はてなキーワード: 出生率とは
授かったら結婚すればいいじゃない。
既婚者以外は一般では避妊を許可しません。みたいな。
降板で周りに迷惑かけてるとか言うけど、育児休暇みたいなものじゃない?
プロジェクト担当中に妊娠すると周りに迷惑が掛かるという世間の風当たりがあるからキャリアレディは妊娠に恐怖感を覚える。
育児はパワーが必要だから親は若い方がいい。
母体が35歳を超えると高齢出産になってリスクがいっきに高くなる。
いざ授かろうと励んでもなかなかできない。
避妊を禁止したら、みんな少しは貞操観念がつく、というか慎重になるんじゃない?
援助交際も一気にハイリスクになって素人が気軽にやろうというのが無くなる。
リビドーが抑えきれない人のために売春を合法化すればいい。
と、未婚の男が申しております。
なあ…おまいら…
http://www.erocha.jp/user_top.htmlの技術と、http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0705/02/news054.htmlの技術を組み合わせるんだ
…あとはどうすればいいか分かるな?
事実である部分もあるけど、違和感を感じる部分もあるので取り上げてみます。
神話その1
膨張した世界人口を養うだけの食糧が足りない。だから食糧増産が必要だ。
これは確かに神話だね。世界には60億人強の人口を養うには十分な食糧が存在する。
でもそれを供給システムがちゃんと整っていない。
先進国のアメリカでは、3,000万人が充分な食糧を確保できず、アメリカの子供たちの8.5%がお腹をすかせており、20.1%が飢餓に面している。一方、代々アメリカ政府と農家は過剰生産に頭を痛め、1995年にアメリカ政府は300万トン以上の穀類を海外に輸送するのを援助している。
よくアメリカに対するステレオタイプな批判で耳にする台紙だけど、
いくら貧富の格差が激しいアメリカでもこれはないって・・・。
マクドナルドのハンバーガーだって1ドル以下で買えるわけだし。
これは事実だね。先進国はもちろん新興国や途上国でも出生率は減少傾向にある。
女性の地位向上はもちろん重要だけど、避妊などの教育だって重要。
世界中で進む環境破壊が食糧生産のための資源を脅かしていることは確かだが、その逆は必ずしも真ではない。森林破壊の主な原因は大企業にあり、季節はずれやエキゾチックな野菜と果物、または熱帯の木材で先進国消費者を魅惑し、その需要を受けて企業や大地主が途上国で大儲けをしている。
これって欧米(日本もかも)の左翼的というかマルクス主義的な考え方の典型例だね。豊かな人達が「季節はずれやエキゾチックな野菜と果物」を求めて何が悪いの? そういった需要に答えることで新たなビジネスを作ることができるじゃないか?
一分間ごとに6人が農薬中毒にかかり、毎年22万人が農薬のため死亡していると推測されている。
これも確かなデータは無いから何とも言えないけど、ちょっと疑わしい。
だって農薬によって農業生産効率を格段に向上させることが出来るようになったのは事実なんだしさ。
確かに農薬の問題はそれはそれとしてあるけど、でも農業に農薬が使われるようになる前と後では、後のほうが明らかに生産者にとっても消費者にとっても良かったことは疑いないわけで。
神話その5
新しい種の開発で穀物の収穫は確かに増えた。しかし増加した食糧と富を手にしたのは経済力を持った少数という構造は変わらなかった。そのため「緑の革命」の成功例であるインドやメキシコ、フィリピンなどでは穀物生産量と穀物の輸出量は増加したけれど飢餓人口は減らず、むしろ貧しい人々が食べる食糧を栽培する農地が奪われてしまった。
基本的に食糧生産の増加は善で、最終的には全ての人の生活水準を上昇させることにつながるんだから、これもまたステレオタイプな考えだと思う。
神話その6
一般的に国が工業化すればするほど農業従事者の人口に占める割合は減るわけで、それでも食糧生産を増加させなければならなくなる。
そうなると農業従事者1人あたりの生産性を向上させないといけない。
