はてなキーワード: クラスメイトとは
近頃見る夢が、果てしなく気持ちがいい。
好きな二次元キャラクターと一緒にあれこれ(エロじゃないよ)する夢や
ヒーリーズのような靴をはいて、高くジャンプし、野原と空を自由に飛びまわる夢(これは本当にかなり爽快だった)
とてつもなく広く美しい草原の中を昔仲の良かった友人とずーっと凄いスピードで走り回る夢
仲のよいクラスメイトたちと一緒に滅茶苦茶楽しい学園生活をおくる夢(校舎がまた滅茶苦茶美しく広い)
色んなハリウッド映画がごちゃまぜになったような夢(主人公は無論自分)
過去の、学生生活の楽しかった場面だけが誇張され繰り返される夢(本当は辛いことも多かったのだが)
こうやって文字に書くとあの美しさがどうも陳腐になってしまうのが悲しい。実際にはもっと酷く感動したのだが。
それはともかく、そんな凄くいい夢ばかりなものだから、目覚めてしまうのが惜しい。実際、早く目覚めても最近は「続き!続き見たい!」と二度寝をしてしまう。二度寝どころか休日などは三度寝、いやそれどころかほとんど寝ていたりすることさえある。あまりに就寝中が別の意味で夢のようで、起きていたくない。このまま幸せな夢をみたまま永眠したいくらいだ。
そう書いている今も、再び今日の夢に没頭したくてたまらない。夢は起きたらすぐ日常の雑多なものに埋もれ、忘れてしまうのが悲しい。残るのはかすかなあの喜びや楽しさや爽快感のかけらだけだ。でもその楽しさの濃度が濃いから、かけらだけでも俺はひきつけられる。あの感覚。涙が出るほど美しくて楽しかった。あんな場所が現実にあるならなんとしてでも行きたいと思う。
赦さなければ赦されない・・・
そうは言ってもな・・・
こっちが赦してても尚、向こうに馬鹿にされたら泣いてしまう。
何なの俺の人生・・・何処から間違ってた?俺が悪いわけ?
虐めの原因だって向こうが発端だったのに。
首謀者はこっちが発端だって言い触らしてクラスメイトどころか先生まで味方に付けて・・・
自分達が最初にやった事は無かった事にするわけか。
で、今でも向こうが発端だったって事は誰にも知られてない。理不尽だ・・・理解できない。
唯一自分のせいだと言える事は、アホだったって事くらい。
大学行くつもりないから高校で遊んどけ??なんて思ってたのが馬鹿でした。
後孤独の辛さを真に理解してなかった所も悪い。・・・悪いのか?何処が。
向こうの心の狭さと卑怯さと陰湿さはどうでも良いのかよ。
もうどうしたら良いのか分からない。既に死んでるのと同じ。
生き返りたい。
数少ないマイミクは、リアル知人のみで構成されているのだが、先日、その1人である中学の同級生A男から
メッセージが届いた。
ちょっと前に同窓会が開かれたのだが、
「同窓会に、K男も来ていた。全然変わってなかったよ」
と書かれていた。
K男は、私が10代の頃に付き合っていた男子で。
深い関係になることもなく、あっさりさっぱりとした付き合いだったけど、
「自分が好きな人と付き合うと、こんなに楽しいんだ」
ってことを、はじめてわからせてくれたのがK男だった。
K男は中学時代から女子ウケがいい人だったけど、高校に入ってからはそれがモテに変わり、
私と付き合う前にも、数人の女子と付き合った経験もあるという。
背が高くてほっそりとした体型、浅黒い肌、おまけにスポーツ万能、勉強はやればできる子だったみたいで、
おまけにカラオケがかなりうまかった。
まあ今思えばモテる要素が揃っている。
とはいえ、どちらかといえば地味グループに入っていそうな人だった。
そんなあからさまにモテ男子というわけではないところが親しみやすい雰囲気を作っていて、
一部の女子にウケがよかったのだと思う。
彼の優しくて気取らない性格に惹かれていた。
同年代のほかの男子に比べ、女性に対する気遣いができるところにも。
K男にはちょっとした特技があった。
彼は絵がそこそこうまくて(クラスメイトの似顔絵とか)、おまけに書道の達人で美しい文字を書くことができた。
そんなわけで、彼がノートの片隅にちょっとした漫画(吹き出しの文字も活字に似せて手書きしてた!)を描いて、
漫画を描いているからといってヲタ臭を放つわけでなく、運動会でリレーの選手になったり、
さえないギャグを言って皆を笑わせたり、ごくごく普通の、楽しい学校生活を送っていそうな人だったのだ。
……一見すると。
彼について、付き合いはじめてから知ったことがたくさんある。
私がK男に抱いていた印象は、彼のほんの一部分の印象に過ぎなかった。
別れた後に、むしろ光に照らされない暗闇ほうが、彼を構成する大部分の要素なのかもしれないと思った。
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彼の体には、大きな傷跡が残っていた。
自らがつけてしまった傷跡だと、言っていた。
