はてなキーワード: チョコレートとは
みなさん、そろそろココアの季節ですよ。
まぁ、私は年中飲んでるわけだが。
・バンホーテン
でもパウダーしか売られていないから、砂糖は自分でいれなきゃいけないよ。
缶のココアもここのはおいしいよ。
・ネスレ
本格欧風ココアってやつだよ。
砂糖が入っているので作るのも楽だよ。
ココアはチョコレートと同じで少しばかり苦味があったほうがおいしいんだよ。
ここのココアはちょうどいい甘さなんだ。
・森永
種類がいっぱいあるけどミルクココアしか飲んだことないからそれについてだよ。
甘みが強すぎてココアの苦味が楽しめないよ。
安いくらいしかメリットがないよ。
夏は冷たい牛乳にも溶かせるココアがでるけど、ココアパウダーの含有量が減ってるよ。
・明治
森永と一緒で糖量が多すぎるよ。
水で作るのとでは味が段違いだから。
http://akibanana.com/?q=node/1132
英文。
台湾のメイドカフェ、「Fatimaid」の紹介をめちゃめちゃ要約。
2000年のPiaキャロカフェにも行った事のある、日本語ぺらぺらのオーナーが開いているお店。
Animaidっていう台湾初のメイドカフェが日本流のゲームとかメイドイベント盛りだくさんのとこだったらしいんだけど、色々あってつぶれたらしく、現在台湾ではより「保守的な」メイドカフェが主流だとか。そしてFatimaidも例に漏れず、落ち着いた雰囲気。
客の三割が日本人のため、メイドたちも日本語を話せる。珍しいことに、完全予約制。
オーナーの哲学なのかなんなのか、内装や衣装(オーナーデザイン)やサービスにこだわりを持っており、メイドたちも仕事に誇りを持って働いている事が伝わってくるそうな。オーナーは「ご主人様」、男性マネージャーは「執事」、そして女性従業員は「メイド」という関係で、仕事中はもちろん、仕事外でも同じ関係でいるとか。
ケチャップでデコレーションされたオムレツは無いけど、かわりにチョコレートシロップでお菓子のお皿に絵を描いたりする。紅茶はかなり高級な茶葉を使用しているようで、相当美味しいらしい。
食事の料金の他に、2時間150円のタイム・チャージが必要という方式。季節ごとのイベントや季節限定メニューもあって、この夏には特別衣装として浴衣を着ていたみたい。
メイドが積極的に沢山のサービスをするっていうよりも、居心地のいい空間を作る事で、お客さん同士のコミュニケーションを取りやすくするような、「癒し系」メイドカフェ。中国ではコスプレが盛んな関係で、オタクイベントの参加者とかも女性が圧倒的に多いらしいんだけど、Fatimaidの客層も初期は男性:女性=9:1だったのが最近は7:3くらいになってるとか。隣が男装執事カフェで、そっちは女性で一杯。
チョコレートアンダーグラウンドがアニメ化されているみたい、そんなことはさておいて。
ネタバレもあるので注意
最近規制の話が多いよね、え、また?うそだろ?ってか違憲じゃね?とか思いながらネットでニュース見ているわけです。
私は規制は嫌い。規制ってあんまり快いものじゃない。自由に選べる方が好き。規制以外のやりかたでうまいことやってほしい。
でもどんどん規制が進んでいく予感がする、実際もうすでに取り返しのつかないことになっているのかもしれない。
では本題にはいる。
“舞台はイギリス。選挙で勝利をおさめた“健全健康党”は、なんと“チョコレート禁止法”を発令した!国じゅうから甘いものが処分されていく…。そんなおかしな法律に戦いを挑むことにしたハントリーとスマッジャーは、チョコレートを密造し、“地下チョコバー”を始めることにした!チョコレートがこの世からなくなったら、あなたはどうしますか?禁チョコなんて、ダイエットのときしかしたことない!読めばきっと、チョコレートが食べたくなる…。”
http://www.books-ruhe.co.jp/recommends/2004/06/chocolate.htm
『チョコレートアンダーグラウンド』(以後CU)の世界ではチョコレートは「有害なもの」として扱われている。その理由は甘いものは体に悪い、太る、虫歯になるなど。
