はてなキーワード: 長所とは
http://anond.hatelabo.jp/20100123120122
こちらこそはじめまして。元増田です。英語が得意でないとおっしゃるにもかかわらず、紹介した論文に目を通す労を取っていただいてありがとうございます。そういう方がいるだけでも、2時間近くかけてあれこれ和訳した甲斐があるというものです。
(一応の確認ですが、この元増田さんの主張って「日本の植民地主義が他の帝国主義国家のそれよりも、被支配者にとって有益であった」ってことですよね?)
有益であった、というのが学者(私が読んだのは私が土地勘を持つ経済学者のそれが多いですが、American J. of Socio.の論文でも韓国の資本主義の発展についての日本の寄与について言及がありましたので、経済学者という表現は避けました)の「コンセンサスである」というのが主張です。この点についてはhttp://anond.hatelabo.jp/20100121082524 に少し詳しく書いてありますのでご覧下さい。
1) ここでCumingsが書いているのは、「日本のviceはヨーロッパの帝国主義国家と似ている(かもしれない)けど、virtueは全然似ていないよ」程度のことであって、「日本の植民地主義がヨーロッパのそれよりも有益であった」なんてことは言っていないように思われます。
コンセンサスとしての有益性はReynoldsの論文に一言でまとまっていますので、そちらを参照してください(大学図書館でないと原文は見つからないかもしれませんが、上のリンクにごく一部ながら訳を乗せてあります)。または、同じリンク先のBooth(2007)の最初の数段落(上のエントリーに若干の和訳あり、原文アクセス可)を参照して頂いてもいいでしょうし、Kohli (1997)も農業の生産性向上、資本主義の萌芽としての植民地時代(Eckertの引用も含め)、国家権力を後ろ盾にしての労使関係の(強制的な)改善と、それに伴う生産性の向上、などを挙げています。特に、農業の労働投入の増加ではなく生産性の向上による収量の増加は、多くの論文で当時の植民地経営としてはユニークなものと指摘されています。また、韓国や台湾が資本主義を受容するための有形無形のインフラストラクチャーが植民地時代に整備され、それが戦後の韓国台湾の急速な成長を支えた、という点も、広く受け入れられた見解となっていることはBoothが指摘するとおりです。
Cumingsの著作の中からは、p486の第2段落を参照してください。また、有益の度合いは下がりますが、p489の「多くの植民地ではde-developmentが進行したが、日本の統治下の韓国で起こったのはover-developmentであった」という指摘はなかなか興味深いので一読をお勧めします。
2) で、virtue=美徳ですが、一般的には「あのひとは勤勉だ/勇敢だ」のように、人間が持つ性質や姿勢のことを指すと思います。
virtueにはいくつか意味があり、どれも日本語では美徳の言葉でくくりえるように思えたので、一番一般的な訳を用いました(それでも疑問が残ったので訳出元の単語を併記しました)。この単語はモラルの高さを示す意味のほか、長所や有意義であること、のような意味合いも持つので(後者の場合、必ずしも人間の姿勢や性質を表すことに用いられるとは限りません。ODEで念のために確認しました)、そちらの意味で取るのが正しかろうと思います。
"The virtues that the Japanese shared"を元増田さんは「軍事的な成功、急速な経済発展などの、日本がもたらした美徳の数々」と訳して、日本が朝鮮半島にいいことをした!と主張されていると思うのですが、実際はこれ「軍事的な成功、急速な経済発展といった、日本人が持っていた優れた点」ぐらいの意味じゃないでしょうか。
その訳ではsharedの単語がそっくり抜けてしまいますし、その直後のwere hard to justify philosophicallyと繋がらなくなってしまいます(日本の急速な経済成長や近代的工業構造といった日本人の優れた点それ自体がunjustifiableだというのはおかしいですよね)。
軍事的成功というのは私も少し引っかかりましたが、p479にある、韓国の指導者の幾人かが日本の訓練した軍を率いていたり日本軍に参加していたりしていたことを指している、と解釈したのですが、いかがでしょうか。多くの朝鮮人が日本軍で訓練を受けたことは確かですし、その中には士官がいたことも事実なのですから。
それから、私は日本の植民地政策が朝鮮にとって有益であったというコンセンサスがある、と書いていますが、『いいことをした!』とは書いていませんし、思ってもいません。良いか悪いか、善か悪かは、有益かどうかとはまた異なる評価基準が介在するでしょうから、ここでは議論の対象にしていません。だからこそ「善政かどうかはともかく」という但し書きを入れています。そもそも、「日本の植民地政策は正しかったというコンセンサスがある」と主張するなら、私がCumingsの『日本人には、信じるに足る「自らを正当化する神話」は存在しない。』という言葉を引用した段階で、その主張は破綻してしまいます。