ナイフで手首をリストカットとか、そういうのではないけれど大きくて深い、十針以上は縫ったであろう傷跡。
傷を作った原因は知っていたけど、なぜそんなことをしたのかはわからない。
彼自身にしかわからない何らかの理由があったことは間違いないだろうが、理由は決して話してくれなかった。
それなのに、「こんな縫い後があるんだー」と、笑いながら話すのがちょっとコワかった。
傷で思い出したけど、お母さんの腕を折ったこともあると言っていた。
一言で言えば、家庭内暴力なのか。
これも理由は話してくれなかったけど、「お母さん泣いてたよー」とまた笑いながら、語っていた。
さらに、
「ぼく、お父さんに骨折させられたことあるんだよね」
とも言っていた。
父は息子の骨を折り、息子は母の骨を折る……そんな家族が住む場所は、一見ごくふつうの家だった。
お母さんはいい人そうだった。きょうだいのうち、妹の1人は目が病んでいた気がする。というか、彼におびえていたのかも。
そして彼の家の室内には、犬とネコが20頭近くいた……。
サイコキラーが住む家を描写した文章から頭に浮かぶ印象が、K男の家に似ていたのだ。
もちろん「黒い家」のように死体がころがっているわけじゃないけど、ものすごくキツイ獣臭(動物の体臭と排泄物の臭いが
入り混じった、すえた汚臭)と、家の中の雰囲気や、彼の過去の話などとイメージが重なり合ったのだった。
私が初めて遊びに行ったときは、さすがに臭いを気にしたようで(臭いに対する自覚はあるらしい)、
部屋に芳香剤を置いてくれたが、その芳香剤が甘ったるいイチゴの香りで、それがもともとあった獣臭と交じり合い、
さらに壮絶な臭いが鼻腔を鋭くついた。
目にも染みるような臭いだった(服を洗っても臭いが落ちなくて、泣きそうだった……)。
私たちは、お互いの家ではなく外で会うことがほとんどだった。
いつもお決まりの公園で会って、何時間も話して、あまり遅くならないように帰宅する。
手をつなぐとかキスをするとかいうスキンシップは多少あったけど、それ以上の関係を持つことはなかった。
彼は「きみを大切にしたいから、そういうことはしたくないんだ…」と、静かに言った。
自分に魅力がなくて、女として欠陥があって、そういうことを言われるんだ……と、何度も泣いた。
そうやって、何も特別なことは起きないまま、数ヶ月付き合い続けた。
彼の過去や家庭の事情などものともせず、私はずっと純粋に好きでいつづけたのだけど、
ある日突然、別れはやってきた。
私が受験をしていた当日、彼は同じ高校の後輩からバレンタインチョコをもらい、その子に告られたらしい。
雪の降る日だった。試験に遅れまいと、必死に走って会場へ行き、私が懸命に問題を解いている間、別の女と……。
「きみのことを嫌いになったわけじゃないけど、好きな人ができた。ごめん」
いきなり電話で別れを告げられ、ほとんど話もできずに一方的に電話を切られた。
つらくてつらくて、体がちぎれそうだった。
私の何がいけなかったのか、彼女との間にどんなやりとりがあったのか経緯をどうしても聞きたくて、何度も電話した。
単純に執着していただけだと自分でもよくわかっていたけど、電話を数度かけて、やっと口をきいてもらえるようになった。
彼から、
「彼女も好きだけど、きみのこともまだ好きかもしれない」
という、無責任な言葉をもらったあと、私たちはまた会うようになった。
だからといって関係を持つということもない。恋人同士ではなく、なんだかよくわからない関係だ。
彼は、彼を愛してくれる人だけを好きになるタイプの人間だった。
自分から好きになることはなくて、好きだと言ってきた人のことを好きになるそうだ。
そこまではまだ、よくあることかもしれない。
別れたあとに聞いた一番ひどい言葉は、
「どんなに化け物みたいな子でも、付き合える。好きになれる」
だった。化け物……。
ああ、別れてよかったなぁと、そのときはじめて実感できた。
そういう発言が許せなくて言い合いになって、ケンカして、罵倒しあって、気がついた時には縁が切れてた。
その争いの数ヵ月後に、私が友達といっしょにいるところで彼に遭遇したことがあったけど、彼は私を一切見ず、
存在すらしていないもののように扱い、私の友達とだけ話をして去っていった。
あれから何年立っても、私にとって彼は、会うと気まずい人、できれば顔をあわせたくない人になっていたが……。
少し前に、なんとその彼からmixiでメッセージが届いたのだ。
友達のA男が、私の名前をK男に教えたらしい。
道端で会って無視されるという経験があったので、むしろ向こうのほうが私になど会いたくないだろうと思っていたが、
ものすごく明るいメッセージだった。
よくmixiで昔の恋人からメッセージが来た、なんて話を聞くけど、
まさか自分にそのような出来事がふってくるとは思わなかったよ!
