はてなキーワード: 社会主義とは
あるとき、アメリカ人とキューバ人とアフリカ人とヨーロッパ人を集めた会議が行われました。司会者は、皆を前にしてこう切り出します。
「今日は、第三世界における食糧不足について、みんなの意見を言ってもらいたい」
ここまで聞いて、キューバ人が手を挙げます。「意見? 何ですかそれは。そんな言葉は聞いたことがないのですが……」。キューバでは社会主義政権が敷かれており、意見をいう習慣がないというわけです。
次にアフリカ人が手を挙げます。「食糧? 何ですかそれは?」。ヨーロッパ人も手を挙げます。「不足? そんな言葉聞いたことがないよ」。対照的な両者ということになります。
みんなが戸惑いの表情を見せる中、最後にアメリカ人が手を挙げて、こう言いました。
「……第三世界って何?」
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0706/20/news078.html
英単語いらなくない?
労働規制の緩和、首切り、賃下げは、労働者の使い捨てのためであって、そういう意味での流動化だろ。そこに新卒者が失業者が入ったからって、結局上に上がるチャンスも無く、下層でぐるぐる流動させられ続けるのだから、それが格差なんだろ。
大体、落ちる話ばっかりで、肝心の上がる話が無いぞ。ホリエモンやブックオフの社長になったおばさんみたいな超例外はどうでもいいよ。(しかも、一瞬で没落したし。)、、、と、煽ってばっかりでごめん。
俺は、どっちかというとある一定ラインから下層は全部社会主義的に平等に管理して、競争したいやつは競争できる土俵にのって勝手にやってくれよというのが理想なんだ。もちろん、土俵にのるかどうかは本人の能力と意志次第で自由に決められるのが一番いい。
たった一つの解決策さえあれば、全てが丸く収まるようなことなんて期待するべきではない。ポイント、ポイントで適切な施策を順次ほどこしていくべきだ。
「資本主義と社会主義」、「競争社会と福祉社会」。一見、相反するようなものでも、それぞれに適切な施策をしていくことが必要。競争するべきところは競争し、そうでないところは社会主義にする。そんな柔軟さが必要なのだ。
そこで、年収400万円未満の人間は全て社会主義的に管理して、年収400万円以上の人間は競争原理を適用するなどすれば、格差や貧富の差をある程度解決できるし、競争に負けても社会主義層から、復活のチャンスを狙えるかもしれない。
株式会社をつくって適当にプレスリリースを流すだけでVCが寄ってきます。
プレスリリースを打つ行為というのはお客さんに広くサービスを知ってもらうためではなく、VCホイホイなのではないかと思うほどです。それほどVCだけが寄ってきます。
ちなみにメディアに取り上げられ集客につながるというような本来の効果は殆ど期待できません。
社長になると一番多く掛かってくる電話は「お金を貸しますよ」という電話です。
それほど社長業と資金繰りというのはきってもきれないものです。
収入のあてはなくとも支出だけは確実に決まってしまっているのです。
いっときでも調子がわるいと目に見えて資金が減っていきます。
場所代などはともかく人についての費用はスタートアップの会社には非常に重くのしかかります。
とくに自らの技術を頼りに新規サービス、新規マーケットを開拓するというような会社は日本の場合早々に資金繰りに行き詰まります。新規出店などの場合も同様です。
よほどイニシャルに工夫をするか資金に相当余裕があるひつようがります。
日本人は非常に保守的で新しいところとは取引や物を買ったりしないからです。
旧知の取引関係がすでにあるか、スタイルにとらわれず臭い仕事をしてまずは最初の3年間を凌ぐか、
いずれにしろ、思い描いたような事業は始めるには経営者にはもどかしいほど時間がかかります。
経営者にとって時間とはつまり資金の問題です。
そのようなタイミングでのVCの話は非常に経営者にとって魅力的な話しです。
創業に掛かるコストはだいぶ軽減されましたが、日本では創業後の会社の維持に非常にコストが掛かります。
LLCのような利益がでてから分配するような組織体系にまだまだなじみがないからです。
(金になってもならなくても働いた分はクレという社会主義的な労働土壌がある日本では今後も受け入れられないかもしれませんね。)
創業まもなくは非常に不利な条件で取引を開始しなければならないことも多いです。
仕入れや給料の支払い日と売上回収の入金日この日数差の理不尽にどの経営者も頭を悩ませることでしょう。
最初からうまくいく会社はありません。
改善を繰り返しながら事業の方向性を模索していくのですが、大抵途中で資金が尽きかけます。いまのうちですね。
先にも述べた通り甘言は常にあります。
ですが、のれるような甘言は殆どありません。
このような経営者が不安に陥ったときは資金提供の話しがとてもありがたいものです。
VCはさらにそれなりのノウハウを持ち合わせていることも多く、
経営者のせっぱつまり感のところにVCの話しがあった場合喜んでのってしまうことでしょう。
資本のスケールメリットを生かせるマーケットというのは少なくなっています。
ただ、VCはキャピタルゲインによってのみ利益を得ることができます。
配当狙いのVCなどがあるでしょうか?
