はてなキーワード: 中国語とは
逆に言えば、海外のブログは知的レベルの高い人間しか書いていない=一般層には普及していないということだと思うんだけど、どうかな?
・インターネットで公開されている国内のブログは08年1月末現在で約1690万あり、
国内のネット利用者(約8811万人)の約2割が利用し、記事総数は約13億5000万本と、
単行本約2700万冊の情報量に匹敵することが2日、総務省情報通信政策研究所の
調査報告書でわかった。04年以降に急増したブログの本格的な実態調査は国内初めて。
報告書は、同時に米国の会社による調査結果(削除済み分を含む)を紹介。ブログは
世界に約7000万あり、使用言語別では日本語が約37%と、2位の英語約36%、
3位の中国語約8%を抑えてトップとなり、日本人のブログ好きが浮かび上がった。
調査は今年2月、ネット上の情報を自動収集するシステムと、全国の15歳以上のブログ
開設経験者に対するアンケートなどを用いて行った。ブログ開設の動機は、日々の
出来事を日記風に書くことでストレス解消に役立てる「自己表現型」が全体の30.9%で
最も多く、開設者は10??20歳代の割合が約4割と高い。自分の関心のあるテーマで
知り合いを求める「コミュニティー形成型」が25.7%、自分の趣味について情報を整理・
公開する「アーカイブ型」が25.0%と続き、若者だけでなく、30??40歳代を含む幅広い
年齢層に利用されている。
国内のブログのうち、1カ月以内に1回以上、記事を更新するブログは全体の2割弱の
約300万。新たに開設されるブログは毎月40万??50万程度あり、ブログの閲覧者が
意見や感想を書き込むコメントは1記事当たり1.5本前後あるなど、活発な情報交換が
行われていることもわかった。
また、約300万のうち約12%が「スパム(迷惑)ブログ」に該当。内訳は、販売誘導が
38.3%で最も多く、広告収入目的が17.1%、アダルト・出会い系サイトへの誘導が
7.0%と続いた。
ブログは主要なブログサイトが登場した04年ごろから世界で普及した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080702-00000056-mai-soci
ブックマークとトラックバック、一通り読ませていただきました。あまりの反響の多さに驚いています。好意的な反応も悪態も含めて、ひとまずはどうもありがとうございました。
しかしそこで敢えて憎まれ口を聞くと、結局は半分ぐらいの方にしか理解して頂けなかったのだなあ、と思います。あの話を、東京やら関西やらが好きか嫌いか、とか、そういう話だと思ってしまった方がかなり多かったのは相当がっかりしました。そういう風に誤解されないように気をつけて書いたつもりなのに。
個別に返事をすると量が爆発するので、まとめてお返事することにします。ただし、論拠を示さず「関西弁は下品」だの「大阪は民度が実際に低い」だのと繰り返すだけの発言にはコメントしませんのでご理解ください。
まず、親関西(東京)の人にも反関西(東京)の人にもこれはあらかじめご理解頂きたいのですが、私が元記事を書いた前提には、
「東京であれ、関西であれ、その他の地域であれ、文化や言語に優劣などありはしないのだ」
という認識があります。元記事の趣旨はもっぱら、「東京こそが中心である」という思いこみへの批判でしたが、当然「関西は東京より優越している」という命題も全く同様の理屈で論破できることがおわかりでしょう。すなわち、「東京(関東)のローカル文化を特別視して押しつけるな」と言うからには当然、「私も関西の文化を押し売りする気はない」ということも表明しているつもりです。
