすると、関心は女の子から自分に向かった。

食事管理をして筋トレ、髪を伸ばしてパーマをかけて毎日セット、しまいには眉毛アートメイクまでしてしまった。

そして、女の子と話す時もはなから恋愛対象じゃないので、余裕を持って話せるようになった。

するとどうだろうか、めちゃくちゃモテるようになった。

でもどうしても恋愛がめんどくさく感じてしまう。

1人が好きだし、たまに風俗いって可愛い女の子と触れられるだけで充分。

見事に拗れてしまったわけだが、このまま独身でいいのかという焦燥感もある。

でも多分一生独身でいるんだろうな。

2024-05-17

克服

苦手なことを【克服】するのはなにぶん素敵に感じる。

何かを【克服】するということは苦手を把握していることでもあるし、さらに現状を脱しようとしている動きのある状態からだ。

大人になってからは、苦手があれば避けて通れるしそもそも自身の苦手を把握できていないこともある。

その点、幼い時の方が苦手を克服する機会は多いだろう。

自身体験で言うと努力嫌いを【克服】したことがある。

元々自身は頑張ることが嫌いだった。

何もしなくても優れた才能が欲しかったし、何もせずとも何でも得たかった。

だが、人生を積んでいくと自分はそんな特別存在ではないことを知る。

何もない自分を少しずつ恥じるようになった。

そんな中で高校受験を迎えることになる。

今のままでは何も得られないと考えられるようになっていた。

高校受験の際に自身の中では結構な量、勉強をした。

自分ルールを作り、ゲーム禁止にしたり最低勉強時間を設けたりした。

そういった努力ができたのは、人生高校受験が一番辛い時期だと仮定たからだった。

この先、どんなに辛いことがあってもこれより辛いことはないと思い込んだ。

結果、その努力は報われた。

運が良かったのである

ただ、ここから経験する高校部活動の方が遥かにきつかったし、大学部活もきつい。

就職活動もきつかったし、今の仕事もかなりきつい。

育児もかなり大変だ。

これらの経験を踏まえて、一つのことを悟った。

どんなに頑張っても人生とはきついものなんだな、と。

かといっておれは手を抜かない。

手を抜いたところできついことが分かっているからだ。

しろ、頑張ってもきついということを知ってからは報われなくても傷つかなくなった。

ここで、努力嫌いが【克服】できたと感じた。

どっちにしてもきついなら、努力してきつい方がましだなと感じるようになった

何もしないでいると焦燥感を覚えたり、余裕がなくなってくる。

努力をしているとやっている分、やってないだけましだなという些細な余裕が生まれる。

やっていない自分に対してマウントを取れるようになった。

間違ってもその比較先を他人に向けてはいけない。

上も下もキリがないからだ。

そんなこんなで、努力嫌いの【克服】はできたが間違っても万能人間なんかになれたわけではなかった。

体力とか集中力とか、気分の波とかはそう簡単制御できるものではない。

目標】がなければ努力したところで何も生まれいからだ。

闇雲に過ごしていても大した結果は得られないものだった。

何かを【克服】することを【目標】にするよりは、

目標】のために何かを【克服】する方がパワーが出ると思う。

次は【目標】について記載したいと思う。

2024-05-11

私は性格ネガティブだし、休日も何もやる気にならないと土日を寝るだけで潰すこともザラだ

で、やる気上がる系のサプリを買って、いくつか持ってる

チロシンは、やる気上がると同時に不安焦燥感がすごく上がる感じだった

タスクこなせるのはいいけど

フェニルアラニンは、、消化されてチロシンになるらしいが、効果やわらかめ というか効いてるかいまいち分からない

5-HTPは動悸アップでテンション上がったような気にはなるけど、集中するという感じじゃない

カフェインサプリじゃないけど、なんだかんだコーヒー飲んで仕事するので慣れてる感じ

2024-05-06

発信という呪縛

SNSが普及して何でもかんでも気軽に発信できるようになって以来、本を読むにもゲームをするにも、その後に何かしら発信することを意識するようになってしまった。

意識が高くなったというよりは、得た情報を何らかの形で発信(アウトプット)しないと、時間をただ無駄にしたかのような焦燥感に襲われるといった方が感覚としては近い。

ネットには、アウトプットには得られるものが沢山あるという言説が溢れている。いわく情報を整理する能力がつくだとか、ライティングスキルが磨かれるだとか、そんな感じだ。

