はてなキーワード: 可視とは
この話題には初参加の増田だけど。
自分自身は、自分のことを「拾ってくれる人もいないほど不細工な猫」と本気で心の底から思ってるけど、たしかに僅かな存在なのかもしれないけど、それでも、いないとか僅かとかわざわざ言われると、例のブスの不可視問題とか女の非モテはいない問題の一部であって、釘を刺しておきたい気分になるな。ここにいるぞってね。
そしてこの言い方は不快だよね。
男の前でだけ(こういう言い方をすれば男が喜ぶ事を分かっていて)言う女
わざとじゃないわっ!お前を喜ばすためでもないわ!どんだけ邪智れば気が済むんじゃ!わざわざ喪女板にあるような発言を取り出して「男を喜ばすため」かよ。おかしいんじゃないか。
何か違和感を覚えたので、やっつけで哲学の真似事めいたことをしてみた。哲学の人じゃないので変なところもあるかも。
というわけで、必要であるから存在すると考えるよりも、その逆に、存在がわかっているものは必要とされると考えた方が良いのではないだろうか。
Tupper's Self-Referental Formulaは、2次元で描画されたときに、自身を可視的に再現するような再帰性をもつ式であり、Jeff Tupperによって定義された。
Tupper's self-referential formula - Wikipedia, the free encyclopediaより超訳
「つまり、タッパーの再帰公式のような式になるような数式の条件が求まるんだ」
「そんな馬鹿な!!だいたいグラフは人間が見て初めて数式だとされるんだぜ」
君は思わず反論する。増田の発言はどう考えたってナンセンスだ。ところが増田は我が意を得たりと「その通り」。指を鳴らして、君を指さす。仕草がいちいち気に食わない。彼は続ける。
「ところが数学的に厳然たる方法で条件を求められる。つまりだな、数学が我々の認知体系を仮定なしに記述できたんだ。物理なんかとは違う。形而下の世界に対して形而上の数学を押し付けるのでない。人間は本来形而上の存在なのだと示されたんだ」
増田は、不信をあらわにする君に構わない。多少、歩調を早めたようだ。
「ケイオスに対して人間の認識体系が意味を与えコズモスを築くのではない。バベルの図書館には、どんな言語体系に於いてもどんなルールを課しても意味をなさない完全にランダムな文字列が含まれるんだ。今、まさに我々は」
いいながら、増田は、ちょうど目の前をドアを開け放った。できすぎた演出に苦笑しつつ、部屋に入るとそこでは70年代の漫画にでてくるようなコンピュータが、テープを吐き出していた。君の疑惑は、ますます深まる。増田は、君が圧倒されるという期待が裏切られて、言葉を継げないでいたが、気を取り直し
「…タッパーの式の条件を一般化してね、あらゆる文字列のうち意味をなすものだけ出力させるようになっている。今のところ、例外なく完璧に意味の通るものしかでていない。見たまえ、これは『じゃじゃ馬ならし』の一節、これに至ってはツァラのナンセンス詩だ…」。
「甘え」「怠け」「逃げ」「勘違い」と指摘されたらゲームオーバーっていう優越感ゲームから一度脱してみるってのも一つの手かなー、とか個人的には思う。
ダメ人間はこの強烈かつ不可視性の高い優越感ゲームの最下層カーストにいて、常に上のカーストの人間の罵倒・嘲笑を受けながら、変われ(=カーストを一段でも登って来い)と怒鳴られ続けられてるように感じてる人が多いと思う。
「そもそも、なんでこんなカースト必死で登んなきゃなんないの?」とかスネても不思議じゃない。「変わること=カーストを登ること」になっちゃってる。しかもこのカースト、「生きていていい人間」と「死んだ方がいい人間」のライン引きするような強烈なカースト。
本当に変わることってそういうことじゃないと思う(それがきっかけになることがあるかもしれないけど)。
