はてなキーワード: 社会主義とは
若者の車離れを嘆いているのは、おそらく若者自身ではなく、中年、老年層だということに、僕は納得がいかない。放っておけと言いたい。自分の価値観で他人の人生を測るなと言いたい。
僕は若者の車離れが進んでいるとしても、それは嘆かわしいことだとは思わない。とくに今のように、車が二酸化炭素を排出するタイプのものであり続けるのなら、車離れは、むしろ喜ばしいとすら思う。
若者が車を買わないことで日本の経済が縮小したって、それがなんだというのだろう。いつまでも日本という国の経済が拡大し続ける必然なんてどこにもないというのに。世界には長期的に見て、人口が増える地域もあれば、減る地域もある。経済が発展する地域もあれば、停滞する地域もある。それは巨大なうねりのようなもので、おっさんやじいさんが嘆いても、車産業が必死になっても、変えられるものとは限らないだろう。そして、日本はどう逆立ちしても、今後数十年のスパンで、国全体としては凋落していくだろう。たとえば、オッサンやじいさんが、企業や政治のトップでくだらない利権にしがみついて、パワーゲームを繰り返し、日本の成長を阻害している間に、お隣では、中国が社会主義の強力な中央集権制と、資本主義の経済発展の相乗効果で、一大国家に成長する。そうして、今の中国が軍事、経済、農業など各面で日本より優位に立つのに20年はかからないと思う。(一人当たり平均は、今はまだ日本のほうが高水準だが、国全体としては、すでに今挙げたすべての面で抜かれている。年間の軍事費でも、経済規模でも、農産物の生産高でも抜かれている。)
そうなったとき、今の中年はそろそろ引退する頃であり、じいさんばあさんは死んでいる頃である。今の若者が働き盛りの中年となって、日本を支えるのだ。
僕はそういう状況は、事実として受け止め、それなりに生活すればいいと思ってる。日本を脱出するもひとつの手、医療や教育など社会的なインフラを何とか維持しようと献身的な努力をするのも手、金融やコンサルなど、旨みのある仕事について、上澄みをすくうような生活をするのも手。どうしようもなければ、少ない収入で細々と暮らすのも手だ。それだけの話。
だから、若者の車離れや日本の凋落を、中年や老年は嘆いてくれなくていい。(もし嘆く暇があるのなら、死ぬ前に少しでも、現状をなんとかして見せてほしい。期待しないけど。)僕ら若い世代は、中・老年層が、高度成長経済期やバブル期に、大盤振る舞い、どんぶり勘定でこさえた負債をし払い、なおかつ、養う世代だ。
http://d.hatena.ne.jp/Prodigal_Son/20080129/1201604111
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/Prodigal_Son/20080129/1201604111
同和対策でばらまかれる金のおこぼれは欲しいが、解放同盟にも全解連にも入るのは嫌だ、という以上の何ものでもないんだけどね。自力で何かの対策を勝ち取ったとかの実績なんてほとんどなし、「解放同盟の小判鮫」という表現がよく似合う。
だから、同和対策の垂れ流しをカットして張り付いてる本体が苦しくなる頃には、放っておいても勝手に自滅するよ。自民党側から見た集票団体としての旨味もほとんどないし、大樹会すら切り捨てるいまの状況では、むしろ「既得権益」の象徴としてスケープゴートにしたいくらいなんじゃなかろうか。
ついでに言えば、少なくとも建前としては、"自由同和会の糾弾"というものは存在しないことになってる。(実態として強要事件の類が存在しない、とは言わない) なんとなれば彼らが「解放同盟にも全解連にも入るのは嫌」な理由自体が「糾弾」と「社会主義臭」だったんだもの。
気持ち悪っ!
最近では、マルクス主義その他の「左翼」的思想のコアな部分は論ぜず、「反日」「反米」「親中」「親韓」等に偏った立場から、人権や平等などの理念を都合の良いときだけ持ち出したり、空想的な平和主義を唱えたり、といった人々を揶揄するレッテルとして用いる人が多いようである。
なるほどこの社会主義とか共産主義の部分に重みが置かれてるのね。
ちなみに右翼は、
だって。
なんか違和感がある。
自分の中で右左の思想の違いは、
だと思っていたんだぜ。
(つまり、街宣車なんかで愛国心を煽ったり、外国人の排斥をうったえたりとかいう)
活動に正直自分は賛同できない。
なので彼らの活動の反対側にあるのが左翼だとおもってたわけですよ。
だから自分はどちらかといえば左派なんだとおもってたわけですよ。
だったら左翼はグローバリゼーションどんとこい!なんじゃないの?
実際、国際社会でこれから自分と自分の周りがガツンと稼いでいくためには、
使えるところは使っていかないといけないとおもうわけですよ。
こういう経済活動と社会主義とか共産主義って一番縁遠いんじゃないの?
