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2008-09-26

政府による、戸籍情報に基づいたSNSの可能性について

インターネットネットワークというのは人の導線であり、導線には入り口が不可欠である。一昔前はポータルサイトという概念があったし、最近ではユーザーひとりひとりに固有のページを与えるSNSというシステム入り口ポータルを形成するようなサイトも多い。facebookmixiといったサービスをはじめ、国内外の民間企業が様々なSNSサービスを提供している。その多くが匿名ユーザーによって利用されている。

 ここで、ウェブサービスと利用者数について考えてみる。SNSでも動画サイトでも、初期競争においては「最初に革新サービスを提供したサイト」が利用者を集める。そしてそのシステムが一般化し競争相手が揃ってきた頃、「最も権威あるサイトユーザーが集中する」という傾向がある。ある時点で最も権威あるサイトが、その後の技術向上やインフラ整備に伴って爆発的に普及する、という展開は様々な例がある。2ちゃんねるyoutubetwitterきっとニコニコ動画がこれに続く。

 ネットワーク入り口に、最も権威ある運営組織による情報サービスを設置し、そこから様々な民間ネットワークサービスネットワーカーや情報を誘導していくという構造が、おそらく最も合理的で利便性が高いと思われる。よって、政府による戸籍情報に基づいたSNSサービスの構築を提唱する。国民一人に一ページ、一パーマリンクを与える。本名が記され、その他情報は各自が自由に載せればいい。そのページを公開にするか否かも本人裁量にすればよい。あとはセキュリティ技術的問題だ。