・・・というのが、ダメ人間の俺の考えた屁理屈。ダメ人間って、脳内に強硬派ひきこもり更正家の長田百合子みたいな人が常駐していて、その頭の中にいる人の鳴り止まない罵倒・説教から脆弱な自我を防衛するのが精一杯っていう俺みたいな人も少なくないと思うんだよ・・・。
総数がわからんのでなんとも。
http://anond.hatelabo.jp/20070504144115
それじゃモノクロだよ。縦、横、濃度(輝度)だ。
PCモニタを通した話をすると、縦、横、R、G、Bであるし、現行のアナログテレビは縦、横、輝度、色差信号、色差信号である。5次元情報だよ。
これが印刷物になると、実物と同じ次元まで行ってしまう。可視な波長一つ一つに対して、CMYK特色箔押しなど各種印刷用塗料・染料素材の分光反射特性と印面の反射特性の合成を行った関数に対し、光源のスペクトル分布を掛け合わせた後、ヒトの持っている眼球と脳での処理を重ねて色というものは得られる。
可視光は大体380nm-780nmの間だから、簡単のため1nm単位で反射率を離散化して各波長に一つデータを割り当てるとしても400次元が必要だ。*1
印刷されたイラストは402次元、モニタのイラストは5次元ということにしようじゃないか。
(*1 実際の研究の話を聞くと、現行の3では光源変更のシミュレーションに耐えられないが6だとだいぶマシになり、16ぐらいでそれ以上増やしても労力の割には効果が少なくなってくるほど高い効果が得られるらしい。)
以下から始まる当記事ですが、どうやら注目されているようだ(?)。せっかくなので、話の流れが読みやすいように言及記事を要約しておく。元の記事の作成者さま、著作権などで問題があったら何かしらの方法でお伝えいただきたい。
格差や下流というものの実感がない。年収200万以下と聞いて理由がわからない。
普通の家に生まれ、公立の小中学校に通い、高校受験は公立に落ちて私立の男子校に行き、大学受験も落ち、浪人した。ゲーセンばかり行き、週に授業を4時間(コマ)しか受けない生活をしていたら、センター試験で酷い点を取り、それから1日に18時間ぐらい勉強してMARCH(明治 青山 立教 中央 法政)の下位に合格。
インターネットが流行り、毎日チャットやネットゲームをして夜型の生活をし、毎日バイトして、パチンコしていた挙句留年。3年の年明けぐらいに就職を意識して危機感を感じ、就職対策の勉強を必死でやり、大学主催の就職セミナーや体験面接に全部出て研究し、早期に面接を実施する企業を練習台にするような就活の結果、社員6000人くらいの大きな会社に就職。
4月から4年目で、今年収が500万ぐらい。
流されて生活してて失敗ばかりしていて、頑張ったのは浪人のラストスパートと就職活動のみで、それでこれだけ貰ってるから、自分より収入が低い人がいる理由が理解できない。周りの友達もそんな感じ(要約注:友人たちの年収は、500万円なのか、それより低いのか、どちらなのか読み取れなかった。「そんな」ということは校舎かもしれないが、細かい文法にこだわって書かれた記事でもなさそうだから)。
毎日早くから仕事して家には寝に帰ってるだけくらいの生活で年収200万と聞くと理由がわからない。本当なのか疑ってしまう。
もしかしたらこういう俺みたいな人間が格差を生み出してるのかもしれないなぁ、とちょっと思った。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http%3A//anond.hatelabo.jp/20070312004915
まぁ、そういう意味での既得権者ってのは多いんだろう。っつーか、はてな界隈で文章ものして目だってる人の多くにもそういう既得権者のにおいがする人は多い気がするのは、偏見?
既得権ってなんだよ?実際にリアルタイムで生産行為を「実際に行いながら」生きてるんだよ、「いま社会に貢献」してるんだよ。そんな奴と「これから何かやるかどうかわからない奴」に同じ評価がなされるとでも思ってんのか?