何日か寝かせて、普通に返信した。また返信が届いた。
それ以上は何もない。
メッセージが届いたときは、胸がドキンドキンと変に動いて息苦しくなった。
そして、お互いにひどいことを言い合って別れたのに、普通の文章で、
「結婚おめでとう。皆で会いたいね」なんて書かれていたことに、少なからず動揺している。
そして、動揺している自分に、ものすごく驚いた。
まだ彼の影響が抜けきっていなかったのか、と。
心の奥底に封印されていたあの頃の記憶と、彼に対して抱いていた言葉に表しがたい奇妙な恐怖のようなものが
よみがえってきたので、会うのはコワい気がする。
でも、コワいもの見たさで、会ってみて、普通に会話してみたりもしたい。
あああああ、どっちにしてもコワい……!
書いているうちにコワくなってきて、いくら匿名とはいえ、書いていない変なエピソードがたくさんあるんだよ……。
支離滅裂だけど、今までに感じたことのない恐怖だったので、その感情を記しておきたかった。
なんでこんなにコワいんだろう。いやだなぁ……。
※この文章は、映画「さよなら、僕らの夏」のネタバレを含む感想です。
殺したいほど憎いと思う相手って、子供の頃にはいませんでしたか?
爆笑問題の太田さんが「子供の方が実は大人より残酷だから、すぐ殺したいとか思う」
という様な事を以前どこかで話していて、確かにその通りかもしれないと思ったことがあります。
「さよなら、僕らの夏」は、少年達が実際にクラスメイトを殺してしまう、というお話です。
題材としてはありがちと言えるのかもしれませんが、淡々と細かく描かれた描写で、登場人物に感情移入できる映画でした。(個人的には、同性婚の親を持つ青年が良かったです。)
この映画を観ると、「子供というのは確かに残酷だったんだ」という事を、改めて感じさせられます。
罪を犯してしまった子供の方ではありません。殺されてしまった子の方の事です。
彼は、実際に嫌な奴でした。とても嫌な奴です。
その嫌な奴っぷりといったら凄まじく、観ている私達にも「死んで欲しい」と思わせるぐらいの嫌な奴です。
でも、いい奴なんです。どうも悪意がある様には感じないんです。
その不安定なキャラクターが新鮮でした。
彼は本当は、人と仲良くなりたい様なのです。でも他人に殺意を持たせる様な事を平気で言うんです。
もう毒舌とか、ツンデレどころじゃないです。バッファロー'66どころじゃありません。「結婚できない男」どころじゃ(ry
人間というのは多面的な側面を持つ生き物です。みんな上手に誤魔化して生きているだけです。
しかし子供の中には、誤魔化す方法を知らない子もいるのです。
そんな子は馬鹿正直に全てを吐露します。殺意の沸く言葉もどんどん吐きます。
そういう行為(好意)を無尽蔵に繰り出してくる乱射魔を相手に、少年達は一体どうすれば良かったのでしょうか。
きっとそういう人物にはなるべく近寄らない様にして、我慢して過ごすやり方(同性婚親の青年)が一番賢いのでしょうが…想像するだけで耐え難いです。
とりあえず気の合わない人と川下りには行かない方が、身の為かもしれません。(そんなオチか
※ちなみにこの映画、あのマコーレー・カルキンの弟、ローリー・カルキンが出てます。
http://anond.hatelabo.jp/20070831114440
田舎は相互に知り合いだから情報が蓄積されて行く。確かにそのせいでプライバシーが無くなる面はある。お互い知り合いだから当然。大学なり高校なりのクラスメイトだけで街を構成すると想像すれば分かるだろう。コンビニでエロ本すら買えない。それは意図的なプライバシー観察ではなくて、知り合いだから無意識に記憶されてしまうだけ。
で、そのメリットが、相互無関心状態に陥らないので、犯罪抑止力として働くということ。全く知らない他人に注意することの出来る人間はほとんどいないが、知り合いに意見することの出来る人間は幾らでもいる。見知らぬ人が歩いていたら警戒心が出るというのも効用。知り合いしかいない中に見慣れない人間が出たら当然警戒する。それが犯罪抑止力として働く。
お互いを警戒してプライバシーを守る為に引きこもって、それが犯罪を容易にしてるっていうんだから皮肉ではある。
通り魔的な例のhttp://www.asahi.com/national/update/0831/NGY200708300012.htmlみたいな事件は、都会だからこそ起こりうるとも言える。ま、最近は田舎っつっても隣人との付き合いがほとんどなくなった街ばかりで、もう本当に村レベルの田舎でしか上記の利点は享受出来ないと思うが。俺の田舎にはハロウィンみたいなイベントで、知らない民家を尋ねてお菓子を貰い歩くっていう古き良き伝統がある。こういうのが隣人同士のつながりを強め、犯罪抑止力として働く…のだが、これ自体が犯罪を誘発する(そのまま誘拐される)とか騒ぐアホどもが潰そうとしてる。不潔だとかいって砂場を封鎖したり、使わないときは青シートを被せさせて逆に雑菌の繁殖を誘発することを要求してる低脳達。砂漠のように直射日光を浴びてカラカラに乾いた砂にはほとんど菌ですら繁殖出来ないのにね。