3) 論文冒頭(479ページ)でCumingsは、
「アメリカが朝鮮半島に深く関わるようになって長い時間(日本の侵略期間と同じくらい)が経つのに、自由選挙・自由民主主義・基本的人権の尊重といったことが根付かないのは、日本の侵略の影響がいまだ継続している、つまり、日本の侵略の影響が、大戦後の韓国・北朝鮮の両国家をさまざまな方法で形作っていったからなのだ」
この点は私の引用部とほとんど同じことを書いていると思います。日本は自主独立のよき教師でもなければ、民主主義のよき規範でもなかったのです。ですが、Cumingsはそのような「悪い」側面を鋭く批判する一方で、ヤヌスの顔のもう片方、practical virtues(実用面における長所、有意義性、有益性とも訳せるでしょう)についても語っているのです。個人的な感想になりますが、こういうバランスの取り方は大切だと思います。このバランスは専攻分野の違いによって左右されるものの、学界で一般的な態度といってよいのではないかと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20100115145419
↑とりあえず読んでね。
私は別に彼女が搾取してるとは思わないし私が卑屈なのはまあそのとおり。
そういう女性が狡猾でないとは言わないけど、私も別方面ではだいぶ狡猾だし、
狡猾であることが何が悪いと思う。非情、鬼と同じで私から見るとそれは長所。
で、あなたの書いてる「無形のサービスとの対価交換」っていう考えも概ねそのとおりだと思う。
まあやっぱり無形を有形に換えられるなんて才能だし、すげーや!と思うけどね。
にも関わらず、未だに「男におごらせる女は死ね」みたいな人が多発してるのが不思議だから、
今日この日を、私は、心からの愛をもって迎える。
なぜならば、これは、いかなる仕事においても、成功するための最大の秘訣だからである。
腕力は楯を打ち砕き、人を殺すこともできるが、人の心を開くことはできない。これができるのは、目に見えない愛の力だけである。この愛の心をもって、顧客に接しえぬかぎり、私はただの行商人の域をでることはできない。私は愛をもって、私の最大の武器としよう。私に呼びかけられた客は、私の愛の力の前では、結局は、商品を買わないではいられなくなるにちがいない。
あるいは客は、私の説明に納得しないかもしれない。私の話をのっけから信じないかもしれない。私の着ているものを感じの悪い服装だと言うかもしれない。私の顔つきが気にくわないかもしれない。私との売買契約が、疑わしいと思うかもしれない。
しかしながら、どんなにかたく凍りついた地面も、やがては太陽の熱には溶かされてしまうように、私の愛は、人の心を暖め、開いてしまうであろう。
今日この日を、私は、心からの愛をもって迎える。
では、どのようにして、それを成しえるのか?
これより以後、私は、すべてのものを愛の心をもって見ることにしよう。そして、私は生まれ変わるのだ。
私は太陽を愛する。それは、私の骨の髄まで暖めてくれるがゆえに…。また、私は雨を愛する。それは、私の心を洗い清めてくれるがゆえに…。私は光を愛する。それは、私の行く手を照らしだしてくれるがゆえに…。また、私は、暗闇さえ愛する。それは、私に星の輝きを見せてくれるがゆえに…。
私は喜びを歓迎する。なぜなら、それは私の心を広げてくれるからだ…。しかし、また、悲しみにも耐えよう。なぜなら、それは私の魂を開いてくれるからだ。
報酬は当然、私に支払われるべきものだから、私は喜んで、それを受け取ろう。しかし、障害も、それは私がその仕事に挑んだゆえに、生じたことだから、同じく喜んで迎えいれよう。
今日この日を、私は、心からの愛をもって迎える。
しかし、どのような言葉を持って話しかければよいのか?
私は私の敵をたたえよう。これによって、彼らは私の友となろう。私は友を力づけよう。そうすれば、友は私の兄弟となる。つねに、私は、彼らをたたえるべき理由を探すべく努めよう。けっして、彼らの悪口をかき集めるようなことはするまい。
他人を非難したくなったら、私は自分の舌を噛もう。その反対に、人を褒めたくなったら、私は屋根の上から大声で叫ぼう。
鳥や、風や、海や、そして、大自然のすべてが、彼らの創造主を褒めたたえる音楽を奏でているではないか。そして、人びとも同じく、創造主が創りたもうたものである。その創造主の同じ子らに向かって、私も音楽を奏でることができないはずがない。
これ以後、私は、この秘密をけっして忘れることはない。そして、この秘密が私を変えるのだ。
今日この日を、私は、心からの愛をもって迎える。
それには、どのように振るまえばよいのか?
