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2007-11-20

http://anond.hatelabo.jp/20071120222307

同意。

友達は消える。裏切る。

優しかった先生や大人は、子どもだけに見せてくれる演技だったと知る。

愛なんて夢。金がなくなれば離婚、絶好なんて日常茶飯事。

人間は金、地位が全て。

そういうのが社会

http://anond.hatelabo.jp/20071111194725

続けざまに失礼。もともとのエントリーを書いたものです。

>この場合の確信犯誤用として使われている方かな?

誤用ではありません。自分の研究のためならコミュニティなんぞどうなろうがかまわない、と深く自覚して戦略的に動くのがこの場合のクラッシャー女子です。

しかもそれを自覚していないふりをする演技もくどいほどやっております。

2007-11-18

映画感想「Ratatouille」(レミーの美味しいレストラン

http://www.imdb.com/title/tt0382932/

感動した。

最初は「The Lion and Lambs」観ようと思って映画館行ったけど

上映開始時間が微妙にこっちの方が早かったので変更。

正直、ピクサーは「ニモ」以降終わった会社だと切り捨ててきてさ

いや、つまらないわけじゃないんだよ。ただ、

マダガスカルとかオープンだの作ってる会社のと混ぜてもあんま変わらないよね、

みたいな評価でさ。あ、俺の中では、ね。まぁ進んで観るようなもんじゃないなっていうね。

そんなわけで見る前ノ期待値ってのは断然低かったのね。

だって響きがもっぱらつまらないと噂の(だから観た事ない)の「ライアンを捜せ」みたいじゃん。

キャラ名+何か」の3Dアニメってなんか微妙な匂いがするじゃん。

まぁ、でもふさふさしたネズミが毎回クオリティーがやたら高いディズニーミュージックに乗って

歌って踊るのを見れればいいかなって思って金払ったんだよ。

いつかのあの、なんだっけハツカネズミ3Dアレ

あれから大分経ってるし、かなーり、ふさふさになってんだろうなぁ。

もう毛の間のノミとか視認できるくらいに、すげー、ってカンジで。

んでね、最初はね、うん。最初のーそうだなー40分くらい目まで、かな?