人々の多くは、有害なものは規制して当然だろう、そう認識したから、健全健康党が選挙で勝利し、チョコレート禁止法が成立した。
一方日本では
ちまたで話題の青少年ネット規制や小中学生の携帯所持禁止の法律など、さまざまな規制案が進んでいる。児童ポルノ改正やら、今度は二次絵に対しても規制の話題もある。
表向きの規制の理由は「有害であるから」である。福田首相が「有害情報の心配をした方がいい」と申している。
有害なものと捕らえられている例としては、学校裏サイト、ワンクリ詐欺、出会い系、自殺の方法などがある。または常にメールや電話、ネットを利用し、それらに依存しすぎる生活がよくないなどもある。もちろん他にもあるだろうが思いついたのは今のところこの程度。
自分たちには関係ない、有害だったら規制するべきだよね、テレビでもネットが危ないなんて連日のように報道されているし、規制したらいいんじゃないかな、と日本人のたぶん多くの人は思っている。少なくともお偉い方々はそう思っている。
そして健康を守るためにチョコが規制されたCUの世界では、その後も、甘いものが次々と規制されることになる。
一方日本では上記の「健全な社会作りを目的とした新たなる法律」が最近次々と話題にあがるようになった。
児ポ改正の時には「ロリコンざまぁwww」とか某掲示板などに書かれたりもした。また「二次オタの俺は勝ち組」と言う人もいた。それが今度は二次元の絵なども規制される可能性が出てきた。つまり徐々に規制ラッシュがはじまってきているということだ。
“政府が児童ポルの方を規制した時、ロリコンでない自分は行動しなかった。
二次ヲタでない自分は抗議しなかった。
政府は、同性愛者やアダルトビデオにも弾圧の輪を広げ、最後に性的なものすべてを弾圧した。
童貞の自分は立ち上がった。
時すでに遅かった。
『抗議するには誰のためではない、自分のためだ』”
こんな感じのコピペをどこかで見た、もとはヒトラーに抗議し、収容所に送られたドイツの牧師マルティン・ニーメラーの言葉の
“ナチスが共産主義者を弾圧した時、共産主義者でない自分は行動しなかった。
社会主義者でない自分は抗議しなかった。
ナチスは、学生やユダヤ人に弾圧の輪を広げ、最後に教会を弾圧した。
牧師の自分は立ち上がった。
時すでに遅かった。
『抗議するには誰のためではない、自分のためだ』”
携帯電話で有害サイトにアクセスできないように最近なったけど、今度は小中学生に携帯電話を持たせることすら禁止になる可能性がある。
これはらCUで言う「チョコレート規制」から「甘いもの全般を規制」の流れに酷似している。
CUではチョコ規制のおかげで、お菓子屋さんが客の減少に困り、悪に走るw
一方日本は若者のネットサービスの利用が減り、携帯サイトサービスおよびIT産業全般に大きな問題を起こすこととなりうると私は予想する。
また二次絵規制が通ったら経済的損失は計り知れない。少なくとも多くの成人漫画や同人誌などを扱う方々にとっては、CUで言う「客のこないお菓子屋さん」の存在になる。
CUだと、町では密かにチョコを売る人も存在した。また、主人公とその友達たちが秘密の地下室でチョコレートパーティーを頻繁に行った。もちろん先ほどの悪に走ったお菓子屋さんも一緒にパーティーしていた。
このことは禁酒法時代のようなものだ。規制によってアンダーグラウンドな場所で取引が行われたり、密輸入なんかが起こった。
“合衆国の領土内における酒類の製造・販売・輸出入を禁じたものだった(飲酒そのものを禁止するものではなかった)が、かえって密造酒やアル・カポネなどのマフィアの横行を招くところとなり、1933年に同憲法修正第21条によって廃止された。”
たとえば児童ポルノの所持を規制したら、禁酒法時代のようなことも考えられる。アンダーグラウンドのところでやりとりが続けられてもっと悪質なものになるのではないかと危惧する。例えば「児童の性的な画像」を所持していたとしても、「児童」を所持すれば児童ポルノ方には引っかからないのである!!!!!より危ないではないか!!??
