はてなキーワード: 女子力とは
20代30人、本気で“森林ガール” 岩井有加さん
「衰退が著しい日本の林業を変えるには、今までなかった『女子目線』が必要だと思うんです」
淡々と話す様子からは、“パイオニア”に位置づけられるべき気負いがまったく感じられない。屈強な男性が山で黙々と木を切るという、林業のイメージからは最も縁遠い、都会の女子が集まる「林業女子会@京都」を昨年7月に立ち上げ、代表を務める。
平均年齢20代のメンバーは京都の女子大生を中心に、建築士や会社役員なども含めて約30人。アウトドアを楽しむ「山ガール」や、おしゃれ重視の「森ガール」が人気だが、「大木を切ったり、急斜面を登ったり、現場は体力勝負」と、明らかに一線を画す。
昨年11月に開催した京都府南丹市での「伐採体験会」。メンバーはヘルメットや地下足袋、つなぎ姿で山に入り、のこぎりを使って手入れした。一方で今年2月にはフリーペーパーを発刊し、薪ストーブを置くカフェなどを女性向けに紹介するという。
「家の柱や家具、読んでいる雑誌の紙だって、森からいただいた恵み。都会の女子的生活にも林業はなくてはならない。だから、あえて女子をターゲットにしてみたんです」
大学では森林科学を専攻。京都で活動する男女混成の林業サークルにも所属したことがあるが、女子会結成はツイッターでのつぶやきがきっかけだった。
《農業に興味のある若い女性が「農(ノ)ギャル」と呼ばれて注目されるんだから、林業に若い子がいてもいいんじゃない?》
反響は大きく、賛同した若い女性と意気投合し、つぶやきはわずか2カ月で形になった。
大学近くのカフェを活動拠点とするが、定期的に集まるわけでもなく、思いついたときにブログやメールで呼び掛ける。「『木っておしゃれ!』みたいな、シンプルなところから入ってくれたらいい」という軽いノリも魅力の一つである。
国土の7割を森林面積が占める日本。「里山」の良さは近年見直されてきてはいるが、木材自給率はわずか3割しかなく、林業の衰退が叫ばれて久しい。
「一過性のブームに乗るのではなく、ライフスタイルとして山とつながり、100年先を考えられる余裕のある女子が増えたら、未来はきっと明るくなる」
「草食系男子」とは比べものにならない「女子力」なら、日本の山に活力を与えるかもしれない。(白岩賢太)
=おわり
林業って簡易トイレから離れた所でも作業やるからトイレは……なんだけど、こいつらその覚悟あんのかね。
大学近くのカフェを活動拠点とするが、定期的に集まるわけでもなく、思いついたときにブログやメールで呼び掛ける。「『木っておしゃれ!』みたいな、シンプルなところから入ってくれたらいい」という軽いノリも魅力の一つである。
あ、こりゃ望み薄だ。死傷者出る前に飽きる事を祈るのみ。
むしろ洗練(これを洗練と呼ぶのは本当にお粗末だが)された女が
「女子力(笑)をつける」という名目で身に付けるのがそういう振る舞いだよ
女に縁がない奴はそんなことすらわからずに喋ってるからこんな男の発言は女から見ても何の参考にもならない
男子全体を「恋愛とセックス」という切り口で分類するなら、せめて明確な2軸「コミュ力 × 対人性欲」で分類すべきだ。
「あまり語られない男の真実」http://anond.hatelabo.jp/20100808145121 の記事を読んで、我慢できずに自分で作ってみた。
「コミュニケーション力」(人間関係の総合的なスキル。彼氏力とも言える。以下『コミュ』)
「対人性欲」(セックスへの欲求の強さ。2次元への性欲は含まない。以下『性欲』)
の2軸の高中低で分類してみたのが、下の9種類。
■恋の狩人: コミュ高、性欲高 ※恋の完璧超人。女がほっとかないし、1人の女性では満足出来ない。でもイケメンとは限らない。
■リア獣: コミュ中、性欲高 ※リア充かつ野獣系。ナンパ師やだめんずに多い。遅咲きのデビューもこうなる。性欲がやたら強い。
■誠実系リア充: コミュ高、性欲中 ※彼氏や結婚相手にするならオススメ。普通の女子に一番モテるタイプ。浮気もたまにする。
■オシャレ草食系: コミュ高、性欲低 ※クリエイター周辺に多い。カフェやバルでつるんで遊ぶ。価値観が合う女子と付き合う。
■ノーマルさん: コミュ中、性欲中 ※いわゆる一般人。男女共にほどほど友達がいて、普通に恋愛している。
■地味め草食系: コミュ中、性欲低 ※人畜無害のおとなしい彼氏。趣味の合う友達とつるむのが一番楽しい。浮気の心配なし。
