はてなキーワード: 負け犬とは
男女モテ論を見て毎度毎度思うことは、喪女の存在ってなんかいつもスルーされてるよなーってこと。
モテたい理由とか、あのへんの、女性が書いてるのも読んだけどさ、女性が書こうが男性が書こうが、たいてい「弱者男性(いわゆる非モテ?)・女性」の枠組みでさ。その「女性」枠組みが、人によって「弱者」とされてたり「強者」とされてたりするだけで、「強者女性」と「弱者女性」に分けて語ってるのって見たことない、ブログとかでも。分けてあるとしても、その強弱の分け方は「超勝ち組」か「それ以外」って感じのニュアンスであって(たとえばセレブ・芸能人・バリキャリ女性とcancamとか読んでる女性、みたいな)、喪女みたいな存在が語られることは無い。(強者男性もまた語られはしないけど、男性側は語られるにせよなんにせよ、まず分けてあるけど、女性側は分けてないってことが、いいたい。女性全体を弱者とするか強者とするか、わけたとしても超強者と普通者でしかない、ということ)
ガチ喪女っていうと、確かに数はあんまり多くないかもしれないけど、精神的に喪女な人なら潜在的に結構いる気がすんだけどな。(要するにめっさブサイクってわけじゃないが、恋愛放棄気味…食うことしか楽しみないお、同人が生きがいだお、しまむらリスペクト!みたいな)
まあ恋愛するにも色々なタイプがあるだろうに、そこんとこ男女でくくっちゃうのがそもそも乱暴な試みなのかもしれんけどさ。
喪女について言及してほしいというより、非モテ男と女性、みたいな枠組みで語らないでほしいと思う。非モテは女性にこういうのを望んできてそして絶望して……とか、女性はそれにたいしてこういうのを望んできて云々……とかいうけど、そもそもそこに、参加した覚えないねん!ていう。勝ち犬・負け犬であーだこーだ言う、その以前のところで「無理っす」とへこたれてる喪女も結構いるんだが……なんか女性が、全部が全部、cancam的な女性誌をよみ、モテを研究し、男を顔と経済力で選び、オタクキモーイと言ってきた、みたいなことにされてもむっちゃ困る(大体、自分が既にオタだし…)。してないっつーに、そんなこと。それをやったのはキミら勝ち組女性だけやんけ!一緒にせんといてーな、と。なんか、これは流石に被害妄想すぎだと自分でも思うけど、スクールカーストであんだけ最底辺で、勝ち組女性はそんな私をpgrしていた(まあ男もだが)のに、今になって「ねえ、私たちってそうよね」みたいに一緒にされても!!って感覚なんだよね。寿司を一貫も食ってないのになぜか「ワリカンね!」と言われた気分。食ってねぇ。食ってねぇー。私酢飯一粒たりとも食ってねぇ。
ホント、知らんがな。
男性が言うにしても、その、あなたがいう「女性」ですけどね、私は該当してませんよ、と。
喪女について語ってくれとは言わん。ただ放っておいてくれ。ツケだけまわさないでくれ。女性と括らないでくれ、その中身は色々なんだから…それぞれについて語るなんていうとそもそもモテ問題について何も言えなくなるだろうからそれはいいけど、とりあえず喪女という括りでいいから、隔離してくれ。
スルーというか喪男から喪女に対して特に言うこと無いしな。喪女の人は強い男についての増田書けばいいじゃない。 2009/06/18
ssig33 2009/06/18
ymScott ジェンダー <今になって「ねえ、私たちってそうよね」みたいに一緒にされても!!って感覚> ならそれを勝ち組女性に言ってくれ。男に言い出すから話がおかしくなる。/この手の話は大抵対象設定がおかしいからカオス化する。
別に、このエントリは男に対して言ってるわけじゃない。あえていうなら、男だろうが女だろうが、喪女の存在を無視して女性というと「cancamよんでてブランドバッグ好きでモテを研究しオタクキモーイといってきて男を顔と経済力で選ぶ」存在一辺倒で定義する人に向けての話。女にもいろいろあるんだからよ……ってなんでこんな当たり前の事いわなきゃあかんのかw
