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はてなキーワード: 多義とは

2010-09-13

小説を書きたいと思った。

小説を書きたいと思った。早速書いてみる。

ダメだ。読みにくいし、つまらない。そもそもこの日本語は本当に正しい日本語なのだろうか?

日本語に自信がない。文系大学に行っている人は、日本語に自信があるだろう。僕は底辺高校卒だ。大学に行きたくなった。文学部に行きたい。

とりあえず自分人生を悔やんでも意味がないので、書店中学校国語参考書を買ってきて、文法から勉強しなおすことにした。(中学校国語参考書レジに提出したことは全く恥ずかしくない。それよりも知識がないことの方が恥ずかしい)

主語・述語の関係、修飾・被修飾の関係……自立語付属語……品詞動詞形容詞形容動詞名詞代名詞連体詞副詞接続詞感動詞助動詞、助詞)……。今考えると、中学生ってかなり高度なことをやっていたんだなと思う。というか、当時の僕は文法の意味が分からなかったから、正解だと思われる回答を適当に選んでいた。本当に恥ずかしい。

いきなり全てを覚えるのは不可能だと思ったので、最初から少しずつ解いていった。毎日2、3時間勉強した。

勉強して驚いたことがある。それは、日本語が極めて論理的に構築されているということ。例えば、よく雑誌ネットの記事で指摘される、『間違いだらけの日本語』というやつを見ても、今までは、それを改善する方法が思いつかなかった。『ら抜き言葉』『~の方 の頻発』が好ましくないということは知っていても、では、どういう時に『ら』を使って良いのか、どういう時に『~の方』を使って良いのか、が分からなかった。それが、文法を勉強すれば、分かるのだ。文章の理屈、文章がどういう風に構成されているのかが分かった、というべきか。結局二週間ほどで文法の勉強を終えた。本当は中学生のうちに覚えておかなければならないことを、二週間かけてやっと理解できた。

しかし、文章力全然向上しなかった。(『全然』の使い方はあってるのかな?それも分からない)そう、文法を覚えただけじゃダメなのだ。僕は言葉そのものの意味を全く知らなかった。相対? 普遍? 主体? 客体? 混沌? 秩序? パラダイム? どれも言葉として聞いたことはあるが、意味を深く知ったことはない。

僕はまた書店に行き、参考書を探した。高校の現代文参考書を探してみた。文法の他に、『基本用語700』『重要語・頻出語』といった参考書があったので、パラパラとめくってみた。上記に挙げた、相対、普通、主体、客体、といった言葉がたくさん並んでいて、その一つ一つに丁寧に解説が書かれていた。なるほど、これで語彙を増やすのか。僕は一冊買って再び勉強することにした。

文法を勉強した時とは別の驚きがあった。それは、『言葉』には広がりがあるということ。言葉には意味以外にもプラスイメージマイナスイメージがあり、問題文で作者が使っている言葉から、事物に肯定的であるか否定的であるかを読み取れ、とその参考書は書いているのだ。はっきり言って僕は衝撃を受けた。言葉意味さえ知っていれば文章は書ける(もしくは読解出来る)と思っていた僕にとって、『言葉に対するイメージ』という考え方はとても貴重なものに感じられた。日本語根底に流れる奥深さ、豊潤さに触れたような気さえした。

また、普段普通に使っていた言葉が、実は全く違った意味を持っていた事も分かって、これにはかなり赤面してしまった。一義的であると信じていた言葉が、実はかなり多義的であることも分かった。勉強すればするほど、日本語というものが素晴らしく思えた。(ちなみに『一義』『多義』という言葉も今までは知らなかったので、早速使ってみた)

ただ、上記に挙げた日本語の広がりなども、文系大学受験する受験生からしてみれば当然の知識なのだろう。僕はどこまで知らないのだろう。そう考えると、何だか本当に死にたくなった。

それでも、何とか全ページ、700語を読み終えた。(これも2週間かかった)ただ、きちんと覚えた言葉はそのうち200語ぐらいだろう。残りの500語はおそらくうろ覚え

。覚えた200語も少しずつ忘れていくかもしれない。だから何度も反復して頭の中に言葉をたたき込まなければならない。(ちなみに『反復』という言葉もこの参考書で覚えた。『はんぷく』って読むらしい。今まで読書しているときは『はんふく』って読んでいた)

ただ、僕はまだ参考書を二冊勉強しただけだ。大学受験する受験生は何十冊も何百冊も参考書をこなしているだろう。あとどれだけ現代文参考書勉強すれば、文系大学生の文章レベルに追いつけるのだろう?