たとえば二次絵を規制したとしよう、しかしアンダーグラウンドなところで取引が盛んに行われ、正規で販売している成人向け漫画が売れなくなってしまうかもしれない。もともと成人向けのものは18歳未満が登場するものが非常に多いらしい。ということで、その可能性は否めない。そのうち、一連の流れに便乗して鬼畜なものやその他諸々も規制されるかも。
CUではチョコレートの作り方が書いてある本は処分された、じゃぁもし二次絵規制されたら、ロリ漫画絵の描き方本も処分されるのか?w
CUの世界では国民の予想以上に規制が強化されて行き、どんどん自由が奪われていく、最初はいいことだと思っていたんだが、逆に自分の首を絞めるようなものと感じる国民も出てきた。
そして、最終的には主人公側の人間の演説により多くの国民が賛同し大規模デモが発生、そして健康党崩壊。チョコと自由を取り戻すことになる。
チョコレートは健康に悪いかもしれないが、食べ過ぎなければ太らないし、歯をしっかり磨けば虫歯にはならない、それにおいしい。
日本の今の状況に置き換えるなら
ネットには有害情報もあるが、使い方さえ間違わなければ(メディアリテラシーさえあれば)有害な事件に巻き込まれることもないし、ネットや携帯を使いすぎなければいい、それに本当に多くの知識や情報を得られるメリットだってある。なによりもおいしい(性的な意ry)
チョコレートアンダーグラウンドは私が読んでとても興味深い作品だと思い、
その内容と今の日本がかなり近い状況にあると感じたからこんなことを書いている。私の他にチョコレートアンダーグラウンドを読んだことがある人がいるなら理解してもらえるところもあるだ
ろうと思ってこんなことを書いている。(ちなみに原作の方です。金原さん訳の)
私はすでに成人だが、これらの規制は少年少女たちが影響を受けることとなる、そしてチョコレートアンダーグラウンドの主人公も少年だ。私はそこにも共通点を感じてしまった。子供なんだからいろんなものに興味を持つだろう、ゲームや携帯やネット。それは普通のことだと思う。(もちろん成人にものちのち影響を及ぼす可能性があるのは前述したの通り)
私が危惧するところは、今後多くの規制が成立し、表現の自由が奪われ、人々の行動も制限され、自由が奪われてしまう社会になることだ。
どんどん、自由が無くなっていく社会、そのような日本は好きかい?
マスコミを見ていると自分で自分の首を絞めるようなことをしている。無駄な危機感を視聴者に与えさせ、すぐ規制に走らせる。そのうちマスコミも規制されるぞ。
たとえば、「とりあえず規制してその後緩くしていこう」って言うんだったらわかる気がする。しかし、規制によって、それ自体が「悪」であると認識してしまう。
わかりやすく説明すると
児童ポルノ法ができる以前では、テレビにも平気でそのようなものがあったり書店で平気で売られていたり、そんな感じだった。
しかし、児童ポルノ法により、そんなもの見るのは最低ロリコンだとか、社会にとって不健全きわまりないものだ、「悪」だ、という意識が完全に定着した。
要するに一度法律ができてしまうと、それ自体が「悪」と見なされ、緩和されることもなかなか無いと思われる。
児童ポルノの例ばかりで申し訳ないが、子供の携帯電話の所持が禁止されたら、子供なんぞが携帯電話を持つべきでは無い、持つのは悪だ、dqnだ、あほだ、ヤンキーだなんて認識をもたれてしまう可能性が高い。そうなってしまったら規制緩和も難しい。
だからこそ短絡的な規制は控えるべきであり、長期的に物事を考えてもらいたい。
規制じゃなくて別の方法をもっと考えようよってことだ。
しかしそんな他力本願だといけないから、私もいろいろ考える。
やっぱり誰もが考えるであろうことはメディアリテラシー教育の必要性だと思う。
カナダやイギリスではメディアリテラシーの教育がそれなりになされているという。
が、実際機能してるかどうかは私は知らない、申し訳ない。
ゆとりゆとり言っているけど、若者の方が実際メディアリテラシーが高かったりする。
