はてなキーワード: 好戦的とは
はてな界隈では「はてサヨ」なる言葉があるぐらい、右翼とか左翼とかという単語はバズワードなので、
そもそもそれぞれどういう思想を指すのが適当なのかについて、整理してみた。
フランス革命政権において、非特権階級の利益を代表する勢力(=共和派・革新派)を左翼、それに対して旧体制における受益者の利益を代表する勢力(=保守派)を右翼と言ったことから(議会の座席の位置取りに由来)
持たざる者である左翼が、(平等志向の)分配を要求し、持てる者である右翼が非分配を主張するという構図が一般的。
左翼は(理想主義的な)平和志向が強く、右翼は好戦的とは限らないが、交戦権自体は主張する。
ただし、これに関しては例外は多い。
自民党のやってきたことは「右」路線なのは間違いない。(陳情によるボトムアップは正に「右」の手法)
しかし徐々にボトムアップの「ボトム」が経団連に代表される巨大企業になっていったことで、義理と人情の代表ではなくなった為、
小泉手法のような奇策に走らざるを得なくなり、そのあとは政権を失ってしまったのだと思う。
ここで重要なのは、陳情をしてくる相手が票をまとめられる存在であり続けたなら惨敗にはならなかったという事ではないかと思う。
企業トップの利益がその従業員、および取引先企業の利益と決定的にかけ離れてしまっているからこそ、自民党路線は民衆の支持を得られなくなってしまった。
また、一方で、企業の側も、(国内)政治による利益誘導がどうしてもと言うほど重要ではなくなっているからこそ、票をまとめられるような待遇と政治への要求をしなくなったのでは無いかとも思える。
もはや舞台は国内の議会政治がメインではなくなったのだと言う事で、もう議会の中での勢力争いそのものも時代遅れになっている。
民主党が「左翼政党」かと聞かれれば、微妙だと言わざるをえない。
なぜなら、左翼は最適社会の構築の為にこそ奔走するのであって、それに「友愛」が必要な筈はないからだ。
どちらかと言えば「人情」を謳う(日本的で穏健な)右翼の手法に近いが、「友愛」は外国に向けても謳われているところが違う。
推測するに、「全体」の範囲を「地球」に拡大した上での、経済的分配を伴わない「最適化」のツールとして言っているのではないか。
新種の左翼だとしても、多分200年は早い(かりに方向性があっていたとして)。
・ネトウヨが有名に。
・頻繁に誹謗中傷が飛び交う
・しかし余り極端な左翼論者が多いようには見えない
・ナチュラルに右翼な発言の人が散見される(そしてホッテントリ入り)
・個人ブログでの左翼な発言は目立ちにくい?(ホッテントリ入りはあまりしない)
思いがけずマジレスきてびっくりしたw
わたしの投稿した文章から、そのような傾向を感じられた、ということですね。
わたしとしては、日々の面倒なセクハラを「華麗にスルー」している模様をお伝え
したつもりだったのですが、これもあなたの目には「深刻に受け止めすぎている」
と映ったようで、重ね重ね残念です。
しかしながら、わたしのような比較的豪胆な女ですら、やはりわずらわしく感じる
のがセクハラというもので、もしも、もっと可憐でおとなしい性格の女性が同様の
セクハラを受けるとなれば、これは非常に悲惨な事態であるとわたしは思います。
そして、そのような事態も世の中には実際に起こっているのです。
確かにわざわざこのような場で波風立てるようなことを申し上げておりますし
「世渡りが下手」と評されるのも、我ながら確かにうなづける部分がございます。
しかし、セクハラを経験している人間として、一言申し上げたかったのです。
文面が過剰に好戦的であったこと、これは深く反省しております。
そして、その点に不快な思いをされたのであれば、お詫び申し上げたいと
思います。
しかし、わたしはこの場でこの女性の投稿が一方的に心無い批評に晒されるのが
我慢ならなかったのでございます。そのため冷静さを欠いておりましたこと、
改めて深くお詫び申し上げます。
どうか寛容な心で、わたしの非礼をお許しくだされば幸いでございます。
彼女は、お世辞にも売れっ子とは言えないデビュー数年目、20代の漫画家だ。売れていない理由は、基本的に絵がマズいから、とにかく遅筆だからだと思うんだが(実際、ネット評価はそれなりに高い)、ド素人である俺から見ても、彼女の頭はおかしい(いい意味で)。
さて、ここからが懺悔の内容なのだが、彼女のストレス発散の方法は、増田に書き込むことだったようだ。それ自身は何ら悪いことではないと思うのだが、よくよく話を聞いてみると、どうも年齢・性別・職業を偽り、さも当事者の独白のような書き込みをしたというのだ。別にそれも珍しいことじゃないんじゃない、と返すと「私の書いた創作を本当のこととして受け止めて真剣にトラバをしてくれたり、ブコメをしてくれる人が増えて申し訳ない」と言うのである。
増田の履歴を見せてもらったら、正直ぶったまげた。30エントリぐらいだったと思うが、ほとんどがはてブ100オーバー。300、400、500なんていうのも散見される。彼女らしいエントリといえば腐女子論ジャンプ論ぐらい。その他のエントリは見事にサラリーマンであり、主婦であり、教師であったりした。かなり話題になって論争を引き起こしたエントリもある。相当ゆるい村民である俺ですらもブクマしたエントリがボコボコ出てきて目の前の画面を信じることが出来なかった。俺の彼女はとんだ震源地だったというわけだ。