超合理的な考え方で資本主義じゃないの?
ややこしくなるだけだから普段は絶対に口にしないけど。
へんな人多いから地雷踏んだら嫌だし…。
少子化という事態は、人口の減少は消費の減少を意味する。だから政府は個人消費に頼らない経済政策を打つだろう。高所得者優遇を進めることで、個人消費の激減を抑えるようにはするだろうが、貧民の増加に対しては、手は打たないだろう。自己責任原則の過剰さが言われ始めるようになったが、その言葉はすでに10年前から一人歩きを始めている。もう、全てが遅い。失業した人間や給料の低い人間、雇用が不安定な人間は、その人自身の責任とされ、政府による経済政策の失敗、ひいては官僚機構の無謬性と無責任性の維持のために、自己責任原則はこれからも跳梁跋扈し、大企業の正社員たちは自らの幸運に安堵し、生活を維持するために、そうではない人々への同情は、形にはならず、それを訴える声に耳は貸さなくなる。ネットでの叫びは、匿名性の名のもとに、罵倒される。
階級社会の現実というものなのだが、社会は連帯ということが必要とされる。いつしか、それが消えてしまった。大晦日の格闘技興行で、韓国系日本人を破った選手が日本人は強いとか勝利後のマイク芸でしゃべったそうな。それはそれでよい。負けた韓国系日本人は、大ブーイングを浴びるだけのことをしたのだから。あの勝利のローキックに快哉を叫んだ日本人は多いだろう。しかし、日本人は強いという言葉に素直にうなづくくらいしか、社会の連帯がなくなってしまったのかと思うと、悲しい。連帯が消えてしまった国家・社会は崩壊するしかない。崩壊した後に何があるのだろう。どこに自己の帰属を求めればよいのだろう。自己の帰属が会社だった時代が羨ましい。国家が前面に出てこない幸福な時代。もうそういった幸福な時代はやってこない。
連帯も失われ、セーフティネットも形骸化していく中で、若い連中は将来が描けない。描けるのは、高所得を得ることができる人々だけで、それ以外の連中にそれは無理な相談となりつつある。自己責任原則はここでも登場する。将来が描けないのは自業自得だとか、趣味の世界に走って、異性に関心を持たない嘆かわしい連中が増えた、何だと、萌えだぁ? こんなことしているから、少子化になるのだといわんばかりのマスコミによる大合唱。マスコミに勤める人々は、基本的に勝ち組だ。将来テレビがなくなることはない。テレビを持てなくなる人や見られなくなる人が出ても、彼らは安泰だ。現状のビジネスモデルは、若干の変更が加えられて存続するだろう。そういった連中は、ステレオタイプの若者像を過去何年にもわたって報道し、増幅してきた。ネットでの抗議などは蚊ほどにも感じない。炎上と称しているのもあと数年で、炎上対策がなされ、ネットでの抗議などは意味を持たなくなるだろう。
事実ではなくイメージが先行するのは、さして驚くことではない。イメージで社会が、政治が、国家が語られ、事実や正確な統計は省みられない。イメージが100%正確ではないということではない。一部の人々にとっては正確なのだ。その一部の人々の利益は守られるだろう。そしてそこからあぶれている人々は、貧民としてラテンアメリカのような陽気だけど貧困にあえぐという像を押し付けられる。江戸末期に外国人が来て、日本の一般庶民が大変従順で、幸せそうであることに注目している。彼らは武士たちの巧妙な統治によって、従順化させられていた部分が多分にあるだろう。おそらく数十年後にはきっとそうなる。大して面白くもないお笑い番組を年末年始に放送しているのは、愚民化への一歩ではないだろうか。芸人は罪はない、としておこう。一部芸人を除外すれば、多くはフリーターのようなものだ。今年の今頃にはあの人何処に行っただろうとか言っている、某筋肉自慢の高学歴芸人だっているはずだ。それに多くの人は笑い、年末年始を過ごし、貧民化した人々は、また仕事に向かう。明日とも知れない不安定な生活を少しでも支えるために。ああ、忘れていた。年末年始も仕事だという人もいる。そういう人もまた、不安定な生活を支えるために、懸命なのだ。人間らしい生活など、何処に行ったのだ?