そういうわけで、私に対して好意的な反応の中には「関西弁で書けばよかったのに」という意見もありましたが、これは私の立場に反するということをご理解いただきたいと思います。元記事でも述べているとおり、私が「じゃん」や「じゃね?」が嫌いなのと同様、関西弁を嫌う人もいることは想像に難くない訳で、それを押し売りするのでは全く筋が通らないでしょう。だから私はここでは共通語(元記事では「標準語」と書いたけれど、「共通語」が適切でしたね)で書いた。それが、日本語文化圏で公共の場でものを言うときの作法だと思うからです。同様に、私は自然科学の論文なら英語で書くでしょうし、無理に日本語で書こうとは思いません。そういう世の現状に対して言いたいことは山ほどあるけれども、です。ルールが気にくわないからと言ってルールを無視するという態度は私は取りません。
同様のことは、関西以外の一切の地域について言えます。私が「東京に対抗意識を燃やしている関西人」だと思った方がいらっしゃるようですが、そう思われるのは私としては不思議であり、不本意でもあります。関西弁が関東弁に劣るものでないのと同様、東北弁に優越するわけでもない。関西文化が九州文化に劣るわけでもないし、琉球文化に優越するものでもない。それはあまりにも当たり前のことです。
誰しも、自分の言語や文化を卑下する必要はありません。標準語との距離がどれほど離れていようと、それは僻地の方言などではありません。同様に、郊外の文化は大都市の文化に従属するものではありません。
こうしたことがよく理解されていないとしたら、その責任は別に東京だけにはありません。早い話、関西人にも傲慢な輩はいるでしょう。しかし私はそれにとどまらず、地方人の屈折した態度全体に問題があると言いたい。
たとえば今回の私の元記事に「関西人はよその土地でも平気で関西弁をしゃべる」という文句を言われた方がいますが、では、外国人があなたの地元で外国語をしゃべっていたら腹が立ちますか?それに腹が立たないとすれば、関西人があなたの地元で関西弁をしゃべろうとも、あなたが世界のどこの土地であなたの地元言葉でしゃべろうとも、誰も文句を言われるいわれはありません。それだけのことです。
こういうと「方言と外国語は違う」と言われそうですが、それは事実に反しています、とだけ述べておきましょう。詳しくは、たとえばロシア語とウクライナ語の関係、ドイツ語とオランダ語の関係などを調べてみられればそのあたりの事情がおわかり頂けるかと思います。
そういうわけで、皆さん、変な奴隷根性や、その裏返しの傲慢さはやめませんか。あなたの言語の価値は、「標準語」からの距離にあるわけではない。実用上は、日本語の共通語だとかあるいは英語その他の外国語だとか、そういった言語を話さざるを得ない状況ももちろん出てくるでしょう。しかし、それはあなたの言語が劣っているせいではないのです。
だから、お互いに意思疎通が負担なく可能な状況であれば、あなたがあなたの言語を話すことに何のはばかる必要もないはずです。逆に、東京で関西人同士が関西弁でしゃべっていようと、中国人同士が中国語同士でしゃべっていようと、それに文句を付けるのは、あなたが何者であれ、了見が狭いことではないでしょうか。
最後に、どうでもいいんですが、「関西人は傲慢だ」と言われる原因についてちょっと自覚があるので書いておきます。
これは大阪に限らないと思うのですが(私も大阪人ではありません)、関西では「負け惜しみ」を自虐ネタとして言うことがあります。一番わかりやすいのは、阪神の低迷期の阪神ファンの言動で、たまに巨人に勝とうものなら「勝った、勝った、また勝った、弱い巨人にまた勝った、勝たんでもええのにまた勝った!」とお祭り騒ぎをしていました。言うまでもなく、このセリフの真意は言葉の表面とは全く反対のところにあります。阪神ファンは「強い」巨人に勝ったから喜んでいたのであり、「勝たんでもええ」どころかどうしても勝ってほしかったから喜んでいたのです。つまり、このセリフは巨人を侮辱しているどころか、憎らしいほどの強敵として賞賛するための屈折したセリフなのです。その証拠に、阪神が強豪と呼ばれるにふさわしくなった昨今、このセリフは余りはやらなくなりました。
