はてなキーワード: ブロガーとは
はてなブックマークの被リンク数を指標にすることが正しいのかはわからんが、人気エントリー常連のブロガーと、はてなブックマークすらされないような記事を匿名ダイアリーに書く連中と、「アタマノヨサ」の違いは実存していやしないか。
「アタマノヨサ」とはこのばあい、便宜的に、「目的を達成できる能力」だと過程した。記事の作成者は一般的に注目されることを目的としているのだと想像するが、もしかしたら誰にも気にされない記事を作成することに喜びを感じたり、コメント欄に書く感覚でトラックバックしている ※ ような人間も居るかもしらんし、一応ことわっておいた。
低学歴 ※※ は「アタマガワルイ」のか否か、が問題だな。
勢いだけで生硬な、到底面白いとは思えないネタ文章が100も200もブクマを稼ぐ。それに引き替え練りに練った自分の文章は誰にも見向きもされず野晒しになったまま数ヶ月、やがて自己憐憫から書くのに二週間も費やしたそれを消去した。ローカルからもすべて。ためらいはなかった。わかっているよ。自分に創作能力がないなんてことは。
とくに興味深いところのない有名ブロガーが思いつきのようなフレーズを適当に呟いて40も50もブクマを稼ぐ。皆が何をありがたがっているのか自分には少しも理解できなかったが、自分もそれを真似て呟いてみた。毎日欠かさず呟いていた。しかし反応はなかった。わかっているよ。自分には適性がなかった。読み返してみたらまるで狂人の呻き声みたいではないか。そこには面白がることが困難なほど真に迫った、真性の異常者が確かにいた。
ブログをはじめてから二年ほど経つ。訪問客は検索エンジンに騙されて連れてこられるようなやつらばかりで、ブクマされることもなければコメントもつかなかった。ブログ上には独り相撲の痕跡だけが地層のように淡淡と積み重なって、むなしさばかりが募るのだ。わかっているよ。自分のハンドルネームに時間をかけて人格を宿したところで誰も自分に興味を持たないのだから無意味だということは。ブログを投げ出して遺跡になっても誰ひとりとして掘りかえしてくれないだろうことも。
藁にも縋る思いでブックマークを使い始めた。他人の嗜好が理解できれば自分を認識させることができるに違いないなどと白白しい夢を見たのだった。これまで他人の書いたものにはまったく注意も敬意も払ってこなかったが、このときばかりはひたすら読んだ。意味を解体し、舐めるように読んだ。千や二千ではきかないくらい、とにかく読んだ。しかし、自分のブックマークページに誰かの文章が陳列されることはなかった。きっと自分は、素直に他人の意見を受け入れられない、自分にしか愛情を注ぐことができない人格破綻者なのだと自己分析してからセルフブックマークに挑戦してみたが、それでもページは白いままだった。わかっているよ。他人を認めることができない質で、そんな自分が好きになれないということは。
何の因果か増田に流れつき、ここで駄文を書きはじめた。様様なことを書いた。長大で退屈なネタ文章。同情を誘おうとするみっともない、頭の悪い文章。意味ありげなほのめかし、呟き。それらすべてにもやはり反応はなく、つまらないと嘲弄されることすらなかった。一方でブックマーカーを揶揄する本当に意味のない、つまらない文章には続続と反応があるのだった。一度だけ魔が差して、それを模倣したことがあったが、それさえも放置されてしまうという非情な現実。
わかっている。わかっている。わかっている。わかっている。わかっている。