仮にネットを規制したら、子供たちのメディアリテラシーは今以上に下がる気がする。私はネットがあったからこそ、大メディアに多くの違和感を覚えるようになった。
物事を多角的に見ることができるようになった。
ネットを規制なんてしたら、かえってリテラシーも身につかない。
子供だって楽しいことしたいし、珍しいことを知ったり、いろいろなものに興味持ったり、言いたいことを大人の用に堂々と主張したり、
ちょっとくらいいたずらだってしたくなる。そりゃエッチなことにも興味持ったりもするさ、人間だもの。
昔は自分たちも子供だった訳なのにそんなことはもう忘れてしまっているんですかね。
子供にはほとんど権利なんて無い、大人が勝手に作ったやり方を押しつけられてその通りにしなければならない、なにか発言しようにも知識が無いから論破されたり丸め込まれたりする。
ゆとり教育だって、知らない間に勝手にできて、勝手にゆとりゆとり言われて馬鹿にされる。そしたら今度は、ゆとり教育はやっぱろよくなかっただのアホなことを言い出したりして、子供の方
は相当かわいそうだろうなと思う。
法律を作る人などは子供の気持ちなんかどうでもいいですからね、自分はもう大人だから。
でも自分が子供だったらどうですか?次々とやってはいけないことばかり言われて。そうしたら逆に反発したくなりませんか?
規制やルールに縛られすぎの子供たちが将来を背負っていくよりも、自分たちで、善し悪しを判断できるように教育された子供たちが将来活躍して行く世の中の方が良くないですか?
良いと思って短絡的思考で規制をするとかえって自分の首を絞めることになる。だから、普段何も考えない人は、よく考えて。大メディアの人は自分の首を絞めることにならないかをよく考えて。ゲームやネットを悪者扱いするとそのうちテレビも危ないって政府の人がお思いになり、ドラマとか放送できなくなるかもしれないよ?さらに視聴率落ちるよ?いいの?なんなの?ばかなの?視聴者はもっとはなれるよ?
メリットとデメリットは長い目で考えないと実際どちらが得になるかわからないものだ。
そして、最終的に良くないものについては、みんなで抵抗しようではないか。ダウンロード違法化の時は多くのパブコメが集まったみたいだし、結果は駄目だったけれど、私たちはちゃんと意志を持って行動した、そのことは大いに意味のあることであったと思った。CUはフィクションだからうまくいったけど、現実ではなかなかうまくいかないと思う。だからってあきらめないで抵抗しようよ、サイレントマジョリティーにならないように、またパブコメとか出してやろうぜ!なんか世の中のために俺たちはがんばってるんだぜっていう訳わからない自尊心も得られるし、べ、べつに世の中のためなんじゃなくて自分のためなんだからね!
*いろいろ書いてみたけれど、書いてみるだけなら簡単だ、実際うまいこと機能させるにはどうしたらいいものなのか、具体的に記述できていないところもある。そして可能性ばかりを取り上げていてうまい具合な批判ができていない。私はたいした知識も文章能力も解決能力もないのでこんな感じになってしまった。そしてグダグダだった。理想論みたいな感じで、たいした内容も含んでいないこの日記は法律そのものへの批判というよりかは、今後の流れを危惧しているということを伝えたい日記だ。それとチョコレートアンダーグラウンドを見た人に共感してもらえたらという気持ちもある。そして私はより自由な世の中であってほしいと願う。
補足はまた書くかも。長ったらしくてわかりにくくてすまん。手元に本がないので多少違っている部分もあるかもしれない、ご了承を願う。
幼稚園の通園に使っていた籐のバスケットの中には、きれいな水色の小箱と、白いリボンが丁寧にたたまれてしまってある。
私が小学生から中学生くらいだった頃に、クリスマスが近くなると毎年ティファニーのアクセサリーと、ゴディバのチョコレートをくれるおじさんがいた。おじさんは父の友人で、ニューヨークに住んでいる。子供は欲しかったけどいなかったらしい。多分お金持ちだったんだろう。普通は小学生にティファニーでアクセサリーやチャームを買って贈ったりはしないと思う。しかも私と妹の両方にだ。