http://anond.hatelabo.jp/20090603041850
「負け犬になった30女子。」
とか
「でもさー、28で結婚してないとかありえないよね」
とか、そういう文化、というか価値観、から自分を切り離ないと仕事は出来ない。
日本の女性は、そういう文化の中で育ってきて、価値観が生き方に染み付いちゃってるから
なかなか難しいことだろうけど。
仕事をしていく。 つまり、一生自分の力で生きて、墓に入るまで自分の力で入るつもりならば、
それこそカンオケにはいるまでは、「上がり」なんかどこにも無いのですよ。
どこかに上がりがあって楽になれる。と信じたい気持ちはわからなくも無いけれど。
6/7日、末尾に追記しました。
なんかちょっと思い出したし書いとく。
つれづれなるままに。
私今年負け犬になった30女子。
20のときはプータローだった。
20ときに、あるお店で女店長さんにお世話になった。
衝動的に思う。それくらい色々やった。
やらかしながら、学んだことに、
「女が働くって凄く難しい」ということがある。
とにかく、年をとったらあかんらしい、と。
ちょっと覚書的に書いてみる。
地元でもそこそこがんばってる特産品のお店で
そこで一年くらいお世話になった。
私がお世話になった店舗は
売り上げは●億だった。
当時働いていた人は20-30人弱いたような記憶がある。
平均年齢はバイトを抜いても多分25行かないと思う。
バイトを入れたら22くらい。
今は、多分殆ど全員をアルバイトにしてるだろうと思うが
当時は半分くらいは正社員だった。
今思えば、ちょうど入れ替え期に私はいたかなって思う。
27歳の店長を中心に中堅の23-25が数名。
私はこの人たちが結構好きだった。
特に店長さんにはお世話になった。
凄くたくさん叱られたけど、
その後の私を作った基礎となる部分は
この人にあると思う。
たくさん泣いたけど、励ましてもらったことも多い。
怖い人だけど、同時に億を稼ぐお店の店長さんだ。
私の目からみて、彼女はちょっとかっこよかった。
やとわれとはいえ、億を切り盛りしてやっていってるというのは
ちょっと凄いなーと。
誕生日があって、お店でお祝いをすることになった。
誕生日祝いの準備をしているときに
社員さんたちが話していたことをよくおぼえている。
「でもさー、28で結婚してないとかありえないよね」
「まじありえないよねー」
「彼氏と別れたらしいよー」
「えー、まじ?あ、だから休みに店に来たんだー。空しいねw
ああはなりたくないね」
そうか、女子は億を切り盛りしてもそんな評価なのか。
せーしゃいん、と言っても
接客業で、特に昇進があるわけでなく、
お給料が上がるわけではない。
先輩達はみんな結婚するしかなかった。
他に道は無い。
適当な時期が着たら辞めてもらう。
それしか「上がり」はない世界だった。
彼女は若くして、立派なセンスを持っていた。
彼女に、ということになったらしい。
詳しいいきさつは知らないけど、本社の受けがよかったのは確か。
店は不況の風の中、順調だった。(と思う。)
一人きりで、店長は戦っていた。
細い体で。
それでも認めてもらえないんだ。
とても切なくなった。
みんなとっくに知ってた。
そしたら「28」は賞味期限切れかけてる。
そりゃ、ありえないだろう。
「不況で他に職が無くて」仕方なかったり、とりあえず来た人ばっかりだった。
今みたいに不況がずっと続くとは思ってなかったから
準備なんか誰もしていなかった。
多分高校生のときは普通の事務職につけると思って人が多いと思う。
ちょうどロストジェネレーションのトップにあたる人たち。
実際のところ。
とりあえず体がしんどいからやめる、
