はてなキーワード: 一神教とは
確かに、合理的だしいいと思うけれど、ブックマークのタグに「ライフハック」とか付けてるやつは、とち狂ってんな。
GTDみたいに頭使いたくないんだったら、宗教(一神教)に入れよ。
「これは、私の試練」とか「神が裁いてくれるから、自分は何もしなくて良い」って、全て神のせいにして頭の中からっぽにできるよ?
便利ですよ便利。非常に便利。
今、きみたちはライフハック教に入信してるみたいだけど、それに加えて、唯一神を信仰すれば完璧だぞ。(Rubyを開発した「まつもとゆきひろ」もモルモン教だしな!)
これを読んで、「さすがに宗教は無いだろ」って思ったやつは頭冷やして今すぐタグを元に戻せ。今、君たちは外から見て非常に痛いから。
こんばんは、列島深層ダイヴ深夜便のお時間です。これからの15分、いつものようにグイグイと深層に迫ってまいりましょう。
本日のゲストは宗教や伝統儀式にもお詳しいクリエイターの籠目さんです。
「どうも、ディビット籠目です。よろしくお願いします」
よろしくお願いします。
まず、もうイヴも終わりましてクリスマスに突入したわけですが、日本のクリスマスのあり方について籠目さんはどう思われますか。
「たいへんおそろしいですね。ただならぬ束縛と閉塞感を感じます」
おそろしい、ですか?なげかわしいとか情けないといった定番の苦言ではなくて?
「ええ、おそろしいです」
それは今年特に顕著な、何か変化があったということでしょうか。
「いえ、特に恐ろしいことになってきたのはここ30年から40年くらいのことですね」
日本が戦後豊かになってきたあたりでしょうか。クリスマスの商業化などと関係ございますでしょうか?
「深い関係があります。商業化されたクリスマスにのることで、日本国民はそれと知らずに極めて稀有で大規模なことを団結して実践しており、それによって困ったことがおこっているのです」
困ったこと、とはなんでしょうか。
「その前にこの映像をご覧下さい」
クリスマスー粉砕ー!
清らかな夜を淫らな夜に置き換えているカップル共に鉄槌をー!
これはなんでしょうか。
「24日の正午に秋葉原で行われたクリスマス粉砕デモの映像です。本人たちは冗談で行っているつもりなのですが、じつはこれは非常にポイントを突いた主張になっているのです」
笑い混じりでしたし、そんなに真面目なものでもなさそうですが。
「いえ、この主張が訴えている2つのポイントは非常に重要なんです。古来、呪術儀式において性というものは重要な構成要素として扱われてきました」
まあたしかに、有名なところでインドや中国にもそのような思想はありますね。日本の新興宗教でもしばしば儀式に取り入れられて現代的な価値観との衝突を起こしています。
「また、クリスマスは商業化され金や性と切り離せないものになりつつも、キリスト教由来であるという認識はどの日本人の中にも存在しています。この認知は重要なのです」
クリスマスは実は聖書に由来していなくて、太陽神信仰が源流だという話もありますが、ほとんどの日本人は本来はキリスト教のものだと考えているのは確かですね。
「つぎに、この映像を見てください」
なんだか黒い中に光の点がたくさんありますが、これは星空…でしょうか?
「いえ、今現在のアジアを日本を中心に撮影した衛星画像です。ここが東京でここが大阪ですね。」
宇宙から見たクリスマスイルミネーションといったところでしょうか。
「確かに穏当に表現するならそうでしょう。しかし、先月の同じような時間帯との写真と比較してみてください」
これは…現在の方の写真には洋上にかなりの点が増えていて線のようになっているところが違っていますね。
「これ、漁船、海上保安庁の船、海上自衛隊の船からなる光点なんです。ちょっとフリップの上で線を引かせてもらいますね」
幾何学模様の中にくねくねした輪郭が連続していますね。昔の漢字、象形文字のようなものでしょうか。
「これは文字そのものです。陣の中に文字を書き、その陣の要所で大規模な性的儀式を行わせることで実践される、これは世界最大規模の呪術なのです!」
じゅ、呪術?