ただ、こういう言葉の表裏というのは案外通じにくいものらしいということは、私も最近実感しつつあります。ごく稀に、自虐ネタを言ったつもりが気まずい空気が流れてしまってとまどうことがあるのですが、「暗黙の突っ込み待ち」という文化が関西ローカルであるということを最近ようやく理解して、原因がわかってきたように思えます。私見ですが、関西で一番受けている部類の芸人が全国放送でまるではやらないという理由はこのあたりにあるのではないでしょうかね。
ともあれ、関西人(というか特に大阪人)が「東京なんて所詮あずまえびすじゃボケがぁ、わしらがほんまもんの西側先進国やぞ」とか言っていたとしたら、それは上記の通り、半分以上は負け惜しみの自虐ネタですので、あまり真に受けて怒らないでやっていただけると幸いです。
こんなことぐだぐだ書かずに「マイ・フェア・レディでも観たら?」とでも言えばよかったかな。標準語と首都方言の違いとか(もっともドイツ語なんかだとベルリン方言と標準語は全然違うんだが)、言語で優劣を付けることのばからしさとか、「民度」なんて概念のむなしさとか、あの映画を観れば一目瞭然なんだけれどね。
約一名、普段「リテラシー」が云々とかおっしゃってる方がこの記事にひどくお怒りのようで、言いたいことをちょっと書きかけたのですが、この人だけに反発するのも不公平な気がするのでやっぱりやめときます。元記事もこの記事も、真意は題名その他で強調している通りなので、それ以上に邪推をされる方と話をしても生産的とは思いにくいですし。
http://www.asaho.com/jpn/coverright.html
一般に、外国の賓客が来学し、講演を行うときは、事前に教職員に対して参加を募る案内が届く。限られた範囲の人々を集めるような講演会でも、関連科目の担当教員には招待状が来る。学生の参加を募ることもある。しかし、今回は、講演会があることすら伏せられ、前日になっても公式ホームページに情報提供は一切ない。少なくとも私の所属する法学部の中国語関係の教員に対して講演会への参加案内はなかった。法学部がそうなのだから、全学的に中国関係の教員・研究者に参加を呼びかけるということはなされなかったとみてよい。全学に中国語を履修する学生はたくさんいるが、そういう学生たちに講演会への参加がアナウンスされることもなかった。大隈講堂に入れる早大生は、1998年11月の江沢民主席来学時のような、一般公募の学生たち(その個人情報の扱いをめぐって訴訟にまで発展したところの)ではなく、40人前後の「身元の確かな」中国留学経験者だけである。彼らには、事前に「政治的な質問はしないように」という趣旨のことが伝えられたようである。
そして、明日、大隈講堂の一階前よりの座席を埋め尽くすのは、胡錦濤主席と一緒に来日した中国共産主義青年団の精鋭200人とみられている。昨日、軽井沢で静養した彼らは、元気いっぱいで「警護任務」につく。胡錦濤氏はこの青年団の出身で、1984年にその第一書記(最高指導者)に登りつめた人物である。中国共産党のエリート養成機関であり、まさに彼らは胡錦濤氏の「親衛隊」といってよいだろう。この親衛隊があたかも学生の聴衆のように拍手を送る。明日の夕方のニュース映像には、早大生が拍手しているように映るのだろうが、中国製の「サクラ」である。
うお!楽しみになってきた!
そうだね。よく考えると
そう言う意味ではイスラムは聖書は共有するけどローマ文化はあまり共有しないから
若干距離がある
特に法律語とか技術語の多くが日本から中国に輸入したものだから
ビジネス的にはとても取っつきやすい
文法は全然違うけど
どちらも文法があって無いような言語だしw
日常会話程度なら漢字を知らなくてもOKだし
英語でも綴りを覚えるのに一苦労するわけだし
そんな簡単な話じゃないとは思うな
知った風なことを言うなよ。
基礎語彙を身につけるまでの道のりが問題だ
君は英語を勉強するとき「英語は一神教文化圏だから」とか考えたか?たとえばbookだのpenだのtableだのという言葉を考えるときに「そもそも一神教とは云々」なんて考えるのかね?