私は、人びとの行為をすべて愛する。人の行為には、たとえ表面からは見えなくても、すべての人に、褒めたたえられるべき性質のものが秘められている。
私は、愛の力をもって、彼らが心のまわりにはりめぐらした不信と憎しみの壁を崩し去ろう。そして、その場所へ、私は丈夫な橋をかけよう。そうすれば、私の愛は、そこを渡って、彼らの魂の中へ入っていくにちがいない。
私は野心家を愛する。なぜなら、彼らは私を勇気づけてくれるからである。私は失敗者を愛する。なぜなら、かれらは私に教訓を与えれくれるからである。私は王様を愛する。なぜなら、彼も等しく同じ人間だからである。私はおとなしい人を愛する。なぜなら、彼らは神のように謙虚だからである。私は富める者も愛する。なぜなら、彼らは孤独であるから。私は貧しい人も愛する。なぜなら、彼らは、この世の中にいちばん多くいるからである。私は若者を愛する。なぜなら、彼らは若々しい信念を抱いているからである。私は老人を愛する。なぜなら、彼らは歳月のもたらしてくれた知恵をもっているからである。私は美しい女を愛する。なぜなら、彼女らの眼には、悲しみがたたえられているからである。私は醜い人を愛する。なぜなら、彼らの瞳に宿る平和と静けさのゆえに。
今日この日を、私は、心からの愛をもって迎える。
しかし、私は、人々の行いに対して、どのように対応すればよいのであろうか。
その答えは、ただの一語をもって答えられる。「愛をもって」この一語である。ありは人の心を開くための武器である。同時に、他人からの憎しみの矢や、怒りの槍をはね返す楯でもある。災難や失意が激しくこの楯を乱打しても、やがては、春雨のように力を失ってしまう。この楯は市場では私を守ってくれ、一人いるときは、私の心の支えになってくれる。失意のときは泰然、得意のときは冷然とさせ、心の乱れを鎮めてくれる。
楯は日を追うごとに強力になるが、やがては、その楯さえ、私は必要としなくなる。私は、その楯をかたわらへ放棄し、あらゆる武器を持たないまま、世間の人びとの中へ入っていくことができるようになる。そのときこそ、私の名前は、ピラミッドより高くたたえられることだろう。
今日この日を、私は、心からの愛をもって迎える。
しかし、私は、はじめて出会う人びとに対し、どのように接すればよいのであろうか?
方法はただ一つである。無言のうちに、心の中で、私は彼に近寄り、そして、「私は、あなたを愛している」と呼びかける。この言葉は、沈黙のうちに語られるが、しかし、それは、私の眼の中で輝き、私の額のしわをぬぐい去り、私の唇に微笑をもたらし、私の声の中にこだまする。そして、この時、はじめて彼の心が開かれるのである。
心がすでに、私の愛で開かれているのに、私の商品を拒みえる者がいるだろうか?
今日この日を、私は、心からの愛をもって迎える。
私は、何にもまして、自分自身を愛する。
そして、つねに私自身を知りつくすべく努めよう。私の肉体の一部と化した、精神、魂、心のすべてを知りつくすのだ。
私は、自分の肉体の要求に、そのまま溺れることなく、清潔さと適正さをもって、その要求にやさしく応えよう。私は、私の精神が、邪悪なるものや絶望的なるものに引きつけられることをけっして許さず、むしろ、それらを、長い間に培った知識と叡知をもって、高い境地にまで昇華させよう。
私は、独りよがりな自己満足に陥ることなく、瞑想と祈りによって、自らの魂を高めていこう。
私は、自分の心が狭く、冷酷になるのを許さない。人々と、愛を分かちあい、寛容の心を成長させ、世界が暖かい友情で包まれるのが、私の望みである。
今日この日を、私は、心からの愛をもって迎える。
今より、私は全人類を愛する。今この瞬間より、すべての憎しみは、私の血管から除かれる。なぜなら、もう私には、愛する時間はあっても、憎む時間はないからである。今この瞬間より、私は男の中の男になるべく、その第一歩を踏みだす。私は、愛をもって、売り上げを百倍にも増やし、偉大な商人になってゆくのである。
たとえ、私には何の長所がないとしても、案ずるには及ばない。愛さえあれば、成功への道は必ず開けるのである。愛がなければ、あらゆる知識や技術をもっていようと、きっと失敗することだろう。
今日この日を、私は、心からの愛をもって迎える。
そして、私は成功する。
自衛論はミクロ的に正しく、反自衛論はマクロ的に正しい、と。とりあえず、反自衛論がマクロ的に正しいとして実現性はあるのか、とか、そもそも反自衛論はマクロ的に正しいのか、といった反反自衛論が思いつく。
また、「犯罪の被害に遭うリスクを減少させるため、自衛法を説く」がミクロ的に正しいのであれば、マクロ的に正しい反自衛論は「自衛法を説かないことで、犯罪の被害に遭うリスクを増加させる」という欠点も持つということにもなる。
自衛論者を自衛論から脱させるには、自衛論からの脱却をどう実現するかとか、反自衛論が長所と欠点を天秤にかけていかにマクロ的に正しいかとかを示すことが必要じゃないかなーと思う。