人間主人公の名前がリングィーネだったから舞台イタリアかと思ったらフランスかよ」

とか

「なんだよ導入部クソ長ぇな」

とか

ピクサーのお家芸・ツンデレヒロインきたこれwww」

とか

「段々とフランス訛りの演技を放棄してく声優(笑)。その方がありがたいけど」

とか本編とはあんまり関係ないツッコミをいれてたんだけど

中盤あたりくらいからね

もうそんなことどうでもよくなってさ、

思わず姿勢が前のめりになるくらいにスクリーン凝視しちゃってんの。俺。

んで、観終わった瞬間、気づいたね。

「ああ、俺今回全然あくびしなかったな」

って。

んとね、今まで俺はどの映画見ても上映中、必ず一回はあくびしてたの。

いや、つまらないわけじゃないんだよ。

むしろ、つまらない映画なんて無いって信じてたくらいだから。

だって、大体解るじゃん。予告編ポスターや、今はネットもかな、

それでさ、観る前に最悪「クソっぽい映画」は回避できるじゃん。

大体映画なんて自分が興味あっておもしろそうな匂いがするから観に行くもんじゃん。

少なくとも、俺が見てきた映画はそうだったよ。

んで、映画観終わった後、全部「ああ面白かった。なんとなくだけど」で帰ってたのね。

でも、今回それは言い換えれば

「面白かったし、(最低『つまらなくはなかったし』)まぁ良かったけど、

 感動はしないよね」だったってことに気づいたの。

実際俺映画でも本でもドラマでもドキュメンタリーでも「感動して泣く」ってことなかったし

まぁ、今回も泣きはしなかったし、別にそれはどうでもいいんだけど、

そのせいか知らんけど俺は「ネット映画や本の批評とか感想が書ける人」

ってのを理解できなかった。だって、タダ単に「おもしろいか、つまらないか」の違いだけじゃん。

「つまらん映画にひっかかった!」って延々と怒りながら語る人もいるけど

俺にとってはそもそもそんなん「俺は観る前に映画が自分に合うか合わないかも判断ができんアホでーす!」

って看板ぶら下げて語ってるようなもんだったのね。まぁ、お仕事で観る人は仕方ないんでしょうけ、ど。

そんなわけでみんな役者とか監督とか映画歴史の話とかして文章引き伸ばしてるだけでしょ?実際。

と信じてたわけ。

違ったね。俺。

間違ってたね。俺。

本当に魅力、というか何かパワーがある映画ってのは人を

「俺こんなん観てきたぜ!お前らも観ろよ!」

って言わせたり、文章にさせるだけの何かを持ってるんだね。

多分、前述の「つまらない、ということを長々語れる映画」ってのはそれだけの

マイナス方向へのパワーを持っているんだろうね。俺はこの先一生出合うことはないんだろうけど。

ストーリーの良し悪しや映像自体の細かな技術は俺には語れない。

諧謔味のある主人公ネズミや引き込まれるようなパリ風景

フレンチ(笑)音楽声優演技

種族を越えた友情や(男女・家族)愛、だけじゃなくて人種差別や「批評」そのもの等の要素を織り込んだ脚本

子供向け映画ありがちな無視できない矛盾や疑問数点。

胸に残るセリフ

解る。それらは理解できる。けど、「他人に語れるほど細やかに消化して吐き出す」のはできない。

それでもこの映画には、

「どこかでこの映画感想を語りたい」

って思わせられるだけの物があった。SDI。

ラストシーンのあの「Ratatouille」の場面で、密かに拍手をするくらいの、何かがあった。

子供が見れない日本アニメ

子供の鑑賞にしか堪えられないメリケンアニメのどちらでもない

何かが。

日本映画館はあのラストのために今からでも、

いかにもつまらなさプンプンな邦題を墨塗りにして上から原題を貼るべきだよね!