むしろそういう君の英語の語彙の中で、どれだけ一神教文化に根ざした語があるのか聞いてみたいものだ。あ、ちなみに挨拶とかの定型文は除くぞ。そんなことをいえば日本語の「ありがとう」だってもろに仏教文化なんだからな。たぶん君は自覚してなかっただろうが。
誰から見た距離感?誰が学習するの?何のために?韓国やオーストラリアや中国では、外国語教育において日本語というのは非常によくある選択肢だぞ。日本で韓国語や中国語を学ぶ人間よりは量も質も多いはず。
横増田だが
でも日本にきてる外人さんはもちろんのこと、海外の人に日本語教えてくれっていわれてさ、
その教えることの困難なこと困難なこと。
片言というレベルでは発音や文法よりも
基礎語彙を身につけるまでの道のりが問題だ
中国語とも共通する基礎語彙は少ないしな
英語の場合は何国人でもある程度の基礎語彙は誰でも知っているだろうし
テーブル、ナイフ程度は
そう言う意味では中国人がアラビア語を勉強するとかは相当敷居が高いと思う
アステカ語でも良いけど
どちらにしろ、言語の問題よりも
それは言語としての特殊性じゃないよな。
経済的要因だろ。歴史的に東北アジアでは経済的にも政治的にも中国の存在が圧倒的で共通語は中国語だったし、現在は日本の近辺に経済的に均衡した国がない。つまり、日本語を積極的に学ぶ動機が少ないんだよ。これがドイツとフランスだったりすると、お互いの衛星放送なんかでお互いの言葉をちょっとずつ覚えてしまえば後々商売で役に立つことも多かったりするんだが。ま、今後の日中・日韓関係に期待するんだね。
たとえば他のいままで使った事のないような言語の国にいったとしても、
一週間ぐらいいればほんとうにちょっとした会話ぐらいはできるようになる。
でも日本にきてる外人さんはもちろんのこと、海外の人に日本語教えてくれっていわれてさ、
その教えることの困難なこと困難なこと。
おかしいと思わないか。君が相手の言語を学ぶのと、向こうが日本語を学ぶのとでそこまで致命的な落差があるわけないだろう。
要するにそれは学習意欲の問題じゃないのか。例えば君は「現地語で最低限の会話はできなきゃ恥ずかしい」と思っているが、大抵の人間はもっとずぼらで「いざとなりゃ英語で押し切ればいいだろ」と思っているとか。
それは全然そんなことないぞ。中国人からすれば日本語の方がだいぶ簡単だ。なにしろ語彙がかなり重なるんだからな。そして、アラビア語は印欧語とも日本語ともかけ離れた言葉だからどっちにしても難しい。
だから何が特殊なのさ。
http://anond.hatelabo.jp/20080505002903
なんか、しょんぼりしてきた。
もういいよ。特殊じゃなくて・・・
特殊というか独特だとおもったんよ。
日本語を第一言語として使うひとが1億3000万人もおるのに、
第二言語で日本語を少しでも解せる人の数がなんとすくないことか。
たとえば他のいままで使った事のないような言語の国にいったとしても、
一週間ぐらいいればほんとうにちょっとした会話ぐらいはできるようになる。
でも日本にきてる外人さんはもちろんのこと、海外の人に日本語教えてくれっていわれてさ、
その教えることの困難なこと困難なこと。
片言でも喋れるようになるまでかなり時間がかかる。
それだけ隔絶してるってことだとおもうんだけど、、、、
・・・。日本に魅力がないとばっさり切られたら寂しいのぉ。
なるほど。参考になるな。
>だから「日本語の弱点」って何よ。
ごめんよく考えずに書いてた。前述の「国語学概説」の話であって、元スレの弱点の話とは関係なかった。
その本では、膠着語と屈折語と孤立語の三つを考えて、膠着語が最も合理的であることは疑いようがないとしてる。
そして他の言語も膠着語になるのが合理的なんだけど、実際の変化を考察すると、
日本語(膠着語)が英語(屈折語)化し、英語(屈折語)が中国語(孤立語)に、中国語(孤立語)が日本語(膠着語)に変化しつつある。
こんな風に合理的に進化していかないところが面白いっていう話。
だからここでいう日本語の弱点は膠着語の弱点っていうことなんだけど、
膠着語は一番合理的って上で書いたから、その点から見る限りやっぱり弱点なかったわw
アラビア人もけっこうあちこちにいる人たちなので旅行会話ぐらいしたいなと入門書を手にとって読んでみたけど教えてくれるひとがいないと無理そうだ。
増田は誰かにおそわったのかい?