外部からの資本をいれてしまえば、あとはそれに報いるには上場しかないのです。
これは経営者が外にむいて活動しなければならぬいっぽう現場は内を向いて仕事をまわす必要があるからです。
従業員の雇用をまもるためにおこなった判断で結果、従業員が去っていく原因になることがあります。
で、社長はさらに心を閉ざすっと。
そら日本共産党の俺違うよ理論もとい独自解釈だ。"Communist State"と呼ばれる国家は普通にあった・ある。それが日本語ではhogehoge社会主義共和国となぜか訳されてたりするんだが。共産主義を目標として掲げて第一歩としての社会主義の確立をはかった(と標榜した)国家はごろごろしてる。
自分は専門外だが趣味でその手の本を読むんで一応おさえてるけど、それを一般に知られているものだとは思わないな。
大学の専門でやらなかったら、それに触れる機会があったと思うかい?まあ、哲学科進むような奴は放っておいてもそういうこと考える性質なんでイマイチ想像しにくいかもしれないが、大抵の人間は自分の専門分野について、君と似たような印象を持つことがある。そして無理からぬことだと分かってるもんだよ。
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51074009.html
いいじゃん、社会主義に戻っても。闘争ではなく共闘が全体で見れば効率が良いんだよ。
いいじゃん、経済が空白でも。みなで貧乏しながらみなでのんびり暮らそうぜ。
今更戻れるかって?戻れるよ気の持ちよう次第だよ、簡単なことさ。
滅茶苦茶働かなくても、そこそこ働けばそこそこやってける社会を作ろうぜ。
どうだろうね。その人の主義にもよるが、同士を一気に増やしたいとは思ってないんじゃないか。
気付いてもらわないことにはどうしようもないし、歴史の浅い流派だから経験も積み重なっていない。手探りだもの。実際一度大規模に失敗している。自分自身社会主義革命なんてものがあるとしたら今の世界が行き詰まったときにしかあり得ないと思うし、それはたぶん前提としてだいたいの人が持っていると思う。
そこで過激な考えを持っている人はその行き詰まりを急速に進行させた方がいいとしていろいろ行動することになるだろうし、穏健派はそういう革命なんてことが自分の生きている間には起こらないと考えて今の政治の一部修正にとどめようとするだろう。一部修正なら気付いてもらった人だけでもなんとかなる可能性が高いし、今のまま全員が幸せになる方法はまだ見つかっていないからいきなり人が増えてもどうにもならないからね。
鳥肌実は右翼なんじゃなくて右翼も左翼もバカにしてネタ化する芸人だ。むしろ両方を(あと一部宗教も)敵に回す存在。
本当なら「今の体制に反対する勢力=左翼」「今の体制を維持する勢力=右翼」なんだけど、日本の場合は「戦前の体制に戻りたい勢力=右翼」なものだから右翼の意味が本来と異なってくる。すると当然、それに敵対する勢力という意味での「左翼」が示す範囲も違う。自称左翼は現体制派も右翼と呼ぶし自称右翼は現体制派も左翼と呼ぶ、みたいな。
お互いに違う範囲を同じ名前で呼ぶから混乱するんだよね。最初から「共産主義者」とか「復古主義者」とか呼べばもう少し明確になると思うんだけど。
http://anond.hatelabo.jp/20070420222852
社会は「最大多数の最大幸福」を求めるべきである、というのが近代法治国家の常識と思ってるのだが。
大前提:人の死は不幸である
よって、なるべく多くの人が、なるべく長く生きていける社会の方がよい。
もちろん、より幸福に生きていける方がより良い。
より多数の人が死ぬ→不幸になる事を避けるために、人を殺す事もある。死刑、戦争など。
しかし、別の手段で避けられる→より「最大多数の最大幸福」が得られるのではないか?→戦争・死刑反対となる。
社会主義→すべての人は等しく平等で、等しく富をわかちあえば、より多数が幸福である
→だれかが平等となるようにコントロールせねばならず、そこに権力・富・幸福の格差が発生する。
→競争力が奪われ、国力が衰え、結果として多くの幸福が得られない。
自由主義→個々が幸福となるために最善と思われる行動を行なう事で、結果としてより多数が幸福になれる