そうなると農業の大規模化を進めなければならなくなる。
民営化が手段であって、それ自体は善でも悪でもない。
民営化をあからさまに賛美したり、拒否したりするのはどちらも正しいとは言えない。
その8 自由貿易が解決策だ
自由貿易だって万能じゃないけど、一般論として自由貿易はそれを行う両国にとってメリットがあるわけで。
ただ敵対的貿易になると危険だけどさ。
例えばブラジルが大豆の輸出を急激に伸ばし日本やヨーロッパに家畜飼料を供給していたとき、ブラジル国内の飢餓人口は3分の1から3分の2に増加した。
「ブラジルの飢餓人口がは3分の1から3分の2」って本当かよ。すげー疑問。
NAFTAやGATT(現在ではWTO)などの貿易振興政策は、世界中で最低の賃金・最悪の労働条件・最低の環境基準の競争をしかけ、労働者たちに国境を越えた「奈落の底へのせめぎ合い」を強制する。
こういう議論は世界中の「富」が一定量しか存在しないという前提でしか成り立たないわけで。ここでいう「富」というのは、人がお金を払って欲しがるもののことね。「価値」と言い換えてもいい。
実際には近代に入って以降、地域によって大きな不均衡はあったけど、世界中の富は一貫して増大し続けている。
だいたい今21世紀初頭に生きてる人間のほとんどは、先進国人であろうと途上国人であろうと20世紀以前の(それぞれの地域の)どんな時代よりも豊かな暮らしをしているわけで。
メキシコとアメリカにその一例が見られるだろう。NAFTA以来アメリカでは25万人、メキシコでは200万人が職を失い、両国において飢餓人口は増え続けている。
確かにアメリカの格差は拡大したかもしれないけど、一方でほとんどの人が今までのどんな時代よりも豊かな生活を享受しているのもまた事実。アメリカで失業者が25万人って、人口3億人のアメリカでは0.1%以下なわけでその程度の失業率の変動なんて市場経済が存在する以上当然存在するんだよ。
メキシコにとっても世界最大の経済大国アメリカと経済関係を深めることは経済成長をする上で重要だ。
ここにも「強いもの=悪」という単純な二元論が読み取れるよね。
確かに先進国からの援助がムダ使いされたり、もっと悪いと被援助国の状況を悪化させてしまうことがあるけど、それでも「先進国からの援助=悪」と単純に決め付けるのはおかしい。
例えば第2次世界大戦後アメリカがヨーロッパ諸国に対して行ったマーシャルプランは大成功したわけで。
結局のところ援助の内容と目的が問題なんだよ。
近年、出生率の低下が問題視されているがこれにはちょっとした誤解がある。下がっているのは「知的水準の高い人間」に限った出生率であり、馬鹿は馬鹿みたいに発情し、欲望の赴くままにセックスをして、子どもを産んでいる。
馬鹿はコンドームを買う金がない、もしくは避妊の方法を知らないので、当然妊娠することになる。もちろん、中絶する金もないので、無計画に出産し、馬鹿だから教育を与えられないので生まれた子供は馬鹿に育つ。馬鹿に育っている子どもを横目にまたセックスをし、馬鹿を産む。こうやって馬鹿を量産する。
一方、知的水準の高い人間は教育にかかる費用や難しさ、それと避妊の方法を知っているので安易に妊娠する危険性のある行動はしない。結婚に対しても、様々なことを考慮に入れ、時間をかけて熟慮する能力があるので、衝動的に結婚することはない。また、知的水準の高い人間は同じく知的水準の高い異性とつき合う傾向にあり、こういったカップルは男女ともに社会のために頭脳・肉体を日々働かせているので時間的余裕がなく、さらに馬鹿と違ってセックス以外の娯楽を知っているのであまりセックスは行わないのである。
このようなことから、現在先進国に馬鹿が大量に発生している。近い将来その比率は大きく差がつき、馬鹿が圧倒的な多数派となり、馬鹿が社会を運営することになるだろう。知的水準の高い人間は全て骨となっていなくなる。機械は壊れたまま放置され、治されることはなく、新しく作られることもない。字を読める人間はいなくなり、知識の継承はなくなって、学問は滅びる。栄華を極めた現代文明は全て灰になる。
そして、再び原始的な世界がやってくるのだ。ウパー!