ttp://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/asia/1260261764/627
627 :日出づる処の名無し:2009/12/19(土) 22:21:41 ID:83qBHCGB
918 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2009/12/19(土) 11:50:52 ID:UqSw3naQ
「それでこれからも飯が食えるのか?」
「誰得?どう得?いつ頃から得?そのために最小限やんなきゃなんないのは何?」
おかげで何とかここまで来た。
だから対自民攻撃点はただ1つ。
「これからどうしたいか見えない」
そりゃそうだ。リアリストには夢を語る必要も暇もないからな。
魚屋に来て「夢ください」
政治にはこれからも「安全に安心して生きるためには何が最適の方策か」
を考えてもらいたいもんだ。
「日本人が」だ。
そのためのツールとして「夢」語るのはご愛敬だが。
その苦心惨澹の成果物をたった3ヶ月で小突きまわしやがって。
んんー微妙。
ライトニングはカッコいいけど男たちが酷過ぎる。
とにかくヘタレ揃いで見ててイライラする。いくら女性が主人公とはいえこれはひどい。
過去のFFといえば男女とも概ね強さと弱さ、長所と欠点、明と暗を同居させていたもんですが
対比するように男性陣は情けなさ、愚劣さばかりが目に付く感じで男女のパワーバランスの偏りが半端ない。
スノウはヘタレDQN、ホープは普通にヘタレ、サッズはいい人だけどやっぱりヘタレ。
体験版でも収録されていたシーンでの「母は強しよ」は今思うと今回のFFを象徴してたなあ、と。
無敵ヒロインにヘタレ男たち、という構図はまるで最近の萌えアニメ。
残念ながら自分には合いませんでした。ヘタレ男ばっかり見せられても面白くないです。
戦闘関連のシステムは個人的には大当たりで、
オプティマの設定や切り替えがバッチリはまって撃破したときは思わずウヒョーってなった。
仲間のAIが非常に優秀で、攻撃・回復・補助と適切な立ち回りをしてくれるので
オンラインゲームみたいな共闘感が得られる。素晴らしい。
それだけにキャラクター関連の不満が痛かった。積まずにちゃんと最後までクリアできるかなあ・・・
色々話題になってる一本道は少なくとも自分がプレイした範囲ではその通りです。寄り道のしようがありません。
上記の通りストーリーやキャラが好きになれないのでいい加減ゲンナリ・・・
中盤過ぎれば自由度広がるって話はホントなのかな~まだ中盤にも行ってないのかこれ。
NECのベクトルコンピューティングの粋を集めた地球シミュレーターがすげえが流石に近年型落ち気味
→日本のスパコン三社(NEC・日立・富士通)の総力を結集してスカラー型とベクトル型の長所を併せ持つまったく新しいスパコン作ろうぜ!
→新しすぎて開発難航
→富士通単独なのでベクトル型云々の話はなかったことに。普通に富士通のスカラー型スパコンのごついのを開発することになる
→あれ? スカラー型ならいまどきSPARCでもなくね? PCアーティテクチャなものの巨大クラスタの方が安上がりかつ演算速度早くならね?<いまここ
って話だと理解してるんだが。
仕分け人の「スパコン無用!」に聞こえる発言は乱暴だし、いや実際研究活動に最新鋭スパコンは要るのは要るし早ければ早いほど良いのは確かなのだが、現状には問題ありすぎなのは確かなので、
「今の富士通との一社随意契約はご破算! 目標スカラー演算能力だけ示してIBMそのほか海外勢にも参加してもらって提案協議からやり直します(たぶん海外が勝つから」
って方向の『抜本的見直し』じゃいかんのかなあ、と。
よくネットでもリアルでもすぐに人を「頭が悪い」と罵る人がいるけどあれってどうなんだろう?
ちょっと拡大解釈しすぎなんじゃないだろうか?
人にはさまざまな長所や短所があるけどそれをなんでもかんでも「頭がいい」「頭が悪い」に集約してしまうようなひともけっこういると思う
例えば「優しい」なら
他人に優しくするということは頭がいい
他人に優しくするなんて頭が悪い
こういう言い回し
こういう文章になって現れるまでにロジックがあって結果頭がいい・悪いという結論に達したのだろうし
それについては正しいとか間違っているとかいうつもりもないけど
「頭がいいと思われたい」という意志が強ければ強いほど遠回りしてでもそこにたどり着けるということ
またそういう人があまりに多いように思う
頭のよさにもいろいろあってぱっと思いついたものを挙げるだけでも
記憶力が良い、ものごとを客観視できる、頭の回転が速い、要領がいい、観察力がある、思慮深い などなど
あちらを立てればこちらが立たないというものもあるし
たまにチートな例外がいるけどそれはごく少数だというのは同意してもらえると思う
その数ある頭の良さ中から自分にとって有利な能力だけを価値のあるものとしたり
またどれか一つを持っているだけですべてを備えていると錯覚したりしてるんじゃないだろうか?
