はてなキーワード: 一神教とは
anond:20090209153228 以下の一連のエントリを読んで。
一神教の世界観と多神教の世界観は互いに相容れないものだという指摘は確かで、さらにお互いの信じる神が違うからという理由で戦争が起こったりする。
今の日本みたいに、無神論者達の国というのは世界的にみても非常に珍しいだろう。元増田が言う様な不安も分からなくもない。
けれども、神は結局人間が使うために作り出したシステムだ、という考えも出来る。
なにかとてつもない不幸に陥ったときに最後にすがるためのシステム。戦争をしたいがための理由付けをするシステム。そんなものなら、捨て去ってしまった方が、神を殺した方が良いのかもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20090120003918
モトマスダの科学をする人というのはいい着眼点。ブクマコメントの技術と科学の区分けが云々は、自分を特権化しすぎ。この議論のミソは、人は科学と技術を分けて話をしているのだろうかなので。
じゃあモトマスダをどう議論したら、説得力を持つのかということ。これはもう徹底的にコミュニケーションや行為に着目しちゃえばいい。
まず宗教って何?ていうのを観念的な一神教or多神教or云々みたいな話じゃなくて、デュルケム的に宗教とは事柄を聖/邪で区別し、聖堂に集まることみたいな、形に置き換えてしまうべき。現実には教会や寺にいかない人が増えてるとかあるけど。
じゃあ科学って何よ、といえば反証可能性やらパラダイムやらを持ち出さなくても、因果関係のもっともな説明をつくりだしていく過程で実は十分。傾向としてはよりシンプルな説明原理が好まれてるけどね。
そこで宗教を契機にしたコミュニケーションはいったいどういうものなのか。科学を契機にしたコミュニケーションはどういうものなのか。比較してみたらいい。
科学人類学とか科学についての社会学とかはそう言う分野。まぁ科学業界が宗教団体ぽいと示したら、他の組織と比較することが求められるんだけどねぇ。
ゲーム理論で「しっぺ返し戦略が最適」とされるのは、同じ相手と永久に付き合う場合であり
一回きりの付き合いであれば、攻撃が最適となる。
有限回の付き合いであれば、最終の対応は攻撃がベストとなる。
最期に攻撃されるのであれば、先手を打たなければならない。
他者は全て潜在的な敵となり、社会は崩壊してしまう。
という合理主義の行き着く結末を回避し、社会を維持してきたものが宗教である。
「死んだ後も魂はまだまだ続くよ!」と皆で信じることによって、
ライフゲームの「最後の手」を出させないようにするキリスト教やヒンズー教。
現世の人間関係の絶対性を徹底的に脳に刻ませる儒教、日本教、共産主義。
一神教vs多神教という差よりも、未来主義か現世主義かという差のほうが大きい。
そして危険性/安全性という観点や、タブーの多さという観点においては
どちらが優れているとも言えない。
一神教の根源的な問題とは一体なんなのだろうか。
どうあがいても、悪が「対生成」されてしまうことではないのだろうか。
自分たち = we を「善」とすると、自動的にあいつら = they が「悪」となってしまうのである。
(「人類最大の敵」 - 書評 - 人類は「宗教」に勝てるか http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51160646.html)
そう問いかけるid:dankogaiご自身は一神教なのか多神教なのか。当然多神教(あるいは限りなく無宗教)なのであろう。
んで彼は多神教を『we』と見なしてるのか『they』と見なしてるのか。
「一神教は悪の手先だ!世界を敵と味方に分ける危険な考え方だ!すなわち人類の敵だぁ!」
…ってこと? なんだ?そのブーメラン。
馬鹿じゃね?