この人は「生まれつき天才でほっといたら勝手に大学に受かった」わけじゃないんでしょ?朝青龍じゃないが、「勉強して頭をよくしたら悪いのか?」って感じ。
たらればはマジでどうでもいい。この人は理屈の上で生きてるんじゃないんだ、「実際に勉強」して「実際に大学に入った」んだ。運とタイミングが良い奴は、運とタイミングが悪い奴に対して悪いことをしてるのか?あと蛇足かもしれないが(こういう蛇足は絶好の揚げ足取りポイントだぜ、みんながんばれ)、脳科学や心理学で言えば、運やタイミングは、肯定的な思考回路や「実際に行動してみる」みたいなものにくっついてくるんだ。茂木ケンイチローの本にだまされてみればいい。
なんだかんだいっても、ここぞというときに頑張っている人は強いかも。
かも、じゃない。実際に行動してる=強い、なんだ。少なくとも“下流”ではない。“上流”に行くにはもう少し工夫がいるだろうけどな。
これが一番腹たった。大学生だろ?で多分文系なんだよ。はっきり言って、授業出なくても単位がとれる。ちょっと工夫してバイト選びすれば年間100万円くらい楽に稼げるんだ。大学生にもなって親の許可がないと行動が取れないのは、それはまぁ育ち方だから本人の責任とも言いづらいが、所与の環境を言い訳にしてる限り“下流”は抜け出せないだろうよ。これは俺の経験則だから論理的に納得させることはできないけどさ。
リアル植木等か。 ま、これはこれで仕方ないと思う。文章から下流を見下す臭いがない分健全かも。 俺は逆に上場企業就職しても薄給の友人が目の前にいるから実感したわけで。
下流を見下してない、これは本当に大切なことだと思う。俺はいまカナリ頭にきてるから文章が荒れてるかもしれないが、人を選ぶときに過去は問わないことを信条にしてる。現在、いま、話をしているその瞬間に「工夫」や「行動」をしているか、体が動いているか、顔の筋肉を使っているか。一時間後に自分の思いをカタチにするための最適な行動を自分の頭で考えて、「めんどくさい」とか「周りから見たら痛いだろうな」とかそういう意識をどうにか振り払って、「実践」をしているだろうか。そればかり考える。評論家がダメだとは言わない、行動を伴う評論家は強い。しかし名が知れている評論家を全て見渡しても、行動を伴わない評論家はほとんど居ないんだ。
…なんか生まれて最大の速度でタイピングしてるかもしれない。日本酒って凄いな。
また所与か。「生まれつき」とか「育ってくる間に身に着けた」とかか。過去しか見ないのか。あなたに現在や未来は無いのか。要領や世渡りを何かしらの方法でいまから身に着けようとは思わないのか。単純にめんどくさいだけなんじゃないの?そんなの言い訳にもならない。言い訳なんて聞かないけど。俺は、今からどうするかしか興味は無い。
こんなもんだろうと思う。私事だけど、学生時代にバイトしてなかったら「大学に行かない世界」は多分未だに理解できなかった。 こういう物がそこかしこにある事、それにより視点は幾らでも変わる事の認識は大事。
俺の受けた印象と近い。視点(価値観)が固定的なものでないと表明していて、その点は特に強く共感する。
よく読むとこの人ポイントを押さえて努力してるし結果もだしてんだよね。だから有能な人なんだと思う。さらに読むと中流以上の家庭なんだなってことが判る。これぞ格差社会。
俺の中で「能力」の定義は「現在進行形で成果を出し続けていること」だ。過去にタイミングよく努力して成果を出してきた人はこの意味での「能力」を「持っていることが多いという傾向にある」のは事実だと思う。しかし中流かどうかは知らない。嫌な奴だったが、大学の同級に生活保護家庭の奴が居たが、そいつはスロットで稼いで学費を捻出した上に家にカネまで入れていた。親の収入と子の「デキ」に、マクロなデータ上で相関があるのは事実だが、それは個人個人を見るときに考慮すべき話ではない。個人の力は凄いんだ。凡人だってちょっと変なことを延々しつづけて生きていれば、それだけで歴史に名を残せるんだ。