そこまでしてすがるほど頭の良さって価値のあるものなの?
個人的な意見を言うと無いと思う
頭の良さは優しさや強さと=でも価値を包括するものでもないし不等号が付く類のものでもなく完全に等価値だと思う
そしてあらゆる能力は長所と短所をあわせ持っていて基本的にはいいとこ取りはできないと思う
一方で完全に独立したものでもないとも思うけど
例えば「どうでもいい」という言葉を言うとき
その言葉が本来持つ意味以上の意味をのせて人を不愉快にさせた経験があると思う
それが感情だしそれは便利だしいいものだと思うけど誤解や混乱の原因にもなったりする
また言葉は順列ができるから完全に客観的に語るのは不可能に近い
すぐに目的を置き去りにして言葉遊びに陥る、論点がずれる、すり替わる
すぐに相手の批判の間を縫ったような何の信念もない理論にすがってしまう
言葉は本当に難しい
そういうときにそれ言葉が本来もつ意味について考えてみたりより発言の意図に忠実な言葉に翻訳してみるのもちょっとはすっきりしていいと思う
自分の頭の良さを言葉で証明しようと意地になるなんてくだらない
他にも価値のあるものはたくさんある自分が理解できる類のものだけではなく
それ自体の価値やその多様性をを理解したい、理解はできなくても認めてあげたい
意地を捨てて楽しい議論をしたい
そういう気持ちの現れです
http://anond.hatelabo.jp/20091102002548
なぜ非モテかと思ったかって?
そんなのあなたの文章に、あふれ出てるじゃないか。
>「なんで女性ってこんな男にばかり引っかかるんだろう。」
こんな男って見下している段階で、自分との差別化を図ってるよな。
ここでのテーマは「なぜこういう男に女性が群がるのか?」ということだから、「こういう男」側ではないと公言しているようなもの。
>「世の中には誠実で浮気なんてしない男が無茶苦茶いるのに。」
いやいや、逆でしょ?
浮気しない男なんて、滅多にいないって。
これって、彼女できなきゃ分からないから。
よって、あなたは彼女できた事無いっぽさ丸出し。
>「表面上の好きだけでいいんですか?」
どうして表面だけと言い切れるんだろうか?
ちょっとした表面上の事で、人を妬むっていう、あなたの行為だけで、女性は引いていきますよ。
>「まあ、ただその男はものすごくマメだった。」
いやいや、マメじゃないでしょ?
その行為をみた段階で、マメだなぁと思うんじゃなく、手を抜くなよって思わなきゃ。
二股三股という状態の時には、私なら絶対に同じメールを出すような事はしないよ。
合理化が叫ばれている現代でも、そこまで合理化したら可哀想だろ?と思うし。
ていうかさ、こんな事で妬んだりしてないで、どうして自分が非モテかを検証した方がいいと思うよ。
例えば、英語はペラペラだぜ!とかさ、ピアノできちゃうよ!とか。ダンスが得意とか、サッカー得意とか……。
こういう特技関係で一歩前に出てると、彼女できやすさ80%アップね。
それと、やはり金と権力には弱いね。
な~んもできなくても、金持ってれば、彼女できやすさ100%アップ。
ついでに権力があったら、200%アップだよ。
ほら、もうこれだけあれば380%になっちゃったよ。
彼女何人いてもおかしくないよ。毎朝おはようメール打つの大変だよ。
顔が悪くたって、寸胴だってへっちゃら。
不細工で有名な政治家の、○○とか、△△とかにだって愛人がいるんだから、権力どんだけ?って思うほど、女は権力に弱い。
ただね、そんな簡単に金やら権力やらは付いてこないじゃん。
だから、特技から頑張るんだよ。
英語ペラペラなら、仕事にも役立つし、日本人ばかり相手にしなくても良いかもよ。
世界規模の女性を相手にできるってことで、さらに彼女できやすさアップじゃん?