当時の私はゴディバがそれなりに値の張るチョコレートだということは知らなかったけど、ティファニーが素敵なものだということはなんとなくわかっていた。きれいな水色の、ロゴの入った紙袋には小さな箱が白いリボンにくるまれて入っている。大人の女性の仲間入りをしたようで、とてもとても嬉しかった。中身はアクセサリーではなく、子供向けのブックマークだったりチャームだったりしたけれど、きらきらしてとてもキレイだった。大人になった今でもその頃に貰ったボールペンは使っている。
おじさんと父が疎遠になったのか、中学以降はそのおじさんとのつながりがなくなってしまったけど、あの頃の素敵なプレゼントに心を躍らせるキラキラした気持ちはずっと忘れていない。ああ、大人になったら今度は素敵な恋人に、この水色の小箱をプレゼントしてもらえるんだ…とか夢みていたけど、まさか自分が30近くになっても誰とも付き合えず、これからも付き合う気配が微塵もないとは思わなかったなあ。多分おじさんに一生分のティファニーをもらい尽くしてしまったんだ。そういうことにしておこう。そうしようそうしよう。
気持ちだけのつもりであげたチョコレート(原価100円くらい)に
お返し(400円くらい)をいただいてしまったときには、
こりゃまいった、どうしようと思ったものです。
そのくらいだったらまだかわいいもん?
チョコレートだけでなく、何かアクセサリーとか、バカ高い洋酒をもらったとか、そういうプレゼントだったら3倍返しも分からないでもないけど。
意味わからん。
貰ったプレゼントがいくらだろうと「3倍返しはあり得ない」って話なんじゃないの?
貰ったものの金額によってお返しの倍率が変わるもんなの?
それって3倍(線形)返しどころか非線形返しだぞ。
最悪な女だな。
二人って女の子は二人出したけど何か誤解をされている気がする携帯電話をつきだしたあとをつけて走りすぎて酸素の不足している女児がさとこちゃんなんですがそれでも続編を所望されたのでこれは一人でも望む限り続けられるなら続けたいなでも夢の調子次第だしとか思いつつ玄人っぽいという発言を見ていやいやこの文章は大久保町シリーズとか食前絶後とかの影響によるものであってベタに素人ですよとか独り言をつぶやきびっくりするほどよみずらいと書かれてごめんなさいごめんなさいと彼女の台詞ではないけれども謝ってみたりするのだけれどもよみずらいというのはよむとつらいの合体なので読みづらいと書かないと私のATOKは変換してくれないのよねとか反省の足りないことを日記に書き終えるとよし夢を見るぞと土曜の昼食後午睡をとってみたものの何も得られず得たのはよだれの垂れたバスタオルだけといった次第で落胆しながら夕食の買い出しへ出たところ夢の彼女の名前はなんというのだろうと考えながら歩いていたためにスーパーの駐輪場前で勢いよく入ってきたママチャリにぶつかりそうになりひどく尻餅をついたら目の前が昼間の車道脇になっていてさとこちゃんが歩道にぺたりと座った私の返した携帯を受け取りながら私の顔をじっと見つめるのでさとこちゃん詳しい話を聞かせていただけませんかお茶でも飲みながらと言ったら紅茶とケーキを所望されたのですが今部屋にあるのは珈琲とチョコレートか緑茶と煎餅なのです買い出しに行きますかじゃあ緑茶とチョコレートと言われてしまったために今こうして部屋に戻ってきてお湯を沸かしているところ私の部屋が珍しいようで仕事の書類をひっくり返したり本棚から本を抜いてみたりクローゼットを開け閉めしたりベッドの下に潜って何かを発見できず舌打ちしたりと活発に動き回るので何をしても良いですけどちゃんと片付けてくださいよわかってますよと言葉を交わしながらなんで初対面なのにこんなに双方落ち着いているのだろうと不思議に思っているとお湯が沸くので水を少し足してお茶をいれ実はコタツなんだけれども今は季節的にちゃぶ台という存在の上に茶を出しご所望のチョコを冷蔵庫から出して添