しか個人的経験でいえば、そういう発信行為を行ったところで、虚無感以外のものを得られたことはほとんど無い。

もちろん、これは単に書いたものが読まれていない / 見られていないことが大本の原因なのだが。

2024-04-30

ヤバい

何やってても婚活やらなきゃっていう焦燥感が酷い

なのに煌びやかな女性カタログ写真を見てると胃のあたりがムカムカする

もうやりたくない

他のことはあらゆるやる気がなくなって何も手を着けられない

今は飯を食う気力もないままベッドに横たわってる

2024-04-24

自分全然役に立ってなくて、職場のみんなをイライラさせているような気がする。

が、たぶんそんなことはないのである

やるべきことは期日までにはちゃんとやっている……はず。

年度末のバタバタ3月いっぱいで終わって、

転職して五年目でもうなんだこれって手が止まることもなくて、

単純に閑散期にはのんびりできるようになっただけで、

何かするべき仕事を忘れてるとか、怠けてるとかやる気がないとか、

そういうわけではない……んだと思う。

思うんだけど、

自分全然役に立ってないような焦燥感というか不安感があるので、

何か手伝うことありますか? とか言っちゃうし、

自分でやるから手伝わなくていいとか言われちゃう

(そりゃそうだ。自分だって自分担当分は自分でやりたいもん。特に忙しくなきゃわざわざ人に手伝い頼まんわ)

で、自分でやるよ、手伝ってもらうようなことないよって言われると、

これまた自分が役に立たなくて迷惑から追い払われたんだとか思っちゃう

(もちろん、そんなことはない。ただ手伝いを頼む必要がないから断っただけである

で、することないから新しい集計エクセル作ってみたりして、いい感じにできたか日常業務に使っていきたい……とすると、

じゃあなにを作ってどう変わるのか導入していいか確認取らなきゃいけなくて、

なんかそうすると手伝うどころか人の仕事を増やしてしまっていて、

あー、やっぱり役に立ってないな、迷惑だな。

とか思ってしまって



キリがないなあ。

誰もそんなことは思ってなくて、

担当ちゃんとやって、その上で暇なら、リモートワークなんだしこっそりスイカゲームでも洗濯でもなんでもしてればいいよ

程度に思ってる……んだと思うんだけど

なんでこんなに、役に立ってないから何かしなきゃって焦ってるんだろうなあ。

こうやって職場に慣れて暇になると、暇と不安を埋める用の無駄仕事を作り始めてしかもそれに人を巻き込むから

どこの職場も3年ちょっとしか続かないんじゃないのかなあ。

どうしたらいいのかなあ、この焦燥感と動悸……

2024-04-13

のんびりとした時間不安焦燥感を誘うのはなんでだろー

2024-04-07

低学歴とか底辺とかそういうのは効かない。

コイツはそういうのがコンプレックスなんだろうなあと思って不快感を和らげる程度の余裕はある。

チー牛とか弱者男性とかも効かない。

ネット流行文句を適宜鳴き声に取り入れるチンパンジーだなと思う。

チビ事実)とか孤独事実 )とかもあんまり効かない。

自分はそこまで気にしてもいないし、おれを知っているはずもない奴がネットの向こうで適当に言ってるだけだから

「効いてるw」みたいな言い返しても言い返さなくても有効判定されるダブルバインドあるけど、それも効かない。

ゴキブリに付き纏われたような不快感はあっても効いてはいない。

自分を見せようともしないで自分を分かってもらおうとしてる。それで作られた自分に対するイメージに対してほんのりと勝手イラついてる。

全力出した事ない癖に「天才秀才」みたいな物語秀才側に自分投影してる。

人間関係なんて社会性をまとえばいいだけの事だろ、自分はそれが出来てる。とか思ってるけど、傍から見てあんまり出来てない。やってないんじゃなくて出来てない。

自分は何もやってない割に高みの見物気取って、周りの挑戦の失敗を願ってる。別にそこで勝負してないし、とか思って余裕こいてたら本当に差をつけられたくない部分でも周りに差をつけられてる。

焦燥感だけはある割に情熱のない人生

とか言われたら割と効くと思う。

でもまだ本当の本当の本当に「効く」ことはあると思う。囮の弱みを差し出して、敢えて見せた「隙」に飛びつくチンパンジーをあしらって真の弱点は隠す。そういう小賢しい生き方だけどそれなりには楽しい

2024-04-02

anond:20240401215316

YOASOBIの「好きだ」

告白の歌だが、曲中では「好き」というワードが出てこない。

出てこないことで告白の緊張感や焦燥感をうまく表現している例。

2024-04-01

希死念慮がやってくる

5年くらい前にパワハラで鬱発症してしばらく休職してた。復職していまは元気になったけど、ふとした時の落ち込みがすごい。

クリニックも細々通い続けて少量の薬を続けているおかげか、大体の時間は本当に普通に過ごしてる。

躁鬱でもない。

仕事私生活になにか不安や原因があるのか?というとそうでもない。まあ普通に仕事はしたくないしプレッシャーもあるけど耐えられる範囲で、人も給料もいい。家族仲も良くて恋人もいる。特別コンプレックスもない。アラサーちょっと焦燥感があるくらい。