でも素直に言うと色々ややこしいから結婚ていうことに
しておくという人が半分くらいいた。
私はDVっぽい人は本当にダメなんだけど、
「いないよりいい」って人もいた。
とにかく、働き続けることはできなかった。
働き続けても、人から尊敬されることはなかった。
どっちにも出口はなかった。
結婚にしか、無い。
そういう場所だった。
女子は、なんか生きにくいと思った。
私はその後店舗を移った
このあいだしゃべった。
空しいと思って、店長さんを憐れんでいた」
といわれた。
出口は結婚しかなかった。
出口からでた友達はとりあえず今幸せそうだ。
私は相変わらず億を稼ぐ仕事とは縁が無いけど、
その後大学を出て、どうにかやっていってる。
M店長さん。今どうしてるんだろう。
まだ店長をしてるんだろうか。
この間店舗をのぞいたら、知っている人は誰も居なかった。
今も、出口は結婚のままなんだろうか。
旦那の稼ぎも怪しい時代だけど。
私は、まだもう少し働くことに対してあがいてみようと思います。
4時になってしまった。寝よう。。。
元増田です。
どうしても気になった2点だけ追記します。
その1
このエントリーの話は約10年前の
地方でよくある話だというのを読んで私が驚きました。
その2
私が店長を憐れんだりしたことはありません。
誤解です。
その人がそんな風に評価されるということが衝撃だった、
という話です。
私にはこの話の後に、ろくでもない店長や
考えようによってはより厳しい世界ですが
10年前に感じた閉塞からは自由に生きています。
ろくでなし店長さんや、このエントリーではあまり書くことのできなかった
そのうち機会があったら書こうかなと考えています。
女子の同調圧力というよりは
同居しているご家族の圧力が強かったように感じます。
おまけ。
トラックバックの「女子論争」について。
タイトルが「女子」なのはわざとです。
今は30ですが、私にも20の女子だった頃がありました。
元エントリーは、私が20の頃に感じたり、考えたりしたことを
一度文章にしておこうと思って書いた文章なので
あえて「女子」にしました。
でも本文で「女子」はうっかりミスですw
ご指摘はとても興味深く拝見させていただきました。
気をつけます。
またフォローのトラックバック下さったかた、
ありがとうございました。
彼氏?いないですよ。
だからなんですかー。
結婚?興味ないですよ。
なんで番ってなきゃいけないの。
勘弁してくれ。
売れ残ってる自覚はありますよ。
もう、そっとしておいてほしい。
そんな悪いこと?
恋愛をしていないことを
「人生を怠けてる」とか。
「大丈夫よ、いい人はきっといるから」とか。
「女が一人で生きていこうなんてわがままなのよ」とか。
脅迫されてるみたいだ。
どっちにしろ、
「子供を持ったりはしないほうがいい」って
医者から言われてるのを
言った方がいいのかな。
いちいち人に開陳するのもめんどくさいしな。
どっちにしろ、根本的に、男が嫌なんだって
言った方がいいのかな。
別にレズじゃないけど。
ちゃんとね、一人でも生涯食っていけるように
そっち方向に努力してたんですよ。
なんとなく感じてたし。
男は、小さい頃はからかっていじめてたくせに、
年頃になると急に変な態度に変わって、
そうかと思えば、よくわからないことを
かかわりたくないと思うことがある。
いつもじゃないけど。
いやになって行った女子高で卒業のときに
「増田さんにあこがれてました」とか告白をされたり
女の子の友達に
「増田が男だったら良かったのに」としばしば言われ。
気づいたら、自分の周りは女子ばっかりだった。
私は、男に生まれるべきだったと思う。
こんなに女子ばっかりに囲まれてることも無かっただろうな。
難しいな。人生は。
静かに生きていくぐらいは許してくれよ。