気づかずにやってるとすれば馬鹿だけど、気づいてやってるとしたら悪質だ。
できればただの馬鹿髭だと思いたい。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080602k0000m040041000c.html
キリストが天寿を全うした地という説がある青森県新郷村で1日、恒例の「第45回キリスト祭」が開かれた。
キリストの遺言などが書かれているとされる文書が昭和初期に見つかり、十字架にかけられたのは弟の「イスキリ」で、キリストは日本へ渡り、村で106歳の人生を終えたという。村にはキリストとイスキリの墓もある。
祭りでは、神主が墓前でキリストを慰霊し、村民が南部地方伝統の盆踊り「ナニャドヤラ」を奉納。神事を取り仕切った細川潤八郎神主は「八百万(やおよろず)の神の1人がキリストさんでもいいでしょう。教義的には問題はない」。【喜浦遊】
「あれ、戸来村じゃないの」って所もあるんだけど(合併しやがって新郷村になったらしい。由緒ある地名なくすなよクソ合併!)、
「八百万の神の一人がキリスト」ってどんだけ一神教にケンカ売ってんだよってのもあるんだけど、
45回も行われてることに吹いたw
一年に一回だろ?45年!?www
合併後もやってるのはマジ偉い。
あー、俺の主張は、簡単だよw
元の横増田が言っていた、一神教文化圏という言葉は、キリスト教文化圏のことじゃないの? っていうこと。
たぶん、俺と彼が別人であることに気づいていないのが最大の誤解なんだと思うね。
と、いうわけで、
は、前の増田に準じて使っているのだよ。
俺の考えだけで言えば、キリスト教という概念も一神教という概念も必要ない。単に覇権国家の言語文化が周りに伝播するよということだけあればいいんだ。
なんで英語文化圏と限定しなかったかといえば、一神教文化圏を英語文化圏と翻訳するのは強引かなと思ったのと同時に、あなたも指摘しているように、スペイン語やポルトガル語を考慮に入れていたからだよ。
ブラジルのポルトガル語と本国(?)ポルトガルのポルトガル語はだいぶ違うと思うけど、ってかリオのポルトガル語とサンパウロのポルトガル語すら違うわけだけど、まぁ学習容易性は相当高いよね。学習するまでもないぐらいに。
今回は元から引きついで、話者の母国語と類似していれば学習容易性は高まるという一点のみの主張で通しているよ。これは同意してもらえると思う。
「キリスト教文化」というから宗教関連と誤解されやすいのでは?
キリスト教といってもギリシャ正教やコプトが広まったわけじゃないし、
実際に英語を普及しやすくしたのは植民地つくりまくったイギリスの文化でしょ。
そうだね。よく考えると
そう言う意味ではイスラムは聖書は共有するけどローマ文化はあまり共有しないから
若干距離がある
特に法律語とか技術語の多くが日本から中国に輸入したものだから
ビジネス的にはとても取っつきやすい
文法は全然違うけど
どちらも文法があって無いような言語だしw
日常会話程度なら漢字を知らなくてもOKだし
英語でも綴りを覚えるのに一苦労するわけだし
そんな簡単な話じゃないとは思うな
また知ったかでわけのわからんことを。
おそらくだけれども、一神教文化圏=キリスト教文化圏という解釈をすると分かりやすいと思うんだ。
そして、ここ何百年かの間、世界の覇権を持っていた国がキリスト教文化圏であるということが、キリスト教文化圏の言葉の基礎語彙を世界の人々が知っている理由なのだよ。
えーと、あなたスペイン語とポルトガル語の何を知ってる?「タバコ」と「カステラ」と「タンゴ」と、そういった類の言葉しか知らないんじゃないの?なんでもかんでもキリスト教に結びつけて思考停止するのやめやめい。
もっと言うと、古代ローマが覇権を握ったから、アルファベットが全ヨーロッパで通じるようになったというわけ。
そして、神道文化圏の言葉=日本語が特殊である、他国の人の学習が難しいというのは、日本が世界の覇権を握れなかった、アジアでも維持し続けられなかったというのが原因なのだよ。
またわけのわからんことを。たかだか52文字(大文字・小文字は字形が違うから別に数えた)を覚えるのなんてたいして時間かからんだろう。表音文字ってのは覚えるのは簡単なんだよ。ためしにあなたハングル覚えようとしてみな。棒読みでいいなら、本気でやれば三日でできるよ。
それに、ベトナム語とかインドネシア語とかトルコ語とかハンガリー語とかフィンランド語みたいに、印欧語圏でなくてもローマ字採用している言語は沢山あるわけだが、それも学習が容易になるってのかい?たぶん韓国語の方が絶対簡単だと思うよ。あなたが日本語ネイティブだとすれば。
それに、逆に日本や中国が世界を征服してたら、世界中どこでも漢字を読めるってのかい?そういうことはないだろ。何千文字もある文字を覚えるのは「カステラ」とか「タバコ」なんて言葉を覚えるのと同じようにはいかんだろうにさ。
さらなる横増田だけど、ここで言う一神教文化の一般性というのは、別に宗教性が言語構造に及ぼす影響から学習が容易になるということを言っているのではないのだと思うのだよ。
つまり「一神教文化に根ざした語」とか、そういうこととは関係ない。
なんてことが書いてあるわけで、一神教という宗教構造が万民に分かりやすい言語構造を産むという話では全くないのだ。もしそうであれば、アラビア語の学習効率は高くなくてはならないからね。
では、どういうことなのか?