■哀しき野獣: コミュ低、性欲高 ※性欲が強いのにモテない。風俗や出会い系にハマるタイプ。頑張ってリア獣に脱皮する人も。
■普通の非モテ: コミュ低、性欲中 ※セックス相手よりも彼女が欲しい。少しは努力してるけどモテない。ネット上に多く生息。
■枯れてる非モテ: コミュ低、性欲低 ※童貞をこじらせてもう恋愛は諦めた。完璧に趣味の世界や仕事だけに生きることにした人。
■追記:
女子版の9分類を作ってた人が何人かいたけど、一番秀逸だったのはこれです。
http://anond.hatelabo.jp/20100810111725
自分も女子版を「女子力」「自立心」という2軸で作ろうとしてうまくまとまらなかったけど、
この増田さんの「女子力」「期待度」という軸は見事にハマっている。
やっぱり女子の分類を語るときに、バブル美女、江古田ちゃん、猛禽ちゃん、スイーツ(笑)、喪女
あたりは外せないなあ。
男子力というものがあるとすれば
「女子力」なんてたわけた幼児語を冷笑に付して蔑む態度のことだと思うよ
間違っても対抗する態度ではなく
わかるし、自分は男の側からそれを感じる。
自分から行かない男がよく「積極性がない」「だらしない」「草食系」と馬鹿にされてるけど
行ったら行ったで、めいっぱい娯楽として馬鹿にされたり、優越感ゲームとして気持ち悪がられたりするわけじゃん。
もっとえらいことになった時には「犯罪者」とか「女性を脅かすナンタラ~」みたいにになることも実際にある。
あとは、「もっといいやり方を教えるセミナーがありますよ」的な。
「いじめていい奴」「搾取していい奴」として入信前より一層酷い目に遭う仕組みが見えている。
なんでそこまでして
特に、今は男の方から口説くのが主流なのに、
なんだろう。
例えば、「自分から来る女の子」のことをあれこれ言うけど、男のすることだって客観的に見たら同じようなおかしさがあるもんだよ。
経験をある程度積んで洗練されてくるまでは男も女もみんなそんなもんだし、それを上から目線で「女子力(笑)」とか批評したってしょうがないっしょ。
こういう暖かい目線は
男から女には注がれても女から男に注がれることは決してない。
そのくせ「最近の男子は積極性がない」とか言う。意味がわからない。
2人の姉を手始めに家でも学校でも年上の女が多い環境にいることがおおかったけど
女が自分に何かアプローチしてきた男を肴に「キモい!」「怖い!」といって
優越感に顔をほてらせながら嬉しそうな会話をすること、どの女も例外がなかった。
おみそとしてよく傍にいて空気のように観察してた俺が言うんだから間違いない。あれは女が一番好む楽しみだ。
そういう思いやりの無い扱いをして喜んでる女の日記みたいなものばかりネットにも一杯ある。
よほどイケメンで、黙ってれば向こうから来るぐらいの余裕がある人以外は
「自分から行く」アプローチも恋愛自体もしたがらなくなるのは当り前だと思う。
そういうことをいう自分の痛さに気づけるようになったら、1つレベルアップだ。
例えば、「自分から来る女の子」のことをあれこれ言うけど、男のすることだって客観的に見たら同じようなおかしさがあるもんだよ。経験をある程度積んで洗練されてくるまでは男も女もみんなそんなもんだし、それを上から目線で「女子力(笑)」とか批評したってしょうがないっしょ。
特に、今は男の方から口説くのが主流なのに、それを待たずにちょっと無理のあることをしてまで「自分から来る女の子」というのがどういう思いなのかとか考えれば、そういうことは恥ずかしくて言えなくなるよな。
はてな界隈では女性性に魅力を感じている男女が多いように感じるけど私は女性性に魅力を感じた事など一度も無い。
封建的なド田舎の家庭に育った私にとって女性性とはいかに笑顔で家に尽くせるか以外の何物でもない。女子力是即ち労働力なのだ。
私の母はずっと私に「女の子はハイニコポンじゃなきゃだめだ」とか「お父さんは立てなきゃだめだ」みたいなことばかり言い続けてきた。
(注:ハイニコポンとは、何かを申し付けられたら「ハイ」=気持ちの良い返事、「ニコ」=笑顔、「ポン」=黙って実行、すること)
よくテレビにはおしゃれや菓子類、アイドル、恋愛体験なんかの話をしてきゃっきゃうふふする母子が出てくるけど、そんな話をしたことは20数年の人生において一度も無かったし、
物心ついた時点で父と母の間には多分恋愛感情なんか無かった。そんなもの労働の現場ではあるだけ邪魔だからだろう。