http://anond.hatelabo.jp/20070313232225
http://anond.hatelabo.jp/20070313233847
これ以上運行本数増やしたら、乗客の安全性が犠牲になるほど過密ダイヤでも列車が慢性的に不足してしまうのは人口が多すぎだからでしょ。
それなのに少子化人口減少が問題とか言い出す奴がいるから困る。一体何億まで増やせば気が済むんだろ。これ以上増やすほうが悪影響あるだろ。
数十年前まで過密や人口爆発が問題視され、出産へらすようにまで言われてたのに。
数十年後には再生医療や遺伝子工学がさらに発達してて寿命が異常に長くなって低出生率なのに人口が増え続けて困るようになるかも。
http://anond.hatelabo.jp/20070313165240
それに比べ現在は未だ発展途上国のインドや中国、ブラジル、ロシアなどが大きな成長を30年以内に遂げ、この4カ国が主導となる世界になることは明らかだ。今後アメリカ主導の世界は時代遅れになる。
ロシアは低出生率で寿命も短いので人口減少中。産業も石油頼み。人工が増えていく他三つとは違って世界を主導する頬小戸の力はもてないんじゃなかろうか。
日本をこうなるようにした原因のひとつは非国民とも言えないような現代の若者の行為にあると考える。いわゆる平和ボケしている現代の若者は向上心もなく今がよければそれでいいという考えでニートやフリーターなどが増えている。おまけに日本企業は生産コストの削減のために生産地を海外に移したり外国人労働者を雇っている現代。これでは日本経済を殺しているようなものだ。
ニートや不利たーが増えてたのは不況のせいでしょ。去年ぐらいから減りはじめてる。それに製造業が海外移転するのは先進国では避けられんことでしょ。情報社会となった今、物質的な産業よりも情報を基にした産業が大きな利益をだすんだから。外国人労働者だって他の先進国ならもっといる。こういうことで経済が殺されるならとっくに日本以外の先進国だって駄目になってるよ。
脳の解析が終わったのが15年前。信号を送る技術が確立したのが8年前。そしていわゆる電脳化が実用化されたのが3年前。当然深い部分、人格や性格や記憶などの上書きはできなかったが、それでもある程度の操作はできた。
実用化される前は、ますます仮想世界に入り込む人間が増えて少子化に拍車がかかると言われていたが、実際には逆であった。出生率は着実に上がったし、結婚する男女の数も、交際する男女の数も驚くほど増えたのだ。当初、原因はわからなかったが、しばらくしてわかることとなった。あるソフトが出回っていたためだ。それは目に映る人間の顔(後のバージョンで体型も)を任意の顔に置き換えるソフト。笑い男の顔が好きなタイプの顔に置き換わったようなものであった。記憶の上書きにあたるのではないかと言われたが、正確に言えば同時に録画してる映像の上に置き換え、それを見ているだけであるので、記憶の上書きにはあたらなかった。
ソフトウェアも進歩していたからそういったソフトが開発されていたのだが、現実と変わらぬ質感を持った人間を仮想空間に多数配置するのはまだ時間が必要であった。だから、人々はそのソフトを使い、仮想を現実に求めた。現実で仮想ゲームを行っていたのだ。正確に言えば、彼らは現実を生きてない。録画した映像に自分好みの相手を置き換えた映像を見ているだけだ。
しかし、現実では男女が互いを求め合い、子が次々に生まれるといった、とても自然な様子に見える。だが、彼らは互いを求めあっているように見えて、実は求めあっていない。彼の目には本当の彼女が映ってないし、彼女の目にも本当の彼は映っていない。本当の彼らはどこにもいないのだ。互いに仮想な理想を夢想のように抱いている。求めているのは質感と熱量、人によっては精子と子宮、だけである。
だが、そもそも恋愛というのは互いに理想を押しつけあっていたのだから問題がないと言うことができるかもしれない。テクノロジーがその部分を先鋭化しただけであって、何ら問題がないではないかと。しかし、私にはやはり何かが違うように思える。彼らは現実に生きているにもかかわらず、誰もそこにはいないのだ。お互いがお互いを、置き換えているのだから、誰も本当の姿を知らない。誰もそこにはいないのだ。
人より大きい私の性器を事もなげに飲み込み、慣れた様子で腰を振る小さな体躯の少女。いい時代になったものだと昔のことを思い出す。