よく「語彙を増やすには小説を読むと良い」と言うが、小説を読んでも語彙は増えないと思う。あれは文法や言葉意味を知っている人には良いかもしれないが、文法を正しく捉えていない、また、言葉意味を理解していない人には意味がないと思う。小説の中に言葉意味などは書かれていないからだ。それぐらいは分かる。

『論旨』を上手く伝えることが重要だと言うことも分かった。参考書の問題文はどれも上手くて上品で精密でユーモアのある文章ばかり。そして意味がちゃんと伝わる。おそらく『論旨』ってやつがうまく機能しているからだろう。『論旨』についても勉強しないといけない。

ライトノベルではなく、一般的な小説を書いてみたいと思う。ちゃんとした日本語で書かれた小説を書いてみたい。ただ……僕は頭が悪い。頭の精度が悪いというべきか。物覚えが悪いし、勉強したことを瞬時に頭から取り出すのが難しいときがある。今だってそうだ。この文章を書いている時だって、100%正しい日本語で書けているとは思えない。おそらくどこかしらに日本語の間違いかもしくは不適切な表現があるだろう。全ての言葉に間違いが無く、簡潔でウイットの効いた文章を書けるようになるのが目標だ。ある程度勉強したら、日本語能力試験も受けてみようと思う。とりあえずこの文章は格好付けず、出来るだけ素直に書いたつもり。

2010-07-13

http://anond.hatelabo.jp/20100713162846

元増田トラバ増田

"投票厨"の検索結果 3490件

"自然厨"の検索結果 3210件(トラバ先の増田TOP)

自然厨とは、都会も自然インターネット自然と言い出すやつのこと

2chnull.info/r/out/1260490562/156-255

コーディネイト繰り返したら、逆にコーディの中から「コーディネイト反対派の自然厨」 が出てくると思うんだ

bluetsma2.web.fc2.com/bc/giron/log1/giron17.html

多義的だね、自然厨は。

"手作り厨"の検索結果 828件 (てづくり厨 3件 手づくり厨 21件 で ノイズ

手作り厨の常套句「私のは大丈夫!」 何を根拠に大丈夫なんだよと小一時間

自分サークル者だったので初めて直にご挨拶に行くと

差し入れ返しをして戴いた

それはとても嬉しかったのだけど、モノがなんと手作りカップケーキ

他人の手作りには抵抗無いが流石に初対面で予告無くってのはどうなのかと

ちょっと引いた

その後家に帰って食べたら物凄く不味くてさらに引いた

後日そのジャンルでは有名な手作り厨で、みんなこれがなければと思ってると知り

申し訳ないがもう神とは思えなくなってしまった

世知辛い世の中やね。

2010-05-18

クラウドは、語義の派生を追いながら理解するとわかりやすいと思う

http://anond.hatelabo.jp/20100518115813

ネット上の超強力コンピュータを使いたいときだけちょっと貸してもらうサービス

それは一般的にASP(≒SaaS)とかPaaSとかIaaSとか呼ばれるサービス形態で、クラウドの説明としてはちょっと違います。

だけど、クラウドコンピューティングの代表格としてそういう「ネット上の超強力コンピュータを使いたいときだけちょっと貸してもらうサービス」が流行しているので、たしかにそう思えなくもない。