両親にあるのは家族という組織を維持しようとする規律だけ。母が父を立てろと言うのは慕っているからじゃなくて組織の統制のためだったのだと思う。
こう言ってはなんだけど父と母の関係は頭でっかちで頼りない仕官とそれに仕える鬼軍曹(現場を取り仕切る事実上のリーダー)によく似ていた。
で、女の私は下士官候補生としてずっと忙しない母を傍で見続けてきた。
存在感の無い父を立てて、兄の尻拭いをし、寝たきりの祖父母に献身的な介護をして・・・怖くて仕方なかった。
あと十年すれば自分の番になってしまうのかと思うと怖くて気持ちがどんどん重くなっていった。
少女時代というのがこの修羅場までの猶予期間だと言うならとても楽しむ気にはなれない。そもそも楽しみ方が分からない。
一切の無駄が無い環境で訓練され続けたせいか思春期を迎える頃にはすっかり女の子女の子したものへの興味がマイナスになっていた。
大人になった現在、母の教育を拒んで一人暮らししているけど女性的なものにはどうしても嫌なプレッシャーしか感じない。魅力や良さがさっぱり分からない。
この分ではどこで何をして暮らしても生きづらいままだと思うけど、どうしたらよいものか。
出せないメールをここに置かせてください
なお、私はチベ君も、801ちゃんもあったことはなく、メールの文中の内容は全て薄汚い妄想です
文章と呼べるようなものではなく、なぐりかきで、便所の落書きです
もしかしたら、ここも相応しくないかもしれません
生まれてきてごめんなさい、本当にごめんなさい。今回だけは許してください。
裕子へ
こんばんは、突然のメールごめんなさい
ずっと我慢していたけど、もう耐えられません。
貴女は会うたびに、チベ君みたいな人と付き合いたい、彼氏にしたい、とうるさいのです。いい加減現実をみてください。
あんな人と私や貴女はつきあえません。
現実をみてください。
確かにチベ君の人が、現実にいて彼氏になったら魅力的でしょう。
外見はちょっと悪いけど友達に紹介して恥ずかしいわけでもないし、話していて面白いし、色んなことを知っているし、優しいし、女の子への接し方を知っているし、友達も多い。何より私達の趣味に寛容。
でもね、それは彼が特別だからなんです。
有名になるということは、それだけ色々な経験をしているということです。
貴女はテキストサイトから遠ざかって、リスカサイトで引き篭もっていたので、知らないでしょうが、あれはヤクザな世界でした。
長く続けて色んなところに顔を出せば有名にはなれますが、挨拶が感じ悪いだけ、ちょっと悪ふざけをしただけで、2chで叩かれ、昨日まで仲良くしていた人に脳死と呼ばれて叩かれる。お金のトラブル、恋愛のトラブルも当然日常茶飯事。
普通の何倍も善意も悪意も濃い世界を過ごしたのがテキストサイト世代です。
そんな濃い世界に耐え切れず、多くの人が脱落したなか、生き残った人ですよ。
女の子への接し方・・・・知っていて当然です。オフ会の幹事なんて、女性の接し方がわからなければできないのですから。できなければ、叩かれるのですから。
話していて面白い・・・・当然です。私達の何倍も何十倍も人と接していれば、魅力的な話し方なんて身につけられます。身につけられないひとは、村八分ですしね。
優しい・・・・当然です。感じの悪い人は村八分ですから。優しくない人に人気が出るわけがないじゃないですか。
趣味に寛容・・・・違いますよ。貴女のことが好きだから寛容ではなく、ネタに貪欲になるあまり、偏見というものをどこかで忘れてきただけですよ。
彼は、多くのテキストサイト書きの屍の上にたつ、コミュニケーションのエリートなのですよ。そんな人、もてるにきまっているじゃないですか。
貴女が今からチベ君のようなテキストサイト時代を生き抜いた有名人を探しても、みんな結婚しています。もし、結婚していない人がいても、その人はそれなりの理由があります。悪いことはいいません。やめておきなさい。
貴女も知っている、私が大好きだったけど振られた人、結婚して凄い幸せそうです。
時折日記みて、辛くなって、でもみてしまうんです。
だから、やめておきなさい。
あと、貴女は801ちゃんにもなりたい、なりたいとうるさいですが、それも無理です。
きちんと、低コストで女の子を維持できるノウハウをもっているからこそ擬態できるのです。
私達のように、いつもジーンズに黒髪をまとめて、イベント遠征以外のことを考えてないあまり数少ない友達も大事にできず、晴海から東京駅のバスの中で険悪な雰囲気になるような人種ではないのですよ。
