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2009-04-19

http://anond.hatelabo.jp/20090419090945

何段階か答えを用意するのですよ

自分意見を10%入れたもの 20% 30% 40% 50% …… とね

そのくらい出来るはず

自分意見を棘を隠しながらも聞き入れてもらえる技術っていうのは、職場人間関係の中では大事ですよ

ストレートゼロか では、結婚生活も厳しいでしょうねぇ

楽しい社会生活をしている人は、この辺を無意識的にでも意識的にでもやれている人だと思いますね

今は無理でも、その変を意識していればあなたも楽になるかもしれませんです

2009-04-15

みんな途方にくれている

今朝の「とくダネ

冒頭、小倉さんの語りで防衛医科大の先生無罪になった話題を取り上げていた

要旨は「3対2で判断が分かれたとか発表するな!疑わしきは罰せずとか言うとホントはやってたんじゃね?って思われる!」で

それには一ミリも賛成できないんだけど、

でもそれは小倉さんがどんなにか痴漢冤罪を恐れている事のあらわれで

男も女も痴漢(と痴漢冤罪)は嫌で怖くて社会生活の敵なのに、自分ではどうしようもなくて途方にくれている

はやく満員電車が完全男女別になるといいな

トイレ風呂が男女別なのに、嫌でも肌を密着させなくちゃいけない満員電車が男女一緒とかおかしいでしょ

PASMOSUICAデータ通勤学者の男女比だって大体は分かるんだから

それに合わせた車両配分で鉄道会社さんお願いします

それで痴漢(と痴漢冤罪)がなくなるわけじゃないけど

でもこのままにしておくより、みんな幸せになれるんじゃない?

追記

カメラ案はいいんだけど

越えるべきハードルが(設置費用運用費用プライバシー対策・乗客の心理的コスト等々)多すぎて実現が遠い上に

痴漢に遭ってもand痴漢に間違われてもカメラ画像で安心♪」

より

痴漢に遭いづらくてand痴漢に間違われ辛くて安心♪」

のほうが手っ取り早く大多数の乗客が幸せじゃない?と思ったので男女別を推してる

どちらがより抑止効果あるかは自明だし


鉄道会社が「原告被告双方から」訴えられて、コストが嵩まないと

対策とってくれないのかなあ…

2009-04-03

http://anond.hatelabo.jp/20090402142657

この人が、「かまってちゃん」とか言われたりはてブで「薄馬鹿」とゼッケンをはって過ごせ、などといわゆる「普通の人」に罵倒されてしまう理由。

それは、もともと「普通の人」も、好きで空気を読んでいるわけではないからです。

何故読んでいるか。というより、何故読まざるを得なくなるか。といえば、それは「社会生活を成り立たせるため」なのです。

別に、面白くて空気を読んでるわけではないのです。「そうしないと成り立たない」から読んでいるのです。それを子供のときから続けた結果、嫌悪感も感じず自然に染み付くようになっているだけです。

それが前提としてあります。なので、「俺はこういう障害があるから、空気なんて読めません。だから、読みません。悪い?」と開き直ってる人を見ると、「ズルい」と感じるのです。「俺達だって別に読みたくて読んでるわけじゃないのに、社会生活を成り立たせるためにしかたなくちょっとずつ我慢してるのに、障害があるからって何でお前だけそれが免除されちゃうの?障害者だからって読まなくてもいいの?で、その分俺たちがまたフォローするんでしょ?空気読めない発言しても、それを注意したら差別なっちゃうんでしょ?できない人に「おい、それするなよ」なんて言っちゃいけないんだから。で、俺達はそういう人の発言を注意することもできずただ黙って我慢しろってことでしょ?一方発達障害の人は「障害があるからしかたないじゃん」ってことで何を言っても許されるんでしょ?……なんだよそれ、やってらんねえよ、あーあ、発達障害とやらがある人はいいですねぇ、読まなくても「障害があるからしかたないだろ」で済むんだから。だったら俺だって発達障害になりてーわw俺、名乗ってもいい?w」となるのです。

今もって「迎合してヘラヘラ笑っていたり、納得のいかないことで謝罪を要求され続けていると、心臓が止まりそうなほどの不整脈が出る」のだから、「道理は道理、正論正論」というスタンスしか摂りようがない。

と言っていますが、重要なのはですね、別に「普通の人」でも、「迎合してヘラヘラ笑ったり、納得のいかないことで謝罪を要求され続けて」いるのは、ものすごく嫌なのだということです。でもそうしないと生きていけなかったりするので仕方なくしているのです。そこで「そうしたら不整脈になるんだからしかたないだろ」と開き直るとどうなるか。「普通の人」たちはこう思います。「じゃあ何か。俺達は、なまじ「嫌だけど、我慢できてしまう」から、ダメなのか?不整脈の一つでもでりゃ、俺達も我慢しなくていいのか?」と。「なまじ我慢できてしまうが故に、そこにつけいられ我慢を強いられているのか」と感じるわけです。嫌なことを我慢した上、しかもその「我慢ができるゆえにさらに我慢をしなければならない」という理不尽さに、そして「不整脈が出るから」ということでその我慢から逃げおおせている事に怒りを感じるのです。