多義的な感じになってしまった「クラウド」を理解するために、ルーツから追ってみましょう。

まず最初に、インターネットは2点間の通信をするための道具であることを思い起こしましょう。国際電話網と同じです。A地点から、B地点を指定して通信するもの。

Webサイトサービスを受けるときには、ドメイン名をかぶせたURLを使うので実際のIPアドレス意識しませんが、それでもA-B間の通信であるのは基本でした。

しかしGoogleAmazonだといった超大規模サービスになると、もうどれだけ強力なサーバにどれだけ太い回線でもリクエストを裁ききれるわけありません。世界中サーバを置き、同じ「google.com」でもたくさんある中の最寄りのサーバに導かれてそこでリクエスト受け付けてもらうのが当たり前になります。

すると、「google.comサーバと通信する」という意味は薄れます。どれでもいいからgoogle.comの用意しているサーバに要求を処理してもらう……どういう構成かは知らないけどgoogle.comというサービスに要求を処理してもらう、と言う状態になります。

こうなるともはやA-B地点の通信の意味はなくなり、A-(構成はよくわからない分散したサービス)という関係になりました。この「(構成はよくわからない分散したサービス)」が「雲(クラウド)」です。

その後、GoogleAmazonも、自社で構築した分散サーバ群を外部に提供し始めました。これを利用すれば誰でも、世界中に分散したサーバクラウドWebアプリケーション提供できるようになります。

GAEAWSも、「クラウドWebアプリケーションを実現するサーバ群を利用させてくれるサービス」で、これを極端に略して「クラウド」などと呼ぶことがあります(ニフティクラウドとか)。でもこれらサーバ時間貸し最初に書いたとおり、あくまでIaaSやPaaSであるわけです。

2010-03-23

http://anond.hatelabo.jp/20100322070125

トラックバック元も含め、修辞術、誤謬、詭弁術の大展覧会だな。

こういうのを地道に収集するのが趣味の俺としては、ここまで簡単に集まって誰でもアクセスできるようになると逆につまらない。

多義語のすり替え、媒概念不周延、藁人形脅迫論証、ザックザクや!

2010-01-20

http://anond.hatelabo.jp/20100120182311

ああ。つまりは単なる揚げ足とりか。

それだけ、多義的にとらえられるという指摘。

国連」なり「地球」なり「人類」がそうするのならばそれでいいが、それを「国」という主体が行う理由がない(正確には、あるかどうかが分からない。国に対して最適化された利益かどうかが不明だ)。

国連微妙だけど、地球人類の方が国よりも上位に来るんじゃないの?

これらがなければ、国は存立し得ないんだから。少なくとも現時点では。

それも含まれるが、ここでは経済的なインフラのほうだな。

すまん。理解できない。

2009-11-26

http://anond.hatelabo.jp/20091126003752

コミュニケーション能力」なる言葉多義的かつ内容不明確。

それが指し示しているものが、例えば営業成績であることもあれば

社内政治力・社内調整力の類であることもあり、

また上司の好き嫌いや社内の主流カルチャーに合致した人柄であることもある。

(「やる気」とか「リーダーシップ」という言葉も同様の不明確さがある)

2009-10-12

http://anond.hatelabo.jp/20091012125233

コミュニケーション能力という言葉自体が多義的。

要は、コミュ力とか空気嫁という言葉を持ち出して他人を非難する人間は、

「細かいことを考えずにとにかく自分奴隷になれ」と言いたいだけ。

どういう答えが返ってこようとそれが言いたかっただけでしょ。

http://anond.hatelabo.jp/20091012123957

空気を読む」や「コミュ力」って抽象的か?

抽象的だと思う。

例えば、

という本来まったく別の要素がすべて同じ「空気を読む」という言葉で呼ばれている。

コミュ力」についていえば、はてなキーワードにあるとおり

相手と意思を伝達しあう技術。ある感情・目標をひろく共有するための手段。

空気を読む能力」と解釈されることもある。

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B3%A5%DF%A5%E5%A5%CB%A5%B1%A1%BC%A5%B7%A5%E7%A5%F3%C7%BD%CE%CF