今もやってるかは知らんけど。

2007-11-11

死中に活

女性と懇ろになれない。

そんなことを考えながら、昼過ぎに気怠い体を引きずって出社した。

気怠いのは低気圧のせいである。

低気圧悪。

しかるのち台風となった。

なるほど道理で気怠いわけである。

台風悪。

猫の額ほどの大きさの机に向かい、珈琲を啜り、黙々と単純作業をこなす。

あと1000万回ぐらい同じ事をしていたら、千載一遇出会いでも訪れはしないか。

1000万回同じ事をするのには何年かかるだろう。

ザッと見積もって200年ぐらいだろうか。

200年過ごすにはどうしたらよいだろう。

5年間寝ていれば、40回目の目覚めの時に200年後を迎えられる計算である。

三年寝太郎ではなく五年寝太郎になればよいのである。

そんなことは小学生でも知っている。

五年寝太郎が起きたとき、世界は変わっているだろうか。

存外そのままのような気がする。

世界がそのままであったから、三年寝太郎は眠りから目覚めた後に灌漑事業を始めたのである。

しかし、靴の踵の部分のゴムが異常に磨り減る。

買って1ヶ月も経たないうちに半分まで磨り減った。

あと1ヶ月経ったら修理に出さねばならぬ。

不憫である。

殊に左足の踵のゴムだけ異常に磨り減る。

私はこれを世界七不思議の一つだと思っている。

どうして左足だけ磨り減るのか。

地面が傾いているせいだという仮説を立ててみたが、すぐに否定された。

東京にある上り坂と下り坂の数はどちらが多いか。

答えは同数である。

上り坂で踵を返せば下り坂だからである。

だとするならば、往路の右に三度傾いている道路とは、即ち帰路の左に三度傾いている道路と等しい筈である。

等しい道路で片側だけ削れていくのは道理に適わない。

人間として軸がぶれているせいで、僕の体が常に左に1°程傾いているのだろうか。

それとも5ミリほど左足が長いのであろうか。

或いは平素持ち歩いている重さが5キログラムほどある鈍器と化したバッグを肩に掛けているせいであろうか。

何れにしても七不思議を解くことは容易ではない。

余談であるが、七不思議の2つめは、なぜ女性の後ろを歩くと良い香りがするのか、と言うことである。

風呂上がりでもないのに、良い香りがするのはおかしい。

女性には良い香りを出す微生物が皮膚に巣くっていて、良い香りを絶えず生産できる仕組みになっているとでも言うのだろうか。

男性には悪臭を放つ微生物しか巣くわないのは全くもって不公平である。

良い香りを出す微生物に置き換えて欲しいものである。

残りの5つの不思議はこれから見つけようと思う。

然るに、気違いであるまいとするから気違い扱いされるのである。

であるならば、気違いとなってしまえばもはや気違いではないのではないか。

そうにちがいない。

世界の端に腰掛けてスープをすすりながら、そんなことを考えていた。

しかし、気違いになるのは難しい。

あくまでネイティブ気違いにならねばならぬ。

気違い演技であったとすると、本質は気違いではないということであるから、気違い扱いされてしまうのである。

即ち気違い正気演技をしていることと等しい。

これでは問題解決にならぬ。

ベンゼン環の蛇のように難しい命題である。

4万円のブルゾンと引き替えに得たものは何だったのだろうか。

願わくは懇ろになりたいものである。

2007-11-07

もう過ぎた昔のこと

ものごころついたとき、認識した自分像は、身体希薄精神偏重型だった記憶がある。身体リアルではなく精神で起こることだけがリアルだった。身体精神は別物だったし、身体で何かが起こっていても精神がそれを認識していなければ何も起こっていないのと同義であった。身体精神の操るマリオネットであり、時に私はマリオネットを放り捨て、精神だけが作用する世界に潜り込むこともあった。

その当時とても不思議だったのは、私の身体と他の人の身体が入れ替え不可能であり、我々の精神が溶け合うことや触れあうことがあり得ないという事実だった。

目を開けるとサイズの合わないマリオネット。見覚えのない顔。手の長さも足の長さも私が認識しているものとは違うという事実。それは私にとってストレスだった。精神の感じる身体と、実際の身体の間の隙間には、粘つくゲルが詰め込まれていて、その感覚はとても不快だった。痛みさえも私の痛みではなく、私の操るマリオネットの痛みだった。私はマリオネットを操りながら、痛みに苦しむマリオネットを眺めていた。マリオネットは私の意志には関係なく、泣き、笑い、怒り、人を傷つけたりもする。私は制御不能になったマリオネットをただ眺めている。それを制御しているのは誰?と思いながら。

人に見られるのはマリオネット、人に愛されるのもマリオネット、それを後ろで見る私。叫べども叫べども、人が見るのはマリオネットでしかない。何度叫んだことか「私を見て、私を愛して」と。しかし、誰もマリオネットの後ろに立っている私には気づいてくれなかった。

精神認識する身体と、実際の身体が一致するのは、強い刺激が与えられたときだけだった。痛み、苦しみ、快楽……精神認識する身体を取り囲むゲル状のものがない状態は快適だった。ゆえに私は強い刺激を求めて、様々な問題行動に嗜癖していくことになる。

男は、マリオネットに彼の中の何かを投影し、鏡になったマリオネットを抱いた。マリオネットは彼の望む通りに演技をした。私はその行為が終わるのをただ見ていた。彼が愛しているのは抱かれているマリオネットではなく、彼の中の何か。マリオネットはただの代用品。それを理解しながらマリオネットを彼に差し出す私。「あなたはいったい何を見ているの」私は何度も彼に問う。私の言葉は彼には届かず、私の疑問はいつになっても解消されない。何人もの彼が私の上を通り過ぎた、私は彼にマリオネットを与えたことを忘れた。綺麗さっぱり忘れた。代用品としての私は、私の中から姿を消した。

切り離し、切り離し、断片を切り離し、切り離し、切り離し、切り離し、切り刻み、身を切り刻み。

幾重にもなった断片の下から世界を見る。断片に囲まれた地の底から世界を見る。断片はバリゲード、私はその下で息を潜める。息を潜めていたい気持ちと相反する、誰かに見つけて欲しいという願い。ジレンマ。焦燥。斜に構えて深いところから覚めた目で世の中を見、その実は誰よりも愛されることを強く願い、願いが受け入れられない苦しみは、死への衝動へと変化した。

始めて腕を切った日に見た、肌の下にある醜い肉の様子は、今もまだよく覚えている。この醜さこそが、私が覆い隠して見ようとしなかったものだということに気づく。取り繕う外面、どろどろしたものが渦巻いた内面。その狭間で苛々するたびに私は何度も腕を切った。肉は気味悪い光沢を持ち、繊維が刃に引っかかって苛々した。時折感じる激痛がこめかみを貫いても、構わずに切った。血は穢れだ。全て流れだし、洗い流せばいい。血管の壁に触れたとき、鈍い痛みが寒気を呼び起こした。それは多分死ぬことに対する恐怖だったのだろう。私はそんなあたりまえのことさえも忘れていた。