ちゃんと清潔に、見苦しくない程度には
やっていくからさ。
優しくなんてしてくれなくていい。
ただ、そっとしておいてほしい。
負け組の私はたいして出世しない。先が見えた。たぶん本業だけじゃ大して稼げない。
というか定年まで勤めるのは無理だろう。
子供育てながら、夫婦の老後のたくわえを貯めれる人は立派だと思う。
それぐらい当然できなきゃ国が回っていかないんだろうが自分には到底無理に思える。
しかも少子高齢化だがらな。
稼ぐ若い世代は減るし、金食い虫の年寄りは増える。
税金も引き上げるしかなくなるでしょう。
ゆとり世代はもっと辛いと思う。
老後のたくわえってどのくらい必要って調べて見たらこんなページでてきた。
なお、一般的な老後の生活には、夫婦お二人で約30万円、妻だけでは約21万円が必要とされています。60歳時点での女性の平均余命は約28年、男性は22年です。従ってさらら様90歳迄の30年間に必要とする金額は、
30万円×12ヶ月×22年+21万円×12ヶ月×8年=9,936万円
http://profile.allabout.co.jp/ask/qa_detail.php/2863
結婚している場合、
公的年金の支給額のぞいて退職金+預貯金で約1億ためるって、かなりしんどい。
自分にはできそうもない。しかも、これは2007年の記事なので、私が年食っていたときには当てはまらない。
物価は上昇しているので、もっと貯蓄が必要。
負け犬根性とののしられようが、私は甲斐性ないので年金あてにするしかないね。
年金あてにしないで老後過ごせる人は、立派だと思うよ。
今まで生きてきて25年、どうも、俺の考え方が他の人と違っているなぁ、と思いながら、今日、その違いの本質っぽいところにたどり着いた。学校でも、会社でも、目標を作って「壁を乗り越える」ことが評価されるようなのだが・・・
そもそも、壁を乗り越えることに意味ってあるの?
その壁って、すでに他の人が乗り越えたものじゃないの?前人未到の壁だっていう証明はどこにあるの?他の人と同じ壁を乗り越えても、それって意味あるの?社会には人がたくさんいるわけで、あなたが壁だと思っている目標を、軽々と超える人もいるわけだ。あなたが頑張って壁を越えたとしても、それって、何かを達成したことになるのかな?あなたを評価する人・あなたを雇う人から見れば、あなたが壁を乗り越えようが乗り越えまいが、壁を軽々と乗り越える人の方が評価は高いわけだ。「何かを達成する」ということが、他者の評価を上げるということだったなら、別に、壁を乗り越えても乗り越えなくても、評価の順位は変わらない。企業は、あなたを捨てて、壁を軽々と乗り越える人を採用するだけ。
で、そもそも、何で「壁を乗り越えよう」としているんだっけ?壁って何?業績?業績を上げるって、他者からの評価を上げることじゃなかったっけ?あれ?でも、壁を乗り越えても、他者からの評価は変わらないんだよね。企業も大学も、あなたを捨てて、軽々と壁を乗り越えられる人を採用するだけ。結局、あなたは負け犬。
あなたにとって、今やろうとしていることが「壁」である時点で、すでに、もう決着はついているんだよ。競争社会では、壁につまづいて、それを乗り越えたことは評価されないの。壁を壁と思わず、進める人が評価されるの。壁にぶつかった人は、もうその時点で、負け犬なんだよ。壁にぶつかったら、もう、その時点で、評価は決まっているんだ。