あと、教科書。
もう意味がわからない。
日本語が左から書いてあるのに途中から右から書いてある言葉がはいってくるんだぜ?
→つまり だとこういうこ←
読めないよ!
どこで区切れるんだかわからないし。草書しかない日本語みたいなもんだ。
中国語は音楽をやるつもりでなんとかやったがあれと同じことが大部分の日本人にはできないと思う。
比較的簡単な英語ですらこのザマなのに。。
英語みたいに文法が崩れていないし
母音が三つしかないし
発音は非常に楽
ただし、文を書くときに母音をかかないので
読めるようになるにはちょっと手間がかかる
中国語は発音さえ乗り切れればそれなりだけど
中国人の習性として非常に早口なのと
方言がきついので使うのがしんどい
個人的感想をいえばたぶん世界のひとが最もコミュニケーションをとるのに適した言語はスペイン語。
なによりこれが適切で非常によろしい。
日本語も話し言葉としては確かにかなり簡単につかえる言葉だけどいかんせん文法が特殊すぎる。
しかもアルファベット文化ではなく漢字文化なので学習コストがものすごくでかい。
文法的に違和感なくついてこれるのは韓国、モンゴルぐらいしかないし。
孤立しすぎだ日本語!
んなわけでみんなスペイン語しゃべろうぜ!
あと、ちょっとずれるけど中国語。
ありゃ無理だ。
発音ができん。ききとれん。
かなりごっつい言語だ。
だが、やつらは英語ができん。
しかたなしに北京語を勉強したことがあるがこりゃ日本人には発音できんわと思った。
声帯模写できる人じゃないとミリだ。
1.
>一文字当たりの情報量が多いだけとも言える。文字数が減ったからと言って情報を圧縮したとは言えないぞ。
なんで言えないの?
一文字あたりの情報量が増えても、膨大な漢字の体系からその一文字の意味を探し出して解析するのにつかう労力が多いから意味がないってことかな?
2.
ちなみに自分は、漢字の魅力は情報圧縮というより連続語(連結語)の作りやすさにあると思う。
二語や三語だけでなく、二語+二語+二語とかの連続語を使うと段々便利さがわかってくる。
たしかドイツ語とかでも連続語は作りやすいらしいけど、やっぱり連続させる語数が多くなるほど文字数の差が顕著になる。
その代わり「社会言語学」と「言語社会学」のように、語順を少し変えるだけで意味が変わってしまうから、
そのへん厳しくなってしまうのが難と言えば難。
3.
「日本語概説」(渡辺実著)という本に、構文についての一見解がある。
それによると、簡単に言って、日本語の英語化、英語の中国語化、中国語の日本語化がゆるやかに進行しているという。
幸い「日本語は論理的でない」というトンデモさんが出てこない(日本語が論理的でなかったら学術書の和訳ができるはずがないだろう)ので少し安心しているが、それでも「日本語は情緒的」だとか「日本語は曖昧」だとか「日本語は回りくどい」言ってる人が多いので溜息。
そういうこと言ってるお前ら、どれだけ日本語以外の言語知ってるのかと。
お前らが日本語の「欠点」が見えやすいのは、お前らが日本語をよく知っているからだけの話。実際は他言語でもそういう言い方はいくらでもある。
日本語以外の言語で情緒的だったり曖昧だったり回りくどかったりする表現が可能なことは、ラカンだのなんだのの訳のわからん衒学的なポモ文が、明晰と言われるフランス語発祥であることからもすぐにわかるはずだ。「ソーカル事件」でぐぐるといい。あれはフランス語や英語における、言語の曖昧さを駆使したハッタリの実体をよく暴露したものだと思うよ。
ついでにいうと、言語の機能の話をするとき、文法・記法と語彙の問題がゴッチャにされる傾向があるのはなんとかならんかね。プログラミング言語で言えば前者は構文や「機能」、後者はライブラリに相当するわけだが、大抵のプログラミング言語がチューリング完全であるというのと似たような意味で、日本語と他言語の能力は等価であると考えて差し支えないだろう。
ただし日本語の語彙体系は和語と漢語(和製漢語含む)と西洋系外来語がぐちゃぐちゃになってわかりづらいことは確かだ。文字体系も同様。このため、書き言葉において日本語は非常に学習が難しい言葉とされているのは確か。
とはいうものの、語彙体系の煩雑さは英語だってかなりひどい。ゲルマン系・ラテン系・ギリシャ系がぐちゃぐちゃ。しかも、selectionとelectionみたいに、もともと同じ言葉が生のラテン語とフランス訛りとで違う意味を持ったりする。また、書き言葉が難しいといっても中国語より簡単なのは明らかだし、日本語の書き言葉の学習は中国人から見れば困難ではないはず。そして日本語の発音体系は非常に単純かつ標準的なので、日本語は話し言葉として見ればかなり簡単。