自分は世間の隙間にある誤差みたいな人間だ。そんなの今更だ。わかっている。ネット上だけのことじゃない。慣れたものだ。でも。でも、ショックだった。だから、しばらく増田からも離れていた。
そして今日、久しぶりに増田にログインして自己記事一覧を確かめてみたら直近の文章の末尾に1userとあの赤字があって言葉もなく凍りついてしまった。辛うじて動くひとさし指でマウスホイールをおそるおそる撫でてみると、
1user
1user
1user……
今までに書いたすべての文章にそれぞれひとつだけブクマがついていた。呆気にとられながら赤字をクリックしていく。次々と。たちまちタブが増殖して、壊れ物を扱うようにそれをクリックしては読んでいった。最初は緊張していたが、それもすぐに消えた。そこにあったのは他愛もない可愛らしい感想か、あるいはやさしいタグだった。ほっとした。しかしひとつだけ意外なことがあった。自分の文章をブクマしていたのはすべて同一人物だったのだ。まるで狙い打ちしたかのようにことごとくブクマしている。
呼吸が止まった。鼻の奥がツンとする。世界が輝いてみえた。どうしてこんなことになったのだろう。あのidがまぶたの裏に残ったまま消えてくれない。誰かの名前を憶えたのは、気にかけたのは、これがはじめてだった。
恋をした。
おそらく言語学の専門外の人が「日本語の乱れがどうこう」の部分を抜き出すと見抜いてたということでは?言語学は「正しい日本語」について研究してるものだと思い込む素人の人は多いらしいよ。だからわざと素人が思い込んでる言語学のイメージで釣ってみたってことでは?
元エントリで触れられてるアロハブロガーというのは某経済学者(?)ノブヲのことで生成文法について信用できないこと書いてると言いたいんだろうな。
文学部出身で、今は普通に就職して働いている。文学部の常ながら、今の仕事に、大学時代に学んだことは全く役に立っていない。しかし、最近、大学時代の知識の「生かしどころ」が分かってきた。
ブロガーの選別に使うのだ。
ブロガー、特にアルファブロガーのエントリは、一見、示唆に富んでいて含蓄溢れるように見える物ばかりだ。これらがホンモノなのか、ニセモノなのかを判断しようと言うときは、私の学んだ分野のエントリを見ればいいのだ。人気のあるブロガーで更新頻度の高い人々は、次第とあらゆる話題に手を出すようになる。その時に、私の学んだ分野というのは非常に手を出しやすいところにあるのだ。
手を出しやすいところにあるので、本もいろいろ出ていて、トンデモに近い物が氾濫している。メディアに露出する有名な学者も多いが、中には「?」な人もいる。また、ここ十何年かで大きく進展があって、ちょっと昔の話を聞きかじっていたりすると、今では全く通用しない。
アルファブロガーたちがこの分野に触れたときに、誰の説・誰の本を取り上げて議論するか。それを見ていれば、その人の「専門外の話題の信頼性」が分かる。大抵のブロガーは専門分野があって、専門分野はたいがい信用できるだろうけど、この人が専門外の話題に手を出したとき、本気にしていいものか、話半分に聞き流していいものかを、私の専門分野の話題が出たときに判定している。かなり信頼できる指標だと、自分では思っている。
ここまで聞くと、その専門分野はなんなのか気になった人もいるかもしれない。なんのことはない。言語学です。
http://www.youtube.com/watch?v=Rv3vHPz8s0w
ジョージ・クリントンみたいな悪くてエロくて偉そうな変態爺がブログ界にいないもんかね。
俺より上の世代のブロガーは全員雑魚ってことか?