彼女は漫画を描くように架空の人物を想定し、その悩み、喜び、経験、持論を文章にするのだと言う。好戦的なタイトルをつけ偽悪的に振る舞い最後にホロリとさせる。正直に言うと、決して誉められたストレス発散法ではないと思うが、俺は彼女の表現者としての業を見せつけられ戦慄した。
彼女は画力の低さ、遅筆ゆえに、自ら発想したアイデアを漫画というメディアでは表現しきれない。頭の中に生まれてしまった誰かの人生を、感情を、常に内にかかえて爆発しそうになっているのだ。その苦しさを増田という場で吐き出している。この文章を信じるも信じないも、彼女を叩くもスルーするも読む人次第だと思うが、少なくとも俺には彼女を諌める言葉は出てこなかった。
はてな界隈って結構文系の研究者が多いよね。それで驚かされるのは、好戦的でアレ(ということにしておく)な人が多いこと。理系の研究者にアレゲな人がいないとは言わないけど、それでも文系研究者に比べればかわいいもんだよ。
どうしてかなって考えたんだけど、これは結局文系の学問の性質によるものじゃないかと思った。つまり、文系の学問では自分の説が正しいって認めさせることは難しいよね。じゃあどうするかってことで有効な手段としては、他人の意見に耳を貸さず、自分の説が正しいと妄信し繰り返しがなりたて、対立する他人の説のアラを探して攻めたてるっていうのがあると思う。だから、そういう成分の強い人が研究者として残るんじゃないかなあ。
文系研究者は、なんだかんだで権威に弱い(~委員になりたがる、~賞にこだわる等々)人が多い印象があるけど、上に書いたことはその理由にもなると思う。権威によって自分を認めさせたがるというか。
マスコミの持つ権力は国家のそれに匹敵するということを自覚しなくちゃ。
唯一、世論を作る事のできる勢力なんだぜ。大衆はマスコミを通じてしか政治を知ることが出来ない。
こっちは意図的に嘘をつこうとしてることはない。間違えることはあるが。
意図的に嘘をついていなくてもどのように報道するかというさじ加減でいかようにも表現できる。
例えばある政治家を貶める時、多くあるカットの中から最もその政治家を悪く見せるカットを多用することでいかにも悪そうに見せる事ができる。
麻生首相の漢字誤読やカップラーメン、中川昭一氏の酔いどれ会見など、一体どれだけ繰り返されたことか。
マスコミはこういう批判に対し、大抵は民衆がそれを望んでいるからという言い訳をするんだが、民衆に阿して報道するならば戦前の好戦的報道と同じだよ。
3人兄や姉がいて、子供の時から私が何か言うたびに「馬鹿じゃないw」「頭悪いねーw」って言われ続けた。兄たちが間違っていて私が正しい時でも難癖つけて私を否定した。
白を黒だと押し付けられ続けてきたせいか、今でも自分の考えに自信が持ちきれない。なかなか自分の考えを主張できない。議論っぽくなったりするのも苦手だ。増田で見かけるdisり合いみたいなのも自分が参加してなくても読んだだけで何かを消耗する。意見をいう時は突っ込む隙の無いように理論武装したものを柔らかい言葉で包んでそっと言うような感じ。
気が弱いってことなのかね…。兄たちのように好戦的で気が強くなりたいとは思わないが、もうすこし気丈になりたい。
http://anond.hatelabo.jp/20080104152338
そりゃそうだろ。攻める側はとりあえず目標達成したし、攻められた側もとりあえず戦闘は終わったし。
ほっとするのが自然だろ。
十分には知らなかったろうけど、少なくとも自らに不利な言説は取り締まっていたよ。
1937年7月13日、内務省警保局図書課通牒「時局に関する記事取扱に関する件」
・「反戦又は反軍的言説を為し、或いは軍民離間を招来せしむるが如き事項」
・「我が国民を好戦的国民なりと印象せしむるが如き記事、或いは我が国の対外国策を侵略主義的なるが如き疑惑を生ぜしむる虞ある事項」
・「外国新聞、特に支那新聞等の論調を紹介するに当り、殊更に我が国を誹謗し、又は我が国に不利なる記事を転載し、或いは之等を容認又は肯定するが如き言説を為し、延て一般国民の事変に対する判断を誤まらしむる虞ある事項」
2番目が大きいよね。
これではそりゃあ、そういう記事しか載せられないと思うよ。
普通に話しかけただけだっけど、母親は「もう話しかけないで。あんたが話すと苛々するの」と私に言った。その三日後に母親は私に向かいこういった。「私はもう誰にも負けないんだから」。
母は一体誰と戦っているんだろう。私は憤慨していい立場だろうに、なぜか沈んでいる。
きっと、身内さえ苛々させてしまう私は他人をもっと苛々させているのだろう、と考えてしまった。
変に好戦的なのと、私が話すと苛々するらしいので母にはなるべく話しかけない日々を今は送っている。
そんな私を気にしてか、打って変わって「あんたどうして黙ってるの、口聞いてよ、ねぇ。」と話しかけてくる母。友人達にはこんなこと、話せない。突然こんな相談されたって困るだろう。
私がどんなカオをすれば母は満足なんだろう。もうどんなカオで笑えばいいのかも判らない。
さっさと家を捨てて外に世界を求めればいいんだろうけど、このまま外の友人に手を伸ばしても
沈んだ気持ちが伝播してしまいそうな気がする。というか実際に沈んだ気持ちは上昇しないので、
ただ友人に迷惑をかけてしまうだけだ。
こんな暗い気持ちでいたくないよ、笑いたい。
もうすぐ夏がくるんだし、どこかにいきたい。どうしたら私の心は元気出してくれるだろう。
元気出さなきゃ、皆が嫌な気持ちになる。元気出したいよ。なんで元気出せないの。