最初にそれを意識した日から、すでに二十年近くは経過している。しかし今だに、精神の感じる身体と、実際の身体は異なる。指先までしっかりと神経が張り巡らされていないような感覚がある。実際はそんなことなどありえないはずなのに、私の中では厳然とそうなのである。あの当時感じたひりつくような気持ちも、腕を切った痛みも、皮膚の下にある醜い肉も、大量の吐瀉物と一緒に吐き出した呪いの数々も、私の上にしっかり根を張り、事あるごとに再生され私を苛む。

しかしそれらは、もう過ぎた昔のことであり、私が今ここにいる厳然たる事実に代えられるなにものでもない。

[]映画を非難する人は、http://anond.hatelabo.jp/20071107085350

例えば、映画恋空」を見た女友達がいたとして。

その女友達から「まぢ泣ける。すごいいい映画だよ!君が見てるのとはワケが違うよ」と言われたとして。

いくら悪名高い映画とはいえ、普段そんな話題すらしない、いやむしろ毛嫌いしていると思っていた女友達がここまで薦めてきたら、きっと見ることになるだろう。原作書籍化されベストセラーとなったのだから、なにかしら心にひっかかる素晴らしいものなのだろう、と。

そこで「まぢ泣ける」の言葉を信じ、期待度が高まった状態で映画とやらを見てみる。

ところが、残念ながら自分には合わなかったとする。

「度のすぎた口語表現も、主人公演技も、行動も、何一つ共感出来ない。

普段”演劇”を見ない女友達のような人間には、薄っぺらい騙しのテクニックで感動させられたとしても、私のような舞台中毒者は騙せない。

以下略

普段”演劇”を見ない女友達のような人間には、薄っぺらい騙しのテクニックで感動させられたとしても、私のような能楽中毒者は騙せない。

以下略

普段”動画”を見ない女友達のような人間には、薄っぺらい騙しのテクニックで感動させられたとしても、私のようなニコニコ中毒者は騙せない。

以下略

人気エントリーに居座ってごめんなさい。

ついに400超えたかー

ネタじゃないのにいっぱいブクマ集まるのって楽しい。自分のダイアリーよりはるかに多いね。でも顕名じゃ書けない。

関連の記事もいっぱいたどってみた。

  • 驚いてくれた人
  • 同意してくれる人
  • 何をいまさら常識だろって言う人
  • これだから理系は。死ねばいいのにって言う人
  • そんなのお前の周りだけだ俺の回りは違うって言う人
  • 私を否定にかかる人
  • 藁人形を叩き始める人

いろいろいるなあ。

まあ2ch的に「うそはうそであると見抜けない人には難しい」の精神でお願いします。丸ごと見渡すとおもしろいよ。

できればデータさんやTISさんに面と向かって正面から否定して欲しいね。現場理系SEの方から。それやらせたらそいつ辞めると思うけどね。白々しい演技に耐えられなくて。

あの討論会は、最初から無理がある。最悪の組み合わせの人間を合わせて討論会。

学生を猛烈に釣って話題になるのが目的だとしか思えないほどだ。よりによってデータさんとはね。

あれは、私から見た真実を書いた。

誰もが同じ経験をするわけではないから、同じ結論に到達しない人もいるだろう。

同じ経験をしても、何が悪いのか全くわからないどころか楽しい人もいるだろう。

桃源郷に住んでいて私の経験を理解できない人もいるだろう。

でも私と類似の価値観思想スキルを持っている人が、理由がわからずに悩んで苦しんでいるとしたら。また、心構えもなしに同じところへ飛び込んでいくとしたら。

そのために、私の文章が必要だと思ったので書いた。

技術頑張って、習得して、実践して、経験積んで、その結果居場所が無くなる。なぜなら誤った努力だから。

そうですよねプログラミングは1年ぐらいで卒業ですよねー(笑)見積もりと発注覚えなきゃだめですよねー(笑)

SIerの人事の人は技術者を募集するって言わないで欲しいんだ。まっさらじゃないと困るから理系は絶対に来るなって言って人を集めてください。

2007-11-06

あんまり演技とか自己愛とか慣れない者がやるものではないと思う

森父娘のように自分の人生おもちゃにしてもさしつかえないと思うならどうぞだが、正直おすすめできない気がする。

いまは手を動かすより羽根を広げてみせびらかすほうが楽しく見える時代だけど、そんなふうに自分の違和感をあざとい「個性」に仕立て、あるいは世の中も自分もばかにして演技と称して幸せごっこをすることで何かいいことがあると思えない。