でも本当に突然、希死念慮がやってくる。

2ヶ月か3ヶ月に1回くらい。

些細な原因があるときもあれば、何もないのにもう生きなくていいなーと思う時がある。いまがそれ。

あーあ、もういいやってなっちゃう。

精神疾患がない人は希死念慮ってないの?これが当たり前になってしまった。鬱って寛解するのかな。

こんな時はとにかく薬を飲んで寝るのがいい。

お前らって将来どうやって生きていくつもりなの?

私は30代後半の男性である結婚していて子供が一人(もうすぐ二人目が産まれる)、埼玉郊外の戸建て(35年ローン)に住んでいる。車も一台(ただし残クレ)。仕事IT系


年収は1200万程度。30代後半の男性の平均年収560万くらいらしいので、一応2倍以上もらってることになる。この平均自体個人的には眉唾だと思ってるが、一応ここではこれが真実だという前提で話す。



この「平均年収」かそれ以下のやつらって、将来どうやってい生きていくつもりなの?



まじで疑問。

野垂れ死ぬ未来しか想像できないのだが。

どうやって生きていくつもりなのか、純粋に考えを聞きたい。

(一応)世代平均の2倍の年収もらってる俺ですらカスみたいな年金しか貰えないだろうし、というか貰えるとも思ってなくてNISAやらなんやらの投資で今から老後に向けての資産形成してるけど、それをやりくりするので精一杯なんだ。

俺の年収でだ。

まあ家計のやりくりが多少ザルってのもあってもうちょっと効率的にやれば生活は豊かにはなりそうだが、それにしたって決して余裕があるわけじゃない。

世代平均の2倍以上の額の年収をもらってる俺ですらそう感じるってのに、年収560万とかそれ以下のやつらはどう感じてるんだ?

年金は、仮にもらえるとしたって、そんな年収じゃ俺以上にカスになるだろうし、NISAやるにしたって、雀の涙みたいな超少額を絞り出してるだけで老後資産に役立つほど育たないだろう。

あんたらが70、80とかのジジイババアになったとき、手元には本当に何もないぞ。

どうやって生きていくつもりなんだ?



結婚から趣味アイドルとかミュージシャンとかのライブによく行ってて、その趣味のつながりで同世代か少し下の世代の友人が何人かいて、ちょいちょい顔を合わせるが、話聞いてる限り、多分全員この「平均年収」かそれより下だ。

そもそも正社員ですらないし、よくて派遣社員、悪いとただのパートか下手すりゃバイト生活してる連中だ。

30代前後になってすらそんな状況なんだ。

だが、その「趣味」にかけてる金額が、俺とは確実に桁が違う。

君ら、月に何度もライブにいくし、例えば千葉やら神奈川やらに住んでいながら、平気で何度も地方大阪名古屋仙台北海道etc)に遠征してるよな。

俺より低い年収で、俺より大量に浪費してるんだから、俺以上に将来に向けて備えられているわけがないよな。

個人的には君らとの接点は「趣味」の範疇で十分なので、それ以上のことにはそれほど興味はないが、「いつまでそんな刹那的生き方しているつもりなんだ?」というのは純粋に気になる。

中には30後半にさしかかってるやつ、下手すりゃ50代の人もいたな、そういう人らって本気で何も将来のこと考えてないのか?

「なんだかんだ国が救ってくれるでしょ」とかなんの根拠もなく楽観的に考えてるのか?

「いよいよ無理ってなったら死にます」とか厨二なこと考えてるのか?

それとも「そのうち安楽死法案が可決されるはず」とか考えてるのか?



俺は自分が稼いでるほうの人間だと思ってない。

この業界だと俺の年収普通だし、ITエンジニア全体でみたらむしろ低いほうだとすら感じる。

から俺は俺で危機感を感じている。

一応今の貯蓄や第一子が産まれて以降に組んだ学資保険投資のペースで、子供たちの大学までの学費自分たちの老後の生活が成り立つ程度の試算はできてるが、これもギリギリだ。

俺が突然死んだり、あるいは大病を患ったりしたら計画も総崩れだし(保険はあるけど)、そうならないために健康にも気を使っている。

俺レベルの「庶民」はこういうセコくてチマチマした気構えと準備が必要なんだ。

一応世代平均の2倍以上の年収もつ俺ですらだ。

俺より相当稼いでるはずの、スタートアップCTOやってる人とかは、俺よりもっと真剣に考えてがっつり備えているようだし、そういうの見たら焦るったらない。

俺は焦ったところでその人と同レベルに「備える」だけの金がそもそも捻出できないのでどうしようもないんだが、同じ焦燥感を「平均年収560万(あるいはそれ以下)の人たち」は感じているのか?