例えば火曜でも水曜でもいいのだけど、有名人が亡くなったとする。
そうするとあるアルファブログでは「●●さん、死去」というエントリが流れる。
それ自体は有意義なニュースだし普段ニュースを見ない人には有益だろう。
だがそこに生前その方が遺した本や映画のアフィリエイト・リンクが貼ってあった場合、複雑な気持ちになる。
それって商売じゃないかなと。
当日や翌日はなかなか検索エンジンに掲載されなくても、土曜や日曜に「今週こんなことがありました」的なニュース番組でその人死去のニュースが再度流れたら、ニュースを見ていた人はそこでその方の名前で検索するだろう。そして何百人何千人もの人がそのエントリを見る。エントリ中や末尾で紹介されている Amazon の商品により、生前その方が出演していた映画や、出版した本を見る。そこでの Amazon 商品のクリック率はまぁそこそこあるのだろう。
批判ではないのだけれど、「●●さん死去」系エントリにおけるアフィリエイトにどうしても違和感を覚えてしまうのだけれど皆さんはいかがだろうか。
もちろん、生前のご活躍の証や功績を検索エンジン経由の人たちに知らせるというのはそれはそれでとても有意義だし、生前何らかの影響を受けたことを吐露するのはとても参考になる。
だけど、Amazon の商品リンクに XXX-22 があった瞬間に違和感を感じる。
こんなことはコアな人がチェックしてるだけだし、自分は求めすぎなのかもしれない。
kanoseのひとのエントリ@ハテナ系なんて、内容がタイトルだけだったりする。それでも十分なんだ。
はてなブックマークは100字制限だけど、これって単発のアイデアを語るには十分な量だ。いや、ハイレベルな文章力や要約力があることが前提条件になってしまうのは残念なことだけど。
ひとつのアイデアを書き付けるという点で、一部ユーザのはてなブックマークコメントと、大抵のblogエントリーは、同程度の内容量だ。違いは冗長さ;言い換えると読み手が理解するに要する読み取り能力の違い、くらいのもの。
出版される本になると、さすがに違ってくる。複数のアイデアや引用された意見などが有機的に結びついている。一部の優秀なブロガーが腰を据えて書いたエントリもこれに近い。
ただ、パンピークラスの人間が書くエントリ(それこそ、この匿名ダイアリーに象徴されるかもしれない)は、2ちゃんねるのひとつのレスと同程度の価値しかなかったりする。
俺ははてなブックマークのお気に入りを読むのが好きなのは、情報の密度が高いからだ。単純に引用してるだけだったり、一言の感想を書き付けているだけのコメントは、当然ながらエンターテインメント性を持たないし、面白みはない。blogのエントリーにして長々書いてしまえるようなネタを惜しげもなく盛り込んでいたり、冗長な文章のエッセンスを100文字でおおよそ要約しきってしまっているようなはてブコメントを、毎日何十も発信していっている人たち。こういう人に俺もなりたいと思う。俺はあんまりメジャーじゃない人たちをお気に入ってしまってるからあんまり具体名を挙げられないが(ググったら俺が誰だかバレてしまう)、あえて挙げるとすれば、やっぱりlsty氏のコメントは小粒でピリリと辛い。
現役ブックマーカー(兼増田住人)の私が書いている分、あまり説得力がないエントリになってしまうことをご了承願いたい。
fromdusktildawn氏が、『アルファブロガーたちの地位争いが優良コンテンツを量産する』という記事の中でこう述べている。
また、ブックマーカーは、経済学の知識のある人の記事をブックマークすることで、「自分は経済学的に正しい記事をきちんと見抜くことの出来る人間なのだよ。」ということを、周囲に示すことができます。もちろん実際には、「単に経済学的に正しいだけで、議論的に見てピントのずれた記事」に肯定的なコメントを残すと、わかっている人たちからは「ああ、そういう人なんだな」と思われちゃいますけど。
同様の理由で、氏の『「誰かがやらなくてはならない生産性の低い仕事」はどこまで本当か?』というエントリに群がったブックマーカーが批判されている。albinoalbinism氏の『見渡せば、はてブはバカばかり』というエントリである。
このような糞下らない記事を得意げに書ける神経が理解できないし、また、現時点におけるはてブの数はまだ78だが、またもや「この記事は納得! カイゼン、カイゼンっと」だの「上手にまとまってる、すごい!」だの言ってるバカが発生していることからすると、今後更にその数は増えて行くのかもしれない。
これらをまとめると
ということになる。そして、「バカでインテリぶりたい」ブックマーカーをいかにひきつけるかがアルファブロガーに求められているのだろう。再び『アルファブロガーたちの地位争いが優良コンテンツを量産する』という記事から引用する。
アルファブロガーたちの行動原理も、これです。池田氏は、山形氏や弾小飼氏がたくさんのブックマークをもらうのを見て、あまりの嫉妬で居ても立ってもいられなくなったのです。
「バカとハサミは使いよう」ならぬ、「ブックマーカーとニュースサイトは使いよう」と言いたいかのような話である。ブックマーカーは自分の欲求に忠実なバカで、それをアルファブロガーは上手く生かしてトップへと上り詰めていく、と言うことだろうか?