30年前。少子化問題が臨海点にまで到達していた。しかし、どの政策も功を奏さず、手詰まりにあった政府は、ついに劇薬を用いた。給付だ。いや、少子化対策の初期にも給付はあったから、正確に言えば給付ではない。給与だ。生殖を職業として募集することにしたのだ。当然反発もあったが、どの政策も次々に失敗しており、もう打つ手はなかったので、予想よりは少なく、暫定的に3年間施行されることとなった。しかし、効果は1年目から現れた。予想を大きく上回る結果か出たのだ。しかも、1年目による準備不足の結果があっても、である。
具体的に言えば女性の生殖者が少なかった。1年目ということで、応募者が少なかった。年齢的、肉体的な条件もあったが、それ以上に倫理的な側面、マスコミによるバッシング、世間からの蔑視などにより、少なかったのだ。だから、男性も女性も生殖が可能であると診断されたものは全員採用した。
生殖は女性が妊娠しやすい排卵日の1週間前後、俗に言う危険日、に集中して行われた。男性はその日までに射精を禁じられる貞操帯をつけられ(これは精子が薄まることを危惧するというよりもむしろ性欲を高めるという目的があった)、その日までは何があっても外すことはできなかった。そんな男が数十人、1年目の男性の人数は67名、生殖者の女性に次から次へと、1週間に渡り、精を注ぐのだ。しかも毎月。妊娠しない方が難しい。現に1名の女性を除き全員が妊娠した。しかし、女性生殖者は男性以上に倫理的な側面で躊躇が大きいせいか、17名しか集まらなかったので、確率で言えば大成功だったが、数で言えば必ずしもそうではなかった。
この成果を受けた政府は本格的に乗り出した。女性を、女性の数を、とにかく増やそうとした。まず、待遇を今まで以上に良くした。数を増やすということで給与をみだりに上げるわけにはいかなかったので、環境、生活環境や税制面での免除、女性生殖者に対する扱いなどの待遇を改善した。次に、マスコミによって、イメージを変えようとした。卑しいとされるが、生殖のどこが卑しいのか。むしろとても尊いではないかと。そして、教育にもその考えを取り込んだ。反発もあったが、国を維持することが難しくなるまでに下がった出生率を前に、今までの倫理的慣習のみを理由に反発することは難しく、国会でなんなく採用され、次の年度の教科書に載ることとなった。
成果は徐々に現れ、生殖者に対する蔑視は薄れ、女性生殖者は順調に増え続けた。男性は女性ほどの人数はいらないので、精鋭を、より精子が強い者を、少数ずつ増やしていった。妊娠率は毎年95%を超え、全体の出生率にも影響を与える程になった。
しかし、順風満帆とはいかなかった。非生殖者の男性が不満を持ち始めたのだ。セックスばかりしているやつらに、俺たちが働いて稼いだ税金を払われるのは納得がいかないと。政府は生殖者たちの苦労、行動が制限されたり、精子の数や生命力が足りないと解雇されてしまうこと、などを説明したが、彼らの溜飲は下がらなかった。時の大臣が、全女性を共有財産化しようなどと馬鹿げた発言をして辞任に追いやられたが、結果としては同じような方向で解決された。妊娠率は95%を超えていたが、中には先天的な理由で妊娠しにくい女性がいた。その5%の女性を、非生殖者の男性たちに開放したのだ。教育が浸透していたせいもあって、多くの女性が、自立しよう仕事をする女性を除いた多くの女性が、生殖者に応募するようになっていたので、実際には大臣が言ったことと似たような状況であった。
そして今。今の子は生まれたときから生殖者という職業があり、それは尊い職業とされている中で育ってきた。門戸も初潮が来てから、妊娠が可能ならば、生殖者になることができ、初潮前にも生殖者用の学校ができたので、訓練を受けた子が多くなっている。今、私の相手をしている少女もその一人だ。
人より大きい私の性器を事もなげに飲み込み、慣れた様子で腰を振る小さな体躯の少女。
本当いい時代になったものだ。
なかなか今の女性は一生の間にたくさん子どもを産んでくれない。
人口統計学では、女性は15??50歳が出産する年齢で、その数を勘定すると大体分かる。ほかからは生まれようがない。
産む機械と言ってはなんだが、装置の数が決まったとなると、機械と言っては申し訳ないが、機械と言ってごめんなさいね、あとは産む役目の人が1人頭で頑張ってもらうしかない。