でも、負け犬と評価されても、死刑になるわけじゃない。負け犬でも、生きていることは許してもらえる。僕らは怖がりだから、死ぬのは嫌だ。社会には、負け犬のための場所があって、そこで、かろうじて生きることはできる。そこで、社会とのwin-win関係が結べるんだ。社会は、「壁に乗り越えること」なんて求めてないんだよ。壁にぶつからない人を求めているんだよ。社会は、壁にぶつからない才能を持った人だけに用があるんだ。壁にぶつかったら、もうその時点で、社会は、その人に用なんかないんだよ。でも、かわいそうだから、壁にぶつかっても、かろうじて生きていていいことになっている。僕らは、壁にぶつかったという罪を償う代わりに、「生きていい」というお墨付きをもらえる。ここに、僕らと社会との間の、ひっそりとした約束事があるんだ。別の言葉で言えば、win-win関係、難しく言えば、社会契約っていうのかな。ルソーの社会契約論とか、高校の教科書に出てきたよね。
そういうわけで、壁を乗り越えることには、本当は意味なんかないんだよ。「壁を乗り越えよう」なんていうのは、人をタダで働かせるための、スローガンに過ぎないんだ。もう、壁にぶつかった時点で、あなたの評価は決まっているんだ。高校・学部・修士・博士・企業、全部そうなんだよ。壁にぶつかった奴は負け。壁にぶつからなかった奴が勝ち。壁にぶつかった奴は罪人で、壁にぶつかったという罪を、一生つぐなわないといけないんだ。
【追記】
ついでに言っておくと、僕は東大卒です。東大入学は、僕にとって壁ではありませんでした。まぁ、その後、壁にぶつかったわけですが。いろいろ反論はあるみたいですけど、「自分にとっての壁を乗り越えたんだからいいじゃない」みたいな意見は、単なる自己満足だと思っています。たとえ自分の中では成長したと思っていても、他人から見たときに自分が成長していることを示せなければ、「自分の成長」を客観的に示せないわけです。壁を軽々と乗り越えられる人間が、壁にぶつかる人間より優れていることは、明らかです。競争社会では、壁にぶつかった人間は不要なのです。その代わり、壁にぶつかった人間は、壁を乗り越えた人間を恨み、妬み、殺されないように自衛することは許されています。それが競争社会の意味であると思っています。
【追記2】
今までの記述と矛盾するかもしれないけど、少し冷静になってみる。とりあえず、自分の経験は、次のようなもの。高校のころから、「壁を乗り越える」というのは、まず、「自分の壁」を探して、その後、ぶつかることだと思っていた。当時から、「xx君は数学ができてすごいな~」、「でも、数学は自分の壁じゃないから、そこそこできればいいや」というようなことをやっていた。こうやって、ぶつかるべき壁を絞っていった結果、一応、「自分の壁」は見つかったんだけど、今ぶつかろうとしている壁は、数学や英語の「基礎力」がモノをいう壁でした、という話。だったら、最初っから「自分の壁」とか「壁を乗り越える」なんていう考え方をせずに、基礎力を鍛えておけばよかったな、という話。
でも、だからといって、「基礎力をつけようとしたら壁にぶつかったけど乗り越えました」なんていうことをアピールするのはひどい勘違い。企業にしろ、大学の先生にしろ、他人が自分の基礎力を評価するときは、そもそも「壁にぶつからない人」を高く評価する。基礎力をつけるときに、自分の壁を乗り越えた、バンザーイ、なんていうのは、甘っちょろい自己満足。
だからね。何がいいたいかっていうとね。
・個性とかオリジナリティーとかうざいです。結局、基礎力がないとおもしろいことはできません。オリジナリティーの高いものを作るには、基礎力が必要。
・逆に基礎力さえ高ければ、オリジナリティーの高いものが自然に出てくるのです。
・基礎力をつける段階では、「壁を乗り越えたかどうか」は評価されません。壁にぶつかった時点で、あなたは、壁にぶつからなかった人より劣っているとみなされます。つまり、もう、そこで序列ができているのです。あなたは、負け犬です。
・ただ、壁にぶつからなかった人を羨み、妬むことは許されています。個性とかオリジナリティーとか独創性とか、馬鹿げた幻想に踊らされるよりも、人を羨み、妬みながら静かに生きていたほうが、幸せな人生がおくれると思いませんか?