「裕福でないと大学にいけないという幻想」を読んでモヤモヤしていた。
面白くないかもしれないが、ぼくの在郷の話をしよう。
ぼくの田舎は丸ごと貧乏だった。一部土建屋連中が公共事業のお零れに預かりそこそこ儲けていたようだが、大半は世間の六割以下の収入だ。
運命は中学卒業で決まる。ぼくが卒業した十数年前には50名のクラスメイトが居たが8割は山一つ向こうの偏差値最低の屑のような高校に進む。高校くらい出なければ恥ずかしいからだ。そして1割は山を10ほど越えた工業高校へ下宿して進み、ほんの一握りの4名が大学へ行くためにこれも下宿して各進学校へ進んで行った。
当時ですら大学の進学率は4割を軽く超えていたが、我らが田舎から大学に進んだ同級生は4名だった。単純に成績で篩に掛けられ1割が残った。
「裕福でないと大学にいけないという幻想」というのは分かる。努力すれば行けるだろう。
しかし自分が大学へ進むべきかをだれが判断できるのだろうか。ぼくは自分が大学に行く姿なんか想像も出来なかった。理数が得意だから工業高校が良いだろう。それだけですよ。高校を卒業しても半数は貧乏農家を継ぎ、残りは工場で交代制勤務。運が良ければ役所に勤める。
格差なんてものは十数年前からぼくの田舎では固定化されていたんですよ。
そんな格差なんてものはどうでもよい。
「裕福でないと大学にいけないという幻想」とほざく連中は同じ苦労を後輩らに負わせるのだろうか。
それが幻想でない社会の仕組みを考えるのは高等教育を受けた連中の特権ではないのか。(役人どもは変えるつもりなどないのだろうが)
わたしは努力して勝ち組になりました。はいお終い、悔しかったら着いてこい、なんですか。
まあ、お金貯めて大学に行けばとも思わなくもない。しかしそれは無茶。結婚などしたら到底不可能ですよ。
http://anond.hatelabo.jp/20070826235204
あなたは周囲の環境……というか、支えてくれる人に恵まれていたと思います。その恩師に感謝ですね。国立大出れた、っていうのは本当に糧になったと思います。
私は親が水商売(コンパニオン……旅館やホテルの宴会なんかで呼ばれて行く女性)で母子家庭、中卒。狭い田舎だったので、自分の地域に住む人たちは俺の親がどんな素性でどんなことをやっているのか知っているし、その影響で私も普通視されなくて、学校でもよくイジメられました。親が友達やクラスメイトの前でも馬鹿ばかりやるので、周りの親や教師たちにも舐められていたんでしょうね。
中学を卒業するときになっても、親は進学のことなんかまったく意に介さなくて、挙句「お前が女やったら、すぐに(水商売の世界に)飛び込ますのになあ」といったことを口にする始末で、結局自分で進○ゼミの高校調査みたいな資料を集めて進学先を決めました。
進学した高校では勉強頑張って、日本育英会(当時)の第一種大学奨学金にパスしたけれど、高校三年の時にある病気にかかって卒業できずに夜間部に編入。実家に帰ってきて病気療養しながら学校に通うことになったんだけど、親は家で病気療養中の俺に向かって「バイトでも良いから早く働け!この無駄飯食らい」とキツイ言葉を投げかけることが多くなりました。実際、親も水商売ができない年齢になって、零細工場で月15万の収入しか稼げなくなっていたわけですからそれも仕方が無いわけですが、家庭環境がそんなだから、私自身もちろん大学への進学も出来ず、挙句親には「働いて今までの(お前に使った)お金を返せ」とまで言われてしまい、これからの目標というか希望が完全に消えうせてしまって、完全な無気力状態に陥っていたわけでして、どうして良いか分からない状態でしたね。しかも、あの当時は「学歴なんか関係ない。資格の時代だ」みたいな風潮があって、親もそれを鵜呑みにしていた節がありました。日本が学歴社会であることは未来永劫変わらないことですが、親は「夜の世界」しか知らない、まともな世界で生きてきていないわけですから、そういう事に無頓着だったのでしょうね。
で、地元でいろいろ仕事を探すんですけどね、仕事先で親のことを聞かれたり、職場に親の素性を知っている人なんかがいて後で「あの子の親は……」って話になって、いづらくなるんですよね。次の日から態度が急変したり。面接で社長が「お前の親は誰や?」とか平気で聞いてくるようなところですし、田舎って本当に恐いところです。もちろん脱出しようとも思っていたのですが、自信が無かったんでしょうね。行動もできず燻っていました。あの4年間は本当に勿体無かったですし、情けなかったです。