(女性)1人当たりどのぐらい産んでくれるかという合計特殊出生率が今、日本では1.26。2055年まで推計したら、くしくも同じ1.26だった。それを上げなければいけない。
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20070130-OHT1T00025.htm
これ見る限りでは出生率が低いのは産まない女が原因なんて話じゃないような。
産みやすい社会を作らなきゃってのを(失言込みで)説明したって感じ。
30分の談話のうち、子供を産む機械の前後だけ切り出して印象を面白おかしい方向にリードしてないですか。
柳沢 は 失言 を した!
内閣支持率 が やや さがった。
民主党の株 が やや さがった。
社民党の株 が やや さがった。
国民新党の株 は さがるほどなかった たぶん。
共産党の株 は さがってない とおもう。
国会 は 機能 を ていしした。
GAME OVER
言ってることは間違って無いと思うけど,今はそれを問題にしてるんじゃないでしょ?
出産の問題だって仮に自分が大臣だったと考えてみると、低下していく出生率や、どんどん進む晩婚化の現状を見て、しかも周りからは出生率の低下をなんとかしろ、晩婚化を食い止めろって突き上げをくらっていたら
「出産できる時期は限られているんだから産める時にたくさん産んで欲しい」
って自分だって言ってしまうかもしれない。
これを聞いて「発言が不愉快だ!だからやめろ!」って本気で思ってる人は国会のえらいひとたちには居なくて,
そもそも自分が政治で何とかしなけりゃいけない厚生労働省の大臣が個人に向かって「たくさん産んで欲しい」と言っちゃうなんてあんまりにも責任感なさすぎなんじゃね?
そんな奴やめたら?って話でしょ?
もしそうじゃなくて,本気で「発言が不愉快だ!女を何だと思ってるんだ!」っていうことだけで国会のえらいひとたちが叩いてるんだとしたら,
そんな国つぶれちゃうと思うよ.
そう、そうなんですよね。おっしゃるとおりです。自分で気づいてそう言っているか他人に言われているかの違いだと思うんですよ。
「女性は人を産む機械(のようなもの)だから産める時に生んで欲しい」
とか
とか割と普通に思ってるんじゃないかなって気もするんですよね。
何故なら彼らはマクロな視点で見ているから。きっと従業員のことを人間として考えているわけではないと思う。
ちょっと経営者になったつもりで考えて見ると、例えば2000人の従業員のいる会社で、毎日1000人はほとんど何にもしてないで働いてるが1000人しかいなかったら
「2000人も従業員が居るんだからそれに見合った働きをして欲しい」
「2000個の歯車があるのに動いてるのは1000個だけだ!」
と思うのは割と当然だと思うんですよね。
出産の問題だって仮に自分が大臣だったと考えてみると、低下していく出生率や、どんどん進む晩婚化の現状を見て、しかも周りからは出生率の低下をなんとかしろ、晩婚化を食い止めろって突き上げをくらっていたら
「出産できる時期は限られているんだから産める時にたくさん産んで欲しい」
って自分だって言ってしまうかもしれない。
ただその発言を受け止める我々は個人だからそういう風に言われるといかにも物として扱われている気がして不愉快になると思う。
だからどうすりゃいいのかって言うのは私の中で答えがでないけど、少なくともお互いに相手の言わんとしていることを読み取る努力をすることは大切なことだと思う。
日本の急激な高度成長は、家庭を犠牲にして生じたもの、という文句を以前どこかのブログで読んだ事があります。
確かにプロジェクトXに登場するサラリーマン達は、プロジェクトが終わるまでなかなか家に帰れないという話ばかりだったような。
プロジェクトXなら最後はその会社の製品の成功で家族に笑顔が戻ってハッピーエンドだけれども、現実はそうとも限らないわけで。
ただ、昭和時代ならまだそれでも良かったでしょう。
「内助の功」が当たり前の時代であり、専業主婦の奥さんに家事や育児を丸投げしてれば仕事に夜遅くまで専念できて。
しかし今は男女共働きが普通で、1970年代は珍しかった「鍵っ子」という言葉はあまりにも当たり前なので死語になっている程の時代。
働きに出ている奥さんに家事や育児を丸投げ出来ない分、どうするか?