早熟?欠陥を持った自意識のことかな?「自分は考えすぎる」と思っている奴ほど、はっきりいって世間知らずで考えたらずだ。同じ方向性でしか思考ができないことは恥ずかしいことなんだが、小学校でヘンテコな定義の「平等」や「個性」といった言葉で洗脳されてしまうと結構あぶない。しかし「いま」「実際に」「体を」「動かして」「実践」すれば人生は変わる。生きる方向は自分で考えればいいし、自分らしさとかそーいう言葉に不安を感じるんなら、どっかの偉人の伝記買ってきて、それをそのまんまパクって実践してみればいい。カーネギーの人を動かすでもいい、GTDでもいい、なんでもいいから、自分の外から「具体的な手順」を探してきてそのまんまパクって実践してみればいい。ダメだったら諦めて別のことをやってみればいい。何もしなけりゃ人生が変わる可能性は低い。宝くじに当たるようなこと期待して生きてるんだとしたら、それは「バカ」だって客観的に認識したほうがいい。できることなら主観的にも「これはバカげてるんだ」って感じたほうがいい。
こういうタイプの奴が中小企業に就職したらどうなるかわかるかい?周りがしていない努力と工夫を実践することで、すぐアタマひとつ抜けた奴になるのさ。成果が出せていないのは「工夫」と「実践」が足りないだけだ。わかってないのはおまえだ、と言いたいけど別に俺は自分がそこまで言えるような立場にないな。
この感覚はわかる。そういう体感と、情報のギャップに違和感とか覚えず感覚だけ信じていられれば、自分が転落するまでは幸せな人生が送れると思ふ。
転落?なにか失敗したとしても、この人は挫折とは感じないだろう。問題を単純化して、作業をこなすようにそれらを解決していくだろう。体感は固定的なものでもないし、外部的な情報(たぶん社会とか、環境とかのことだろう)は、自分が働きかけていくことで変えていけるもんなんだ。これも経験則に過ぎないけどな。
格差社会 ポイントとして、(1)スタートで恵まれている、(2)それほど有能そうではない(アンテナ、想像力)、(3)年収が少ない人にも問題があるのかもしれない、(4)能力的問題はないが家庭事情や運などがある ほか
3だよ。スタートや家庭や運なんて、関係ないとは言わないが、「いま行動を変えれば」近い将来が変わるだろう。
あー。この感覚わかる。この場合でだしの「普通の家」って時点で多分恵まれてるんだよな。
だんだん冷静になってきた。まぁ正直、「自分を変える」タイミングに恵まれているのは親が「有能」な場合が多いだろう。傾向があるにすぎないけどな。
無知はオメーだ
過去も実力のうちだろう。就職活動で使った労力によって今の立場があるんだ。そして、今の能力を手にしているんだ。うえで書いたとおり、辞めても彼はニートにはならないだろう。だって彼は、行動しちゃうんだもん。体が動いちゃうの。いままでの経験で培った能力までも含めて「既得権」って言うつもりか?「いま」「体を動かして」「実践」している彼の個性そのものを「既得」だって言うのなら、そりゃあもう、どーしようもないわね。
「機会の格差」ってやつはかくほどに不可視なのか
機会なんて自分からいくらでも得られるだろう。世の中の多くの上級企業は、全ての社会人に開かれたセミナーや勉強会なんかを開いている。人脈だって作れる、スキルだって身につく、知識や知恵やモチベーションだって得られる。ただし、自分が「実際に」「参加」すればの話。しないんじゃ、仕方ない。言い訳のしようがない。してみればいい。してみればいいじゃん。してみようよ、実践。チャンスはさぁ、タダでごろごろ転がってるじゃん。現実を確かな自分の目で見てみたらいい。
世の中にはびっくりするほど無能な人間が結構いる、ということを分かっていなければならんよ。そういう人間はネットで発言したりしないし、知識人はそこを見ようとしない。格差の問題ではなく無能者の福祉の問題だ。