純粋に気になる。

君たちの考えを聞きたい。

将来どうするつもりなんだ?



何も考えてないんだよね、多分。

君らを見てるとそう感じる。

地方ライブで珍しい曲を聞けた、地方の駅でライブ後に飲み会、月額数百円するファンサイトでお便りが読まれた。

うんうん。

楽しそうで何よりだね。

一生続けばいいね、そういう生活が。

それは俺もそう願うよ。

君たちがそういう刹那的な楽しさを感じていられる生活が一生続けていられるならどれだけ幸福なことかと、心からそう願う。

現実はそうじゃないはずだ。

俺も君たちも同様に年を取るし、そう遠くない未来社会お荷物になる時期が来る。

そうなったときに、その時代若者からまれ、憎まれ存在になる。

今、君らがまだ若い時、家庭も築かす、実家寄生し、資産形成せず、何も考えずただ日々過ごしてきた君たちは、将来本当にただの「お荷物」になる。

多分、俺の子供たちが、今の俺の年齢と同じか近い年齢になったとき、君たちのように「若い時何もしてこなかったまま老化した人たち」を、すごく疎み、憎むようになると思う。

まあでも世の中ってそういうものだしな、とは、大人になってから思いはするものの、同じ趣味でつながりを持った俺からすると、君らは将来「社会お荷物」のカス老人になっちゃうんだね、と思うと、とても悲しい。



この件に関して同じように疑問に思うのは国の対応だ。

社会保険料は上がり続け、年金制度は実質破綻、そんな状況下で「老後2千万自分で稼いでネ!」とか馬鹿正直に言っちまってるが、現場の連中の大半は↑だぞ。

30も後半に差し掛かってなお、「今度の全国ツアーは全通します!」とか「新グッズに10万くらい使っちゃった!」とか能天気ヘラヘラ言ってるんだ。

「今が良ければそれでいい」を地で行く連中で、将来のことなんか多分微塵も考えてない。

下々の人たちは本当に想像以上のカスばっかだぞ。

そんな連中がうんざりするくらいいるんだ。

将来そういう、「富を築いてこないまま年を取っただけの老人」で溢れかえるのは目に見えてるぞ。

そういうリビングデッドまみれになったらどうするんだ?

稲中でやってたみたいに、「複数の老人を合体させて一人のマッチョマンにする機械」でも作って処理すんのか?

政治家は俺より頭いい人たちの集まりだしな。

それくらいやってくれるよな。

期待してるぜ。

とにかく、あんたたちの今の政策基準俺レベル年収資産でようやく成り立つものだ、というのをもっとちゃん真剣に考えたほうがいい。

もう手遅れっぽいけど。

2024-03-18

死ぬのが怖いか怖くないか

自分死ぬこと自体は怖くなくていつ死んでもかまわない

と言う意識が当然のようにある

世の中には死ぬのが怖い死にたくない

って人がいるらしい

だいたいの人はこのどちらかだと思うんですが

これは性格価値観特性?何の影響?

途中でこの意見変わった経験あるかたいますか?