発達障害の人は生まれつき、迎合してヘラヘラ笑ったり、理不尽な目にあったりすると死んじゃいそうになるから、そういうことができないんですよ。しかたないのですよ。だから分かってあげましょうね」

なんて、だから、「普通の人」には絶対に届きません。

「え?そんなの俺だってやだよ?なんで、そいつだけ、「いやだ!」っていうことが許されるの?なんで、そいつだけ、そんな我侭が許されるの?俺だってやだよ?じゃあ、俺も嫌だから、皆、そういう風に気を使ってよ!ダメ?なんで?障害者じゃないから??なんだそれ、ズルいよ」

と感じるからです。そしてそれは無理のないことだと思います。発達障害の人からみれば、あまりに「普通の人」が普通空気を読んでいるので、「好きでやってるのか」「楽勝なんだ」とか思ったりするかもしれませんがそういうわけじゃないのです。「普通の人」だって別に完璧空気なんか読めません。だからこそ人と人のトラブルはいつだって発生するし、「普通の人」だって人間関係で悩んでいる人はたくさんいます。

別に発達障害の人じゃなくても、人間、『自分の思ったことをそのまま言う、迎合しない、納得のいかないことには納得いきませんという』……それが一番に決まっているのです。でもそんなことは通常幼児期しか許されない。そんな事を互いにしていたら、社会が成り立たないからです。ドラゴン桜に(マンガですみませんが)「本音で語り合える学校がどうのこうの」という話題になった際、「本音ってそんなにいいか?」「本音ばかりは必ずしもいいことじゃない」と主人公が言い放ったシーンがありましたが、まさにそういうことなのだと思います。

普通の人」も最初は自分の思った事をズバッと言ってしまったり空気を読まなかったりしています。が、成長するにつれ、「どうも、おかあさんがムスっとした顔をしているときに、おもちゃを買ってというと、怒られるようだ…」→「そういうときは言わないでおこう」と学んでいく。「どうも、髪型に拘っているクラスメイトに、その髪型変だよといったらクラスメイトは悲しんだり怒ったりするようだ…」→「そういうときは言わないでおこう」と学んでいく。

それだけの話です。だからそもそも許されるならば、気をつかわなくていいのならば、いくらでも好き放題「その髪お前変じゃね」「おもちゃかってよーー!!!」と言いたいのです。ただそれを自分で律しているだけです。ときに自分のため、ときに他者のため、ときに社会のために。

だから、「普通の人」からそういう発達障害者の主張を聞くと、「なにそれ、わがままだ」「ズルい」と感じるのです。「できないからってしなくていいなんて。だったら自分もしたくない」「それじゃ幼児じゃん。大人になっても幼児のままで過ごしておいて認めろっていわれても」と。

しかし発達障害者からすると、そもそも上記のような「自然に学んでいく」が全くできないので、皆がただ単に何かよくわからないものを押し付けてくる、としか感じられない。過程が、分からないんですね。「別にすきじゃないけど必要だから皆がちょっとずつしかたなく身に付けてきた」という背景が。あるいは言葉では知っていても実感として知らないわけです。だから、「理不尽だ」と感じて怒りを抱いたり、「なぜ?なぜ??わからない」と苦しんだりするわけです。

普通の人と発達障害者の「ズレ」は、そこにあるのだと思います。発達障害者の人たちは「そんな空気読むとかそういうことを押し付けてくるな!そっちでやってろ」と思いますが、別に、普通の人も好きでやっているのではないのです。そこがズレだと思います。仕方なくやっているのです。押し付けるのはなぜかといえば、「みんながちょっとずつ我慢して、社会を穏便にするように努力してるんだから、お前もやれよ」という感覚によるものです。だから、そこから逃げようとすると、怒るのです。まるでそこからは、「税金は払わないけど、皆から集めた税金恩恵は受ける」ような感じ、フリーライダーのような感じを受けるのです。

そんな怒りが、「かまってちゃん」と言われたり「薄馬鹿というゼッケンをはってれば?」という反応になって表れるのです。

「脳に、もう、そういう障害があって、そういう能力が無いんだから、どうしようもないんだよ」という切り口で言っておられますが、そういう切り口の攻め方はいささか受け入れられにくいと思います。寧ろ、そういった方向性で攻めますと、おそらくそのうち「それならそんな脳に欠陥のある奴は、普通社会生活を営めないんだから、外に出てくるなよ。迷惑をかけるな」なんて反応が出てくると思います。

「目が見えない人」「耳が聞こえない人」と同じだ、とおっしゃっていますが、それもなかなか通じないと思います。実際「平均的な人間に比べ、ある能力が著しく低下、あるいは無い」という見方においては、目が見えない人と発達障害の人は同じと言えます。が、「脳とそれ以外の器官」という見方で見ますと、「目が見えない人」と「指がない人」と「耳が聞こえない人」は同じであっても、「発達障害の人」は違う、ということになります。同じか否かというのは、何でもそうですが、見方によるわけです。ある一面では同じでも、ある一面では違う。何でもそうです。