あれから、まあ何とか立ち直りかけてはいるんですが、それでも、まだ年収は100万円台です。これから努力してどれ程挽回できるかな、なんて思っていますが、来年30歳になるので遅すぎたとも思っています。努力で格差を乗り越えられる基盤がある地域とそうでない地域というのもあって、私の場合は後者在住ですが、それでも今からもがこうとは思っています。もがけなかったら……命なんざくれてやりますよ。こんな安っぽい命で良ければね。ちなみに、今の親の話は一切聞いていません。
取りとめの無い文章で申し訳ないです。
うちも中高一貫の進学校。「半分東大」まではいかないけど、だいたい似たような感じだ。
中学受験でさんざん勉強したから、中学合格したときは嬉しかったなー。
「もう勉強しなくてすむ!」ってね。
はいそこのあなた、「いやいや、勉強はこれからだよ!」って思ったでしょう。その通り。
しかし当時の自分にはそれがわかっていなかった。
おかげで簡単に落ちこぼれましたよ。
就職も苦労したけど、今はやりたいことをやってるし給料だって悪くない。貯金もできてきた。
親やその学校(中高一貫出ると、「その中学」や「その高校」だと半分しか指さないから呼称が難しい)をどう思っているかというと。
落ちこぼれたのは全部自分のせいだと思うから、親や学校を恨んだことはないよ。
「またまた、いい子ぶっちゃって」って思うかもしれないけれど本当だよ。
ほかに進学校を出てよかったって思うのは、クラスメイトが勝手に(失礼)偉くなってくれてることかな。
去年の春、高校を卒業して、1年間自動車免許を取ったあと、療養していた。
最近余裕が出てきた。おしゃれが楽しくなった。就職活動を頑張ってみようと思い始めた。
でも、今までのダメダメな過去のおかげで、なかなか積極的になれない。
このままではダメだと思い、今まで目をそむけて黒歴史扱いしていた自分の過去と向き合おうと思う。
昔から引っ込み思案でおとなしい子だった。いじめられっこ気質だったと思う。
自分から他人に話しかけられない子だった。だから友達もほとんどいなかった。
小学生のときは担任に嫌がらせを受けていた。とある授業で手紙の定型文を書くという時間のとき
自分だけいつまでたってもやり直しだった。気付けば自分ひとりだけになっていた。
ちゃんとあっているはずなのに、どうしてだろう。何回も頑張って直した。でも駄目だった。
私はパニックになった。やけになってはじめに書いたものを出してみた。OKだった。
このとき、私は嫌がらせを受けていたことを実感してショックを受けた。
音楽の授業で、リコーダーのパート決めがあった。立候補してもいないのに、なぜか勝手にソロパートを
やらされることになった。(気付いたら黒板に書いてあった)
みんなの前で吹いてみろと言われた。私は、頑張って吹いたが息が続かず、失敗した。怒られた。
何回もやらされたが、駄目だった。そうしたら、その担任は他の男子にお前がやれと命じた。
「こいつは駄目だからお前がやれ」と。(ちなみにその男子は一発で吹けた)
これまたショックだった。勝手に決めておいてそれはないだろうと。恥をかかされた気分だった。
このときの救いは、その後あまり喋ったことのない女子が
「さっきのひどかったよね。勝手に決めたくせにね。」と言ってくれたことだった。嬉しかった。
まだまだいっぱいあるのだが、きりがないのでこの辺にする。
このとき登校拒否とか自殺とかの方向にいかなかったのは、私に特技があったからだ。
私は駄目な性格だったが勉強はできた。絵や習字も得意だった。良い賞をもらったこともあって嬉しかった。誇れることがあったから自分は生きていていい存在だと思ったから、辛くても耐えられた。
親に話せなかったのは共働きの両親に心配をかけたくなかったからだ。毎日愚痴をこぼす母には
とても言えなかった。
中学に入った。今度は男子にいじめられてしまった。くせ毛を馬鹿にされ、
わざと「○○さん、こいつ○○さんのこと好きだって」と明らかに笑いのネタにされたときは
耐えられなかった。授業の時間、私の名前が書かれたとき
「○○なんてこのクラスにいたっけ?」と大声で言われた。
クラスに笑いがこもった。これは辛かった。
小学生のときとは裏腹に、私この件で一年の二学期で保健室投稿になった。登校拒否だ。
私は両親にはっきりといじめられているからいきたくない、とは言えなかった。なぜか。
でも担任から話をしたりしていたからなんとなくはわかっていたと思う。
そのときの両親は登校拒否に理解がなく、私を困った子扱いをして、何かあるたびにいやみを言われた。
「学校に行こう!」という番組を居間で見ていると、学校に行かないくせにこんな番組を見るのかと
言われたりした。家にも自分の居場所が無くなった気がした。