おそらくだけれども、一神教文化圏=キリスト教文化圏という解釈をすると分かりやすいと思うんだ。
そして、ここ何百年かの間、世界の覇権を持っていた国がキリスト教文化圏であるということが、キリスト教文化圏の言葉の基礎語彙を世界の人々が知っている理由なのだよ。
ここんとこね。
つまり、ここ何百年かイギリス→アメリカが世界の覇権を持っていて、その言葉が世界中に膾炙し影響を与えているということだ。
もっと言うと、古代ローマが覇権を握ったから、アルファベットが全ヨーロッパで通じるようになったというわけ。
そして、神道文化圏の言葉=日本語が特殊である、他国の人の学習が難しいというのは、日本が世界の覇権を握れなかった、アジアでも維持し続けられなかったというのが原因なのだよ。
知った風なことを言うなよ。
基礎語彙を身につけるまでの道のりが問題だ
君は英語を勉強するとき「英語は一神教文化圏だから」とか考えたか?たとえばbookだのpenだのtableだのという言葉を考えるときに「そもそも一神教とは云々」なんて考えるのかね?
むしろそういう君の英語の語彙の中で、どれだけ一神教文化に根ざした語があるのか聞いてみたいものだ。あ、ちなみに挨拶とかの定型文は除くぞ。そんなことをいえば日本語の「ありがとう」だってもろに仏教文化なんだからな。たぶん君は自覚してなかっただろうが。
誰から見た距離感?誰が学習するの?何のために?韓国やオーストラリアや中国では、外国語教育において日本語というのは非常によくある選択肢だぞ。日本で韓国語や中国語を学ぶ人間よりは量も質も多いはず。
未熟なハンターは迷惑なだけじゃなくて危険なんだよな。人を間違って撃つおそれがあるから。
ネット見てると疑似科学叩きとか歴史修正主義叩きとかやってる人がいるけど、後者はともかく前者についてはそういう意味で俺はかなり苦々しい思いがあるんだよね。なぜなら、疑似科学ハンターやってる人間自身が科学的思考法をろくすっぽ理解してなかったりして、これもまた科学哲学をろくに理解してない「科学主義者叩き」の温床になってたりする。で、そういう奴らが科学であろうと歴史学であろうとあるいは科学哲学であろうとそういう分野への偏見を増殖してるんだから、専門家にとっては迷惑この上ない話だよ。
それで、君は何が目的なのかな?ウヨあぶり出しとか言ってたけど、わかっててわからんふりをしてるのか、本当にわかってないのかどちらなのか。
俺が言っているのはあくまで「君の意見には反論がいくつも考えられて、たとえば例1、例2、例3・・・」という話だ。君はその中で、俺が「例1」まで言ったところでそこに延々と噛み付いて、それを元に反動主義者だとかウヨ認定だとかしてくれてるわけだよね、俺に。正直、確かに「例1」は粗雑な議論なんだが、自己啓発厨やネトウヨみたいな反知性主義者なら一番簡単に料理できる論法なんだよ。ところが君は反知性主義者じゃなくて素朴近代主義者だったわけで、その意味ではかえって逆効果だったかもしれん。ただそこを見誤ったというのはディベートの戦術としての問題ではあっても、勝ち負けで議論しているわけではない俺としては別になにも痛くないわけだ。
これがわからんのだったら、正直本気で頭が悪いと思うぞ。君はswitch文で最初のcaseに引っかからなかったらswitch文を抜けると思ってるのかね?
で、いつまで撤回した仮定を引きずるわけ?w
つまり、君が絡まなくなるまでだ。
別にITに限ったことではない。だが、英語である必然性はないと言っているんだ。むしろ、近代科学の初期の頃にラテン語が用いられたことに比べてこの点では退歩している。英語という言語は公平ではないし、習得が容易なわけでもないんだから。
ナショナリズムの浸透によって各国で自国語が用いられるようになり、第二次大戦の時にヨーロッパの有力な科学者がこぞってアメリカに亡命したことが結果的に英語一極支配を作ったというだけのことだ。つまり、英語支配というのはアメリカのナショナリズムの勝利ということなのだ。
で、それを「韓信の股くぐり」で受けいれるというのなら俺は反対しない。しかし、文化資本(英語も文化資本あるいはそれと類似の構造の産物だぞ?)による階層格差を否定する君が、「英語帝国主義で構わん」というのだから、これは明らかなダブスタだろう。それを俺はおかしいと言っているんだ。
底上げをすることと、古典をやめるなどして内容を減らすことは全然関係がないだろう。それからもう一つ、俺は「普通の東大生数百人のレベルをギリギリにチューンする」なんて話は一度もしていない。
それは、特にアセンブラが必要でもないケースでか? ちょっと勘弁して欲しいなw まあ仕事としてうまくやれてるならそれでもいいけどさ、特殊ケースだろ?
