おそらくコレは「協調性」の捉え方の問題なんじゃないかと思う。
というのも、私たちは小学校の頃から協調性を教わるとき「他人に迷惑をかけない」「リーダーのいう事をキチっと守る」という事ぐらいしか教わらない。
本来の協調性とは、主体性をもったうえで尚且つ、相手の邪魔にならなく、相手の利益になる行動は?という事を考える必要がある。その為には相手がどういった行動をしているのかを理解し、その行動にあわせた行動を考え決断する必要がある。
だが、ただ闇雲に「リーダーのいう事を守る」という教えを受けてきた私たちにとって、相手の行動を理解して合わせる=命令に従う、という解釈になってしまっているのではないだろうか。
主体性を持って自由に動くと統率が乱れると怒られる事ばかりだから、実際の社会生活で個人の判断が複合して1つの形をなす場を馴染むどころか、理解する所から大変なんだろう。