で、「普通の人」は、後者の見方をします。なぜならば(現代の)人間にとって、「脳」という臓器は他の臓器とは一味違った、特殊な部位であるから(と、思っているから)です。現代の人間にとっては、「脳」は、ほぼ、自分です。他の臓器は、いうなれば単なる道具に過ぎない。極端ですが、そういったイメージを持っている方が多数だと思われます。誰しも、自分盲腸が考え事をしているなどとは思いませんし、自分の太腿にアイデンティティが宿っている、とは思いません。自己はほぼ脳であり、手、足、目、耳、それらの部位は、脳=自己人格)のための、道具である、と、そういったイメージ漠然と身についているのが現代人だと思います。

ですから、「脳に障害がある」のと「目に障害がある」では、同じようで、全く違うのです。

道具にちょっとくらい欠陥があっても、欠陥というのがアレでしたら、ちょっとくらい違いがあっても、周囲の人は「ああ、道具が壊れてしまったのだな」と手助けをすることが割りと容易ですし、社会生活も、意思疎通の面ではあまり問題はありません。人格には何も問題はないからです。それを伝える、口という道具が若干働かなくても代替のものがある。それを受け取る耳という道具が若干働かなくても別の道具でそれを補える。伝える内容そのもの、交わす内容そのものには問題はないのですから、あとは純粋に道具の問題だと、なるわけです。ですから、まだ受け入れやすいのです(それでもまだまだですけどね)。

しかし脳に障害がある、というのは、ちょっと違います。道具には問題がなくとも、その中心である自己人格に問題があるのですから。根本的にそこが他と違う、というと、道具でも補いきれません。(そもそも、「補う必要はあるのか。補うという考え方はどうなんだ」という問題もありますが)

いうなれば、「右手がサイボーグ人間」と、「一見普通人間だが、実は中身は宇宙人」と、どっちとまともにコンタクトを取れる自信があるか、という話です。無論、前者なのです。極端に言えば、脳に問題がある、というのは「普通の人」にとっては後者の如く感じられるのです。

ですから、「脳がそういうふうなので仕方ない!」という切り口で攻めますと、最悪「なら、そんな奴は社会不適合者だから、外に出るな!」的な反応を食らうことになりかねないと思うのです。

実際、鬱病も「甘えだ」なんていわれたりしがちな病気ですが、これも「元気がでないとか、仕事いきたくないとか学校いきたくないとかさぁ……そんなん俺だってそうだよ。いかなくていいならいきたくねーよ!でもそうしなきゃいけないから行ってるんだろ。鬱って診断されたら休んでもOKなわけ?なんだよそれ」という、「ズルい!」という思いから来ているのだと思います。

目や耳の障害や、精神系でない病気についてそういったこと(甘えだ、等)が言われないのは、「ズルい」と思わないからです。

それでも鬱病最近は「甘えだ」と言う人も減ってきました。それは「鬱状態は辛いのだ」という認識が広まってきたからだと思います。肺炎になって学校を休んでも「ズルい」とは思いません。休みたいは休みたいでも、そんなキツい思いをするのは普通嫌だからです。鬱も、知識が広がるまでは単に「いきたくないといってる人」くらいの感覚で捉えられていたため「そりゃ俺だってそうだ!ズルい!」となっていたのですが、「どうやら相当キツいらしいぞ」と分かってからは「ズルい!」とならなくなってきたのだと思います。

しかし、発達障害の場合はどうか。

これは多分「ズルい」という感覚はちょっとやそっとじゃ抜けないと思います。なぜならば、発達障害の人が「辛い」のは、あくまで周囲との関わりにおいて、「読めない空気を読めとおしつけられる」等のことから発生するものです。肺炎や鬱などと違い、ただ一人でいても辛いものではありません。(鬱が発生すること自体は、周囲の環境などが関係しますが、発症後は一人でいてもキツい、ということです)

ですから皮肉にも、自分たちが「空気がどうしても読めない」人のことを理解し助ければ助けるほど、彼らの「辛さ」は減る。一方、こちらの辛さやストレスは上がっていきます。空気を読んでくれない相手を「しかたないのだ…」と思いながら、ただでさえ空気を読むという我慢をしているのに、さらに「空気の読めない仕方ない人」に対しても我慢をしなければならない。そしてそうすればそうするだけ、その「空気の読めない仕方ない人」の「辛さ」は減っていくのです。当然、「ズルい。なぜ、こちらだけ我慢をしなければならない」となります。どちらに転んでも、「ズルイ」となる。いやむしろ、こちらが助ければ助けるほど「ズルイ」となる。