コミュニケーション能力という言葉自体が多義的。

要は、コミュ力とか空気嫁という言葉を持ち出して他人を非難する人間は、

「細かいことを考えずにとにかく自分奴隷になれ」と言いたいだけ。

2009-06-27

http://anond.hatelabo.jp/20090627171147

作品についての批評感想っていうのは、オタク自分語りなの。

自分語りメインだから、作品自体は無内容だったり多義的だったり意味不明な方が、勝手解釈自分語りがし易い。

オタクマニアックの話のウザさは、自分語りのウザさ。

通が、作品の魅力について素人に分かりやすく語るのとは視点が違う。

2008-10-29

http://anond.hatelabo.jp/20081028011307

ううむ、もうちょっと頑張って人文学を肯定して欲しかった……。

なお人文科学はそれ自身が人間研究テーマにおいており、表現する際に用いる言語数学(数式)ではないため、

言語的特性により自然科学的に正確に表現された状態にはなりえません。

ちなみにその特性を曖昧と呼ぶのはかなり正確な自然科学的表現だと思います。


文系は不案内なので、話題を文学に限定させてもらうけれど、

何かあると「曖昧」とか「揺らぎ」とか「多義性」で逃げるのは

文学の一番良くないところだと俺は思う。

あんまり曖昧さを放置すると、

「まあ曖昧だけどここはこう読むべきなんだよ。根拠? フィーリング!」とか

「なんか曖昧で俺には良く分からないけど、

とりあえず偉い人の書いた文章だから凄いんじゃね?」

という不健全な態度に繋がる。

むしろ文学は正確さを目指すべきだし、本当に凄い文学作品はかえって正確で、

これしかない! というふうに感じられる気がする。

それで、文学が正確に表現しようとしているものって何?

と聞かれれば増田がさんざん言っているように感情や人間性だと俺も思うのだが、

じゃあ感情とか人間性って何よ?

なんで(増田の主張によれば)自然科学還元論)だとうまく扱えないわけ?

という突込みが当然入る。

感情とは何かって、もちろん楽しかったり悲しかったりすることだ。

でも単に楽しかったり悲しかったりするだけなら、難解な文学表現なんて不要で、

単に「楽しい」「悲しい」とか書けば済む。

「悲哀計」みたいな道具があって感情が量れれば、

「俺悲しすぎて今朝360mmHgもあったよ」という正確な表現もできるだろう。

が、もちろん感情はそんな単純に扱えない。

なぜなら、それぞれの感情は全部独自の今だけココだけあなただけのもので、

コンテキストから切り離して(還元して)扱うことが本来はできないからだ。

例えば、

非モテ三十路越え男性が初めて女性に告白されたときの喜びと、

モテ20代前半男性が何人もの女性を乗り越えた末に理想の相手と巡り合ったときの喜びは、

それぞれまったく違う。

非モテモテというコンテキストを無視して

純粋な喜びだけを取り出すことはほとんど無意味だ。

で、文学が伝えたいのってそういう《ある感情(人間情緒)が他とどう違うのか》ということだと俺は思う。

その違いを表現するために、

小説みたいにコンテキスト(人物の過去とか考え方とか)と一緒にしてみたり、

言い方を色々変えてみたりする。

文学は違いを明らかにするものだ、と俺は思う。

で、翻って自然科学を見ると、目指すところがちょうど逆。

自然科学はむしろ、違うように見えるものの間に一般法則を探す、という考え方だ。

多種多様現実世界をより少ない(しかし十分な)情報量で表現できれば勝ち。

自然科学は同じところを探す。

で、文学自然科学も、方向は正反対だけど、同じくらいマジになって人間を探求していると思うわけだ。

それぞれ相反しているということも無いと思う。

自然科学が極まって、あらゆる人間の行動が予測できるようになったとしても、

それでも文学には価値がある、と俺は思う。

ぶっちゃけ小説だって最後まで決まった筋しかなくて、それでも感動できるんだし。

で、なんだっけ……国語の読解テストの話だった。(汗)