 選挙におけるインターネット投票システムの実現は、現代日本の最重要課題の一つであることは間違いない。このSNSシステムはそこに直結する。

 『戸籍に基づいた国民一人一人の実名情報によるSNSの構築と、その政治行政活用。』私はこれをMIAUへの提言としたい。

 この規模のプロジェクトである、そのためにはインターネットを司る省庁の設立も必要かも知れない。

政府による、戸籍情報に基づいたSNSの可能性について

2008-09-21

http://anond.hatelabo.jp/20080920153710

好意的に考えれば、支援活動に入れ込むあまり、他者に対する想像力がちょっと機能不全に陥ってるんだろうね。

熱意を持って敬遠されがちなボランティア活動に励むんだから、その程度の行き過ぎ、独善的な思い上がりは

むしろ好ましい資質かも知れない。まあ、議論の趨勢には何の影響も与えないし、境遇を理解はしても共感はできないけど。

行き過ぎと言えば、生存権という言葉も鷹揚に使われすぎだと思う。

誰もが命を奪われない権利を持つのは、消極的自由の意味において自明だとしても、

積極的自由としては色々と制限がつくのもやはり自明なんだよね。

現に憲法上で生存権が保障され、法で定められた生活保護や各種福祉を享受する権利を持っているとしても、

「迷惑利用者に図書館を無条件で明け渡すべきだ」などという個別具体的な権利要求は、

少なくとも生存権を根拠にする場合、プログラム定説によって却下されてしまう事は自明

もちろん、コップの中の嵐を巻き起こしているとは言え、今の所新聞記事になった図書館ホームレスを追い出しては

いないんだけど、もしその能力の限度を超えた場合には、排除と思われるような行為に出てもまず咎められないはず。

というか、図書館生存権保障の機能を与えるのが効率的とは普通考えないだろうから、立法措置や行政裁量

仮に発動されるとしても、図書館批判派の想像とは全く違ったものになる事もやはり自明だろうしね。

立憲主義の矩を超えて国家私人の生活に干渉するのは、個人の尊厳を守りその自由を保障する為なんだから、

保障されるべき自由が「迷惑行為を掛けても免罪される自由」か「迷惑行為を掛けずに済む自由」かのどちらだと

問われれば、恐らく後者だと考えるのが普通感覚・・・という表現に過敏症を発症しちゃうかわいそう人も

いるようだから言い換えると、ともかく個人的な感覚としては妥当に思われるんだよね。

そして言うまでもなく、憲法というのは国家機関を制限するもので、いくら生存権規定があろうと、

思想信条の自由として私人がその拘束を免れうるのは自明。この辺りも雑に議論されているような気がする。

人権を否定するなんてハードな表現じゃなくて、誰それの無限定かつ無条件な生存権の保障よりも、

児童福祉や高齢者福祉、救命救急医療リソースをわけてくれと考えるのは、現に立法府行政府

そうした姿勢であるように、自明現実でもあるわけだから。むしろここで言われているような

健全な良識や良心、他者への共感」に目覚めた人は、同時に生存権がまるで自明なんかじゃない世の中にも

気づくはずで、そこからどう他者を説得しようかと葛藤したりするのが自然な流れのはず。

で、もし私人生存権を保障する義務を負うと本気で主張するなら、啓蒙臭にウンザリした多くの人が反発しているように、

「まずお前が自分の家でかくまってやればどうなんだ」という当然の指摘が来るのは避けられない。

図書館が開いてる時間帯だけ他人に開放する程度なら、家主の生存権にかかわる事態にはまずならないだろうから、

たとえば「不快感弱者トリアージするのか」なんていう、理解に苦しむ言い掛かりや魔女狩りを被る可能性も出てきてしまう。

加えてこの場合は、本質的には個人の勝手気ままな善意に依存するボランティア活動も全然不十分なものとなる。

権利に基づいた正当な要求に対する義務として、対応しているわけでは全然ないからね。

本気の本気で世の中を考えるんであれば、もう少しカッチリした議論を見せてほしいなと思う(まあ関連エントリレス

全部見てるわけじゃないんだけどね)。「健全な良識や良心、他者への共感」を大事にするからこそ、もう少し葛藤なり

屈託なりを露わにした方が共感を得やすいと思うんだ。具体的障害や摩擦のない船上パーティお気楽に訓詁学に耽ったり

説教垂れ流しても、中2病扱いされたりで説得力・社会的インパクトは皆無だろうからね。観客としての感想はそんな感じ。

2008-09-19

http://anond.hatelabo.jp/20080919134234

横だけど元が「母親が毎日家族分切り盛りしてんのと一人暮らしを比べちゃいかん」って言ってるレス

俺は母親入院中した一時期に父親と交代で家事したけどかなり大変だったよ

あれを毎日同じ作業量こなしたうえで突発事項にも対応するとなったらフツーにしねる

一人暮らしなら自分の裁量で配分して基準も落としたりできるが

他の家族の分もやるとなったら結構な労働だよ

経済上のコストでいえば一人暮らしのほうがかかるだろうけど

2008-09-11

http://anond.hatelabo.jp/20080911124130

身近に研究者大学関係者が多いんだけど、あの手の人たちは仕事熱心ではあるけど、自分の裁量時間の融通も利くので結構家庭生活に時間を割いてもいるよ。あと大学関係者リベラルな人が多い気がするので、家事なんかもよくやってる。大学とか教育現場って一番男女平等のいきわたっている領域ってのも関係しているのかもしれないけど。古風な夫唱婦随というのは少ない気がするなあ。

ただまあ、家族の側も自立している人が多いかもしれない。多趣味な奥さんというか、一人で(配偶者なしでも)過ごすことが苦痛でないタイプの人。

2008-08-12

http://anond.hatelabo.jp/20080617165812

夏まっさかりですけど、頑張ってますか?

いやー、多少似た立場、でもないか、だけど

自分で裁量が決められる分、さぼらないように自分を律さないとねえ。

明日からも真面目に頑張ろう!

今日2chスレまとめのネット漫画を読んでしまった!いかんいかん!

でもそういう日もあるさ!

2008-08-03

http://anond.hatelabo.jp/20080803163509

勝鹿北星のような存在は、ごく当たり前なんだが…。

雷句問題で世に広まったのは、マンガ家出版社の下請けなんよ。

アシスタントを常駐させているマンガ家って、もろ下請け会社

マンガ家自由度裁量の幅はあるけど、出版社から依頼受けてマンガ描くのな。

そして原稿が完成した後に編集部イメージとかけ離れていたなんてことのないように、

事前の打ち合わせとかストーリーの持って生き方は綿密にされている。

マンガ業界じゃ常識だろ?

2008-07-31

http://anond.hatelabo.jp/20080731103812

まず明らかな誤解から指摘するけど処方せんの「変更不可」というのはジェネリックへの変更を

薬剤師裁量で行うことを禁止するという意味


指摘ありがとうございます。

エントリに書いたけれど、前の処方箋には変更不可がなかったので、疑問だったのです。

その点では安心できました。

ただ、薬局からの問い合わせ電話にも「ガスモチン」と言い張ったらしいことはアレなので、アドバイス通り内科の薬は内科に行こうと思います。

本当にありがとうございました

2008-07-20

http://anond.hatelabo.jp/20080720093623

たとえばそれが欲しいと思って連絡したとしても、その子は本音は言わないし、拒絶もしないってことだよね?