結局、「発達障害だろうがなかろうがみんな空気とか読みたくない。自分勝手でいたい。が、それでは成り立たない」中で、「普通の人」は空気を読み、「発達障害者」がそれが著しく困難な事を理解する。また「発達障害者」は「普通の人」も別にしたくないが社会の存続のため仕方なくやっている、ということを理解し、形だけでも出来うる限り合わせるようにする(空気を読むこと自体はできるようにならなくとも、表面上あわせることは訓練次第で可能と聞きました)。という相互からの歩み寄りが大事なのだと。平凡な結論ですが。「発達障害者は、じゃあ、外に出るな」は勿論問題外ですし、といって「発達障害なんだからしかたないだろう」では逆に「普通の人」に全てしわよせが来るだけです。どちらかに押し付けてはいけないのでしょう。

2009-04-01

http://anond.hatelabo.jp/20090401162811

ばーか。違うよ。

社交辞令から関係こじらせるようなマヌケなことすんなって言ってるだけだよ。

相手の性格を把握した上で差し障りないように立ち回るとか、社会生活の基本のきの字だと思うけど。

相手の男がいわゆる非コミュだったとして、そいつとうまいこと距離取れなくて未だに軽くストレス抱えてる時点で元増田が対応間違えただけだろ、ってこと。

2009-03-30

未開や貧困はマッチョとは程遠い

文明社会を肯定し快楽を享受しながら

むしろ社会生活適応できない貧乏人や少数者をいたぶるのがマッチョのたしなみ

2009-03-25

酒を飲めないのは

障害だってことはわかった。

だけど健常者と同じように社会生活を営めないのもわかるべき。

そして国は障害者手帳を給付するべき。

2009-03-18

http://anond.hatelabo.jp/20090318165342

ぜんぜん隠してないと思う。つーか「男性恐怖症」だろどう考えても。

その原因が何かは分からんけど、社会生活に支障が出る症状が自力でどうにもならん時点で、精神科の管轄。

2009-03-15

http://anond.hatelabo.jp/20090315121058

つまり死刑賛成論者たちは、

「“普通の人は凶悪殺人を犯さない”と信じないと社会生活は送れない」という

「生きる上での心構え」レベルの考えに従って、

現実人間を殺そうとしているわけだ。

それを問題だとは思わないの?

http://anond.hatelabo.jp/20090315121058

横だけど。

その異常性は本人に由来するものなのか、環境に由来するものなのかって議論はあり得るんじゃない?

後者を重視する立場なら、「誰でも、それなりの環境にそれなりの時間置かれれば、異常犯罪を犯し得る。圧倒的多数の人が凶悪犯罪を犯さないのは、「それなりの環境」に置かれることが滅多に無いから」ってことになるでしょう。

私は両方あると思うけどね。100%環境のせいではない(異常性、凶悪性を外に出しやすい素質はあるだろう)けど、だからといって本人に全くその素質が無い(どんな環境に置かれても異常な犯罪を犯すことは決してない)という人もそんなに居ないと思う。それまで普通に混ざって社会生活を送っていた人たちがいきなり殺し合うようになることだってこの世にはあるんだし (『ホテル・ルワンダ』観た?)---それは極端な例だと言うかもしれないけれど、連続するスペクトルの一端じゃないかな。そこまで極端でなくても、現代の日本社会でだって個人のレベルで追い詰められる人はいるわけだ。

http://anond.hatelabo.jp/20090315120521

圧倒的多数の人は凶悪犯罪なんかしないのが現実なわけで普通の人は凶悪犯罪しないと信じるのは当然の帰結。というか信じなかったら社会生活送れないよ。

普通の人が凶悪犯罪をするといってる人だって本気でそう思ってるわけじゃないだろ?本気で思ってたら外出なんてできないよ。もっと言えば家族と同居だってできない。惨殺されちゃうかもしれないしね。自分だって凶悪犯罪しちゃうかもと本気で思ってるならできる限り人とかかわらないようにしたほうがいいはずだけど、引き子守してるってわけでもないだろうしね。普通の人も凶悪犯になるかもしれないとか言うのは本当に口先だけで言ってることだよ。

2009-03-11

MAZONの売れ筋が低レベルになるたった五つの理由

・外出が苦手な引きこもりの利用者が多い。つまりまともな社会生活が送れず、ろくな人間関係を築けない人が買ってるということ。当然ながら、そういう人々がいいと思うものを一般人レベルが高いと思えるはずはない。おそらく本人達にとっては「働かない俺様勝ち組俺様審美眼のすごさがわからん奴は馬鹿」のような意識なのだろう。そういう思い上がりがあるので、ますます世間の常識とのずれは深まる。

・近くに本屋レコード屋などがない田舎者の利用者が多い。つまり都会と比べて娯楽のインフラが圧倒的に少なく人間関係も固定しがちな人が買ってるということ。だから経験豊富な都会人から見ればダサいものを買ってしまう事になる。もちろん生まれる場所は選べないので、彼らが悪いとかそういうことではないが格差社会の生み出す悲劇ではある。

・実際に店頭に行って買う人より内容を確認できずに買う人が多い。ろくに吟味せず脊髄反射で買ってるわけだから、低レベルに成るのも至極当然の帰結。

店頭では買えないような低俗破廉恥なものを買う人が多い。性欲があるのは動物として仕方がないとはいえ、最大の問題は他人の目を気にしてばかりで自分趣味嗜好に自信がないということ。それがますますレベル低下に滑車をかける。見ているこっちが恥ずかしい。

2009-03-06

http://anond.hatelabo.jp/20090306200810

元増田です。

使い方をいまいち把握してないんだけど、TBのURLはここ↑にいれればいいのかな…?