「クリスマスを『恋愛の要素』として積極的な商業化を行い、しかもキリスト教という観念とリンクさせたまま行うことで、ごく自然に性を取り入れた大規模呪術儀式をとりおこなわせる。これが日本のクリスマスの恐るべき真実なのですっ!」
そ、その呪術とやらが本当だとして、目的はなんですか?最初におっしゃっていた「困ったこと」とは結局なんですか?
「目的は一神教の神格の多神教への繰り込みです。毎年のこの儀式によって世界の唯一の神であるはずの『父』が多神教のうちの1柱に取り込まれてしまい、他の神々という概念の消滅への最終進歩が年々逆行の一途をたどってしまっているのです。『父』による単独の支配、神の国がこのままでは訪れない!なんということだ!」
うわ?照明が消えましたね?
「文部科学省陰陽課だ!今すぐその放送を停止しろ!」「馬鹿!名乗ってどうすんだ!あとで始末書もんだぞお前!」
誰ですかあなた方?警察?
「禁ッ」「籠目!今度こそ捕まえたぞ!」「うわははは今日はここまでのようだな陰陽寮の諸君!」
皆さんご覧になりましたか、籠目さんが今、まばゆく光って消滅しました!
「ずらかるぞ安部!」「名前を言うな馬鹿!」
あ、国家権力の皆さんもいなくなりました。すみません照明つきますか?あ、はい、ありがとうございます。
視聴者の皆様申し訳ございません、毎度のことながら今日もゲストが暴走してしまいました。しかも逃走されるわ国家権力らしき方々が踏み込んでくるわでお見苦しいところをお見せいたしましたこと、お詫び申し上げます。
さて、来週も列島深層ダイヴ深夜便は深く深く、真偽を問わず面白いことが起こりそうなところへ潜ってまいりたいとおもいます。それではみなさん、ごきげんよう。
http://d.hatena.ne.jp/noraneko/20071012/p1
これは、「来るべきものが来たな」という感じですね。
流れとしては、むしろ必然的なのかな、と。
http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20071012/uf
雇用だけでなく経済や産業構造だって流動的な時代だから、上の世代と同じように技術に習熟すれば同じような人生が待っている訳ではない。生産拠点ごと海外移転するかも知れないし、技術革新によって熟練した技術がコモディティ化してしまうこともある。
オイルショック以来、成熟時代へ向けて価値観を転換することの必要性は幾度となく語られてきたにも関わらず一時的な好況の度に議論は振り出しに戻ってきたのだ。企業の新卒志向、学生の大企業志向も同様。もはや持続しないことが明らかなスキームなのに、逃げ切りかかった大人たちと、あまり深く考えない若者たちの共犯関係の中で共同幻想が温存される。
http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20071008/bug
だから日本政治が迷走から脱却するには、恐らく理屈抜きに共有できる目標をつくるのが手っ取り早い。結局のところ戦後民主主義も戦前の価値観も同じように、目的合理的な価値体系に過ぎない以上、目的が異なる現代から参照しようとしても、国民にとっての普遍的価値観とはならない。
明治政府が一神教を前提とする近代国家に強引にキャッチアップし、戦後政府がラジカルな民主主義を建前として受け入れたように、これからキャッチアップすべき価値観を受け入れようという姿勢の中で、日本的な執拗低音によって、外部の価値観を換骨奪胎していくプロセスが必要なのだろう。日本で何かプリンシプルを打ち立てようと足掻いたり、過去の日本にプリンシプルたり得るものを探すことは難しいのではないか。
「神」って言葉で表してるものが様々だから、一概にはいえないんじゃないかな。
とりあえず一神教的な意味合いだけに限定してみても、かなりたくさん……。
「神=法則」って意味での神とか、法則を作っただけでその後は介入しない(介入の必要がないくらい完璧な法則を作った)神とか、常に世界を動かしてる神とか、「神=世界そのもの」とか「世界=神の一部」とか。
神の全能性を考えるときも、「どんな不条理でも実現出来る」っていうような考え方もあれば、「不条理それ自体が不完全であるが故に全能性に属さない」って考え方とか、「神は不条理を実現出来るが全能故にそれを行わない」って考え方とか。
ってのと信仰は違うと思うよ。ギリシャ神話とかローマ神話はお伽話とかファンタジーであって信仰の対象じゃないでしょ?