ということです。
この日記は
2.自分の他者に対する考え
3.現ジャンルのファン層を見て思うこと
4.結論と質問
で、構成しております。すみません長いです。
自分は寂しがり屋です。
だから誰かが見ているという意識がないとブログを書くことができません。
1.自分の感情を吐き出せる
2.将来的に自己分析の源になる
自分は頭が良くないので、思い悩むと一つのことをひたすら考えてしまう。そういうときにアウトプットをすると、今の現状ラインが見えてきて、思考をひと段落させることができる。するとその次の段階を考えることができる。だからブログは貴重な場だと思っている。
運がよければ優しめなコメントがもらえる。でも別に毎回欲しいわけじゃないから、ブログは常にはてなとかミクシとかである必要はない。
自分が何を考え、何を喜び、何を嫌い、他者と何をし、その成果はどうだったか。
それらを考えることによって、自分意思や信念を客観的に理解できる。次同じようなことがおこったときは昔の自分はこう判断したが~から入れるから、時間的にも心情的にも楽。
また、他者とのかかわりを書くことによって、他者が自分を評価していたり、逆に評価しなかったりするポイントが見えてくる
そして1の利点から感情を吐き出していたのです。
ですから普通の人は本音と建前を日常で分けるのでしょうが、自分はわけていません。
そんなことをしては今の現状の把握ができなくなるし、今までは友人もそういう子だからと許容してくれていたからです。
そして今、サイトを作っています。
サイト管理人の日記は自分的にかなり好きなコンテンツなので、普通に作って、そのままそのブログにリンクをはろうとおもっていましたが、ふとそれでいいのかと考えたのでこの日記を書きました。
普通まず考えるのは、自分がその考えを第三者に知られて困るのかということですね。
自分としてはそんなにこまらない。間違えることは嫌だけれど恥ずかしくはないからです。
じゃぁ何が問題なの?っていうと
自分の言葉を信じてしまう第三者がでるかもしれないことが問題なのです。
自分は二次のサイトを運営しようと思っているわけですが、そのサイトにはジャンル的にみても当然中学高校生の訪問が多くなるのが見込まれています。
そんな感情豊かな時期の彼らに、自分のむき出しの感情が触れてしまうのです。
ぶっちゃけ自分は模範的で常識的で一般的な人の考えはもっていません。
成績がいいとか、大企業に就職しているとか、金持ちであるとか、いい彼氏彼女と付き合うとか、高学歴があるとか、ニートじゃないだとか、30超えて負け犬にならなかったとか、人生を生きていくうえで個人に付与できるアビリティはいろいろあるけど、そんなんどーでもいいとおもっています。
自分の人生における目標を楽しんで達成できたらそれでいいじゃん?
まぁ、上記アビリティがあったほうが楽しいし、世間様は色眼鏡で見てくれるので、あったほうがいいとは思うのですが、心の中では無理するくらいならやんなくていいんじゃね?バレない程度に手抜けばいいんじゃね?っておもってる
それが悪だ!といわれても、別に自分にはそういう自分でも許してくれる心の優しいできた友達がたくさんいるので、第三者からどうみられようがかまわないです。
でもまぁ、こういう考え方を一般的なご家庭が望んでいるかというと、そうでもないよね
特に小中高までの学生には素直に育って、真面目に勉強をして欲しいと思う親が大半だと思う。
だってあの時代に積み重ねることのできるものって、能力的にも人間関係的にもかけがえのないものだからさ。
自分が親でもこの時代だけは、人の裏の顔とか、できないことをできないで許容する根性だとか、自分が生きているだけで他者を傷つける人間であるとか知って欲しくない。
別に知ってもいいけど、それはあくまで人から促されるものでなく、自分の感情や考えであって欲しい。
理想に燃えて欲しい。自分はできる人間であると、望まれて生きている人間だと、無意識に心のそこから思っていて欲しい、のですよ。
でもね、子供って大人が思っている以上に大人だってことも理解している。
だって保育園児だってちゃんと話せば理解する。それより年代が上の彼らが頭が悪いわけがない。