それはともかく、レスありがとうございます。

レコーダー用意しておきます。これからも来るようだったら、

同じことがくりかえされるのだったらこの録音をもって警察いきます、て宣言する。

冷静になって客観的な証拠を集めるってことをしてみます。

あと、もう一人の方、対人恐怖症ってwwwww

と、笑ってスルーしようかと思ったけど、

あの元増田文章だけじゃこちらがどんな人間かわかりませんものね。

気をかけてくださったことに感謝します。

一応本人の自覚としては、これまでの人生ちゃんと学校に行き、会社でも働き、

友達もいて、それなりの社会生活を営んできました。

まあ、確かに、まったく話の通じない学会員と相対するのは恐怖ですが。

2009-03-01

上司

http://anond.hatelabo.jp/20090228103137

だったら単純に「レベルが違いすぎる」だけだと思うよ。相手が「こんなこと社会人なら当然」と思うことを元増田クリアしていないだけ。「お前は愛想がなさ過ぎてダメなヤツだ」と言われたら、まず「愛想が良い」というのがどういうことだか訊きなよ。笑って対応することじゃなくて、真剣に相手の目を見て話すことかもしれないじゃないか。自分の思い込みで何やったって通用しない。他人から見てどう見えるかというのが社会生活では大事なこと。いくら「私は一生懸命やってます」と言ったところで、実際に主観的にはやっていたところで、客観的に見て「さぼってる」ように見えたら、それは「さぼり」と判断される。何をやってもダメなんじゃなくて、上司が「良い」と思うことがどういうことだか訊かないで突っ走るからダメ出しされるんだ。

もちろん「わかってる」上司のほうが、元増田にわかるように説明すべきだけどね。

相手がただの同僚なら……、大変だったね。無視で正解だよ。

2009-02-28

http://anond.hatelabo.jp/20090228221310

ナンバーワンやオンリーワンでないと金が稼いで社会生活を送れないかのようなあおりをよく見かけるが、本当にそうならほとんどの人は失業してるだろうにね。世の中は正解のない問題ばかりでそれを解けないとだめであるかのようなのを最近増田でもよく見かける。仕事でやるべきことなんて大体決まってるのに。

http://anond.hatelabo.jp/20090228044142

なるほど。

「嘘をつくこと」が問題なのか。

オレは毎日息を吐くように嘘をついている。

会社にいって「おはよう」と言うことさえも嘘で、演技している。

会議中もほぼ嘘だし、同僚と一緒に昼飯を食うときも嘘だ。

ほぼ一日中を便宜的な嘘で過ごしているので別にどうとも思わないな。

社会生活を営む上で嘘をつかずに生きていける人などほとんど存在しない。

そこに嫌悪感を持ってしまうと生きにくい。

2009-02-24

左翼思想メンヘル

メンヘル気味の高学歴男子ネットで吹き上がるためのツールとしてしか機能しない昨今の左翼思想とは何なのだろうか?

そんなことをはてサと呼ばれる人たちのブログを読んでいると感じないではいられない。観測範囲をもっと広くとれば、左翼思想というのがそんなものではないことがわかるのだが。

はてサで多少健康的な社会生活送ってるらしいのって、id:inumashとid:mojimojiくらいでしょ。id:hokusyuとかid:tikani_nemuru_Mとかid:toledとかid:y_arimとか、どうみても正気じゃないじゃん。

別に一般的にメンヘが悪いとは言わない。心の風邪みたいなもんでしょ、という意見がもっともだと思う。でも、大は村上春樹橋下徹から、小は零細ウヨブロガーから地方のしょぼい大学講師まで、限りなく電波に近い晦渋な文章で煽り気味に難癖つけていくさまは、インフルエンザにかかっているのにマスクなしで山手線に一日中乗り続けてるようなもんでしょ。メンヘになることは悪くないけど、メンヘが他人に攻撃的になることの免罪符にはならないというのは、当たり前なんじゃないか。

そんなことを思う病気療養中のオレだった。クスリはよ効かんかなー。

あの卒論はなんのためにあったのだろうと

http://d.hatena.ne.jp/next49/20090222/p2

君が卒論に苦しんだ理由は自分でも分かっていると思うけど、常に外部に正解を求めたことにあるんだ。私が「どうして、それが正しいと思うの?その理由を教えて。」と聞くと、いつも君は表情を凍らせて黙ってしまったね。