相手が言ってくれない以上、自分の中で解決するしかない?

その当時はそうだったけど、今現状はどうだか分からないよ。

自分で勝手に完結できてりゃ、こんなになってないし。

なんで彼女は拒絶しないんだろう? 本音言わないんだろう?

彼女の本音ってなんだと思う?

・拒絶を拒絶と俺が取れてない可能性

・本音を本音と俺が取れてない可能性

・こっちの気持ちを把握してるから裁量内で向き合ってくれてるから

・本音を言うと俺から拒絶されるかもしれないから

・ちょっといいと思っただけだから、いちいちめんどくさいことはしたくないから

寝ぼけた頭で考えたらコレだけ出てきた。

コレのどれかってことにしてがんばってみるかな。

こー毎日書きなぐってて辛さは軽減されてきたよ。体感レベルで。

だけどその代わり虚無感と孤独感がすごく大きくなったよ。。

2008-07-13

家事本質とは協調性なり

家事なんて案外楽にこなせると思っていた時期が俺にも(ry

今でもそう思ってる人に言いたいが本人の裁量だけで自由気ままに出来る一人暮らし家事と、他人と一つ屋根の下で暮らす場合での家事は全くの別物だぞ。

"今日だるいからコレは明日""収入は趣味貯金に回したいから他は削ろう"なんて自分の都合だけでしてた事に他人の都合が入り込んでくるから一気にストレスが増えるぞ。

同居人の都合で突然仕事が発生したり、自分には必要の無い事もしなきゃならん時だってあるし、食事の献立にも毎日気を遣う事になる。かと言ってワンマンで通そうとすれば同居人との関係もこじれるからダメ。だから上手いこと交渉をすすめて…とまあとにかく気を遣うことが多いのだ。

日によってブレはあるけど常に協調性を問われると思っていい。気を遣うべき他人が居ない時の家事家事であって家事でないんだよ。多分。

専業主婦(主夫)をニートとか言うほど家事をなめてる人は一度誰かとの共同生活か同棲をしてみろ。特に結婚前に同棲は絶対するべき。アカンと思ったら早々に切ればいいし、いい勉強になるから。

実際10年来の親友との共同生活でさえ今までに無い細かいケンカやストレスの日々で絶対気が合うと思って吟味した相手でも何度も刺してやろうかと思ったw

結論「母ちゃんは良く頑張ってました」って事だ。

http://anond.hatelabo.jp/20080713125708

なんというか中学校公民からやり直してください感が満々なわけですが、一応言っとくと「多数決で決めたらなんでも押し付けていい」というのは単なる数の暴力であってそんなもの民主主義じゃないよ。大体、アローの定理を持ち出すまでもなく、民主主義が完全な政治制度じゃないことくらい誰でも分かってるわけで、しかしそれ以上にマシな意志決定方法が無いから採用されてるのは自明でしょ。文句あるなら外のやり方を提案してから言えっつーの。

そういうあなたのほうこそ勉強しなおすべき。民主制と立憲制混同してないか?基本的に数さえあれば押し付けていいというのが民主主義

それじゃだめろってことで憲法で歯止めをかけてる。憲法権力者への制約、つまり民主制下では多数派への制約。

あと民主主義といっても地方分権とか直接民主制の度合いとか議会の数や手続きもいろいろ違いがあるわけでその点をスルーして今の制度は民主主義だから今よりマシな制度がないかのようにすりかえるのはおかしい。もともとも話に戻れば、「公務員コネ採用をするな」「多数派が決めたらかといって勝手税金取るな」というのが代替案だからね。あたかも代替案がないかのように決め付けちゃだめ。

で、そもそもの話はそういうこと関係なくて、は単に公務員は雇われたバイトに過ぎないんだから「公務員サービス押し売りしてる」という認識は間違いだ、ってとこなわけ。でもってアンタは「多数決で決めたから公務員雇って無理やり金とってもいいという前提」と言ってるわけで、つまり「公務員がやってる」という認識の間違いはこっちに言われてこっそり修正かけてんのね。ほんとセコいっつーか。ホントならまずそこを訂正して謝罪で、そんで済んでる話じゃん。

いやいや修正はかけてないってどんだけ牽強付会なんだよ。雇われたバイトとはいえ、大まかに法律で決まってるだけで細かいことは役人裁量で決めてるわけだ。日本三権分立国民が主に影響力を行使できるのは立法だけで行政有権者に指図を受けずにやってる部分が立法府議員より大きい。今回の場合で言えば誰を雇うかはいちいち有権者にお伺い立てずに勝手に決めてるでしょ。にもかかわらず、議員に対する選挙権があるから行政府は常に国民の意向に沿ってやってるかのように言うのはほんとセコイ。実際国民希望と食い違いがあるから叩かれてるわけで。