19世紀の労働者たちは生活向上のために戦った。社会主義やら共産主義という方向に行ってしまったのはさすがにアレだったが、それでも権利獲得のために戦い、いくつもの権利を勝ち得た。しかし、権利とは勝ち得た後が大変であることを忘れていた。権利が形骸化させられること、これは最も恐れるべき事態だが、21世紀日本ではそれが起こっている。貧困が自己責任化するまであともう少しだ。生活保護も形骸化し、雇用保険も同じく形骸化する。ありとあらゆる国民生活を支える社会制度が、崩壊する。崩壊しても制度は残るし、運用者が要る。すなわち。それらを運用する官僚たちだけが生き残るのだ。そういった、本末転倒な事態まであと少しだ。日本は22世紀には存在しないだろう。21世紀中に国家の態なさず、事実上崩壊するだろう。希望というものなど、もはや何処にもない。絶望しかない。政府が少子化を訴えても、危機感が迫らないのは、政府自身が手を打つ気がないからだ。
将来、世界史史上稀に見る、統治能力を失って自己崩壊した国家の一例として、日本国が挙げられることとなるだろう。若者たちよ見えないか、ブレードランナーのような情景が眼前に広がるのを。最低限の秩序もないが自然状態をかろうじて回避している、夜警国家以下の情景が。
これは金持ちが権力を持つのが社会秩序の乱れになると日本では考えられているからだ。
地方の名士や豪族なんかが衰退したのも戦後の政府の戦略が公を奏したからだろう。
ただ、金持ちはそれだと納得しない。
なぜ俺が納めた金をおまえがさも自分のものかのように分配するのだと。
しかもその用途に納得がいかないことが増えてきた。
富の再分配と税の公平性を混同するのはおかしいのではないか?
同じだけの税を払っていないのならフリーライドがどうこういうのならわかるが、
”なぜ”フリーライドなどと非難されなければならないのだろうか?
レストランで同じ食事をして各自たべたものの分を支払しようと割り勘の時に、
食ってるものが同じなのにおごってもらってあたりまえなどという風潮は断じて許し難い。
金持ちが多く支払わないと割り勘の額が多くなるから?
でもあなただって、その分食っただろ?
おごってくれないのだったもっと質素なレストランにいけばよかった!!
もしそういうことをいいたいのだとしたら、それって、どんだけ浅ましい連中だよ・・・。
金持ちは金もってるんだから金をよこしてあたりまえだ!などという考え方は人々から働く意欲と意図を奪う。
全員が役人かのように国に奉仕するという形態は、現代の社会ではあまり成功していない。
かつての中国や北朝鮮、ロシアのように飯の時には前に仕事の時には後ろにいく人々だけになる。
公平性を唄う理想を語るだけならそれでもよいがそれを現実でオペレーションは、
現段階では時期ではないし、”実験”をするには日本という社会は成熟しすぎている。
金持ちも貧乏人も寄付による控除という機会の平等は与えられている。
多く稼いだ奴から多くとる仕組みだ。
多く稼ぐためには経費が必要となる。
会社には経費というものが認められている。
大きな設備を買えば複数年にわたり償却する必要がある。
寄付を人材育成のための設備投資経費と考えることがなぜできないのか?
年収が400万の人と、年収が1億とんで400万の人がいたとする。
実際、相続などで相続税などが払えず土地を売却すればこれくらいになる事もあるだろう。
現実的な数字だ。
年収が1億とんで400万の人の税金はいくらだろう?3500万程度か?
いや、前年度の収入から住民税などは計算されるので翌年も相応に税がかかる。
黙ってても徴収されてしまうのだったらどでんと地元なりに寄付して今年の年収を下げたほうが、
地元のためにもなるし、自分の身近な人たちのためにもなる。
そういう行為をする人を捕まえて君はフリーライドだというのかい?
あいつが山梨で寄付しなければ、高知に割り振られる地方公布がもっちょっとあったのに!みたいに??
なんて夢をみた。
ま、貧乏人なのでどうでもいい。
でも金持ちになったときにこんな寄進の求められ方したら頭きちゃうな。
要するに、言いたいことは社会主義最高ってことか
実際はそう単純でもなかったりする。社会主義国では「右翼」「極左」はそれぞれ別に取締りの対象。
と考えたときに、その国や地域の現時点での政治体制から見て左と右が決まることになるからでしょう。例えば社会主義の国で資本主義を標榜すれば、現体制から革新しようという態度ですから、それは左翼に位置づけられます。
さらに日本の左翼と右翼については、内藤朝雄が次のように述べています。
右派も左派も、自分がコミットすると称するコア価値(たとえば人権)によって個々のトピックに賛成したり反対したりしているのではない。そうではなくて、右派と左派の線引きの後に所属の論理によって「どういう信念を持つか。どういう論理を採用するか」の内容が決まってくる。だから日ごろ人権が大嫌いなはずの右派が、北朝鮮政府を加害者とする被害者の人権擁護を担当し、「人権派」を称する左派が無視し続ける、といった不思議なことも起こる。
いじめと現代社会――「暴力と憎悪」から「自由ときずな」へ――
ということで、「????主義ならば右翼」「????主義ならば左翼」という区別が事前に存在するのではなく、何らかの問題に対して、右翼集団がとるような対応をとれば右翼、左翼集団がとるような対応をとれば左翼、ということになります(なんとも歯切れの悪い)