共働きで子供を育てるにも大変だし、かと言って専業主婦になるには旦那の稼ぎが足りない。生活を切り詰めて貧乏暮らしでは子供が可哀想。
これじゃ出生率がなかなか上がらないのも当然。
「少子化対策」をダシにした「男女共同参画」は、ここらへんちゃんと考えてないように思えるので、結局コケるんじゃないかと他人事ながら心配です。
どのスパンで考えるかの話で、地球誕生、とか哺乳類出現、とか新人類出現からのスパンで見ればもともと人口の増え方が急激すぎる。このスパンで緩やかに減らすとか無理でしょう。
リンク先の「緩やか」か否か、ってのは、多分コントロールした結果減るのか、資源の枯渇やら戦争やら自然災害やらで絶滅的に減るのか、っていう違いを指してるような気がする。
個人的には、コントロールして減らすことすら無理だと思う。だってどっかのエロい人が社会システムやらなんやらを勘案して「緩やか」な人口減のためには来年の出生率はいくつですよ、って決めたとしたってそれに従うことなんかできないでしょう。にんげんだもの。
みつを
リンク先読んでから出直します。
http://anond.hatelabo.jp/20070128121311
文明的な生活を送っている人間というのは、恐竜のように地球資源を大量消費しないと生きていけない存在なのだから、もっと数を抑えないと昔の恐竜みたいに絶滅します。数を増やせばとにかく生き延びるどころか逆効果だと思うのは私だけでしょうか。
ああ、なるほど。なんか違和感あるなと思ってたけどようやくわかった。
「次世代を育てるのは社会的義務」ってのは極論すると「出生率ゼロじゃ滅亡するよね?」って話でしかありません。
「持続可能な社会」って考え方の中には「適正な人口はどれぐらいで、そこに向かうための出生率はどんなもんか」ってのが含まれるはずですが、
両者はそもそも軸が違うのであって、別に矛盾するわけでは無いですし、上記の文には同意します。
もっとも、人間は動物とは違って知恵があるので、何か良い打開策がありそうなものですが、しかし「子供の数を増やせば解決する」というのは、国債と同じで一時しのぎにしか過ぎません。他に根本的な解決策が必要です。
問題なのは「急激な」少子高齢化だと思ってます。つまり「緩やかに」減っていくならOK。
ちまたで話題になっている「残業代ゼロ法」こと「ホワイトカラー・エグゼンプション」について。
大昔、労働における生産量というものは労働時間にほぼ比例していた。例えば畑を耕すのでも工場で物を組み立てるのでも、個々人に差はあれどそれは微差の範囲内で、基本的に長い時間働いた人ほど労働量が多いことになる。このような労働体系下においては、対価としての賃金は労働時間によって支払われるのが妥当と言える。
だが、情報化が進んだ現代では「時間=賃金」という等式は既に崩れている。例えば私の所属するエンジニア業界でも、同じ時間働いても個々人のスキルによって生産量が数倍から数十倍も違ってくる。1時間に3の生産量を上げられるAさんと、1時間に1の生産量しか上げられないBさんがいて給料が同じだとして、「時間=賃金」という対価の与え方では、同じ金額を稼ぐのにAさんはBさんの3倍の量の仕事をこなさなければならない。このような不平等をなくすために登場したのが「成果主義」であり、「ホワイトカラー・エグゼンプション」なわけだ。
「ホワイトカラー・エグゼンプション」は残業代ゼロ法などと揶揄されて暗黒面ばかりが話題に上がっているが、そもそもの目的は労働法に記載されている「1日8時間、週40時間」という枠を取っ払おうというものだ。この法律が施行されることで、労働者は会社に9時から5時までいなければいけないという縛りから除外(エグゼンプション)され、各人が自分にあった労働方法をとることが出来る。
