はてなキーワード: てすとは
周囲に恋人のことを聞かれて困る質問が「なにで知り合ったの?」と聞かれたとき。
今の恋人とは某チャット部屋で仲良くなり付き合うにいたったのだが、
これが自分にとってすごくうしろめたい。
うしろめたい理由もいまいち漠然としているのだが、どうも聞かれるとごまかしたくなってしまう。
かといって適当な出会いエピソードをでっちあげるのも嫌だしなあ、といろいろ考えていたら
いい答え方を思いついたので、その頃ちょうど恋人のことを聞いてきた妹に試した。
妹「彼女できた?」
俺「うん」
妹「へー。なにで知り合ったの?どうせネットでしょ?」
ズコー!なんだよバレバレじゃねえかくそう!しかし、気を取り直して考えた答えを試す俺
俺「今の彼女となにで知り合ったのかって? …運命で、だよ。」
聞こえないふりをされた。
おわり
そしたら、U字のテーブルの向こうに立っているのが、きりっと背筋が伸びたメイクばっちりのきれいなお姉さんなのね。もうちょっと背が高かったら今頃CEATECでコンパニオンやってんじゃないかみたいな。
なんでこんな夜中に牛丼屋なんだろう、って思った。夜中に働くならもっと稼げそうな商売だってあるのに。
で、私は自分を恥じた。
そのお姉さんにはさ、その時間帯に牛丼屋で働きたかったら牛丼屋で働く権利があるのよ。いかに容姿に恵まれていようと、いかに通る声をしていようとも、それを売って稼ぎたくなかったら売らなくて良いわけ。才能があって効率がよいからやると良いのになんて他人が考えるのはアホなわけですよ。
それに、さっきの考えには私の女性に対する蔑視が入ってるわけ。ひどいよね。
人は可能な範囲で自分が幸せになる仕事を選択することができるのであって、向いているからその仕事に就くという考え方はちょっと違うんだとやっと私は悟った。向いていてすきな仕事なら「幸せになれそうだから」選ぶのだし、私もそうやって今の仕事に就いたじゃないかと。
私はそんなことを考えながらゆっくり牛丼を食べ、米を一粒も残さずに平らげて、足下に置いていた荷物をつかんで立ち上がったわけ。
で、顔を上げたら、別の場所の食器をかたづけていたはずのお姉さんが手を止めて向き直ってるの。
「ありがとうございました」
って客を、というか私一人を送り出すために。適切なタイミングと表情と声で。
私はいつもならぼそぼそっと口の中で言うだけの「ごちそうさま」をいつの間にかはっきり言って笑顔まで作っていたよ。
あのお姉さんが本当にやりたいことがなんなのか私は知らないけど、きっとどんなことだって自分の意志で選び取って成功させられる。
非難する側の論点が滅茶苦茶なんだもの。
ロリとペドの違い。
実在の人物と空想のキャラ。
ワイドショーで取り上げる屑ども、論点を意図的に混同してるだろ。
んで一番問題なのは、
実在の児童を守ることなんて考えてない、概念としての児童を守るんだ!
と明言しているのに、聞かないで騒いでいる連中。
いるだろ、子供が大人びたこと言ったり書いたりすると「子供らしくない!」って“指導”する奴ら。
思ったことをここで書いてみようと思う。
チラシの裏にでも書いてろよって言われるかもしれないけど、ちょっと誰かに聞いてほしい。
誰かに相談できないわけじゃないんだけど、相談する気にはなれない。
実は他人の目がすごく気になる。外見は、「他人なんて関係ないし、私は私だし、他の人とはちょっと違うし、一緒にしないでもらいたいし、自分は高尚だし、中二病って言いたい奴は勝手に言ってろって感じ」と取り繕ってはいるが、実は他人のことが気になって気になって仕方ない。だから、今は、できるだけ人の目を気にしないように思ったことを書いてみる。きっと「自分はほかの人とは違うんだオーラ」が文章からにじみ出て、不快になる人がいるかもしれないから先にごめんなさいと言っておきます。
こういうことを書いている時点でもう人の目を気にしているし、自意識過剰なんだよなー。なー。
私は友達というものがまだよくわかっていない。
1.自分が友達だと思ってるし、相手も友達と思ってくれているんだろうなという人が何人かいる。2.自分がもうちょっとで友達になれそうな気がしていて、相手は友達と思ってくれているんだろうという人も何人かいる。3.自分は友達と思っていなくて、相手は友達と思ってくれているんだろうなという人がかなり多い。たぶん全体の七割近くいる。あとは、4.友達じゃないけど好きな人。たとえば親とか先輩、後輩、先生。5.友達じゃないし嫌いな人。残りは6.知らない人。
一度挨拶したらもう友達なのか?それ以前に友達ってなによ?簡単に「親友だよね!」って言える人って何者だ?