でもここで言う容姿はファッションじゃないよ。体からにじみ出てくるオーラとでもいうのかな。
人相や態度ってのは、今までしてきた事が影響するんだよ。
ただ生まれて、今までぼけ~~っと何も考えずに生きてきた顔と、色んな試練を乗り越えて頑張ってきた顔は全然違う。
自分のしている事に自信がみなぎっている態度ってのは、自然と出てくるもの。
根気よく何かに取り組んで来たことだったり、人からの信頼を受けるように努力している姿ってのは、必ず容姿に現れる。
そうすると、自然とファッションやらそういう所にも反映されるもんだよ。
芸能人にはオーラがあったりするでしょ?あれはこういう事の良い例だよ。
男が数多くの種を残そうと浮気するのと同じで、女性も少しでも後世に残る強い種を残そうとする。
これはもう本能なんだよ。
だから、ヤンチャした感じの男にあこがれる女性がいるのは、そう言う事。
日本語の三人称における視点について、例文を使った簡単な考察を。
まずはじめに、母親の泰子(やすこ)さんと息子の竜児(りゅうじ)くんに登場してもらいます。
例として、母親の泰子さんが息子の竜児くんの頭をなでるという動作を三人称で書きます。
泰子は竜児の頭をなでた。
というのが、ごく普通の書き方だと思います。この文章は、視点と関係性を意識して、次のように書くことができます。
1-a 泰子は息子の頭をなでた。
1-b 母は竜児の頭をなでた。
文を足して視点をはっきりさせ、少し手を加えると、以下のようになります。
2-a 泰子たちは公園のベンチに座っていた。泰子は息子の頭をなでた。
2-b 竜児たちは公園のベンチに座っていた。母が竜児の頭をなでた。
aの場合、視点は泰子さんにあります。読み手は、彼女の目を通して、物語を見ることになります。
そして彼女から見れば竜児くんは息子なので、三人称でも竜児くんのことを「息子」と書くことができます(ただし、そのまま「竜児」と書くこともできます)。
bの場合、視点は竜児くんにあるので、泰子さんは「母」になります(もちろん「泰子」とすることも可能です)。
さて、ここで2の文について、それぞれの前半と後半を入れ替えてみましょう。
3-a 泰子たちは公園のベンチに座っていた。母が竜児の頭をなでた。
3-b 竜児たちは公園のベンチに座っていた。泰子は息子の頭をなでた。
奇妙な文ができました。
aでは、まるで「泰子の母」が竜児の頭をなでたように読めてしまいます。
一方のbでは、泰子が「竜児の息子」の頭をなでたようにも読めてしまいます。
このように視点と関係性の描写がちぐはぐだと、誤解を生みやすい文章になってしまいます。
つまり、視点が泰子さんにあるならば、地の文で泰子さんを「母」とするのは、避けた方がいいということです。
日本語で文章を書く時は、視点と関係性の整理が重要になります。
視点をきちんと定め、関係性を考慮して文章を作れば、主語や目的語を省いても書けるということです。
例えば1の文章も次のように変えられます。
4-a 息子の頭をなでてあげた。
4-b 母が頭をなでてくれた。
それでは次に、頭をなでてもらった竜児くんがうれしくて笑顔を浮かべる、という一文を続けます。
5-a 泰子は息子の頭をなでてあげた。息子はうれしそうに、にっこり笑った。
5-b 母が頭をなでてくれた。竜児はうれしくて、にっこり笑った。
ここでは、竜児くんは実際にうれしいのかどうか、というのを問題にします。
bの場合、視点は竜児くんにあるので、うれしいという気持ちを、そのまま事実として書くことができます。
aは泰子さんの視点で見ているので、竜児くんの内心はわからないというのが前提です。
ですから、そのまま書くのではなく、泰子さんの視点を意識した形に直すことになります。
上記の「うれしそう」のように見た目だけの描写にしておくか、あるいは「うれしいのだろう」といった推量の形にするなどの方法があります。
さらに、竜児くんの笑顔を見た泰子さんが彼を抱きしめるという文を繋げます。
6-a 息子はうれしそうに、にっこり笑った。それを見て、泰子は思わず息子をぎゅっと抱きしめた。
6-b 竜児はうれしくて、にっこり笑った。すると、いきなり母にぎゅっと抱きしめられた。
aにある「思わず」という一語は、泰子さんの心情に関するものです。
これは視点が泰子さんにあるからこそ、書くことができます。
bでは、「いきなり」というのが竜児くんの視点に近づけた表現です。
抱きしめるほうの泰子さんにとっては自分の動作なので、いきなりでもなんでもないわけです。
また、竜児くんから見た泰子さんの動作を述べるために、「抱きしめられる」という受け身を使っています。
ここまでの文章を、それぞれ泰子さんと竜児くんの視点でまとめます。
7-a 泰子は息子の竜児と二人で公園のベンチに座っていた。息子の頭をなでてあげた。すると息子はうれしそうに、にっこり笑ってくれた。それを見て、泰子は思わず息子をぎゅっと抱きしめた。
7-b 竜児は母の泰子と二人で公園のベンチに座っていた。母が頭をなでてくれた。竜児はうれしくて、にっこり笑った。すると、いきなり母にぎゅっと抱きしめられた。
まだまだ手を入れるべきところはありますが、状況や人物の動作が同じでも、視点の違いで文章が変わるのを示せたかと思います。