コンテキスト作品にもあるし、読者の側のもある。

読者は自分のコンテキストを使って作品を読み解くことになる。

コンテキスト同士をぶつけてその人だけの読解を作る。

その意味読書創作活動だし、読解した結果は創作物だ。

創作物だから、文学作品のように良し悪しを評価することはできる。

良い読みなら多くの人に共感されるだろうし、悪い読みなら否定される。

でも、だからといってテストのような方法で評価するのは多分間違い。

図画工作の授業で、先生と同じような絵を描いた人ほど高得点、という評価をするようなものだから。

本当は読書会のように、それぞれどんな風に読んだか・なぜそう読んだか、を話し合えれば良いんだろうけど、

大の大人でもなかなか難しいことだからなあ……。

最後に随分以前のエントリレスしてしまうけど(汗)

数学自然界にあるものを根底として、抽象化する作業であるのに対し、

数学は別に自然界なんか根底にしてないと思うよ。

実際は自然界をはるかに超越していて、現実世界に応用できるのはたまたま偶然。そこが数学の凄いところ。

物理学要請に従って数学進歩した例はあるけど、それでも自然界から独立した体裁を取り繕うハズ)

196883次元の空間で回転する球が……とかいう話をどこかで聞いて萌えた。

意味不明だが萌えた。(笑)

連日の長文スマソ。

2008-09-06

http://anond.hatelabo.jp/20080903141758

元増田です。数日前のエントリーがいまさらブクマ集めて俄に活気付いてて驚いた。

内容のいかんにかかわらず感謝してます。(別にあんたのためじゃねぇって声聞こえそうだけど)

ブクマコメントで臭ぇんだろとか下手くそとかひどい言われようだけど、それはないよ、ぜったいに。

相性が合わないってことも絶対にない。

女性を準備するという表現はあれですね、確かに頭沸いてるわ。ごめん、表現が悪い。

それに付き合ってくれる女性はいっぱいいるということで。

さてと、判例セックスレスって婚姻継続しがたい重大な事由にかぞえられてるよね?それってつまり長ーい(っていってもたぶん明治以降?)慣習に基づいた司法判断的にもセックスレスは男女の関係において必要不可欠な要素であると認められてるってことでOKかな?

たぶんそれ以前は性的不能者は結婚資格すらなかった時代もあったはずだよね。しらんけど。

でね、セックス以外は本当にうまくいっている。お互いに敬意をもって日々暮らしている。これは何と言われようと絶対に自信がある。

たとえば今日土曜日だってのに仕事でちょっと遅くなるであろう彼女のために紀ノ国屋で買ってきた北海道産のさんま使ってさんまの梅煮作って待ってるくらい彼女のことは愛してる。

ただセックスが少ないだけ。セックスだけが二人の関係に欠落している。

なんでセックスがそんなにしたいかというとしたいんだからしょうがない。性欲ってそういうもんだよね?オナニーとかしまくりだから(笑)

隣に超自分好みで、周りにも羨ましがられるようないい女が寝てるのになーんもできないの、切ないの!

たぶん二人の人間が皮膚と皮膚を重ねることにセックス意味があるんだと思う。セックスは相手を承認することであり承認されることだと思う。だから金銭を介したセックスは望んでない。

人と人との関係性の中に現れるからこそ意味があるんだと思う。

まぁ一概に性欲っつったってさ、そこには多義的にいろんな感情や欲求が含まれてるわけでしょ?今言ったような他人からの被承認欲求だとかだれがみてもいい女をものにすることによる社会的欲求の充足だとかさ。もちろん男女逆にしても然りね。

ごめん、長くなってめんどくさくなってきたから端的に言うとセックスレスつらい。オナニーあきた。

2008-09-03

http://anond.hatelabo.jp/20080903150618

>そもそも性欲処理用にされる女性の立場はどんなもんなの?

そういった関係を厭わない女性はたくさんいるし、そもそもその人との間に人間的な関係が形成されないわけじゃない。

いわゆるセフレってやつ、そもそもこの言葉多義的でその場その場のシチュエーションによって全然違う関係をさしたりするけど。

2008-06-19

http://anond.hatelabo.jp/20080619010344

どうやら世の中には、

人間には二種類ある。理系文系だ」

と思ってる人が沢山いるらしい。

理系は「理系」という一通りの意味しかないけど、文系という言葉

多義的である。

ここが文系理系論争を困難かつ不毛なものにしている一因だと思う。

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