森林太郎の場合。

愛情のようなものを一方的にふりまいていた」と娘・小堀杏奴はいう。ようするに「マリちゃんのパッパ」ごっこをやっていたわけ。

幻想世界に住む父親につきあいの良すぎた杏奴の姉、森茉莉がどれだけイカレたおばあさんになったかは周知のとおり。

室生犀星におだてられ(あるいはそうでなかったにしても本人は妙な自信を得て)老境にさしかかってから上梓した小説

現代的意味においてBL小説と呼べる代物であり、つまりは腐女子の先駆者である。

不幸か、といわれると判断に困る。ただ、この父娘は人生演技しており、妙なつくりもの感が漂うのは否定しがたい。

2007-11-03

http://anond.hatelabo.jp/20071103223020

そうそう、男もけっこう感じてる演技をするんだよなー。

まあ義務的にやってるんじゃなくて、それも楽しんでやってるとこもあるんだが。

男はどうアエギ声をあげるべきか

http://anond.hatelabo.jp/20071103192514

女は本気であろうと演技であろうとアンアン言ってればいい(って言い方も失礼だな。声出してくれると嬉しいんですけどね)が、男ってセックスの時、どういう風に声出せばいいんだろうか?

俺は「気持ちいい?」「俺も気持ちいいよ」「ああ??、いく」くらいしか言ってないような。

2007-11-01

もう死にたいと思えるようになりたい

「もう死にたい」なんて幾度となくどこかに書き込んだことがあるし、一人呟いた事もある

でも自分で分かってる

絶望状態に逃げ込んでるだけで

本当はちっとも本気なんかじゃないんだ僕は

死にたいって言ってるときは単に今の状態が辛いとか苦しいとかそういう意味なだけで

本当にじゃあ死ねよ今すぐって銃を渡されたって僕は引き金を引けやしない、確実に。震える手でこめかみに銃をあてる演技をして結局ガックリ肩を落とすんだ。本当は渡された瞬間から死ぬ気なんてないくせに見栄をはってそういう演技をすることすら安易に予想できる。

死にたいって言ってるけど本当は死にたくなんてない

死にたいっていうのは今この自分の現状を殺したいって事で

自分自身を殺したいわけじゃないんだ

本当は僕はいつだって、幸せになって生きたいと思ってる

死にたいといってるときは、イコール幸せになりたいと言っているのとほとんど同義なんだ

でもそうじゃない現状が辛くて、それを認めたくなくて、拒否したくて、それで死にたいって言うだけなんだ

本当に今すぐ死ねるわけじゃない

だからこそ余計怖い

本当に死ねるわけじゃないから結局いつかはまた立ち向かわないといけない

本当の本当に死にたいと思えるようになりたいんだ

死にたい、別に、死んでもいい、と心の底から思えるようになりたいんだ

銃を渡されたら迷うことなく自分のこめかみにあてて引き金をひけるようになりたいんだ

そうすれば僕は自由になれる

死の恐怖から

そもそもこの辛さ苦しさは何かって

死が怖いからだよ。僕はまだ死にたくないから死よりも現世の辛さを選ばざるを得ないんだ

でもそれがあまりに辛いから僕はポーズだけでも死にたいなんていってるけれど

そもそも本当に死にたいなら辛さなんてないんだよ

そういう意味では「死にたい」。死ねるようになりたいという意味で。

今すぐ死んだっていいと言えるほどにはまだ未練も怖さもありすぎるし

かといって生きていくほどには現世に楽しみはない

死ねもできず生きることもできない

こんな人間きっと僕だけじゃないんだろう?