ブックマーカーが己の欲求に忠実なことは事実だろう。欲求に逆らって生きている人間など、世の中にはほとんどいない。
しかし、「ブックマーカーはインテリぶりたいからアルファブロガーの記事をブクマする」、と言う話は正直疑問である。なぜなら、それが真実だと仮定すれば『ブログにつまらないことを書かないために知っておくとよい10の心得(前編)』などという駄エントリはなはだしいものをブクマしたりはしないはずだ。この記事をブクマした人は、記事に書かれている内容が役に立つと思ったか、記事の内容に疑問を持ったかのどちらかだろう。見ず知らずの人間が書いた記事に、インテリジェンスなどという概念を感じるわけがない。
また、「理解できているかどうかはどうでもよい」、「ブックマーカーは、題名にすぐ釣られる」、というのは実のところ、普通の人間にとっては必然だろう。100%の理解はありえない。また、考え方は何通りもある。そして、記事を読むかどうか判断する際に、タイトル以上に重要なものはない。
それでも「ブックマーカーはバカだ」と主張する人がいるかもしれない。そうなれば、ブックマーカー、もとい「普通の人間」はバカでクレクレ厨なのだと割り切るしかないだろう。もっとも、大多数の人間をそうやって突き放している人間のほうがよっぽどバカであるようにしか思えないのだが……。
前々から「はてブ衆愚論」などという話が横行していたようだが、何のことはない。至極当然、なるべきしてなった話である。それを嘆く理想主義者がいるとしても、現実は彼らに味方しないだろう。
結果論、ブックマーカーはバカじゃない。もっと誇りを持ってブックマークしていけばいい。そうやってたくさんの記事が紹介されることで、議論は活性化されるのである。ブロガーたちは「ブックマーカーはバカばっかりで相手にできない」とか、「ブックマーカーとニュースサイトは使いよう」とか思う前に、まず自分を支えてくれているブックマーカーたちに感謝すべきだろう。私はそう思う。
やあ増田,僕の古い友達
君とまた話をしに来たんだ.
なぜなら幻想が静かに忍び寄ってきて
僕が寝ている間に種をまいて行ったから.
僕の頭に植え付けられた幻想は,
今もってなお,404のURLに留まっている.
裸灯の下で僕が見たのは,
1万人もしくはそれ以上のブロガーたち
人々は考えもせずにコメントし,
記事も読まずにブクマし,
404のURLを妨げようともしない.
衆愚が! 僕は言った.君たちは知らないのだ.
404が癌のように広がるということを.
僕の教える言葉を聴くんだ.
僕の伸ばした手を掴むんだ.
だけども僕の言葉は404の雨粒のように零れ落ち,
404の壁の中にこだました.
そして人々はお辞儀して祈った,
彼らが作ったアルファブロガーという神に.
その光は文字を織り成していた.
サインは語っていた,
youtubeの投稿に書かれている」と.
それは404のURLの中で囁いていた.