努力もせず、能力も持たず、ただひたすら権利だけを要求する下級庶民が、特権階級の特権を悉く剥奪しようと画策し、「平等」の基準を給与や時間に、水準を下級に合わせようとしている。給料が高い医者や議員は、給料が高すぎると文句を付けて下げさせ、機会を狙っては訴訟を起こして賠償金をふんだくる。企業からの収賄や天下りは、自分達には縁が無いからと一方的に否定し、禁止させている。
確かに、特権階級の特権は「ずるい」様に見える部分も少なくない。が、それはその階級まで登り詰めた努力の賜物である。給料の高さもそうだ。これを全て禁止し、給料も下げてしまったら、誰が苦労してまでその地位に就こうとするだろうか。
「平等」の基準は難しい。努力に見合った対価を得る状態が平等なのか、全員が同じ対価を得る状態が平等なのか。男女平等も同じ。マラソンで走る距離は女の方が少ないことに不平等を訴える奴はいないが、労働量が少ないのに合わせて給料が少ないことに不平等を訴える奴は多い。
つまり、責任を果たさない権利の過剰要求の横行である。
そして、今の日本は、特権階級から特権を剥奪し、全ての人間が得る対価を平等にしようとする方向に動いている。言わば、社会主義化である。
だから子供達も、努力しなくても生活に困らないし、努力しても得るものが少ない現実を目の前にして、努力を放棄している。学力低下は教員の質の低下でもゆとり教育が原因でもない。そもそもの子供達の意識の低下、そしてその原因となっている社会の質の低下が原因である。社会主義がなぜ失敗したかというのは、中学レベルの社会科で習っているはずなのに、それを理解している人間が少なすぎる。
努力をして、普通の人にはなれない地位にいる人には、それに見合った、少しくらいずるく見えるような利権があって然るべきだ。それが欲しいならば、自分もその地位に就けばいい。そういった、執念にも似た努力が、日本の高度経済成長を生んだはずだ。
諦めて僻むだけの無能な社会のゴミ共が、特権階級の特権を剥奪して、自分達と同じレベルに落とそうと必死になっている。それが更なる社会の崩壊へ繋がることなど気にも留めない。自分の気が晴れればそれだけでいいらしい。
生きる権利は誰にでもあるが、生きている価値は誰にでもあるわけではない。社会全体にとってマイナスな個体は、生きている価値などない。
ホントに、他にこんな国がないのか。教えてエライ人。
エロい人だけどおいておきますね。
( ・▽・)っhttp://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/9520.html『図録、神の存在・死後の世界に対する見方』
世界55カ国の中で、日本は神の存在を信じてない率、相当高い部類に入るます。その辺の社会主義国を軽くぶっちぎってます。
日本は、ベトナム、チェコと並んで、神の存在を信じない人の多い国であるが、死後の世界については、信じない人が多いが、その比率は、ドイツ、デンマークと同程度であり、それほど目立っているわけではない。
日本人の特長は、「わからない」の比率が多い点にある。神の存在については、世界各国の中でも、「わからない」の比率は圧倒的であるし、死後の世界についても、「わからない」の比率は世界一高い。日本人は、神の存在や死後の世界に対して、存在するともいえるし、存在しないともいえるという立場をとっているように見える。悪く言えば、どっちつかずの見方で他国から理解不能な民族ととらえられる傾向があるともいえるし、よく言えば、存在を証明できない以上、どっちでも良いではないかと哲学的に考えている民族であるともいえる。
とりあえずユニークな国ではありますな。
都庁VS新宿中央公園のホームレスたちだったな。なんかマジすげぇと思ったね。
聳え立つ丹下健三作の現代建築の中に生きる人々と自然との対比。
まぁ僕は平凡な市民にもより低いものに対してはノーブレスオブリージュ必要なんじゃないのって思うけど、日本に生きる普通の市民は基本的に何も出来ないからね。
さわらぬ神に祟りなしっていうけど、お国の態度はホームレス量産政策なので今後どうなっていくのか。
行政主導のなかで好き勝手思う市民。矛がこっちに向けられても何も出来ない様。これもまた美しい社会主義。重荷を背負う部分が変わっただけ。分配の仕様が変わっただけ。
完成された社会主義はまだまだ進めるらしい。