完全に同意だ。教育で最低限のコミュニケーションの手順ハウツーさえも教えないのは日本の欠陥だろう。しかし国に頼らなくても最近は社会的企業家くんたちが居たりする。まことに頼もしいものだ。
きっと巧妙に隠されてる、もしくは自分が見ないようにしてる かもです。よく見てみたら、電車に乗っている人たちの中とか、町歩いてる人とかに、いるとおもいますよ。
どこにいるかわからないというのは、元のエントリーを書いた彼の見落としだろう。たとえば場外馬券売り場、パチンコ屋。ただ、家にこもってる奴が目に付かないのは当たり前のこと。
日本型経営は新卒採用絶対主義なので。新卒時の就活で成功すれば"終わりよければすべて良し"となり、逆に失敗すればそれまでうまくいっていてもすべてご破算
世間知らずだと思いますよ。自分の経験からくる知識が全てだと思わないほうがいい。
就職のときに逆転してるパターン。3年目で年収500は優良企業でしょ。公務員とかでもそうはいかない。/他はおいといても受験と就職で努力しているのは効率いいな。
受験や就職で労力を払うというのは、普通の人生から考えて妥当なタイミングだろう。妥当なタイミングに妥当な努力をすれば、妥当な生活を得られるのは当たり前のことじゃないか?私の恩師は「必要なときに必要なことをすれば、あなたに必要なものはたぶん得られるんじゃないですかねえ」なんて言っていた。
頑張ったらうまくいったからといって、頑張れば「誰でも」うまくいくとは限らない。椅子とりゲーム状態では全員が同じくらい頑張っても座れない人が出てくる。
がんばらなければ普通はうまくいかない。「頑張る」気力があれば、価値観に重大な欠陥が無い限り“下流”には落ちないだろう。仕事は椅子とりゲームではない。椅子を作ろうとする人間はチャンスを自分から作り出せる。これはちょっとした意識の違いにすぎなくて、一冊の本によって変わりうるような部分だ。「マニュアル人間」なんて言葉にだまされて「啓蒙本を読むような人生は嫌だねー、プwww」とか言ってる限り、それは自分に限界を作ってるだけだ。本を一冊読むくらいで完全に崩壊してしまうようなチンケな個性しか持ち合わせていない人間など居ない。ためしにやってみる、これくらいの行動力はちょっとした意識の切り替えによって拾うことができるものだ。
こんなにネチネチと書き綴ったのは人生で初めてだ。他人のことにすぎないけど、でも私はアンタラと同じ社会に住んでる。私が社会に貢献すればあなたたちが良い暮らしをできるし、アンタラが社会に貢献すれば私の暮らしが良くなる。社会でのポジションを相対的なものだと思わないほうがいい。他者がある地位を得ているから自分がその地位を得られないんじゃない、よそはよそ、うちはうち。
家庭内の家事にでもたとえてみようか。4人家族のひとりが家事万能でぜんぶこなしちゃう家と、1人が家事万能、ほかの3人も向上心を持って家事を担当してる家と。アンタはどっちの構成員になりたいのか。
最低限のルールにしたがっていれば、行動をする限り、また100人居る中で最悪くらいのよっぽどの環境に居ない限り、アンタに絶望は無い。
[追記][これはひどい]
風呂はいってあがって読み直したらなんかウソばっか書いてあるな、この記事。啓発本てw読んだことねぇwあったとしてもヤンサンに連載してる山田玲司の絶望に効くクスリくらいかw中谷アキヒロとか立ち読みしたことあるけど、うん、あれはキモい。彼の本が啓発本なのかどうか知らんが。
まぁグズグズして何もできないようなひとは、一冊くらい読んでみてもいいかもしれんけどさ。読みすぎて目が据わったような表情になると宗教くさくなって周りからキモがられるから、成功から離れたりしちゃってなw