その頃の私の性格はかなり暗くなってしまっていたと思う。
高校のときも、2年頑張ったが途中でリタイアした。友達にはなれられてしまって、孤独に耐えられなかったからだ。私はすっかり弱くなってしまったなあと思った。1年間休学した。
このときは理由を言ったし、中学の頃もあったので、両親は優しかった。休んでいい。と言ってくれた。
嬉しかった。
それからやっぱり高卒の資格が取りたくて、定時制の高校に入学した。
人数が少なく、基本的に皆一人で過ごしていたので気楽だった。
転入クラスは、やっぱり同じようにリタイアしてしまった子ばかりだった。
ある日担任が話してくれたが、気さくに話しかけてくれたクラスメイトの男子は、
自分でお腹をカッターで傷つけまくったらしい。彼のお腹は切り傷で真っ赤らしい。
話す機会が多い女の子も前の学校で友達関係で悩み、手首を自分で切ったらしい。そういえば彼女は
いつもリストバンドをしていた。だから多分本当なんだろう。みんな大変なんだ、辛いのは私だけ
じゃないんだと知って少し気分が軽くなった。
この高校は面白かった。私は教師に対しては小学校の経験でいい印象などゼロだった。
しかしひとりの教師は違った。おじいさん先生だったが、今日は天気がいいから勉強やめて
散歩に行こうと言い出したときは驚いた。ドラマみたいだと思った。
この先生はテスト対策に、手作りプリントを作ってくれて一緒に頑張ろうと時間を作ってくれたりも
した。私はこの先生が大好きになった。尊敬もしていた。人間的に素晴らしい人だったからだ。
このまま順調に行くと思っていたが、夏になり、なんだか学校に行くのが苦痛になってしまった。
これから就職のことも考えなくてはいけないプレッシャーに押しつぶされそうになった。
面接の練習で、自分の弱さを指摘されて(高校時代の過去など)わんわんと泣き喚いてしまった。
そうしたら担任が医者を紹介してくれ、精神科医へ通うことになった。
それから薬を飲みながら頑張った。もう途中で諦めたくないからだ。
そしてとうとう卒業式を向かえることができた。退場するとき、私は開放感でいっぱいだった。
「おめでとう」
その瞬間、私はその先生にかけより、顔も隠さずぼろぼろと泣き出した。これだけ大人数の前で泣くなんて初めてだったが止まらなかった。
多分ひどい顔だったと思う。でもその先生は何も言わずにっこりと笑ってくれた。
私はありがとうございました。と一言言って逃げるように去った。
私の学生生活はかなり遠回りだったと思う。
嫌なことも多かったが、学んだことも多かった。嬉しかった出来事だってあった。
だから私はもう過去を気にするのはやめようと思う。
これを書いていたら完全に吹っ切れた。これからすこしずつ、やっていける自信がついた。
書いていたら涙がぼろぼろ出てきて目が痛い。文章めちゃめちゃだ。
http://blog.livedoor.jp/ressbook2ch/archives/50888408.html
ホットプレート持ってきてお好み焼き焼いてた
一応進学校だったんだけどな
べつに俺は、最下層のグループが学校でお好み焼きを焼くこと自体が悪いとは思わない。
ちがうだろう。なんかちょっと面白いことがしてみたかったとか、
「あ??る」「ハルヒ」的なスクールデイズを実践してみたかったとか、
そういうよこしまな欲望があったんじゃないだろうか?
で、おまけにそれをクラスメイトの前で行い、
観衆になることを無言で強要するという面の皮の厚さ。
そういうもの欲しげな態度というのは、本人たちが思ってるより
周囲の人間はずっと敏感に感じ取ることを理解しておいてほしい。
引用した例ではブスということになっているが、問題はそこではない。
ましてやファッションだの趣味領域だのは、本当に瑣末な条件だ。
「要するに空気嫁ってこと?」と片付けるなら、それはそれで構わないが、
その鈍感さが疎まれる理由の一つとは思い至らないのだろうか。
らきすたの柊かがみには、一応自分のクラスに仲良くしてる「峰岸あやの」、「日下部みさお」というクラスメイトがいるのだが
アニメ版だと、どうも声優が当てられていないらしい。(ソースはWikiPedia)
一応、OPにも出ているし、8話ではあやのが幅跳びするシーンはあるが、声はない。
決定的なのが、10話の「かがみ様」のシーン。原作ならここが二人の初登場シーンで、「さま?」「柊の舎弟か?」てセリフがあるんだけど、ばっさり消えてるね。これって本当に背景キャラじゃないか?
原作で「私達はさながら背景ですゼ」なんていってたのが、本当になってしまったw
もしかしたら、くじらと立木文彦が当てられるのかな??とか思ってたけどな
もしかしたら、進級時のクラス替えを初登場に持ってきたいだけかもしれないが
それにしては声優決まってないってのはおかしくないか?