論理ができてないって思うのは大人だけで、彼らは彼らの論理で生きている。
だから本当に考えて出した答えなら間違いであるはずがないのです。
でも面倒だからか、考える喜びを知らないかは知らないが、他人に追従する考えを持つ子が多いのも確かだなぁとは思っています。
今のジャンルは特にそんな感じがするんだけど、某動画サイトでそのジャンルの人気動画のコメとか見てると
うp主マンセー、うp主の発言がすべてです、うp主と友達になりたいとか・・・
一介のファンの人ももちろんいると思うんだけど、中にはシンパ的な発言をしている人もいて、
第三者って時は笑ってたけど、実際にその情報発信者になろうとしてる今はマジ怖ぇぇぇー!(泣)
あ、↑の発言が全てシンパとは言わないよ。普通にいってる方もいるんだろう。
でも、あげたらジャンルばれるからいわないけど、動画特有コメとかみてると怖いよ。マジで。
ファンとシンパって特に結構ライン曖昧だしさ・・・。最初はそうでなくても何度も見てるとすりこみってのもあるしさ。
って書くと自分のサイトに自信があるかのように見えるけど、実はそうでもないのです。
客観的に見て自分の力がほか大勢の方に劣っているのは目に見えています。
もちろん多くの人に見てもらいたいって気持ちはあるけど、ファン層としてはあなたの作品がとても好き!って人が一人か二人いればそれで十分だと思ってるし、それを獲得するために日々努力したいと思ってる。趣味とはいえ評価されればやっぱりうれしいしね。
なんでこんな個人ブログ見てんの?え。管理人さんの考えや感覚が好きだからだよ!とかさ・・・。
なんだか迷走してしまってごめんなさい。でも今の感情を全部書かないと、自分も第三者もわからないこともあるかなと思って書きました。
あと、上ではファンとかシンパとかこえええとか言ってましたが、実際にそんな人ができたら、何億人といる世界の中で、こんなテキトーなサイトにきてくれて、こんなちっぽけな自分を好きになってくれたら、それはとてもありがたいことだとおもっています。ほんと。
個人的な今のところの結論は
・投稿する前にもう一度見直し、人を傷つけたり、負の感情を促したりする言葉がないか確認する
・発言に責任を持つ(一度投稿した記事は訂正はしても削除はしない)
・どうしても負の感情を書きたくなったらこういうところでさらす。(はてなは議論するブログだから、見てもいいか悪いかはわかってくれるだろ)
です。
でもほかの人の視点も知りたいので質問です。
もしもあなたがサイトの管理人で小中高生が見る可能性のあるブログを運営するとすればあなたならどうしますか?
または現在どのように運営していますか?
つたない文章をここまでよんでいただき本当にありがとうございました!
うん。全くその通り。
小悪魔メイクのOLにつけ狙われるイケメンwwの気持ちがわかった。
コミュ力が普通にあったら、さり気無くかわすのがどれだけ大変か!!!
「こいつは駄目だ」と悟った時、変わり身の早っ
さらに年上の正社員女子をロックオンしてた(いいとこまでいってたが契約期間満了だったらしい)
男ばっかりの職場に10年居るが女とやる事は変わんねーな、と思うぜ?
http://anond.hatelabo.jp/20090212230102
これ読んで今さらながら気付いたこと。
女の負け犬の苦しみと、男の非モテの苦しみには決定的な違いがある。
男の非モテの苦しみは劣等感、それも過去の劣等感を引きずっている苦しみだ。
女にモテないっていうよりも、コミュニケーション全般における劣等感、学生時代のスクールカーストでの劣等感を引きずってる。
対し、女の負け犬はコミュニケーション能力に対する劣等感はない。
スクールカーストでは決して下層にはいなかったんじゃないかと勝手に想像してる。
常に上位層、学力でもスクールカーストでもコミュニティ内では上位にいたのに、気が付けば自分がいるコミュニティの人口そのものが減って行き、専業主婦として幸せになっている現実に対する劣等感。
男の非モテがモテよりもむしろコミュニケーションの劣等感であることを考えると面白い。
しかし、わかりあえないよな。
常に下層にいた苦しみと、上層にいたのに幸せになれなかった苦しみだもん。