幸いにも私自身は卒論で苦労しなかったが、今でも、あの卒論はなんのためにあったのだろうと疑問に思うことがある。「どうして卒論を書かせることが正しいと思うの? その理由を教えて」という問いに明快な論理で答えられる教授がどれほどいるだろう。

ほとんどの人はそれぞれ固有のどうしてもできないことを持っている。私の知人は、自分のことを一人称で呼ぶことができない。彼は「僕」とも「俺」とも「(自分名前)」とも言うことができない。別の知人は、「ひ」と「し」の区別がつかない。彼の出身地は東京ではない。私もテレビを見ながら食事をすることができない。他の人から見れば、どうしてそれができないのか理解に苦しむことでも、やはりどうしてもできないことというのは存在し、ただし周りの理解さえあれば日常生活に問題はない。

同じレベルで、卒業研究がどうしてもできない人というのも多く存在するのではないかと思う。教授には理解できず、本人にも言語化できない理由で、卒業研究ができない人というのがいるはずだ。そして、卒論が書けなくても社会生活は送れてしまう。

もはや、卒業研究ができるかできないかというのは、「ひ」と「し」の区別がつくかつかないかという能力を測る程度の役割しか担っていないのではないかと思う。そして卒論を書かせるというのは「ひ」と「し」の区別がつけられるように訓練するくらいの意味しかないのではないかと思う。たまたま適性のない人にとっては単なる苦行以上でのなにものでもない。もし、それ以上の社会的役割があるというのなら、「その理由を教えて」ほしい。そう、もちろん、「間違っていてもかまわない」。ただし、周りがみんなそうしているからといった「精神的な背骨」のない回答は望ましくない。

2009-02-22

http://anond.hatelabo.jp/20090222200830

ミニスカートの中がジャージだと欲情してロングスカートでなら欲情しないという人が社会生活を滞らせるほどたくさんいるというのは極論としか思えないんだけど。そんなへんてこな嗜好の人がいるからパンストをはかせようってのはやはりわがままというより奇妙すぎる。

http://anond.hatelabo.jp/20090222193426

それは、スカートが長くなればジャージスカートの中に隠れて目立たないっていう意味です。

世の中には男と女がいるのです。個人差はありますが一般的に男は男性ホルモンが多く異性の視覚的刺激に弱いん(だと思うん)です。

男性が頻繁に女性にドキドキしていてはそうでない場合に比べ経済社会活動が滞ったりすることはないでしょうか。女性にしたって欲情されたくないところで不特定多数に欲情されるのはうっとおしいでしょう。

男と女が協力して社会生活を成り立たせる際に、お互いを気遣い一定の配慮をするってそんなにわがままな話ですか?

男だって自分が関わる相手が不潔にしていたら困りますよね。その辺はエチケットではないのでしょうか。

TPOって言葉があります。潮干狩りハイヒールでは不都合です。キャバ嬢のような格好で会社には行きませんよね。それと同じようには考えられないでしょうか。

(それは、私だけの価値観で決めようというものではなく、そのような合意の得られる社会になることは可能性としてありえないことなのだろうかということです。)

めがねっこを眺めてひそかに萌えても周囲にはわかりづらいですが、短いスカート女子高生を眺めたらモロバレ(周囲にしてもおそらく不快)でしょうから。あまり極論をしたいとは思っていません。それとも私の問いかけ自体が極論なのでしょうか。

2009-02-19

http://anond.hatelabo.jp/20090219192839

どういう点で社会生活が営めなくなるの?

男性清潔感のない格好をしている段階で面接に落とされて、働けなくなるよ。

2009-02-12

http://anond.hatelabo.jp/20090212002102

女の敵は女になってしまう構造を作り続けてしまうから、女はダメだとか言われちゃうんだよ。

彼氏がいないのは、日本で1,2の高偏差値大学を出て一流企業で激忙の日々だからとは関係ないよ。

平たく、縁がないだけのことだよ。これは元増田に魅力がないとかの問題ではないよ。

彼氏がいない状況を不満に思っているなら、ちょっとツイてないだけだよ。今は。

彼氏がいない理由なんて、なんやかやと理由はつけられるだろうし、専業主婦がたったひとりに選ばれて幸福!なんて価値観をさも高尚に述べてる人間に限って現状に満足してないことが殆どだし、一生懸命仕事してる自分をわざわざ貶めるような域に話を持っていく必要はないよ。

そもそも比べることじゃないってことほんとはわかってるでしょ。

ちなみに専業主婦である自身を最も高尚に述べてるなと自分が聞き及んだ例をひとつ挙げます。「自分歴史に名を残すことは何一つしていないけれど三人のこどもを育ててるわ!」

歴史に名を残す」なんて大それた誇大妄想が可能になってしまうのが、哀しき専業主婦の閉じた世界と言うことなかれ。

たいていの人間にとって、世界なんてものはとても狭いのだから。

恋愛とは基本、密度の濃い人間関係だけど、それを好まないひとだっているし、ちょっとしたことが我慢出来なかったりすることはたくさんある。

彼氏という存在がほしいのか、好きな人がほしいのかは全く別次元のことだと思う。

彼氏存在で全ての不満が帳消しになるなんて勿論思ってないでしょ。だいたい自分以外の人間完璧にわかりあえるなんて幻想なんだし、自分のことだってわからないことの方が多い。ただ、今、自分にないものをそう悲観することはないと思うんだが。