例えば、幼い子供を持つ親御さんたちは、決まった時間に会社にいなくてもよいので、打ち合わせの時だけ会社に出向き、後の仕事は持ち帰って家でお守りをしながらやる、といったことが出来るようになる。仕事が物凄く出来る人は、一日2時間働いたらさっと切り上げ、残りの22時間をプライベートに回すことが出来るようになる。持ち帰りの作業が一週間分ほどたまったら、ノートパソコンとともにのんびりと旅に出て、旅行の合間に仕事をするということが出来るようになる。安倍総理が「この法律を施行することで出生率が上がる」といってネチズンの失笑を買っていたが、彼の意見はあながち間違っていないのだ。
だが、こんなのは単なる原理原則論、理想論であって、実際の運用上でもちろんこんなパラダイスのようなことが起きるわけはない。
昨今の情報漏洩ブームのおかげで在宅勤務なんかは夢のまた夢。仕事が物凄く出来る人は出来ない人の5倍10倍の量を押し付けられ週日会社に縛り付けられ、旅行なんかは行く暇すらない。労働者はますます困窮する。
「ホワイトカラー・エグゼンプション」の根底にあるのは、働いた時間など関係ない、生産量で人を評価しよう、というものだ。これ自体は間違ったものではないけれど、日本の企業風土では幾ら生産量を上げても決まった時間会社にいなければならないという暗黙の了解が既に出来上がっている。うちの会社はフレックスタイム制で、仕事が終われば3時半に帰ってもいいのだけれど、まずそんな人はいない。定時まで仕事をして、残業をしてやっと帰れるというのが社員の「当たり前」になっている。私なんかは仕事が暇な時は毎日定時に帰れるけれども、あちこちの島で火の手が上がっている職場でそんなことが許されるわけはなく、会社に居残って資格の勉強をしたり趣味のツールを作ったりしている。馬鹿馬鹿しい話だが、幾ら生産量を上げても早く帰れば「あいつは駄目だ」と思われるのが日本の企業風土であって、これだけはどうしようもない。実際私も「俺の会社は毎日定時に帰れるぜ」とか聞いたら脳たりんの集まりなんだなと思ってしまうしね。まあその逆もまたしかりだけど。
こんな状況下でホワエグなんかを導入したらますます惨状になるのは目に見えている。現在の企業側の認識としては、「サービス残業はいけないことだが仕方がない」という辺りだろうが、この「いけないことだが」の部分が結構大きくて、ホワエグによってサービス残業が合法化されてしまえば日本の労働環境は地獄と化す。何せ過労死をしても会社側は何ら責任を取らなくてよくなるのだ。良心的な会社ならともかく、悪用しようと思えば幾らでも出来るこの法案、ストッパーが完全になくなってしまうこの法案は大変危険だと言わざるを得ない。「現在も残業代出てないし、別に構わんよ」と嘯いている人は、もっと危機感を持ったほうがよいと思う。
先輩の会社のお偉いさんなのであまり遡上にあげたくないのだけれど、経団連の御手洗氏がよく言う「国際競争力の向上」というのは、つまり「安い賃金で多くの労働を」という以上の何者でもなく、こんなバイアグラのような方法で経済を伸ばそうと言う発想は極めて幼稚で短絡的である。日本の労働環境の向上なくして、経済力の向上などあり得ないのだ。音楽でも何でもそうだが、「人間的である」というものは普遍的で強い。法律も一緒で、非人間的な法律、そこに人間性や国民性が反映されていない法律は凶器と化す。今回の国会では廃案になりそうだが、来年以降も経団連と自民党の動きから目を離してはいけないと思った。