なんか高校あたりの年齢の学校のオーケストラかなんかで何故かクラリネット系の名前の楽器のものを自分が選んでそれを演奏する事に。
しかしそれはクラリネットなんかじゃなく、サンなんとかという名前だったろうか、サンクラリネット?まぁ形状は筒形でチェスの駒のクイーンやキングみたいな形状だった。
それを吹くととりあえず失敗、その後中学生時代の同じ部活だった比較的聡明な友達がその楽器の扱いを何故か本能的にある程度はわかっている設定で、トゥーという形で吹くと上手く音が出るよということだった。
なのでトゥーと吹いてみる。そうすると、その楽器は比較的低い音でドゥーーーーーーと響いた。吹くのをやめてもそれは止まらず、指で押さえていてやっと止まった。指を離すとまた反響が続いて音が鳴っているため、かなりうるさい。
そこでよくわからないけどかなり偉いっぽい外人の先生のところに自分なんかがいくべきではないが、この謎の楽器を止めるためにどうしたらいいのか?と聞きにいったが他の生徒に話しかけられているので諦め、他の手段でとめ方を調べる事に。何故かスポーツ新聞ちっくなものでさっきの聡明そうな男子がこの記事にその楽器の事が載ってるよ的なかんじで持ってきた。どうやら物凄く音が出る楽器らしく、音が出すぎて奏者は大変だったようなことが書いてあるブログのエントリだった。そしたら他の先生がやってきて、おー、君はその楽器を選んだのかねとにこにこしていた。アドバイスはあったろうか、それ以降は覚えていない。
場面一とどちらが先立ったか覚えていないが、最初は一番最初に住んでいた家周辺のようなコースを、次に現在の実家の周辺のようなコースを女子マラソン大会のような感じでマラソン中のようだった。最初のコースでお、何故か女子マラソン大会やっとると思った自分はエロ心でマラソンコースを逆走し始め、おぉ、あの人格好いいと思われるために走る。自分の前か後ろには普通にマラソン好きそうな眼鏡かけたおじさんが日課のマラソンちっくな走りをしていた。
ある程度走ると、線路があって、踏切が丁度下りていたので止まる事に(別段自分はマラソン大会に参加しているわけでも無いので無理する必要も無いし)。それで電車が来るのかなと思ったら、前の道路を車が通り過ぎた。一度踏切が上がった後、すぐにまた踏切が下がってきて、もう一度車が通り過ぎた。{その前後で子供とのかけあいか、おばあさんのあたりに視線が向いていた気がする)
それ以降は覚えていない。
オシムのような印象という漠然としたイメージだけで形成されたようなはっきりとした外見がないまま夢が始まり、夢が継続し、夢が終わった人物と、比較的大規模な木工のような作業をする場面。
場面一でその人物のような印象の人物との繋がりがあった気がする、指導者的役割という意味で、場面一の最後の先生のような役割の人だろうか。
場面三ではその人物と木工のようなことをした、メンバーは場面一の高校メンバーから男子を抜いた感じだったろうか、前面に出てきたのは男子で、自分の中にはクラスのような印象もある。
そこでは最後のところだけ覚えていて、最初にその指導者のパートナーに選ばれた自分は、最後に結局バーナーを指導者である彼の切った木にかけ乾かすということを指示された。
最初に指導者は特殊な形状のバーナーで木を乾かすことを実演、木は大体8平方メートルほどで木の周りに置いてあるクラスメイトの持ち物(靴や荷物など)をかるく燃やしながら木を乾かした。
その後自分がそれをやることに、クラスメイトからはおいおい、それやっちゃうのかよ、やらせちゃうのかよといった感じで揶揄される。
自分が何か言ったのを、オシムは18時30分には帰らなくちゃいけないのか?と問いかける。いや、そうではないと返答。
その後バーナー作業に入った。
それ以降は覚えていない。
沢山の増田さんがぶら下がってるようなので便乗しちゃお。
ずいぶん長いことピッツァなブサメンやってるけど、それでもやはり女の子の事が好きになる。ぼくは高校生のときに、Aさんという女の子に人生で初めての恋をして、でも基本的に奥手だし、アレやナニな妄想もできないレベルまでAさんを想ってしまったような純情少年(ああ書いてて反吐が出る)だったもので、結局一度も想いを伝えることはできなかったのですよ。だから、彼女ほしーとか告白したーとかいう話をするクラスメイトが羨ましく、別世界の住人のように見えたものさ。
その頃、高校の友達とは別にあったオタク仲間のコミュニティで、年上の女の人Bさんとよくおしゃべりをする機会があった。Bさんはオタとしての深度が深い方だったので、話を聞いたり色々教えて貰うのがとても楽しかった・・・けど、女性として意識することは一切なく、尊敬できる先輩として慕っていたって意味で好きな人。だからこの人とも長いこと遊んでたけど結局何も無し。
あれから10年の時を経て、ぼくは結婚し子どもを育てる身となった。そんなある日、高校の頃の思い出話などしていたら、嫁から「あの時たぶん、Bさんはあなたのことを好きだったんじゃないかなー」と指摘され、ぼくはハッとした。ああなるほど、それなりに恋愛して結婚した今ならなんとなく理解できる、Bさんからの想いの暗示。つまりぼくがAさんに恋焦がれ、毎日「ああこの想いが伝わればいいのに・・・でもブサメンだし関係壊れるのはイヤなんだよなあ」と思っていたが、その同時期にぼくはBさんから全く同じ思いを抱かれていたにもかかわらず、まったくそれをキャッチすることができなかったのだ・・・そりゃモテねえよ、無理だよ。まあ結局ぼくもBさんも綺麗な思い出として残せておけたのだから良かったんだよね、ということにしてフテ寝したよその日は。
ちなみにAさんはあの時点で僕の気持ちに気付いていた、というのも後日教えていただきました。男が猿っていうなら女は悪魔だよ!そういうことにしておいてよ!