えるとさとこちゃんはひょいと一粒つまみ上げて表裏をひっくり返したあとこわごわ半分かじって何か考え緑茶をずずいとすすってから残りの半分を口に入れた状態でひょれれろうひまにょうかと言ったのでいろいろ聞きたいことはありますがさとこちゃんをよろしくというのは私はなにをあなたにすればよろしいですかということから聞かせていただきたいと申し入れたところコタツの上で両肘をついて手の指をふにふにと組み合わせチョコレートを口の中で溶かしきってからなんというかさっきのようにびっくりされても困るのでぼかして一言で言うとしばらく匿ってもらえると助かりますあと贅沢を言えば学校へわからないように車とかで送り迎えしていただけるともっとうれしいですと上目遣いで様子をうかがいながらいうのでよほどなにか困ったことに巻き込まれているのだなあと少し不安になりながらまあさちえさんのためならそれぐらいはおやすい御用ですが私も仕事がありますから学校へは相当早く送ることになりますし帰りは校内で少し遅くまでいてもらうことになってしまうかも知れませんよと返答したらあからさまに表情が明るくなるのでこちらもうれしくなって笑うとまあぼかさないでいうとパパになりたいおじさんのためにさとこかおかあさんが斬られたり刺されたり殺されちゃったりするかも知れないってことなんでどうぞよろしくと言われて死ぬほど驚いたら夜の駐輪場で私は自転車のドミノの起点になって倒しまくっておりママチャリに乗っていた仏頂面のおじさんが自分のママチャリだけ正しく立てて置いて去るのを横目に自転車を並べまくっているのでした。彼女の名前を自分で呼んでいたことに気づいたのは買い出しのレジに並んでいるときであり大きな声を出してしまったために不審がられたのは書くほどのことでもない。
22時55分、大量に定食が出る。
23時5分。後から入ってきた青年のところに豚焼き肉定食のW大盛りが出た。
23時10分。おじさんに生姜焼き定食が出る。
23時15分。豚定の青年が帰る。叔母さんが4人入ってきて全員ビビン丼を注文する。
23時20分。生姜焼き定食のおじさん帰る。
23時25分。ビビン丼が全て出る。
23時30分。牛丼が出てくる。
遅いぐらいで大人げないし、読む本もあったし、牛丼出すときにちゃんとお待たせして申し訳ありませんでしたと謝ってたし、安い時給で深夜まで働いてる人に嫌な思いさせたくなかったから、文句を言わず食って帰った。
待って待って待って出てきた牛丼のご飯がぱさぱさで肉がカサカサで7割方脂身だったけどそんなに怒ってないよ。ほんとだよ。別にアレはエサであって好物でもなんでもないし。別に激怒なんてしてないよ。お昼ご飯が忙しくてチョコレートをつまんだだけで10時間たって仕事終わって疲れている状態で他人が定食をぱくつく姿を見てたけど腹なんか立ててないよ。
でも、当分の間松屋に行くのはよそうと思う。代替手段もあるし。吉野家は味噌汁ついてない分少し高いけどさ。
なぜかっていうと、帰るときに私だけ、私だけが、「ありがとうございました」「またどうぞ」っていわれなかったから。
友人と深夜語り合いながら思い出した自分は、「思春期だったから」ということで片付けられないような怖い自分だった。
僕は中学の卒業式にもらった色紙や、後輩からの手紙が一枚も残っていない。
なぜなら、やぶいたから。
卒業式の日、沢山の後輩と話して手紙ももらった。部活の同級生とは色紙交換したり、「高校でもハンドボールやろうな」なんて熱く語り合っていた。
それから2、3日たって、僕は家で一人手紙や色紙を読み返していた。ふと思った。「これやぶいたらどんな気持ちになるのかな」
やぶった。全部手で何回も引き裂いて、きれいにまとめてごみ箱に捨てた。その時の感想はまだ覚えている。「ふーん。」それだけだった。
今だったら絶対できない。やぶかれたら、やぶいたやつをぶちのめす。絶対。絶対変だったんだ。
まだある。