ついでに7の文章を、一文ごとに視点を変えながら書いてみます。
7ーc 竜児は母の泰子と二人で公園のベンチに座っていた。泰子は竜児の頭をなでてあげた。竜児はうれしくて、にっこり笑った。それを見て、泰子は思わず竜児をぎゅっと抱きしめた。
視点が頻繁に変わるので、読みにくいのではないでしょうか。
書いていても、不安になります。
融通無碍に視点を変えながら書いたり、だれからも距離をとった完全な神の視点で書くというのは、それなりに慣れないと難しいと思います。
特に日本語の場合、章や場面が切り替わらない限り、視点は登場人物のだれかに固定しておいたほうが、書きやすいし読みやすいはずです。
言いかえれば、章や場面が変われば自由に視点を変えられるということなので、それが三人称で文章を書く最大のメリットだと言えるでしょう。
生活板の該当スレに書こうと思ったけど、ちょっと事情が特殊だから増田に書くよ。
私は自閉。またの名をアスペ。知能は平均程度にはあるから、高機能自閉症という奴だ。行政から障害者手帳はもらっている。
ディスレクシアの映画俳優のことを調べているうちに、『ハイパーレクシア』という症状のことを知った。
ディスレクシアとは正反対で、極端に幼いうちから文字を覚えてしまう障害らしい。
実際はかなり違うだろうけど、サヴァン症候群に近いものだと考えれば理解しやすいと思う。
サヴァンと同様、その特性(能力?)自体は治療の対象ではない。他人より優れているものを治療するいわれはないしね。
私は子供の頃から無駄に字が読めて、幼稚園時代に新聞を読んでいたらしい。
自閉的な傾向とあわせて、どうも自分はこのハイパーレクシアに該当するかもしれない。
――ということを、交際するかもしれなかった人物に話した。
当初、私が何を言っているか聞き取れなかったようだが、ディスレクシアの反対と説明したら理解したようだ。
数日後、「ハイパーレクシアって治療の方法ないんだってね」と言ってきた。
……治療できるなら、それは『病気』であって、治療のしようがないから『障害』なんですが。
先述のこともあわせて、「足が速いからって遅くさせようとするようなことってないでしょ」と半ばキレながら返したら。
「そういえば、運動会の徒競争だと手を繋いで並んでゴールするらしいよね!」
あの『俺今面白いこと言った!(キリッ』みたいな顔!いまだに腹立たしい。
文字を読めると他の子に悪いから、読めないふりをしろと。つまりこいつは、認知に問題を持って生きづらい私の数少ない長所を去勢するようなことを冗談で言えるわけだ。私の障害のことなど理解する気すらない。
・フツメン:そのままでもモテるとまでは行かなくても彼女は出来る。長所があればモテる
・ブサメン:長所があればモテるとまでは行かなくても彼女は出来る
・キモメン:ごく希に蓼食うムシが現れる
1 相手のどこを好きになったの?
→ 自由奔放で、いつも新鮮さをくれるところ。次になにが来るのかが全くわからないところ
2 相手の嫌なところは何?
→ 長所は短所で、なにかわからない理由ですぐ拗ねられてしまうところ。あまりにも奔放なので、なにが原因でどこを謝ればいいかがつかみづらい。
3 それを上回る魅力ってどんなところ?
→ いたずら好きなのだけど、持っている大元のところはとても純粋で、それは見る人が見ればきらきらしている。まあ、パックみたいな
人と言えばわかる人はわかるかも。
→ 正直自分はあんまり自信がない。気に入って住み着いてくれるように、なんとか努力したい。
5 結婚した決め手は何?
→ 家族を安心させるため。相手方、当方側、お互い不安を抱えていた。
6 元々結婚願望があった?
→ 願望はないけれど、ずっと一緒にいたい人ができた。それだけ。
→ 法的な契約で、社会的に責任を伴う。また、子供を作って家族を形成することが期待されているので、そういうプレッシャーも背負うことになる。
→ 案外上手くいくというところ。事前に恐れを共有してその問題解決にどれだけお互い尽くせたかに係る。とにかく勢いでせずに、事前に問題を解消しておくことが先決。
9 結婚して後悔してない?
→ 全く。
10 結婚できるならした方がいいって人に勧める?
→ 結婚というか、生活をともにすることは、文明の衝突なので、それは覚悟しておいた方がいい。男と女だけでも違うのに家庭環境がみんなちがう。それを合わせてみて、一つの生活を作るのは、とても難事業。それをどうやって、お互い和解して、お互いが気持ちのいい関係を作れるか。その為にたくさんの歩み寄りが必要で、自分はもちろん譲るし、相手にも譲ってもらわなくてはならないところがあるかもしれない。でも、それができると、突然に自分の生活が2倍、もしくは3倍、4倍になる。結局のところ、結婚って上手くいけば倍々ゲームになる、ものだと思う。だから、自分の1倍とか、それを1.1倍にするとか、そういうさもしい思想は捨てて、お相手を全面的に自分の人生の受け入れて、お互いを豊かにしていけばと思う。それができないなら、結婚も恋愛も意味ないなあ。
http://anond.hatelabo.jp/20091019180515
誇張がないとはいわないけれども、きちんと事実に沿っているはず。
30代男性、娘一人。
1 相手のどこを好きになったの?