まず「公務員を減らしたら税金は減るのか?」という、そこの認識がもうダメすぐる。日本公務員が圧倒的に多く、かつ日本が「大きな政府」をやっていて、それらを徹底的に民営化することが現在非常に必要とされてる…というならともかく、現状がどうなのか、少しは調べてみたらどうかね。この辺の単純な発想が、あんたの中で「税金」と「怪しい組織の上納金」の区別さえついてなさそうに見える一因なんだよ。「決して…ばかりというわけでもないはず」とか、えらい意味不明な後ずさりの仕方だけど、根っこのところにあるその「お上意識が滑稽だ、という話をしてるわけ。

ほかの国より多いかどうかに関係なく減らせば税負担が減るのは自明。それに実際問題怪しい上納金と思ってるよ。

選挙には行ってないわけだ。でもって文句だけは言う。それが江戸時代の庶民とどう違うというのよ。やれやれ。

それだけで選挙に言ってないと決め付けるのはおかしいが、選挙に行くかどうかと言論の自由は別でしょ。

選挙にいった人だけ文句をいえるとか憲法に書いてないだろ。自論に都合のいいときだけ憲法つまみ食いなんだろうけど。

アローの定理のように選挙だけで意思を伝えるのは無理だからこそ文句を言う意味がある。

選挙したんだから文句言うな、棄権者は文句言うなといって民主主義がどうのというほうがこっけい。

2008-07-05

納税の見返りには、何を期待しよう。

国民には3つの義務があるとされる。

子供教育を受けさせる義務、労働する義務、税を納める義務の3つだ。

なぜこのように3つに分類されるのかはよくわからないけど、前者2つは義務であると同時に権利とも言い換えることができる。

しかし、税を納める権利、とはなかなか言わない。

では、ひとが税を納める義務に対応する権利とでもいうべきものはどのように表されるのだろう。

それはおそらく、公民権というものだと思う。これは辞書的な意味での選挙権や被選挙権といった参政権の他に、広い意味では警察病院道路学校など社会生活上の公的サービスを享受する権利というものも含むとここでは考える。

これらの幅広い公的サービスというのは、市場原理に基づいた経済活動ではなかなか満たされないニーズだとされる。みんなにとって大事だけど、儲からないと。だから政府のような公的部門がみんなを代表して、税というかたちで財源を徴収して、一括的に公平なサービスを行う、とされる。

だから、ここで“納税義務と公民権”というかたちでフェアな対応関係存在することになるし、その執行する主体である政府は、納税者に対してできるだけフェアになるように行政活動を行わなければならない、ということにもなる。(もうひとつ、税制にはお金持ちと貧乏なひとの資源の再配分という効果もあるのだけど、ここではさておき。)

これが一般的な民間のサービスだったら、コストパフォーマンスの対価的関係がわかりやすい。払った分が、当然、商品サービスという形で還元される。しかし、行政活動はなかなかそれが見えにくい。(そもそも行政法的思考からすると、税には公共サービスとの対価的関係存在しない、という考え方もあるが、それはさておき。)

政府お金無駄遣いして、納税された分に対して十分な公民権をペイしてくれないかもしれない。とすると、この納税義務と公民権のフェアな関係の正当性はどうやって担保されるのだろう。

これは、三権分立のチェックアンドバランスの考え方からすれば、行政権に歯止めをかけていくのは、立法権司法権である。一般の人は司法権にほとんどタッチできないから、やはり行政活動に対するメジャーな歯止めの手段としては立法権、つまり参政権の行使というのが一番身近なものだと思う。

というか、逆に言えば一般的には選挙での一票でしか行政に対する自らの意思表明を行えないのです。

ここが今回の考慮すべきところだと思うのです。

つまり、この国で普通に生活するだけで、所得税固定資産税消費税ガソリン税といった様々な納税行為が強制的に課されるにも関わらず、それに対する異議表明は、例えばデモオンブズマンによるチェックなどもありますが、究極的に実効性があるのは選挙での一票という、非常に限られたものである点です。

あまりに当然と言ってしまえばそれまでなのですが、僕には納税義務という大きな負担と、その見返りたる参政権、異議表明のための権利の小ささがバランスとして釣り合わないような気がするんです。