社会生活なんて、がんばっていることが評価されないことの方が多いんだし、結果が全てなんてことより、出した結果を評価してもらえないことのほうが多い。

ちょっと前に伸助が宣った「人生は18勝17敗云々(正確な数字は定かでない)」なんて、所詮成功した人間台詞だなあと思った自分は、

人生は7勝8敗で、その一敗で足るを知るのではなかろうかと、ぼんやり思いながら生きてます。

えらそうに聞こえたらすみません。

2009-01-28

http://anond.hatelabo.jp/20090128114104

つーか、普通にまともな社会生活送ってたら「ブチ切れて怒りゲージmax」なんて状況にはそうそうならないと思うが…。

日本政府北朝鮮をわざと悪者に仕立て上げている

以下、http://kkmyo.blog70.fc2.com/blog-entry-426.htmlコメント欄より転載

2009/01/26(月) 21:00:14 恩義(Oblige347)

日本政府北朝鮮をわざと悪者に仕立て上げている

よく、日本の現体制を否定し、日本人の卑屈な性格批評し、日本社会の劣悪感を訴えれば、二言目には「北朝鮮へ帰れ!」という御仁が多いですね。 そこで、このブログではっきりと公言しておきます。 朝鮮民主主義人民共和国中華人民共和国と同等のレベルにて日本よりは尊敬に値します! この意味が解らない人にはどうぞ言ってかまいません「だったら北朝鮮移民しろ」とでもなんとでも。 少なくとも、朝鮮人共和国北朝鮮というあだ名であざけ笑う人間に聞く耳持ちたくありません! 本来ならば、日本と同等に哀れな愚民化への道を踏んでしまった大韓民国と統一を実現し、朝鮮半島がひとつの人民共和国になるべきなのですから…。

 朝鮮民主主義地理的な状況で苦しんでいます。 革命により衆愚政治を打倒し、一時的に共産主義という名の開発独裁政策を盛り込みました。 そして、外交において有利に動く甲斐性が得られる核武装の断行を行いました。 これぞ、フランス第五共和国初代大統領シャルル・ド・ゴール将軍思想を旨く心得ているかのごとく達者です。 また、地理的そして国際政治的に不利な立場を克服するために、人民統制を敷く為に凝固な独裁体制に依存しなければならない国なのです。 

 もし、朝鮮民主主義共和国大韓民国とがともに統合を果たし、朝鮮民主主義共和国釜山などの国際貿易上有利な港を手に入れれば、朝鮮半島にも繁栄がもたらされるでしょう。 しかし、政治体制はむろん朝鮮民主主義人民共和国独裁体制をそのまま温存するべきですね。 今、経済情勢も社会情勢も揺らいでいる大韓民国制度朝鮮民主主義共和国において導入すれば、人民の間でのいち早いコンセンサスが定められず、南北朝半島における経済格差を埋め、長年の暗い政治的対立の波長を弱めるだけの効果が得られないからです。 その真の南北統一において必要不可欠な政策は、更なる開発独裁の断行です!

 そういえば、シンガポール共和国が明るい北朝鮮朝鮮人民主主義共和国)とあだ名されていることを思い出しましょう。 シンガポール共和国が、コモンウェルスという英国連邦の一員として残るが、主権をグレートブリテン(UK)から奪還し、リー・クアン・ユー上級相の思案を基に、開発独裁を行使して、独立後の混乱および多民族国家として人民静定、そしてある程度経済発展が起動にのるまでは計画経済を導入しつつも、国際自由市場におけるイニシアティブを序所に上げて、今現在国民一人当たりの平均GDPを経済大国として胡坐をかいていた日本を追い抜かしたのです! そして、独裁国家といえども東南アジア諸国の中では経済成長だけでなく、多民族国家としての品格として社会不安定に陥れない価値観であれば許容し、そして売春合法化など人間性格を世俗合理的に判断し、政治的に抑圧をしけども自由主義的な社会政策を導入するという異彩を誇る新興国優等生に躍り出たのです。