このエントリを作成している途中で「”です・ます”調で書くか”である”調で書くか?」という非常に良質な記事を見つけた。私のエントリは、その記事と比べれば全然文章について的を射ていない。そのことについてご了承願いたい。
高校の教科書に載っていたことなのだが、日本語で一般に「著者」と訳されている「auther」という英単語は、「権威」と訳される「authority」の派生語であるらしい。つまり、権威を持っていなければ書き手にはなりえず、同時に書き手は権威ある存在とみなされるのである。
こういう認識は、戦後の経済発展、さらにはブログや掲示板の普及を経た現代においては疑問に思う人も多いかもしれない。しかし、印刷技術が未発達だった時代においては一冊の本が非常に貴重な存在であっただけに、こういう認識が人々の中に少なからず存在していたのだろう。
そして現代でも、主にマスコミ関係者や評論家を中心に「authorityを持つものとしてのauther」という認識がいまだに存在するのかもしれない。まあ、考えてみれば文章を書いて人に見せるという時点で、読者に何か与えているわけなのだから、わざわざ丁寧語である必要性がないのではないか、とも思えないことはないのだが。
少なくともネット上においては、普段から「糞」とか「ワロス」とか連呼している人が他人を誹謗中傷したところであまり強い力は持ち得ないだろう。しかし、普段です・ます調で穏やかに言葉を紡いでいる人が、急に「これはひどいですね」とか、「あなたは最悪です」とか言ったら、急にその人が冷たい人に見えてしまうのではないだろうか?要するに、です・ます調では言葉のひとつひとつに気を配らないと、読み手が引いてしまう可能性があるのだ。
このように文章ひとつ書くのにいろいろな労力を費やすぐらいなら、です・ます調で書かなければいいじゃないか。そしてです・ます調の文章はなくなっていく。考えすぎか?
ネット上でです・ます調の文章を見かけにくい最大の理由はこれじゃないだろうか?例えば、
というふたつの文があったとしたら、どちらのほうがエロさが伝わってくるだろうか?また、
というふたつの文があったら、どちらのほうがひどいように聞こえるだろうか?
基本的に、敬語には尊敬や謙譲といった、目上の者への敬意以外の感情がそもそも要請されていない。だから、感情を相手に伝える際には、非常に不便なのである。
もちろん、です・ます調で優れたエントリを書けるブロガーの方々もたくさんいる。しかし、そういう方々はフォローや解説が上手い場合が多い(そうじゃないと、かえって冷たい人に見られてしまうことは上述の通りである)。そもそも文章が上手くないと、です・ます調で表現し続けるのは難しいだろう。
以上、「です・ます調の文章が少ない理由」を3つ述べてみた。しかし、です・ます調が文章からなくなることはないだろうし、使っている人は皆それぞれです・ます調を使う理由があるから使い続けているのだろう。第一、私も増田の外ではです・ます調である。最後に、です・ます調のよさについて検討して終わりにする。
まず、やはりだ・である調よりも穏やかな印象を与える。解説や紹介なんかは、です・ます調のほうが読者にとって入り込みやすいだろう。
また、コメントを通じてのコミュニケーションをとりやすいというのもひとつの利点かもしれない。基本、ブログの更新はです・ます調オンリーでも、だ・である調オンリーでもできる。しかし後者の場合、コメント返信や読者へのお願い、尊敬する人物について述べる際などにもだ・である調を通すと、偉そうな人に思われる危険性がある。かといって、だ・である調とです・ます調を使い分けると、一貫性がないと思われるかもしれない。その点、です・ます調ならそういう問題が少なくて済む。もっとも、「書くエントリが制限されがちになる」という最大の問題点は解決されないが、です・ます調で通す人は、そう偉そうなことや誹謗中傷を行ったりしないのだろう。だからです・ます調で文章を書き続けられるのだと思う(ただし、私は結構です・ます調で誹謗中傷を行っていたりする。増田では150users超えをしたことがあるのに、ブログのアクセス数がさっぱりなのはそのせいか?)。
みなさんの体は何で出来ているでしょうか。
はい、お肉で出来ていますね。
本来、お肉以外のものを摂取する必要はないんです。
どんな人間も肉と骨と皮で出来ているでしょう?