ちょっとうがった見方をすれば、民主選挙という装置が存在しているがゆえに、その納税義務がいつのまにか、いつも正統化されていまっているのです。「お前たちが決めた政治家の判断だ。文句あるまい。」と。

ただ、逆に今以上に一般のひとたちに税の使い道を決める裁量権を与えるから自分たちで決めてください、というようなシステムになったとき、はてどうしたものかと、もっと困ったりしそうだな、と思ったりもします。

つまり、国民は税さえ払っていればあまり細かいことを気にせずに・タッチせずに自動的に安全、安心を得られる、というのも行政のひとつのメリットでもあると思うんです。

このように、納税義務とそれに対する異議表明手段のアンバランスさというのは不条理に僕は思うわけですが、かといって税の使途を細かく裁定するような手間や専門複雑性の問題から、その裁量権の行政府への大まかな負託というのもまた、あまり軽視していいものでもなく、これがまた問題を難しくしているのだと思います。

2008-06-30

【連載】小説ITゼネコン【第一回】

 「小説」など、大上段に構えてみたけれど、ドキュメンタリータッチフィクションエッセイを連載する。

俺の名は鈴木本太。すずきポンタ、もちろん仮名だ。これから出てくる人物、企業、団体、製品名等についても、架空のものであり、偶然現実の名と重なっていても他意があるわけじゃない。米合衆国オバマ氏と福井県小浜市とが関係ないのと同様だ。

 俺は32歳監査法人勤務だ。この業界ではイケてるほうじゃない。だって、システム監査を担当としているくらいだ。システム監査を低くみてるわけじゃない。俺の身長は・・、俺のことはどうでもいい。興味を持たないで欲しい。この話の主人公国産メインフレームコンピュータとそれを構成する企業レガシーシステムなんだ。俺は、狂言回しに過ぎない。「北斗の拳」の真の主人公は「北斗神拳とそれを中心としたヴァイオレンス」であったと記憶する。いや、主人公ラオウだっけ。まぁ、ラオウが倒れた後の「北斗の拳」が面白くないのと同様、俺の人生はたいして面白いものではない。

 今回の舞台はB銀行だ。俺たちのクライアント。TVドラマか何かの影響か、俺たち監査法人は、客先の不正を暴く行政官みたいな仕事振りをしていると誤解している友人もいる。あくまでクライアントお客様から対価をいただいて、仕事をさせてもらっているサービス業なのだ。だから、ぜんぜん、上から目線ではなく、普通の客商売だよ。俺は提供するサービスを売るセールスマンも兼任しているんだ。営業担当者はいないからね。そりゃ、エンド・ユーザにマイ・カーや呉服を販売する営業とは、少し趣きも違うだろうけど、お客様あっての商売。

 国税庁検察庁とは立場が全然違う。銀行の人と話をすると、やはり、国税検査官の中には、高圧的な態度の人もいるらしい。背中にしょっているのが、徴税だから調査権があるからね。でも、やたら、高圧的な人は新米検査官に多くて自信の無さの裏返しだろうとのこと。むしろ、しょぼくれたおやじさんが、ひょいと指摘をする事項の方が怖いそうだ。

 銀行をはじめとした金融機関には、金融庁検査というものがあって、そこからも検査官がやってくる。金融庁は、金融機関に対して、業務改善命令から、免許の取り消しにいたるまで、大きな処分裁量をもっているから、銀行にとっては大きな存在だ。貸出債権が適正に管理されているかを検査する資産検査官、事務が適正な手順に則って行われているか、不正がないかを調べる検査官など、担当も分かれているようだ。システムについても専門の検査官がいる。最近は大手銀行合併にともなうシステム統合で、おおきな障害が起きたことから、金融庁システム検査にも大きく目を尖らせている。

 ITガバナンスの適正さ(システムを運営する組織、規定が整っており、正しい手順に基づいて運営がされているか)や、個人情報の管理が十分か、データの参照権限や手続きについて適正な扱いをおこなっているかなど。これらが、金融庁によるシステム検査の調査ポイントの一端である。監査法人によるシステム監査とも重なる部分は多い。ただし、見る立場が違うので切り口は違う。俺らは、処分や免許・許認可が目的ではない。クライアントシステム運営が適正にされているか否かということを軸として、あくまでクライアント経営の適正さ、透明性に関する評価・助言を行っている。だから、コンサルティングマインドも必要だ。勿論、不正を隠匿したり、促したりする助言は駄目だ。

(つづく)↓第二回

http://anond.hatelabo.jp/20080701191148

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