一体どうすればいいんだろうね、もうどっちでもいいよ、死でも、生きるでも、どっちでもいいから、その中間値はもうたくさんだ。ゾンビでいるのはもうたくさんだ。人間か、死体か、どちらでもこの際構わない、どちらかにしてくれよ、僕を

2007-10-30

煽られるのが嫌だ

小学生の時、集会などでの先生の話が大嫌いだった。

何故か。

俺は小学時代広島に住んでいたから、当然のごとく平和教育を受けた。

当然、感想を書かされるわけだな。

でも、「こういう方向で感想を書きましょうね」という無言の圧力が当然ある。

でもそんなのry、とばかりに「本当に思ったとおりの、授業そのものへの感想」を書いた。

正直小学五年生にもなると流石にうっとうしいからな。広島に生まれた者の試練だ。

当然、担任マジギレ。反省文を書かされる。

中学生になると、こういう誘導に対する反発が、普通反抗期子供以上に大きくなっていた。

あるとき、学校行事で街のホールに行った。

帰ってきた後、「道路を歩く時の態度が悪い!」とわざわざ緊急集会で起こられた。

学校中の先生がわざわざ集まってきてね。

中でも印象的だったのが「昨日は私の誕生日やった。でもこんなことになって、先生はホンマに、ただ悔しいです。」

と涙ながらに語った女教師。知るかよ!

更にむかついたのが、その後一部の女子たちがもらい泣きしてやがったこと。なんでだ!?

こういうことが積み重なって、煽動とかそういうのに対して異常に反発するようになっちまった

体育大会の集団演技合唱コンクールにおける体育教師や女子のうるささとかもう…

俺自身はそういうマスゲームや歌が嫌いじゃなかったんで本気で取り組んだんだけど、

真面目に練習しない友達が影で非難されてるのを聞くといたたまれない気持ちでいっぱいだったよ。

俺も彼らも大差ない。嫌いなことを無理にやらせるとかどう考えても狂気の沙汰。

大学じゃこういう雰囲気を醸す場や人間を回避し続けてきたから楽しかった経験の方が多い。

でも会社に入るとそうは行かないんだろうなぁ。

小学校中学校の教師になろうと頑張ってる同級生は本当に尊い。

俺なら、同僚も上司も嫌いな奴だらけの職場じゃ絶対やってけないよ。子供は好きだけどさ。

2007-10-25

http://anond.hatelabo.jp/20071025202644

監禁王子も「自分のはSMプレイ」って言い張ってたよな。

プレイ」(遊び、演技)っていうのも本気じゃないってことをアピールする言葉なんだろうけど、スタンフォード監獄実験なんてまさに演技リアルを侵蝕していくんだよな。怖い。

初音ミクに対してあえて否定的なことを書いてみる

初音ミク技術は確かに革新的なものだ、OSで表現するならWin3.1からWin95になったようなものだ。

誰にでも簡単にネットに繋げるようになり、ソフトの互換性が拡大したように

初音ミクは(比較的)簡単に歌わせる事が出来るようになった。

ニコニコ動画で、声優涙目??とか最高!とか書き込んでる者が居るけれど…

そ れ は 本 気 で 言 っ て る の か ?

とちょっと心配になる、耳腐ってんのか?それとも音楽をミクでしか知らないのか?