私は昔かなりうざい人だった、と思う。よく泣いていた。自分ってかわいそう、と思っていた。(この辺は成長してもあまり変わっていないような気がする)
でも、大きくなってから、自分ってかわいそう、っていうのをやめようと思った。(じゃあここでぐちぐち書いてるお前はなんだというのは置いといて)
だから人に泣き言を言うとか、そういうことをしないようにしている。
そうしたら、人に相談する方法を忘れてしまった。
いや、簡単に、「私最近こういうことを悩んでいるんだ」と言えばいいんだろうけど。私が長年育ててきたプライドがそれを許さない。そんなかっこ悪いことできない。そういう割には簡単に、「最近ちょっと辛くてさー」とか、自分は友達と思っていない人に簡単に言ったりする。言ってしまえば人に言えるようなちっぽけな弱みを大げさに言って、外交手段に使う。自分が友達と思っていないなら、何も言わないでほっとけばいいのに、たぶん自分は「大勢に好かれる自分」が好きだから、そういう人にも媚を売る。そして自己嫌悪に陥る。
思えば昔から、本当に言いたいことは我慢してきた。怒ったことがめったにない。他人に対して本気で目に見える形で怒ったことなんか、小学校以来一度もない。
自分の思い描く人物になりたいけれど、口だけなので何も行動を起こさない。
見栄の塊だ。
実際頭がいい自分を思い描いて、頭が良くないのに勉強して見栄を張る(こういうのって見栄って言うのか?)、とかならまだいいのに、自分はそれすらしない、最悪なパターンだな。
話がそれてしまった。
つまり何が言いたいかというと、私って本当に友達が少ない。自分も友達だと思ってる人に、相談すればいいんだけど、それすらできない。「いきなり何言ってんの」「そんな話されても困るんだけど」と言われるのが怖い。つまり信用していない。親にすら言わない。余計な心配はかけたくない。でもそれってやっぱりつらい。
みんなは、どうして人を信用できるのだろう。
中二病乙wwwというレベルの話かもしれないけど、本気で考えている。恋愛感情だけじゃなく、人を愛するってどういうことだ?
自分好かれてると思う。自分で言うほど友達だって少なくない。恵まれてると思う。彼氏はいないけど。親もやさしい。姉のことなんて世界で一番大好きで自慢できると思っている。
でもなぜかいつも悲しいし空しい。なんで生きてるんだろう。なんでみんなそんなに楽しそうなんだろう。なんでみんな人のことにそんなに興味があるんだろう。人とかかわらないと生きていけないのは確かなんだけど、なぜ休日にまで人と遊ぼうと思う?大した用事もないのにメールとか電話しようと思う?
私に干渉しないでほしい。こっちに踏み入ってこないでほしい。関係ないんだからほっといてほしい。仲良くしようとしないでほしい。そっとしといてほしい。
でもそっぽは向かないでほしい。嫌わないでほしい。
わからん。
結局自分は、たくさんのもの持ってるふりがうまいだけだ。実際は何も持っていないのに、嘘つくのがうまいから、みんな騙されてすごいね、えらいね、優しいね、いい人だね、って言ってくるんだろうなあ。寛容で執着がないふりをしているだけだ。実際は嫉妬深くて善人面してるそこらへんのバカと変わりない人間なんだ。
とりあえず人に優しくしておけば、人からも優しくされる確率が上がるし、自分に甘くしても「人に優しくしてるからいいや」って思えるし、厳しいことや酷いことを言われても「優しくしてやったのに」と相手を非難できるし「酷いこと言われても怒らないで優しくできる自分すごい」って思える。何かのせいにすることができる。
でもそんな優しさは偽物だ。でもやめられない。
こういうのって、やめる気がないんだろうな。根性論ってあまり好きじゃないけれど、「本当にやめようと思ったらもうやめてるはずだ」と言われると、反論できなくなる。頑張ってもどうしようもないこともあるってこともわかってるんだけど。
そう、自分は「頭でわかってるだけ」なんだろうな。
自分が愛するから愛されるのか、自分が愛されたから愛するのか、どっちなんだろう。
わからん!ぜんぜんわからん!