特殊ケースじゃない。大多数の人にとって計算機やプログラミング言語というのは単なる道具だからだ。字を書いてる人間はいくらでもいるが、みんなが書道を習っているわけではないというのと同じこと。計算機自体が目的ではないのだから、不便を感じなければ勉強しない、他にすることはいくらでもあるという人は多い。だから、それ以上の領域は趣味と考えるべき。その意味で、明らかに筋の悪い無駄なコードを書かないようにするための感覚だけが身に付いていればそれでよしと考えるのは割と普通のこと。
以下は枝葉末節。
具体的に挙げてくれる? 君の議論の最大の弱点って多分具体性がないことだから。
いや、君の「役に立つ」の基準がわからんと、また筋違いな方向から噛み付かれるだろうからうんざりしてるんだよ。君は何をもって「役に立つ」としているのか、それを挙げてみてくれ。率直に言えば、普遍的な観点から「役に立つ」なんて断言できるものはほとんどないと思うが(洋の東西を問わず)、絞ってくれれば答えもできよう。
そりゃ「影響」はしてるだろうがな。別にキリスト教の神である必然性などない。/いや、親鸞の書いたものは当然古語で書かれてるでしょ?
一神教文化圏で「神」といえば論理的に当然限定されるわけだが。まして、冠詞がある欧米語では"the God"のようにそのことは明示される。で、日本の古典というのは君にとって親鸞以外読む価値がないのか?ちなみに親鸞というのはむしろ江戸時代以前の過小評価の反動で明治以降に過大評価されているんだが。正確に言うと過大評価というより、君のような近代主義者が、日本にプロテスタンティズムの代替物を無理に求めた結果親鸞を再発見したということだ。
いや君がニュートンを引き合いに出したんでしょうに。民主主義に関してはギリシャにまで遡って意義深い書籍を見つけることは出来るだろうなあ。
さすがにニュートンより古いものを引用する奴はいないからなあ(ガリレイとかならあるかも)。あと、ギリシャの民主主義については明確に誤解。ギリシャに伝統を引いてくるのは反王権主義者が持ち出した大義名分的なものであって、明治維新で倒幕派が天皇を担ぎ出したのと同じこと。ギリシャの民主政というのは市民階級(貴族階級と言おうか)だけのものであって、そんなことを言えば日本の惣とか寄合の方がよほど民主的かもしれない。
まず、戦争の原因すべてが一神教の信仰だとは言ってないよ。一神教同士だと信仰のために、他の一神教の集団と殺しあうケースがあって(一神教を信じる集団が、一神教であるがために異教徒と争ったという話は、「宗教戦争」でググればごまんと出てくる)、ならば一神教を信じれば救われる(救われるの意味は、元記事参照のこと)とは言えないといったかな。
でも、これは飛躍しすぎた意見だった。撤回するよ。一神教を固持しすぎて、殺し合いに発展するような過激な信仰は良くないというべきだった。他宗教との共存を認めるような宗教なら一神教もオッケーだと思う。
それから、多神教の地域で起こる戦争は、多神教が原因じゃないんじゃないの?多神教を支持する集団が、多神教であるがために異教徒と争ったという例をおれは知らない。あるかもしれないけど、どうなの、その辺。
価値観の対立も利害の対立も意味は同じだとおもう。これは同意反復では?
この意見には、うまく反論できてるか分からないけど…他宗教の集団を殺したりするような種類の一神教(イスラム過激派みたいなやつね)を押し付けあうなら、そういう一神教はイクナイ。単なる「押し付け」じゃなくて、今言ったような条件がついた「押し付け」がイクナイ。これなら「意見の押し付け」をしても、論理的に破綻はしてないんじゃないか?(念のために言うと、おれは意見を一方的に押し付けないよ。議論する。自分が最初に出した意見が間違っていれば変えるし、相手の感情を害した場合は謝る。)