分かって言ってるだと思うんだけれど…やっぱりPC合成音の域を越えては居ない。

演技は上手いのだけど、「魂が篭ってない!!」と言う感じで炎先生に一括される役所。

カラオケで100点を取るようなものである。

100点を取るのに必須なのは音感リズム感、決まった音程リズム通り歌えれば理論上比較的簡単。

ただ、所詮は机上の計算でそれで人の心を動かせるかというと違う

ライブでの生の演奏と歌唱はスピーカー越しでは絶対に感じられない

音を耳で受け取るのではなく、身体で受け取ると言う体験は音楽好きなら一度は体験するべきだ。

例えミクが進化し続け違和感無く歌えるようになっても、その点に関しては絶対に生身には勝てない

音楽を好きな者としてこれだけは断言できる。

初音ミクはWinなんだと思う、だから進化して使い易く高クオリティのモノが出来たとしても

嫌いな人は居るだろうし、否定する人も居ると思う

現代のアーティスト達も音楽技術の粋を集めて修正されCD化している。

リップノイズを消すのは当り前、切ったり貼ったり、音程修正したり、当然にやっている

それは「理想道りに完成された作品」を作る為の肯定であり否定はしない

ただ、ライブでは生音で聞きたいよね…音程狂ってても

それがライブ(生)で聞く意味でもあり楽しみでも有るのだから

そして、そういったものを提供できるのはやっぱり人間歌い手だけだ

ミクの進化が声の変化程度に落ち着き、技術的に進化しなければ本当の意味で「歌手」にはなれない

ミクの流行は一時的なモノから当然なモノになるだろう

だけれど、ミクが生身の歌い手に取って代わる事は絶対に無いと言い切れる

ミクの音楽を愛で、ミクのCDが売買され、ミクのCDが売れていても

そういう人間歌手CDを積極的に買う人間では無い、ミーハーなのだろう

流行モノを買って流行モノを聞く人間制作側的にはそういった購買層も必要だろうが

音楽的にはあんまり重要では無い

オチがオチらしく付かなくて困った(汗

ミクは凄いけど、大局的に見ればたいした物では無いよ とただ言いたい

2007-10-21

知り合いと話してて突然悟った

そいつは男なのだが、やたら嫉妬心が強くて自分より少しでも秀でている人(顔・能力など)のことはかなりけちょんけちょんに言うし、明らかに本人に対してもきつい態度をとりがちなのだが、なぜか酒の席では普段ひどく悪辣に揚げ足を取っている人と楽しそうに話していたりする。

不思議でしょうがなかった。お前はそいつが嫌いなんじゃないのか?単にゴマをすっているだけなのか?そうやってにこにこしながら裏では何を考えているんだ?その手でまた相手を引き摺り下ろそうともがくのか、今相手をほめている口で数分後にはまたこけおろすのか?そう考えるとなんか信用できないという感がぬぐえなかった。

そういうわけなので、酒の席でちょっと話を向けてみたのだ。あの人のこと嫌いだよねぇ、ウマが合わないの?みたいに。そしたらやつは答えたのだ。

「え?俺あいつのことちょうすげーと思ってるよ。すごいじゃん」

意味がわからなかった。どうしてすごいと思っているのにお前は足を引っ張ったりひどくけなしたり、重箱の隅をつついたりするのかと。こいつは信用できないやつなのではないかという思いが大きくなった。しかしやつは私の反応にえらく驚いたようで何がそんなに不思議なんだ?というようにきょとんとした顔をしていた。

「……仲悪いのかと」

「何で」

「険悪じゃねーかいつもっていうか無駄喧嘩吹っかけてるじゃねーか」

「えー!すっげー仲いいじゃん!なぁ!」

同意を求められたほうはちょっと苦笑いをしてまぁ…とあいまいに答えた。やつはそれが心外だったのかえー!とさらに声を上げた。

「何だよー!おれすっげー傷ついたー」

「まぁ悪くはないと思うけど」

「だよなー!だよなー!」

あれで仲が悪くないのか!と叫びかけたがやめた。そして彼の反応をみて思った。これがもし演技であるとするならば極悪人であろうが、演技でないとすればこいつは本気で自分が嫉妬して悪意をぶつけまくっていることに気づいていないのだと。

こういうことは程度の差こそあれ、よくあることなのかもしれない。嫉妬という感情を気づかずに周りにぶつけまくっているのかもしれない。自分ではそんな感情を持っていることすら認められていない、そういうことはよくあるのかもしれない。あるいは気づいていても気づいていないことにしてしまっていることもあるかもしれない。そうやって見ないふりをしている感情は制御しようがないから(見えていないので当たり前が)必要以上に増幅して周囲に振りまいてしまいがちになりはしないだろうか。周りは気づいている。でも自分だけは気づかない。そういう人を外から見ていると、あぁいうことをしているのにどうして口では信頼してるとか尊敬してるとか言えるのだろうかと疑念を抱くけれども、本人は純粋に信頼してたり尊敬していたりしうるのではないか。

しかし、そういうのは誤解を生みやすいというか、誤解されやすいというか、なんというか、あんまりよくないような気がする。あんまりよくないどころのはなしではない。非常に裏のある人間に見えてしまう。

というところまで考え付いたのだが、問題は、もし仮にそうだったとして、自分がやつのようになっているときにどうやってきづけばいいのか?ということである。自分でないと思い込んでいるのだから気づきようがなくないか?どうすればいいんだろうか…。

2007-10-16

http://anond.hatelabo.jp/20071016121416

ドラマでも小説でも漫画でも相当酷いレベルならそれ以上読まない。そこで私は切る。

ストーリーがどうのこうのという段階に達していない、読み進めることが苦痛、というレベルが切り、かな。

このハードルは実写に近づくほど私の場合は上がる(ドラマ=見始めて10分で主役の演技がだめなら切る。アニメなら一話くらいは我慢してみる。漫画,小説ならとりあえず流し読む(この二つは金払ってるし))。