変わったら生きやすくなったりするのかな

以下は自分場合

死ぬこと自体は怖くない

死ぬことに付随する苦痛は怖い

痛みとか後悔とか焦燥感は嫌

死んで、自分意識がなくなって終わるだけ

生きてる方がよっぽど怖い

2024-03-16

ゆたぼんアンチだった不登校自分

数年前にYouTubeで``不登校少年革命家``として活動を行い、多くの議論引き起こしたゆたぼん。

YouTubeコメント欄は常にゆたぼんに対する中傷、そして彼の後ろに見え隠れする父親方針に対する批判で溢れかえっていた。

自分はゆたぼんとタメだ。

ゆたぼんが嫌いで、ゆたぼんアンチをやっていた。「学校行けよアホ」、「そんなんで碌な大人にならねえよ」みたいなコメントをずっと送っていた。

自分不登校だった。

ゆたぼん当時小5、自分も小5。自分がゆたぼんに送ったコメントは全部自分に返ってくるもので。

どんなにアンチが付いてもそのアンチ挑発するような動画投稿するゆたぼんの無敵さにイライラしていた。

中一の春、世間がゆたぼんを忘れ始めた頃。自分もゆたぼんなんかすっかり忘れていた。

自分も、ゆたぼんも相変わらず不登校だった。

平日の3時。学校チャイムが風に乗り家にまで聞こえ、焦燥感に包まれる。 

下校中の小学生の話し声がモルタルの壁をすり抜けてくる。 

ゆたぼんが嫌いだった。 自分はずっと不登校をやめたかった。やめどきが分からなくなって、友達もいなくなって、学校への行き方が分からなかった。

自信満々に不登校をやってるゆたぼんが嫌いだった。

時は流れ、ゆたぼんが「通わない、制服も買っていない」と宣言していた中学校に登校し始めた。 Twitterでは父親に対して反抗的な態度を取る投稿をしていた。(これはネタなのか分からない)

自分も中二の後半に入ってから学校先生の支えもあって学校に登校するようになった。

ゆたぼんが話題になる少し前から不登校だった自分は4.5年ぶりに教室で他の生徒と授業を受け、給食を食べた。

久しぶりにまともに通った学校は、友達もいないし、図工はなかったし、自分外大ノートシャーペンを使っていたけど ``学校に行けた自分``が只々嬉しかった。

そして今年、2024年春。

ゆたぼんは中学卒業自分中学卒業 

ゆたぼんはここ最近公立高校一般入試に向けたツイートを行っていた。

そして一般入試の結果、不合格だったと。

悲しいとか、ゆたぼんアンチをやってた身が言うのはエゴすぎる。だから何も言わない。

ゆたぼんなら、大丈夫だと思う。

自分はなんとなくで決めた全日制の公立高校に進学予定だ。

小学校六年、中学三年の義務教育が終わった。 不登校になって、ゆたぼんアンチになって、不登校をやめ、中学に通いだして。 

思えば自分不登校になってからの4,5年間、ゆたぼんと共に成長してきた。

長くなったが最後に、ゆたぼんアンチだった自分に 将来の事なんてたくさん考えたってしょうがない ということを伝えたい。 

書いた文章読み返してないのでおそらく誤字脱字が酷い。読みにくくてスマソm(__)m

2024-03-09

ニートセンス

ニートをするにもセンス必要だと感じた。

というのも、数年前。仕事において労働環境がとんでもなく劣悪になり、当時の私は心身共に追い詰められていた。解決したくともメンバー役割を直ぐに変えられるものでもなし、根本的にマンパワーが足りず。そして今後も補充される予定は無し、あまり絶望的過ぎてこれは退職しか……と抗うつ剤まで飲んで這いずりながら出勤していた。

それでも夜は眠れず、失禁はする、健啖家だったのだが消化器系に影響が出始め食欲も落ち始めていた。あまり希死念慮が強くなり、毎朝自殺の名所に寄りたくなったし、事実帰りは毎日寄っていた。

だが、自分が死んだら家庭への収入が絶たれる、今まで家族迷惑をかけた分を返せていない、心配な妹が残されており心配である。諸々考えるとどうにも死にきれず毎日やり過ごしてしまっていた。

ここまで来て、死んでは元も子もないと考えるようになり初めて退職"願"を書いて提出した。

そこで不思議なことは、提出した後は解放感でも、安堵感でもなく、不安焦燥感けが激しく込み上げてきた。自分は逃げた、辛いことから逃げた、金を稼げなくなった、仕事が出来ない、いる価値がない。そんな考えが波のように押し寄せ、眠れない夜は更に続いた。

要はだ。自分は、死にそうになりながら働くことの方がまだ良いと思ったのだ。仕事がなければ自分価値がないと感じ、無職自分には何の価値も見出だせず、不安感は増すばかりだという気付きを得ることが出来た。つまりニートになるセンスがないのだ。

それに気付いてからは"願"の段階であった為、取り下げてもらい、激しく働かせてもらっている。幸い、あの後メンバー等も変わり労働環境改善された。有り難い、あの時諦めなくて良かったと本当に思う。

我ながら異常な思考だとは自覚してはいるが、自分価値がそれしかないと再確認出来たのは良いことだと思っている。

蛇足家族生活してはいるのだが、当時、誰一人として私に「仕事を辞めたら?」とすすめてくれる人はいなかった。また、「働かない私に価値はないだろう」と家族に問いかけた際、否定肯定もされなかったのも中々味わい深い経験だ。自分家庭内での立ち位置確認できたとも言える。妹は、所謂「繊細さん」というやつで一時期ニート生活も営んでいたことがある。新卒一年目に。そこも含めてセンスだよなあ、と思うのであった。

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