それに、一神教だからといって異教の神を認めないわけじゃなくて、キリスト教徒とイスラム教徒は、それぞれの神の存在とかは認めていても、信仰の対象じゃないというか、「複数の神を信仰する」って感覚が分らないんだと思う。
でも、たぶんそれは「多神教」という言葉にとらわれているだけだと思うけど。イエス・キリスト像、聖母マリア像、どちらにも祈るように、教義に複数の神がいて、複数の神に祈ってるだけだと思うけど。
http://anond.hatelabo.jp/20070514225158
「欧米人は一神教のキリスト教徒が多いから、多神教の概念は理解しにくい」とはよく言われる事だけど、
実際にはギリシャ神話の神々も広く愛されているように思うのは私だけ?
たとえば、月ロケットに、事もあろうに異教徒の神の名前「アポロ」を付けたのは、キリスト教国家のはずのあのアメリカ合衆国。
ナイキだって、勝利の女神のニケに由来するし、スターバックスのロゴは人魚のセイレーン。
ローズ・オニールの描いた「キューピー」も、愛の神「キューピッド」が元ネタ。エルメス(ヘルメス)も有名な神様。
他にも、星座の名前とか心理学用語とか商品名とか、とにかくいろんなところでギリシャ神話が欧米社会で活躍している。
本当は欧米人の大半も隠れ多神教信奉者なのだと私は思う。だけど、他の神様に嫉妬深い一神教のキリスト教の神様を信奉している建前上、
それは言わないお約束になっているのだろう、きっと。
http://anond.hatelabo.jp/20070315211335
http://anond.hatelabo.jp/20070317102842
ソ連中国とか国家神道の大日本帝国とかヒンズー教のインドとか。
にもかかわらず、一神教のせいで戦争になるかのように言うのは偏見。
そうやってあなたみたいに宗教を攻撃したがる人がいるから争いが起こるんでは?
宗教法人なんてみとめなくても、精神の自由さえみとめておけば十分。心の中でそれを信じていればいい。洗脳で集団をつくる行為を、法的に保護する必要は無い。
信教の自由だけでなく、結社の自由だって憲法で認められてる。
税金の優遇は宗教法人が安いというより営利企業から高くとりすぎなんだよ。法人税なんか廃止したほうがいい。
皆が常識的に理解している程度の科学とは折り合いをつけろ。いつまでも古い考えをひきずって、何を頓珍漢な寝言を言うか。予言とかバカじゃねーの。
そもそも常識なんて多数派の思い込みにすぎないだろ。それと折り合いをつけるべきということなら、世界では一神教が多数派なんだから、あなたこそ一神教と折り合いをつけるべきなんじゃないの?
それに古い=頓珍漢というのも単純化しすぎ。科学理論だってながい年月検証を耐え抜いてきたものほど頑健でしょ。文化だって長い間続いてるのには何らかのメリットがあるからこそ。
夜の闇を恐れたり、自然災害のメカニズムがまったくわからなかった時代なら、それらに対する不安を解消するために、とにかく作り話で回答を作るのもわかるが、先人たちが積み上げてきた科学知識がある現代において、神の怒りが云々などというのは科学に対して失礼千万だ。
だからといって科学が万能だとは科学者ですら思ってないでしょ。科学知識を理解できる人ばかりでもないし。それなら作り話で不安解消できるならそれでいいだろ。
何をあがめようが個人の自由だろ。鰯の頭でもスプーン曲げでもすごいと思うなら素直に感動すればよろしい。
神はいない。それだけのことです。心の中で何かを信じるのは自由です。でも、団体に所属したり、集団で儀式を行ったりするのはやめましょう。宗教を問わず一般化したような行事はいいけど、特定宗教に限定した儀式はやめましょう。他宗教を排他した行為はすべて辞めましょう。教会施設には他宗教の神も祭って誰もが出入り自由にしましょう。
集会結社の自由ぐらい認めろよ。企業だって政党だって学校だって団体作ったり儀式したりするだろ。特定政党だけ特定企業だけで儀式をしたら駄目なら党大会も入社式も卒業式もできないだろ。それに宗教施設に限らず部外者立入禁止なのはよくある事。犯罪の被害にあったら君が責任取れるの?