一応興味あるアニメは一話目をチェックして、その後チェック継続するかどうかを判断するから、というのもある。さすがに全部のアニメはチェックしないけど。レンタルマギカは切り、といいつつ猫屋敷だけ見るために録画するかもorzあの声は反則だ……

/あ、あとドラマでもやってる人は全部チェック入れて、「これは視聴継続」「これは切り」ってやってるよ。

http://anond.hatelabo.jp/20071016083039に釣られてみる

別に力量があれば有名人が演じたって構わないんだが、どうみても声優としての力量があまりにも不十分な棒読み有名人が誰かの商売根性丸見えのキャスティングで潜り込むことが多いという、そんな不満が一部に共通認識としてある、そんな印象を受ける。棒読み有名人が多ければ、演技を聞く前にキャスティングの段階だけで懸念の声が上がってしまうのも、現象としてはあるのかなと…まあ冷静に分析すれば「有名人」に対する「声優は務まらないレッテル」張りでよろしくないわけですが。

いやまあアニメ声って結構特殊だよなというのは同意だけど。

10年ぐらい前は

最近の若い声優はみんなアニメ声で区別がつかんし演技下手」みたいなことを言ってた気がしたんだがなあ。いつの間にやらこの現状。

2007-10-10

http://anond.hatelabo.jp/20071010110212

徐々に正気を失っていくのはあるだろう。けど現場洗脳は無理だと思う。

普通SM現場でも女優NGならやめるよ。カメラが回ってて「いや..ううっ..」とか言い続けてる状況でも、どうしてもこれ以上は無理! って状況になってしまった場合、例えば英語で"NO"って言ったら撮影中断するレギュレーションにしておくとか。(演技なのか、本当に本当に限界なのかわかりにくい場合があるから)

ドキュメンタリ的な面もある作品もあるけど、それでもあの事件での女優の扱いはちょっと特殊だと思うぞ。

SMビデオについて

バッキーの事件。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/071006/crm0710061125010-n1.htm

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/071006/crm0710061125010-n1.htm

これは犯罪行為をAVと称して売っていたので論外なわけだが。

だったらSMなんかはどうなんの?「本人の合意がある」って言っても微妙な気がするぞ。

「調教」という言葉がよく使われるように、元々はごくノーマルな性嗜好の女性に対して監禁暴力快楽を反復し、「お前はM女なんだ、肉便器なんだ、陵辱されて喜ぶ女なんだ」と言い聞かせることで洗脳してるような気がしてならない。

「AV真に受けすぎw」「いや、あれ演技だからwww」なんてツッコミもありそうだけど、AVはもともと演技っつーよりもドキュメンタリーに近いと思うぞ。特にSMものは演技なのかドキュメンタリーなのか曖昧というか、二重三重に入り組んでる気がする。M女の演技をする女優演技をするM女……みたいに。

スタンフォード監獄実験みたいに、当初はS役もM役も演技のつもりだったのに、徐々に正気を失っていくってパターンもいかにもありそうに思うんだけど。

http://anond.hatelabo.jp/20071009201930

演技女優です。

ごめん…

増田がそんなに追い詰められてるなんて梅雨知らず

私ったら勝手なことを…

お詫びに、役に立ちそうなサイト置いておきますね^^

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1111167961

2007-10-09

http://anond.hatelabo.jp/20071009193404

増田です。

わかってる。それは重々わかってるんだよ!

ばれてねーと思ってんのかこの演技女優め!

でも青少年段階の刷り込みで「短いのは恥」ってゆう無意識があって、

どうしても挿入直後1回目の波の時セーブしちゃうんだよ!

ええ遅漏ですよ! この遅漏野郎!(脚韻

と、ゆー男子にもやむにやまれぬ事情があってね。

理解してくれ、とは言わんが誤解はしないでくれ、というね。

ツンデレモテ非モテ

モテツンデレさんはわかりやすい。

乙じゃなくてポニーテールなんだからね!っていう、わかりやすさ。

非モテツンデレさんは、じゃあ、何かっていうと、わかりにくい。

乙?なんのこと?ほんといみわかんないんだけど!っていう、わかりにくさ。

もちろん、乙のつもりで彼女はやっています。

演技下手か演技上手かで、ツンデレ運命は分かれてしまうように思えます。

もっと見破ってあげて下さい。複雑な心を察してください。お願いです。

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