ただまぁ、いまでも同じ主張をしたいことっつったら、流行りみたいだからどうしようもないのかもしれんが、「痛い」とかいう概念で「いま」の「行動力」を制限しちゃうのは割ともったいないぜー、って部分だな。行動を伴わない思考のみからは何も生まれないってことくらいは理解しとかないと、だまされる。誰かしら尊敬できる有名人とか居るだろうけど、その人のことをよく観察したほうがいい。もしかしたらそいつ、甘美な言葉を発してアンタから好意を受けることで儲けてるのかもしれない。そいつが主張してるようなことを、そいつが実際にやってるか、確認してみたほうがいい。価値観にもリテラシー意識を持たないと、いろいろね。だまされるからね。
あと、なんか上でコメントにいろいろ文句つけてるけど、文脈理解してなかったり前提を誤解してたりするようで申し訳ない。思い込みから生まれる非難はみっともないですね。気をつけます。
[ハテブ]
くれくれ論批判か。たぶんオレの現在いる環境のほうがこの人や元エントリの人より良いわけだが・・。 格差うんぬんについては長くなるので ⇒(リンク先も全部読んでね) http://muse-a-muse.seesaa.net/article/35314889.html
現在いる環境とかどうでもいいっつってんのに。こいつほんとにいい立場に居るのか?未来志向の人間がこんなこと言うとは思えないな。「リンク先」は人に読ませる気のある文章だと思えない、私流に言い換えれば工夫をしようという意識の感じられない文章だ。10行読んで前提が見えなかったので、申し訳ないが「読んでね」という依頼は丁重にお断りします。ごめんなさい。
発言責任を明確にして恥ずかしくない文章ならば、ハナから実名で世間に公表してます。別に酒飲んでたから書いたわけではありません。一部の考えなしなフレーズはそうかもしれないが、別にコレを書いたのがリアルでの私であると特定されたとしても、私は胸を張って「そうです、書いたのは私です」と認めます。内容が内容だけに、バレたら恥ずかしくはあるが、無責任に基づいてなした記述ではありません。
自分の見た世界が社会の全てだと思い込んでいるのではないかというような反応もあるけれど、そんな思い上がりはしていないつもりだ。「出発点」とか「能無し」とか、そんな概念は取っ払う工夫をしたほうがいい。現時点まででどうかは関係ない。どれだけ経営が苦しい企業でもどんな変わった共同体でも、そこが何かしらの価値をもつ集団である限り、集団に対して「貢献しよう」と「頭を振り絞って考えながら」「思いついた」「行動」を「逐一」「実践しようという姿勢」を「見せている」人間を排除したりはしない。頑張っているのに排除されたとしたら、それはおそらく、あなたの価値観が根本的に社会に不適合であるか、その集団がそもそも存在価値が無いかのどちらかだと考えればいいだろう。
どちらにしろ、その時点からの自分がとる行動によって、その時点以後の人生は変わる。そこに気づけるか気づけないかが分かれ目だ、とかじゃない。そんな考え方の人間がいるということを「いま、あなたは目の当たりにしている」のだから、いまこの瞬間のアンタにとって妥当な行動は、「ほんとにそうかな?」と公平な視線で考慮してみることだろう。その上で「こいつが書いてることは宗教的で洗脳行為のようなものだ、絶対に自分は認めない、自分は自分の考えに基づいて生きる」と思うのなら、そうすればいい、そうしてくれれば私は嬉しい。それこそが私の本望だからだ。
[手間を割いてくれた方へ返信]
俺が高校生だった頃のこと。
俺が通っていた高校は小高い丘の上にあって、通学路から行って丘をさらに越えたところに養護学校が建っており、朝方など場合によっては普通高校生と養護学校生が同時に通学することもあるという特殊な立地にある学校だった(地元の人にはどこのことだかピンと来るかもしれない)。俺は3年間、付近の自宅からその高校に通っていた。
その高校は田舎にあったので学力のレベルなんかはたいしたこと無かったのだが、近所ではそこそこの「進学校」として認識されていて、入学してくる連中も(俺含め)さしたる実力も無い割りにプライドだけは一丁前の田舎スノッブが多かった。そんな生徒達はもちろん養護学校に通う知的障害者など馬鹿にしており、普段はほとんど話題に出すことも無かった(通学途中ですれ違うことがあっても、あたかも存在自体が不可視のような扱いをされていた。女子などは近寄りもしなかった)。