「神は存在する」ことは証明を越えた信仰の領域に属する。ならば「神がいない」こともまた証明を越えているというべきだ。いないことが証明できるなら、「いるかいないか」は証明の領域に属することになるわけだから。
つまり「無神論者」もまた信仰の輩であり、【宗教的人間】たることを免れなどしない、というのが一般的に考えた場合の論理的帰結。
さて、それを踏まえれば
結果を見れば明らかなのに、いまだに一神教を信じる人は、戦争に加担してるも同義だとおもう。正義の為に信仰を捨てるべきだと思う。どうか信仰を捨ててください。あなた方の宗教が争いを生んで迷惑なんです。
それは立派に宗教的主張であり、争いの元になります。
つまりこの人の立場は「有神論的宗教無用論信者 無教会派」ということですね。
自分が一方的な信仰で、全ての宗教者に喧嘩を売りまくっておいて「私は宗教を否定する。その根拠は、それが争いの元になるからだ」とのたまうとは、なかなか飛び抜けた思考の持ち主ですが、少なくともその立場を論理的とか科学的とか主張しないで頂けると幸いです。もしご自分を論理的だとか科学的だと主張なさるなら、自分の主張の矛盾に真っ先に気付いて下さい。
http://anond.hatelabo.jp/20070315211335
ちなみに私は、「有神論的宗教非標榜主義 教会寛容派」です。論理や科学以外の世界、つまり他人の信仰の世界に口だしするのは不幸の元だと思ってます。その意味で、確かに『不寛容な宗教などこの世になければいいのになあ』とは思ってますが、それを口に出した瞬間、それはブーメランになると心がけるべきだと思っております。
ゴメン、それどっちも俺が書いたんだ……。というのは言ってもしようがないか。
まず、「強さ」だけれど、これはクリリンがヤムチャより強いという意味での強さじゃない。だから鍵括弧つきの「強さ」なのねん。ここでいう強さとは、ミームとしてどれだけの生存域を確保できるかという話。つまりどれだけ強く人の心を惹きつけるかという意味での強弱と捉えていただければ。
次に、布教のための寛容さを「必要悪」と書いているけれど、最初の文章でも、その後の文章でも価値判断をしていない。どういう戦略をとるかというのは良い悪いの問題ではない。他者に対する寛容さとはつまり、自分自身の変容をどれだけ許容できるかという問題で、ミームの拡散に於いて、変異することは避けられないんだけど、あまりに他者に寛容すぎると、その形があやふやになってしまい、自己を認識しにくくなってしまうし、あまりに非寛容だと、そもそも拡散することが難しくなる。キリスト教はそのバランスが絶妙だったんだろうなという話。
以下、盛り込めなかった話(←貧乏性)
資料に当たらずに適当に書いてみる。つっこみあったらよろしく。
キリスト教は世界で最多数の信者を獲得しており、いちばん「強い」宗教である。なぜ強いのかというのを考えるに、一つに食に関するタブーがほぼないというものがあると思う。イスラム教では豚を食べてはいけないし、ヒンズー教では牛を食べてはいけない。仏教では本来、四足の動物を食べてはいけないことになっている。食の禁忌の理由付けはさまざまで、中には成立時には合理的であったであろうものもあるのだけれど、成立後、非合理になったにもかかわらず禁忌として残ると、それだけコストが高くなる(蛋白質の供給源の確保というのは重要かつ深刻な問題であった)。
次に他宗教に対して、適度に非寛容であるというのがある。一神教はそれ自体が他に対して非寛容であるということの表れではあるが、クリスマスに代表されるように異教からの取り込みに対しては比較的寛容である。