そういう意味で日本語はごく当たり前の言語。今まで挙げた要素すべてで日本語より明らかに効率的な言語はたぶんイタリア語とスペイン語ぐらいじゃないか。
あと、「漢字は情報圧縮」と言っている人へ。漢字という文字が仮名文字やアルファベットよりはるかに複雑であることは一目瞭然であり、一文字当たりの情報量が多いだけとも言える。文字数が減ったからと言って情報を圧縮したとは言えないぞ。
それから、敬語は日本語独自のものではない。英語の敬語だって難しいぞ。謙譲語も尊敬語も丁寧語もある。ある程度「話法の助動詞を使う」という原則はあるが、細かい表現はいちいち覚えていくしかない。
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/news/1209051796/
【中国】AK47やレミントンを持った暴徒が繰り返しホテルを襲撃 香港資本家も撤退を決める
1 : Free Tibet!(しうまい) :2008/04/25(金) 00:43:16.26 ID:RecBNeOR0 ?BRZ(11600) 株主優待
汕尾市、暴徒が香港資本のホテルを銃撃 度重なるAK47を持っての包囲攻撃 香港商人も撤退を決める
広東省汕尾市の陸豊市甲子鎮では最近、暴徒らが公然と銃を片手にして
今週火曜日(22日)の早朝、香港商人の劉樹が投資している「甲子鎮金海大酒店」が、
発砲されたことにより営業ができなくなってしまった。
陸豊市に本籍を置く劉樹によると、今年1月のプレオープンの際にも、
数度にわたって武器を持った数百人の集団に包囲攻撃されたとのことで、
今ではもう資本の撤退を決めているという。
現地の治安状況は劣悪で、今年1月12日の白昼に発生した数百名による暴動では、
自動小銃AK47などの銃器、雷管、なた、三叉戟などの武器を手にして
政府の建物を襲撃したりする事件が発生している。
南方都市報によると、劉樹は05年に5,000万元を投資して金海大酒店を建設し、
今年1月3日にプレオープンしたが、数百名の暴徒に襲われて営業できなくなってしまったという。
それから3ヶ月あまりが経過し、「テロ事件」は再び発生した。
22日の午前3時半ころ、ヘルメットをかぶった2人の男がオートバイでホテルの玄関に乗りつけ、
レミントンを取り出してホテル外壁のガラスや柱に2発発砲し、停めてあった客の車にも発砲した。
この事件で負傷者はいなかったものの、ホテルは営業を停止せざるを得なくなってしまった。
現地の警察は2つの事件の後、捜査員を送り調査を行っているが、
劉樹は陸豊市の治安は悪いと語り、既に投資を引き上げることを決めようとしているという。
ホテルのスタッフも「あいつらはとても凶悪で残忍だ。なんでも出してきやがる」と話している。
http://www.mingpaonews.com/20080424/caa1.htm (中国語・繁体字)
★ 画像。
ttp://www.mingpaonews.com/20080424/_24CA001_.jpg (今年1月の暴動にて)
ttp://www.mingpaonews.com/20080424/_24CA007_.jpg (今年1月の暴動にて)
(出来ると考えているならば、かなりの楽天家か、自信家だと思いますが)
福沢翁がアジアの団結を断念した理由も分かる気がします。
ちょっと高尚すぎるな。
おれはもっと低レベルでいいとおもうぞ。
とりあえずあなた、頭の中のノイズが多すぎるしセグメントエラー起こしすぎ。
俺が「AについてはBだ。また別の話だがCについてはDだ」というと君は「AについてはDだと、ばかじゃねーの。そんなことを言ってるお前はEとかFなんだろ。Eなんて奴は馬鹿だしFに至っては最低だよお前は」とかそういう反応されてもまともに応答できないんだが。
とうとうAとかBとか言い出した。問いに対する直接な返答のない、君のプライドを取り繕うだけの形式議論には付き合いたくないんだけど。
もう、単に何とかの一つ覚えに根負けしただけであって
いや、相手が出した問いには答えようよ。クリティカルな問いを全部無視して、見た目新しい論点を次々展開し続ければそれで勝利ですか?