幸せというキーワードの先には不安感がある。いつか真っ暗闇に蹴り落とされるんじゃないかってそればかり心配している。「起きてもいないことを心配している」なんて自分自身を笑い飛ばしたいのだけど、それでもやっぱり心の中に暗い穴に引きずり込もうとする手が見えてくるんだ。
嬉しい、楽しいそんな気持ちになると罪悪感もセットでやってきて「ごめんなさい、ごめんなさい」ってずっと心の中で謝ってしまう。一体誰に謝ってるんだか自分でもわからないんだけど。
まさか、いじめられ体験の影を15年以上も引きずるとは思わなかったよ。
あの頃に戻れたら、片っ端からクラスメイトを張り飛ばしてやるんだ。ごちゃごちゃ余計なことを言って悪化させた担任も吹っ飛ばせたら気持ちいいけれど、そこまでやったらさすがにやりすぎか。
どこかスイッチが入ったのか椅子を振り上げて怒ってた男子がいたけど、そこまでキレることができたらちょっとは未来が変わったのかな。
小、中学校では「自分のことを守れるのは自分自身だけ」ってことをよく学べたよ。
キョウコはいつも自信に満ちていてとても美人なクラスメイトだったから、私はとても憧れていた
キョウコは髪が生まれつき茶色で、色白で、瞳の色も薄い茶色をしていたから
暇なクラスメイトたちが、父親が日本人じゃないとか母親がガイジンと浮気して出来た子だとか
中学生らしい胡散臭い噂を毎日こそこそと、でもキョウコに伝わるように話していた
それは酷く不快な噂のはずなのにキョウコはちっとも気にしていない素振りで毎日笑っていた
避けては通れない授業参観というイベントが9月のある日に実施された
冴えないクラスメイトの親の中に、キョウコに良く似たとても綺麗な女性がいた
けれど皆の視線を集めたのはその美しい容貌ではなくて、サングラスで覆われた瞳と車椅子と言う姿だった
デリカシーの無い男子が指を指してヒソヒソと話し、それをクラスのリーダー的役割を担っていた女子達が制した
けれどその女子たちも実は興味津々と言ったカンジでちらちらとキョウコの母親を盗み見ていた
それとは対照的に、キョウコは決してその姿を見ようとはしなかった
国語の授業が始まり、淡々とそれでも父兄をやや意識しつつ担任が進行する中で
たまに教室に響くキィキィと言う車椅子の音がとても重く感じられた
なにがどうなって、キョウコの母がああいった姿になったのか
病気なのか、事故なのか、もしかしたら生まれつきなのか、そんなことはまったくわからなかったけれど
むくむくと膨れ上がる好奇心と、奇妙な罪悪感に、あの時クラス全員が支配されていたのだと思う
先日、同窓会の出欠を問う葉書がポストに届いているのを見つけて
その時私は15年振りにキョウコのことを思い出した
栗色の髪の美しい少女
キョウコがいた、あの日の授業参観のことを
キョウコは今何をしているのだろう、そしてあの母親はどうしているのだろう
キョウコは同窓会に来るだろうか
来たらまず何て声を掛けよう
そんなことを思いながら「出席」の文字に丸をうった
馬鹿みたいな話題で盛り上がるクラスメイトを実は心の底で嘲笑ってた。
高校入学時にそんな自分が一番子供だと慌てて友人作りを始めた。社会にとけこもうと毎日試行錯誤。
今までの「話しかけられなきゃ話さない」な自分の態度と、育ててこなかった自分の対人能力の低さを恥じた。
他人が親友の話なんてしてたらちょっと羨ましくなったりした。親友ってほどの仲のいい人は私にはいなかったから。
昔は「他人を信じるなんて馬鹿だ。親友なんて存在するわけない」って本気で思ってた。
そんな私にも今はいる。とても大切な人達が。友人を作る大切さを私は覚えた。
これからは、人の意見に対して諦めることを覚えようと思ってる。
今まではその場で頷いても、あとになってやっぱりその主張に納得できなくて体調に異変が出たりした。
どうして判って貰えないんだ、って泣いたりもした。それについて自分が間違ってるとは今も思ってない。
でも、納得しなくてもいいから「受け入れる」ことは覚えないといけない。
それができるようになったあとで、「自分の意思は大切だと思う自分」を拾いにこようと思う。大人への道は遠い。