タクシー相乗りで豊洲のフォルクスまでいって、私達のような人種を「今日きたお客さんみて、もったいないな。もうちょっとお洒落すれば可愛いのに、って思っちゃったよ。でも、昔は私もあんな感じだったんだけどね。」とか和やかに会話しているような、スケブをお願いしに行ったら、自画像と違って綺麗な人で驚いてしまうような。
貴女ならわかるでしょう。同じ同人作家なのに、私たちとは女子力が天と地ほど違う人たちですよ。
そして、私たちよりもきちんと社会に溶け込んでいる人です。社会人としていつまでも底辺の私たちと違って、きちんとした会社に入って、最近同人はできないけど、イベントは夏冬いって、でも会社の同僚に声をかけられて合コンに行ったり、ネットをはじめて同人時代とは違う友達の輪を広げてみたり。
同人命といい続けていたら、気づいたら友達なんていなくて、気づいたら私と貴女しかいなかった。若い子は懐いてくれるけど、お母さん扱い。
もう、私たちは今からどう頑張っても801ちゃんにはなれないのですよ
いつも、助けてもらっているのに、こんな厳しいこといってごめんね。
でも、現実みよう。
私も貴女ももうダメなんだよ。
私につきあわせて、貴女の大切な時間を奪ってしまってごめんなさい。
その塾長みたいな例が一般化できるとはとても思えないが、まぁ世間一般的に言って女には「女子力を磨いて結婚して食わせて貰う」っていう選択肢があるのは事実なわけで、そのオプションの分全体で見て必死さは低下するだろうねえ。
んん、なんかしっくりこない。
「ヤンママ」「ギャルママ」「シンママ」って、従来から幸せで一般的なポジションとされてる位置から外れたカテゴリーなんじゃないかな。
それまでカテゴライズされてなかったことでこぼれ落ちていたのが、カテゴリーを持つことで可視化されて共感とか助け合いとかできるようになるような効果を狙っているように思うのだけれど。
マジョリティの道は歩めないけど自分なりに頑張るっていうのは別に非難されるようなことじゃないと思うよ。
「ヤンキー」も「ギャル」も「シングル」も女子力高めるのとは違う方向だと思うんだけど。
むしろ高められなかった人が歩む道なんじゃないの?(女子力って男ウケ力だよね?)
「そこまでしないと駄目」なんじゃなくて、これらは女子力高められなかった人たちのロールモデルの一種だと思うので、わざわざ茨の道を歩まずもっと楽な方に行けばいいのに、という方がむしろ同調圧力的な言説なんじゃないかと思った。
なにやらまた特集を始めたらしい。シングルマザーを縮めて「シンママ」モデルなんだって。
「ヤンママ」とか「ギャルママ」とかいろいろあったけれどもさ、それを見る度にちょっと寂しくなるわけで。
こういった特集って、要は憧れを生み出したり憧れを表舞台に出すことを意図していると思うのです。
商品って、そう言うものだから。流行の兆しを呼んで需要を満たす供給を生み出していく。それ自体にはあまり感想は抱かないんだ。たとえ作り物の流行であってもいいと思う。
でもさ、こういうモデルが象徴する憧れって、どうしてそこまでしないと駄目なんだろうって思ってしまう。
ちょっと前に女子力の話で盛り上がっていたけれどもさ、女性って一体何と戦っているの?
化粧は鎧で恋愛は武器、ファッションモデルは英雄ときた。どうしてそこまで纏わなくてはいけないんだろう。
いわゆる「ギャル」とか「ヤンキー」とか「シングルマザー」とか、カテゴライズされた枠組みの中で、彼女たちは苦しんでいるのだろうか。
何かに立ち向かうために、可愛さとか女子力とかを鍛えるんだろうか。最終的にそれを仲間内で披露するために。
どうしても不毛じゃないかなって思うんだよな。何しろものすごく疲れることだし、終わりがないじゃない。
カテゴライズされた枠組みが窮屈に感じるのならば、そこから抜け出せばいいのにさ。もしくは、平面的に考えずに、しゃがむなりなんなりしてやり過ごせばいいのに。
なのに、どうして我を通して頑張るんだろう。もしくは、頑張ることが恰好いいとされているんだろう。
カテゴリーの外に居る誰かに頼ればいいのに。枠を強固なものにしているのは自分たち自身だと気づけないのかな。
ちょっと悲しいなって思う。
集団に属すことは楽だし、日本ではそれが一種の自我同一になっているのかもしれないけれど、なんていうのか、立ち向かい方が下手な人が多い気がする。