高校の時、彼女がバレンタインに大きなチョコレートケーキを作ってくれた。頑張って作ったんだろう、ワンホールほどもあるケーキはきれいにラッピングされて、丁寧にリボンまで掛けてあった。彼女はケーキの入った紙袋を渡しながら、「まぁ家族でたべてよ」とか言って笑っていた。僕はお礼をいって彼女と別れ、家に向かう電車を待っていた。待ちながら、ケーキが重かったので駅のゴミ箱に捨てて、普通に電車にのり、家に帰った。
捨てる時の気持ちは本当に普通で、ポケットのゴミを捨てるように、本当に普通だった事を覚えている。
人間じゃないと思う。
「重いから捨てた」なんて、プログラム通り動く、ただのロボットの反応じゃないか。
まだあるけどもう言いたくない。
精神医学や心理学なんてやってるボンクラ共がよく言う「環境と親の愛情不足が原因」っていうのなら、僕は結構素質がある。両親共働きで、鍵っ子で、学童保育に土曜日も通った。軽犯罪ぐらいならしたことあるし、煙草も5年生で吸った。小学校でも中学でも学級崩壊クラスだったし、3年生の時に6年生にいじめられたこともある。お父さんは仕事とか単身赴任とかで、4年生から大学入るまで全然会えなかった。お母さんが仕事に疲れていて、晩ごはんがポテトチップスだけな事だって何度もあった。
まぁ、僕はそれをネタにして皆と笑っていたし、別に不幸だとかは本当に一度も思った事がない。学童も小学校、中学、高校、全部おもしろかった。でも、ほんとはどこか病気だったんかなあ。
いつも皆とネタにして笑ってたけど、周りに誰もいなくなった時、本当の僕、おかしかった僕が出てきていたのかも知れない。すげー怖い。表でヘラヘラ、裏で冷酷。これじゃほんとのジキルとハイドじゃねーか…なんかすごいな。
でも思う。僕は元々自分で「根本は悪の人間」って知ってたし、周りにもそう宣言してきた。だけど、とりあえずそれがあんまり表に出ていないのは、友達のおかげなんだろう。学生時代はずーっと部活やサークルをやってきて、周りの皆のそばにずっといられる環境だったから。それがでかい。一人の時はゴソゴソしちゃうのだ。やっぱり僕は。
読んだ人に知って欲しいのは、友達は大事ってことと、僕みたいな隠れビョーキ野郎みつけたら優しくしてあげてってことです。どっかにいるからね実際。
うちの事務所の代表が、『昨日1つもチョコレートを貰えなかった』との言葉を皮切りに、
『女性社員は日頃の業務態度がなってない、8時間分の仕事をしてない』と業務部長を大説教。
来年の参考にしたいのです。
そういう自分のお薦め
NO1「想いそめし」525円
バレンタインデー時期だけ、500円位の超!かわいいパッケージのがでるんです!
しかもすっごくおいしいの。男性にもウケがいいです。自分用にもリピートしまくり。配布用に外袋つけてくれるのもポイント高い
http://item.rakuten.co.jp/ogurasansou/c/0000000135/
ドライいちごにホワイトチョコつけたやつ。こっちもバレンタインだけの特別包装があるので、ムード盛り上げやすい。
https://www.rokkatei-eshop.com/eshop/items.do?scat=5&c=10302
https://www.rokkatei-eshop.com/eshop/items.do?scat=76&c=10890
NO3「のぞみ作業所のハート型Wチョコレートケーキ 」500円
精神障害者の方の作業所で、手作りしてくれてるケーキ。ガトーショコラみたいなかんじで、パッケージもかわいいんです! 送料は別途かかる(福岡からだから、700円から1000円くらい)けど、量買えばOKかと。申し込みは普通のメールで。職場の男性に、おいしくて食べ応えがあると大好評でした。
http://anond.hatelabo.jp/20080214215330
生まれて初めて好きな人にチョコあげた。
当分会えそうに無いから郵送で、
もう3年も友達づきあいしてて、ずっとなんとなく気になってたけど
ここ半年ぐらいの間にすごく好きになっていた。
普段はあんなに饒舌なあいつなのに、
受け取りましたのお返事は、そっけない一行メールで、
うれしいの?