それ以上君は何を望んでるんだ?
簡単な話なんだけど。日本の古典が何か有用だというのなら、具体的にどう有用なのか示してみろ、と。で、その挙げた例が不適切だと思えば反論するし、それがただの一例で他にもあるんだというのなら他を挙げてみろというだけだ。
例えば、近代以前の知識人の書いたものを元々の形で読もうと思ったら古語の知識がいるだろう。その中には、例えば宗教的に価値のあるものもあるから、一般人レベルでも有用になることもあるだろう。そんな感じで攻めることは出来るんじゃない?
ラテン語とかエスペラントって知ってる?誰にとっても平等ってわけではないが、どう考えても英語より公平だよね?君にわかりやすい例で言うと、英語を強要ってのは全員にCOBOLを強要するようなもんだ。
別に何語でもいいけど、今はデファクトスタンダードで英語ってだけだろ? エスペラントにはエスペラントで批判があるわけだが、それはおいといて。
全プログラマが共通語としてCを話せれば便利だなと俺は思うよ。別に他の言語を使うなというわけじゃないし。あと、あちこちのプログラマがそれぞれの母語でしかドキュメントを書かなかったら結構困るよなあとか。
君こそ読んでない。「それに対して持ち出してきたのが、自分はドイツ語や中国語よりも英語の方が理解できるなんてチンプンカンプンな理屈だし。大英帝国やアメリカの経済支配がなければあんたは英語を教え込まれる機会もなかったということをもう少し想像した方がいい」。
いや、ちんぷんかんぷんなのはお前だって。そんな経緯なんぞ関係ないの。「ひとつの共通語があるということの価値」を俺は指摘してるんだから。
とうとう文体にケチ付け出した。投げやりな口調になってるのはお互い様だと思うがな。もちろん俺の意見だが?
植民地支配と侵略戦争をたかだか五十年でやめた日本人は、五百年続けてきた西欧人の十倍賢いのかね。それとも、西欧に学ぶためにあと四百五十年虐殺しろっていうのかね。
うひゃひゃ、バカだバカだ。ごめん、その方面は相手し切れんわw
俺の学歴なんか関係ない。単に、東大のレベルを君は理解してないといってるんだよ。知らないものをなんでそんなにエラそうに切り捨てられるのだ、と俺はさっきから聞いている。
俺の専門分野で、(ダメな)東大生に勝る仕事をしてるからなあ。優秀な東大生には負けるかもしれんが、優秀な高卒にも負けるからあんまり関係ないし。
これはひどいセグメントエラーですね。東大の話と古典の話をいつ俺が繋げたんだよ。あんたが、「東大をはじめ日本の大学でレベルの高い教育を行うのは金の無駄だからやめて欧米先進国様の本物のエリート(笑)大学に丸投げしろ」と言ったことについて俺は言っているのだ。
ぶれぶれなのはお前の頭だw自分がどれだけ分裂した論じ方をしてきたのか自覚してないのか。
あのさ、別になんの工夫もしなくても、日本に一杯ある大学のどこかは日本トップなんだよ? だから、東大レベルの教育ってのは、いつでも東大レベルなんだよ。
日本に世界最高峰の教育機関を作る必要はないといってるだけで、日本最高峰の大学があるのは別に構わないんじゃない?w
これも頭の中がひどすぎる混線ですね。どこをどう読めばそう読めるんだか。一番自然な解釈は、あなたはFortranを語ることこそが情報工学を語ることであると考えている、というものだがw
はあ。FORTRANを知らないっつーから、ちょっとくらいやっとけとアドバイスしてやっただけでなんで逆ギレしてんの。
で、どうあっても答えたくないんだろうけど、CとC++に具体的にどんだけのパフォーマンス差があると思ってんのお前? 都合の悪い質問を無視しすぎ。お前が最初に想定していた「低水準な処理も出来る数値計算に適した言語」って具体的になんなんだよ?