肉と骨と皮さえ摂取すれば、それ以外には何もいらないんですよ。
みなさん、それをわかってないんですよね。
やれ身体に悪いだの、大豆のほうが美味しいだの…。
ちょっと考えればわかることじゃないですか。
大豆ばっかり食べているとモヤシになってしまいますよ。
分裂勘違い君劇場 - 分裂勘違い君劇場は、データねつ造疑惑発覚により閉館になりました。長い間ありがとうございました。
大豆農家の提灯ブロガーとして活動していた分裂勘違い君劇場もついに閉鎖しました。
しかし、彼が食肉業界に与えた損害を考えると、「閉鎖します」の一言で済ませられるものではありません。
これまで間違った言説を広めてきた責任を本当に取りたいのなら、
一刻も早くブログを再開して、今度は肉食の素晴らしさを訴えてほしいものですね。
ブクマがたくさん付くような記事が書けたなら、そこからデビューするのはどうか。
⇒世界のはて - 「増田で大量ブクマを集めて味を占める→ブロガーデビュー」というパターンの人を、今年は多く見れそうな予感
オルテガ(DQ3のひとじゃないよ)いわく、大衆的なものを嫌悪する大衆が存在するようになると「大衆社会化ここに極まれり」ってな具合らしいですが、はてな村を見学して回るとつくづくそう思いますね。自称「リベラル」も自称「保守」も、そろいもそろって「オイラちゃん(アタシちゃん)は愚昧なる大衆ちゃんとは違うでゴンス」と吠えている割に、なんかの拍子に漏れる本音がびっくりするくらい下衆で「どうみても大衆です本当にありがとうございました」みたいな具合だったりしちゃったりなんかしちゃったりなんかして。げひひ。
で。
そういう「大衆批判するやつこそ大衆的だ」みたいな思考を学習して中二病(大衆批判)から高二病(大衆批判する大衆を批判)に移行したやつもはてなーにはたくさんいるんだけどさ、それもまた痛いというか、高二病のやつは「大衆批判する大衆を批判」して「批判など思いつきもしない大衆」を持ち上げるんだけど(cf.吉本"だいたいでいいじゃない"隆明「大衆の原像」)、でもそうやって「大衆」を対象化している時点で高二病さんも「大衆」ではなく、ただ「大衆批判する大衆」の間のパワーゲームに「大衆」という概念を使っているだけなわけで、本当に「大衆批判する大衆」の存在が害悪だとかなんだとか思うんならまず自分が積極的に沈黙しろや!!カチコミいれんどワレ!!
で。で。
この文章は「中途半端に前衛気取りのブロガーどもめ、お前らいますぐ回線切って首吊れ!」とか主張しようっていうもんじゃねーんですぉ。戦後民主主義体制の中進行した消費社会化の完成に加えて、インターネッツの発展(モチオ!)によってますます中途半端に「知」にアクセスしやすくなったこの日本において、本来ならば目覚めてもどうしようもないような社会的な地位に置かれているにもかかわらず、内面だけはいっちょまえに貴族や知識人のようになってしまった悲劇的な存在は、この同一の社会階層内での流動性は極めて高く、階層間の上下移動の流動性は極めて低い社会でどうやって生きていけばいいんでしょうか、とかなんとか相談がしたいんですにょ。「NPOにでも入れ」とか「恋でもしろ」とか、その手の「終わり無き日常をイ??」系のおもんない回答以外でシクヨロ。諦めようとしてもどこまでも諦められないから悩んでるのに「諦めろ」とか返すやつはコミュニケーションスキルの低いお馬鹿タン、すなわち「ダメ萌えキャラ」ですよ(←「コミュニケーションスキルが低い」とひとこと書いておくとはてなのウザいひとたち(例:白熊)は押し黙るから便利だと聞いた)。
何か作業をしたときに、ありがとうといわれるとやはり嬉しい訳です。
次もがんばろうと思います。
これは、人間、年をとっても変わらないのかも知れません。
定年間近のある大企業の社員にある作業をしてもらったので、感謝の言葉をかけました。すると、誰が見ても張り切ってるのが分かるほど、嬉しそうでした。