それとも迷惑?
この前あなたの隣にいた私に似てないちっちゃくて
言いたいことが胸いっぱいにあるはずなのに、
あげる前、返事が来る前は
あんなに迷ったりドキドキしたりしていたのに、
不思議に今、心の中がすっきりしている。
渡しただけで満足しちゃったのかな?
自分が良くわからない。
てか、ドン引きされちゃったってことか・・・な・・・
バレンタインデーにワクワクしたのなんてもう思い出せないぐらい大昔で、近年はむしろイヤーなことしか思い浮かばず、チョコレート買う人の群れに遭遇すると本当に苦しくなるぐらいだ。しかし、だからといってバレンタインデーなんかなくなればいいとは思わない。むしろ、幸せな気分になった人には大いに語ってもらいたいぐらいだ。自分が感じたしんどさは、「絶対」「抜け出せない」「必然」じゃない、と分かった方が楽なことはあると思うんだ。だから今日という日が楽しかった人は語ってくれ!
・・・場所を間違えただろうか。
追記:
おお!いい感じじゃないか!
バレンタインってわざわざ日付を決めてみんなでやるからには無礼講だと思うんだよ。「わたしの自己満足かも?」とか「あの子の方が・・・」とか考えなくていいんじゃないかな(考えちゃうけどな)。渡したいなーと思う人に遅れてでもなんでも渡せて、すっきりした気分になるのがいちばん。何もかもそれからだー。聞かせてくれてありがとう。もっと、楽しくなるといいね。
日本では、バレンタイン・デーは「女性が男性にチョコレートを配る日」として、完全に定着している。これが、初期キリスト教の聖人、聖バレンティノにちなんだ日で、欧米では恋人に花などを贈る日とされていることなどもごぞんじの方は多いだろう。では、なぜ日本ではチョコレートを贈る日になったかはごぞんじだろうか。一般には、神戸の菓子屋の「バレンタイン・デーにはチョコレートを」のキャンペーンが全国に広まったものとされている。しかし、実はこの前の段階がある。
この行事はそもそも昭和21年の今日、進駐軍のバレンタイン少佐が子供たちにチョコレートを配ったという故事に由来しているのだ。
意外と知られてないが、これは事実なのだ。
昭和20年冬、終戦直後の神戸にやってきた進駐軍士官の中に、彼、ヴァレンタイン・D・クラーク少佐はいた。クラーク少佐は1920年2月14日、ボストンに生まれた。誕生日の聖人、聖ヴァレンティノにちなみヴァレンタインと名づけられたクラークは、その名の通り慈愛に満ちあふれた青年に成長、陸軍に入隊した後もその性質は変わらず、太平洋戦線で戦ったにもかかわらず、日本人に対して常に敬意と愛情を持って接した。そんな彼の性格がもっとも表れているのが、このバレンタイン・デーのエピソードである。
敗戦後の混乱の中で飢えに苦しむ人々、特に子供たちの悲惨さを見かねた彼は、日本にいた3年間毎年、自分の誕生日である2月14日に、子供たちへのプレゼントとして5000枚のチョコレートを配ってまわった。かっての敵である自分たちに対しても愛をもって接する彼の姿にうたれた人々は、クラーク少佐を記念して、2月14日にチョコレートを贈り合うようになったのである。
その後、この習慣がチョコレート業界の戦略から全国的に広まり、いつしか女性が男性に贈るものとして固定化し、やがて義理チョコなどの儀式が生まれてくるに及んで、ヴァレンタインの精神も完全に形骸化してしまったわけである。クラーク少佐も草葉の陰でさぞや嘆いているだろう。どうだろう、みなさんも一度クラーク少佐の真の愛情あふれる心に思いをはせ、習慣化した義理チョコなどではなく、世界の恵まれない子供たちにチョコを贈ってみては。
参考・「現代用語の基礎知識」(自由国民社)「究極超人あーる」(小学館)http://www2s.biglobe.ne.jp/~ttsyhysh/column.html