 朝鮮民主人民共和国が地の利を得れば、シンガポール共和国とまでは行かないものの、日本を脅かす新興国に躍り出る可能性はあるでしょうね…。

 そして、日本政府朝鮮人共和国を赤貧にあえぐ悪役国家としての印象を強く日本人押し付け、あたかも日本朝鮮人民主主義共和国にて生を受けるよりましであるという錯覚をあたえるのです。 むろん、それは日本高度経済成長期の真っ只中で、人民精神がまだ旺盛かつ将来に対して希望を持てる時代であればいえたことでしょう。 しかし、バブル経済から日本は本当に衆愚化してしまった…。 社会の上に立つべき存在責任制のあるべきエリート)が似非エリートとして上り詰めた愚民等により制御される社会になってしまったのです。 マクロ経済マネージメントを怠り国債所有率をGDPレベル100%以上にまで吊り上げ、将来人民への負担をかせました。 本来、あそこまで国内市場だけでなく、同盟国であるアメリカ合衆国にまで嫌がらせの如く市場拡大を行い、バブルの破裂した際の撤収費用(サンクコスト)を多く被るヘマをする土人である日本人…。 そして、現在にいたれば、経済大国を自任しながらも、その他アジア諸国に次々に追い抜かされ、外交上においてろくに自分意見も貫き通せず、ただひたすら諸外国に貢ぐことばかりで、その負担を本来世の中を動かすべき人民へと押し付けているのです。 そればかりでなく、経済大国を自負しながらも、ここまで雇用体制が杜撰であり、将来へ希望を無くし既に餓死する可能性のあるレベルまで赤貧に追い込まれた個人が数多に続出しました。 

 おそらく、日本にて赤貧に成り果てた人口と明日への希望を見出せず真っ当に社会生活を送れない人口の合計は、朝鮮民主主義共和国の赤貧に面している農奴人口と同じといって過言ではないでしょう。 むろん、下層階級に貶められた日本人の方がまだ物質面では恵まれた文化生活を送ることができるが、幸福度という面では朝鮮民主主義共和国の赤貧人口より2倍は下でありましょう。 そして、まだ朝鮮民主主義共和国人民の明日への希望、そして自分自身を信じて今日と明日を生きる気力は日本愚民および下層階級よりも数段上です! 

 そして、政治面でも、あれだけ窮地に立ち、日本と違い不幸にもミクロ経済マネージメントにおける利点を得られなかったにも関わらず、国際外交においては屑日本を譲歩させるだけの力量を秘めております! つまり、日本の政治家や官僚よりも朝鮮人民主主義共和国の方が格段に力量が上であるのです! 

 また、日本政府は未だ拉致問題という本当に朝鮮民主主義共和国の主導により行われたか疑わしい疑惑を明示しながら、御国犯罪国家と罵る醜態であります。 これは、日本人拉致疑惑を完全に否定しているのではなく、日本政府がその拉致疑惑の正当性を主張しながら、実際になにもできない醜態であるからやけに疑わしいのです。 本来、拉致疑惑の有無を議論するよりも、もし拉致被害者が出れば特殊部隊を送るなり、外交上の圧力を積極的にかけるはずです。 そういうことをしない現日本政府の対応を見ているとまるで、日本人拉致被害が無かったかのようにみえてなりません! どうでしょうね? すくなくとも、○○協○のような現日本政府体制の腰ぎんちゃくであるカルト組織が熱烈に拉致被害を誇示している背景からしても、ますます怪しく見えますね…。

2009-01-17

http://anond.hatelabo.jp/20090117183058

おそらくコレは「協調性」の捉え方の問題なんじゃないかと思う。

というのも、私たちは小学校の頃から協調性を教わるとき「他人に迷惑をかけない」「リーダーのいう事をキチっと守る」という事ぐらいしか教わらない。

こんな協調性の教え方では、主体性が育つはずがないのだ。

本来の協調性とは、主体性をもったうえで尚且つ、相手の邪魔にならなく、相手の利益になる行動は?という事を考える必要がある。その為には相手がどういった行動をしているのかを理解し、その行動にあわせた行動を考え決断する必要がある。

だが、ただ闇雲に「リーダーのいう事を守る」という教えを受けてきた私たちにとって、相手の行動を理解して合わせる=命令に従う、という解釈になってしまっているのではないだろうか。

主体性を持って自由に動くと統率が乱れると怒られる事ばかりだから、実際の社会生活で個人の判断が複合して1つの形をなす場を馴染むどころか、理解する所から大変なんだろう。

話を大きくすれば、社会生活教育乖離が問題とも言える。

2009-01-11

責任能力がない人の権利

法律に詳しい人に教えてもらいたいこと。

ググってみたけど、探し方が悪いのか見つけられなかった。

心神耗弱などによって責任能力がない、と認められる人というのがいる。ニュースみかける、刑事責任を問われないような人。

こういう人も選挙権を持っているの?

基本的な人権が認められてる、といのは想像がつくんだけど、どの辺までの権利が認められるの?

人間としてまともな範囲で衣食住が足りた生活を送る権利、という以上の全部を持っているものなの?

責任能力も無ければ、常識的な社会生活もおくれない、人間関係に支障をきたしまくり、みたいな人間は、どの程度社会に影響する権利持ってるのだろう。別に生きてていいし、幸せになってくれればその方が個人的にも嬉しいんだけど、罪を犯しても罰を受けない人間が、他の人と同じだけの権利を行使する、というのでは、社会制度がちょっと歪むような気がする。

その辺りは、法律ではどういう風に判断されて、現実的にどういう風に対応されているんでしょうか。

詳しい人、お願いします。

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