俺はというとそんな学校の中にあって先生の話を真面目に聞いていないような劣等生だったので、授業中にふと窓の外を見渡しては、養護学校の生徒達が先生に連れ立って校外学習をしているのを「観察」するのが日課のようになっていた。中でも特に気に入っていたのがやや背の低い中学生ぐらいの男の子で、歩くときに前方を注意する習慣がないのか、よく前のめりになって転んでいるのが見かけられた。それを他の生徒が一生懸命抱き起こすのがおもしろくて、先生の話などそっちのけで熱中していたことが何度かある。
学校の高い校舎の上から道路に這い蹲る養護学校生を見下ろす、その行為そのものが、今思えば差別主義的なものだったと思う。
前述したとおり、学校のクラスメート達はそんな養護学校生たちのことは内心見下すか不可視のものとして扱っていたので、めったに彼らのことが直接話題に上ることはなかったが、ある昼下がりの休み時間のとき、口下手なクラスメートの一人に向かって、あるクラスメートがこんなことを言ったことがある。
こう書くとやや芝居がかった台詞だが、俺の創作ではない。
ひどいのは、これはいじめられっ子に対していじめっ子が吐いた侮辱の言葉ではなく(その口下手なクラスメートは確かにクラス内ではややからかわれがちなポジションにあったが、上の台詞を吐いた奴とは普段から仲良しでよくつるんでいた)、友達同士で交わされたちょっとした「ジョーク」の言葉だったということだ。実際、内向的なオタクだった当時の俺も(今でもだが)一度違うクラスメートから似たようなからかいの言葉を受けたことがある。上の台詞を言われた口下手なクラスメートは「くすっ」と笑って、その場では何事も無かったかのように談笑が続けられた。
俺は3年間、付近の自宅からその高校に通っていた。しかし、その間、養護学校の生徒達がいた場所、社会とは、ほぼ一度も直接的な交わりを持つことが無かった。普通高校の生徒達と養護学校の生徒達は、お互いがお互いを無視し合い別世界の住人として生きていた。そこに人間同士あり得べきコミュニケーションの姿は無かった。
俺は今でも、上の台詞を言ったクラスメートの顔と名前をはっきり思い出せる。しかし、よく前のめりになって転んでいたあの愛らしい男の子の顔は思い出せない。名前も知らない。
参考
読みたいものを読み、見せたいものだけを見せ、したいことだけをする。読む気にならないというだけの理由であれもそれも読まず、見られたくなければすなわち隠し、したくなければ絶対しない。
俺はあいつの文章を読みたいと思い、あいつはあいつのエロ絵で勃起し、あいつはあいつと仲良くしたい。無限に連鎖する接続と膨大に発生するミスマッチのるつぼに俺は小さな点としてここに存在する。どっかの誰かが俺が見せたくて見せている何かを求めてやってくる。俺はどっかの誰かがしたくてやっていることを本当にありがたく思う。
げに素晴らしきはインターネット。俺は神だがあいつも神だ。八百万のウェブサイトを擁する絶対不落の電子要塞。テレッホーの忌まわしい呪縛はすでに解かれ、たちまちのうちに高速通信がやってきた。もはやインターネットに死角などない。ここが天界でなくてなんであろうか。
ITmedia アンカーデスク:バイラルマーケティングには可視化とリスペクトが必要だ(上) (1/2)
そこへやってきた広告野郎。あの手この手であいつやあいつを籠絡し、あいつやあいつを腐らせて、俺に何かを要求するのだ。オーケー、お前はお前のやりたいようにするといい。相手に何かを求めても、それがかなうのは見たことない。自分勝手に過ごせないやつほどなぜか真っ先に脱落するんだ。他人すら満足させられない自己満足ほど見るに堪えないものはない。世界はそれを愛と呼ぶんだぜ。