私個人も、昔から自己顕示欲が強い方で、自分を認めてもらおう、承認してもらおうと苦しみ、あがいてきたのですが、がんばればがんばるほど苦しいわけですね。良い結果を出しても、それが当たり前。失敗すると、ここぞとばかりに攻撃されるわけですから。
それで、ふと上記の大企業の社員のことを思い出したのですが、肩の力が抜けた感じがしました。当たり前のことかもしれませんが、他人もまた自分を認めて欲しいと思っているということに気づいたわけです。ああ、やはり人間は社会的動物なのだなあと思いました。
たまに、この匿名ダイアリーでも、「拍手ボタン」のようなものが欲しいという意見がありますが、確かにそのようなシステムがあっても良いのではないかと思います。はてブがあるじゃないか、という意見もあるでしょうが、正直、はてブの場合、趣旨が良く分からなくなっている部分があると思います。
もちろん、はてブの基本は、ブックマーク機能であり、役に立つサイトや面白いサイトをブックマークすることだとは思います。ですが、意見が気になったブログの記事にブックマークする人もいます。また、コメント欄で、反対意見を述べるためにブックマークする人もいます。
つまり、はてブの場合、用途が複数あるので、ブックマーク数がいったい何を示しているのかよく分からない訳です。いや、今、そのURLがどれだけ話題になっているかという抽象的なものは分かるかもしれませんが、ユーザーがはてブを何のために使っているのかは推測するしかありません。つまり、ユーザーの評価基準が複数あるため、趣旨があいまいなものになるわけです。
ということで、もっとシンプルな評価システムがあっても良いと思いました。
もうひとつ。評価を「貯める」とユーザーの肩書きがレベルアップしていくというのはどうでしょうか。
例えば、「町の賢者」や「スーパーブロガー」などの肩書きがあれば、そのユーザーがどれくらい強い(?)のか分かると思うのですが。
注:あくまで俺基準。ほかにもこんなのあるやん!ていうて下さい
http://takagi-hiromitsu.jp/diary/
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/
http://d.hatena.ne.jp/softether/
え、学生だったのか…
たいよう
http://blog.livedoor.jp/dankogai/
dankogaiてすげぇ名前だよな
http://ytsumura.cocolog-nifty.com/
個人的に。そうそう、この人、性別をあえて明示してないんだよね。
ああ、ここまであげて明示的に名前をしるしているものとそうでないけど明かしている人の2パターンがあることに気がついた…
めんどくなったから気が向いたらまた書きます。明示的なほうだけに限って。
現在やずやで「発芽十六雑穀 食べて、書いて、もらっちゃおう!」というブログキャンペーンが行われている。ブログに発芽十六雑穀の感想を書き、指定されたURLにトラックバックすると、抽選でプレゼントがもらえるというキャンペーンである。
このキャンペーンの流れをもう少し細かく見てみよう。
トラックバックを行った時点で、やずや側には「氏名 - トラックバックURL」というデータと、「トラックバックURL - トラックバック元のブログのURL」という2つのデータセットがある。これを組み合わせれば、「氏名 - ブログURL」というデータができあがる。
やずやはプライバシーマークを取得している会社であり、プライバシーポリシーで定められた目的以外の使用をするとは思っていない。しかし、ひょっとして匿名ブロガーの実名をデータベース化しようと言う秘密プロジェクトの一環なのではないかという妄想をしてしまうのである。
要するに「アルファブロガー」ってブロガーになれてない奴らだろ?
早く真のブロガーになれるよう頑張ろうぜ!
そうだな…まずは「ベータブロガー」を目指してくれや!