好きだった時期って全くないかも。
2 相手の嫌なところは何?
すぐ怒るところ。すぐ殴るところ。
何かを命令して、それに従ってうまくいかなかったことはこちらのせいになるところ。
お金がないのに、娘のためとかコミュニティのためとか言って買い物をして、給料が
安いと罵った上に、自分のためには何も使っていないと不満を言うところ。
3 それを上回る魅力ってどんなところ?
ありませんが。
つりあっているかはともかく、マッチはしていないな。
相手の長所が活きる状況でも、こちらの長所が活きる状況でもない。
5 結婚した決め手は何?
結婚しないと一族みんな打ち殺してやると脅されたから。
6 元々結婚願望があった?
ありません。一人で生きていたかった。
いまさら「お前みたいな奴は一人で生きていればよかったんだ」とか
言われるのは超心外。
娘はかわいいけどねぇ。
日々の生活の費用が足りないことをこちらの責任にされるところ。
その他もろもろをこちらの責任にされるところ。
けんかはすると思っていたけど、ここまで殴られたり蹴られたり
物を壊されたりするとは思っていなかった。
9 結婚して後悔してない?
しています。
10 結婚できるならした方がいいって人に勧める?
しない方がよいと勧めます。
「その通りだ! 僕が間違ってた!」
「昨日は○○してくれて、ほんとうのほんとうに助かった」
「君は○○をやらせたら日本一だ!」
です。
皮肉に聞こえないような言い方で、繰り返し、つかってみてください。
(以下、そう考えた理由)
ーーー
奥さんは、たぶん、あなたに対して劣等感を持っているのだと思います。
あなたのここまでの対応などを見させてもらって推測すると、論理的で、仕事もちゃんとして、人柄もよくって、という印象を受けました。奥さんは、そういう、(おそらく奥さんが持っていないと感じている)あなたの長所に惚れたのだと思いますが、それゆえに、自分のできないことをなんでもやれてしまう頭のいいあなたの行動を見ていると、自分の及ばなさが目立ってしまって、もしかすると自分の及ばなさを責められているような気がしてしまって、苦しくてイライラしてしまうんだと思います。
そして、ケンカのたびに、奥さんはイライラをコントロールできないが、あなたは奥さんに理不尽に責められても耐えて、つとめて理性的で公正であろうとする。そのことすらも、なんだか差をつけられているように感じてしまっているかもしれません。
だから、あなたの欠点をなんでもいいから見つけ出し、激しく叱責することで、無意識に精神のバランスを保とうとしているのだと思います。
(余談ですが、専門的な仕事の先輩と後輩、教える側と教わる側のような関係で知り合うと、そういう夫婦関係になりがちのようです)
そのような劣等感から逃れ、平穏な気持ちになるには、自信をつけることが大切です。なので、まずは、奥さんのことを、今以上に、心の底からほめてあげてください。
彼女のやっている家事や子育ての姿をよく見て、どうがんばってるのか、どこが自分には真似できない才能があるのか、ちゃんと観察して、彼女が得意だと思っていそうなポイントを探して、具体的にほめることが大切です。
ほめる、といっても上から見下ろすのではなく、ちゃんと、対等、もしくは自分よりも優れている人として、感心してあげてください。
自分の行動を奥さんにゆだねて、奥さんの判断を全面的に認めて行動するのもいいと思います。「彼女の提案よりも、こうしたほうがより効率的じゃないか」などと考えたりせずに、全面的に、です。(こうしたほうがいい、という提案は、当然ながら、「自分は彼女より優れた考えを持っている」ということの表明です)家族で行動するというのは、旅行であれ家事であれ、「家庭を幸せな方向へ導くこと」を目的としますから、彼女の判断に対するどのような代案も正しい戦略にはなりえず、相手の自尊心を傷つけるだけの間違った戦略であることは論理的にもご理解いただけるかと思います)
奥さんの前でいろいろ失敗したり、人間的に弱い部分を見せたりするのもいいと思います。
きっとそうすることで、彼女は自分に自信を持つし、あなたと対等な関係だと思えるようになってくるでしょう。
そういう心理状態にならないと、そもそも、あなたの理屈は理屈ではなく、彼女にとってはただの襲ってくる強い力にしか見えないでしょう。
というわけで、
・奥さんの考え方を全面的に肯定する言葉
・奥さんを頼りしているということを表明する言葉
をたくさん使うようにすればいいのだと思います。