とりあえずあなた、頭の中のノイズが多すぎるしセグメントエラー起こしすぎ。
俺が「AについてはBだ。また別の話だがCについてはDだ」というと君は「AについてはDだと、ばかじゃねーの。そんなことを言ってるお前はEとかFなんだろ。Eなんて奴は馬鹿だしFに至っては最低だよお前は」とかそういう反応されてもまともに応答できないんだが。
そう思いたければどうぞご勝手に。もう、単に何とかの一つ覚えに根負けしただけであって、負けたわけではもないがね。経済効果の話をしたら君は道義性という全然関係ない反論をしてきたわけだし俺の意見は根拠なしに否定したわけだし。君は論拠があることとないことの区別がついてないみたいだからめんどくなってやめただけ。
まあ、議論は勝ち負けじゃないし、「文化の価値は経済的有用性でない」っていう命題(こっちの方がよっぽど主張するのが困難だと思うんだがね)を同意してくれるのなら、そっちの方がよっぽど俺の個人的信念に叶うのだからそれでいいよ、と何度も言ってるはずだが。おしまい。
それで、「文化の価値は経済的有用性でない」っていう、おそらく君が一番主張したい命題については俺は同意してるんだが、それ以上君は何を望んでるんだ?主張を通すことか?俺を馬鹿にすることなのか?
何語が共通語になろうがその理不尽はどこかで発生するだろ。
ラテン語とかエスペラントって知ってる?誰にとっても平等ってわけではないが、どう考えても英語より公平だよね?君にわかりやすい例で言うと、英語を強要ってのは全員にCOBOLを強要するようなもんだ。
お前が綺麗に読んでないフレーズをもっかい書くが、「たくさんあると大変だってのは、俺の英語習熟度とは関係ない議論だと思うがね」
君こそ読んでない。「それに対して持ち出してきたのが、自分はドイツ語や中国語よりも英語の方が理解できるなんてチンプンカンプンな理屈だし。大英帝国やアメリカの経済支配がなければあんたは英語を教え込まれる機会もなかったということをもう少し想像した方がいい」。
いや、ナマの問題に直面し試行錯誤して整えてきた軌跡が思想に結実してるということなんだろうが
「だろうが」って何だよ。君自身の考えじゃなかったのか。西洋思想が役に立つというのは。
あと、日本人も相当なことやってるわなあ。
植民地支配と侵略戦争をたかだか五十年でやめた日本人は、五百年続けてきた西欧人の十倍賢いのかね。それとも、西欧に学ぶためにあと四百五十年虐殺しろっていうのかね。
俺の学歴なんか関係ない。単に、東大のレベルを君は理解してないといってるんだよ。知らないものをなんでそんなにエラそうに切り捨てられるのだ、と俺はさっきから聞いている。
誰がやめろなんて話をしてるんだ? これ多分3回目くらいの指摘だけど。あと東大レベルの古典教育を一般化して語る意義がどこにあるのか。
これはひどいセグメントエラーですね。東大の話と古典の話をいつ俺が繋げたんだよ。あんたが、「東大をはじめ日本の大学でレベルの高い教育を行うのは金の無駄だからやめて欧米先進国様の本物のエリート(笑)大学に丸投げしろ」と言ったことについて俺は言っているのだ。
これも頭の中がひどすぎる混線ですね。どこをどう読めばそう読めるんだか。一番自然な解釈は、あなたはFortranを語ることこそが情報工学を語ることであると考えている、というものだがw