先日、ある人に対してものすごくひどいことを言ってしまった。怒ったわけではないけれど、あとあと思い返すとかなり失礼なことを言ってしまった。
その人はなんというか、「自分はほかの人とは違うのよ」というタイプの人だったから同族嫌悪をしてしまった。自分もものすごくそういうこと思ってるくせになー。
後悔してる。その人に対して言った言葉はまぎれもなく自分に向けて吐かれたものだった。だからずっと大丈夫だと思っていたものが実は全然大丈夫じゃないことに気付いてしまったんだよなーくそーやってしまった!
ここまで自分のどこが悪いか、とかいろいろ分析して悩むくせに、一向に「いい人」になれないのは、きっとやはり自分に直す気がないからだろう。
「ちょっと難しいこと書いてる自分が好き」なのであって、言うなればこれはただのパフォーマンスなんだ。顔も見えない人々にまで、自分は媚を売っている。
と書けば、誰かが「そんなことない、あなたはよくやってるよ」と言ってもらえると思ってる。
と書けば、誰かが「そんなことない、あなたはよくやってるよ」と言ってもらえると思ってる。
と書けば……以下無限ループ。
誰か愛してくれよ。その前に誰かを愛せ?でも誰かに愛されなきゃ誰かを愛そうなんて気になれねーよ。
嫌わないでよ。
絶対に崩れない信頼なんてないし、絶対に冷めない愛もない。生まれてしまったらいつかは死んでしまうみたいに、人を好きになったらいつか絶対嫌いになる。恋を始めたらそれには終わりが来るし、人から好かれたっていつか絶対嫌われてしまう。
わかっているけどその愛がほしい。絶対に終わらない、一生続く愛がほしい。
長文すぎた。
そんなこんなで最近よく眠れない。ご飯もあまり食べていない。こんなんじゃ駄目だと思うから、とりあえずいつもはシャワーだけだけれど、今日は湯船にお湯を溜めました。ゆっくり風呂にでも入ろうと思う。
これを読んでいろんなこと思う人がいると思う。否定的な意見を見たらきっと沈むと思うけど、だからと言って意見を書くのをためらわないでほしい。でも正直否定しないでくださいよ(笑)とは思ってます。
発想を変えろ。禿をかっこわるいと考えるんじゃなくて、お前が彼をかっこいい禿に改造するんだ。
かっこいい禿の条件:
あたし彼女。現代語訳を読みました。
すごいですね。
私あんな人生じゃなくてよかった。と心底思いました。
不器用と言うよりも、救いようもなく馬鹿な男達に、おもちゃにされて。心も身体も傷ついて。
一生、叶わぬ相手に嫉妬し続ける道を選んで。
ほしいものひとつ自力で買えなくて、そのために男の顔色伺う生活。結果が2度の堕胎に1度の流産。絶対イヤだな。
不幸・・・とも違うかな。自業自得・・・なのかな。
でもやっぱり不幸だと思う。
どんな馬鹿でも堕胎はイヤでしょう。それなりに傷つくことでしょう。後悔だってするんでしょう。
かわいそうすぎて目のやり場に困りました。
で。この人、彼のことを「初めて好きになった」、と思い込んでる。
でもそれきっと好きじゃない。ただのコダワリ。
惑わされたのが初めてでくやしかっただけ。
死んだ恋人と言う絶対に叶わないライバルの存在が、許せなかっただけ。
だから私のもとにひざまづかせたい。ただそれだけ。
いずれにしろ、初めて真面目に付き合った人と結婚するのはリスキーだと思う。
なにかにつけて「これしかない」「こういうものだ」と思ってしまいますからね。
耐え切れなくなるまで自分を誤魔化して、破綻する。
死んだ恋人の影に悩まされて※、子供ができでもできなくても後悔して。
そしてまた面倒見てくれる男をさがすでしょ。
で、新しい彼氏とは社会福祉を断たれない為に入籍はしないで税金食いつぶして給食費も払わずに、さ。
そんなひといっぱいいるけどさ。
※なにせ親も相手も死んだ恋人のこと平気で彼女に言っちゃうような無神経ファミリーなんだからね。
どこからどう読んでも救いがなくて、びっくりしました。
昨今流行の「スィーツ(笑)批判」が、モロに君の主張どおり。
元々人間なんて視野が狭いままトシを取れる。これってすごい事だよね。
ただ、小説の主人公が視野狭窄なのは当たり前で、物語作りの基礎だったりするので、批判するならもっとストーリーの基礎を勉強した方がいいかもね
稟議制っつーのがある。
って言ったときは必ず上司にハンコ貰わないといけないんだよ。
係員「いいですかー?」→係長「いいですよー」
ってどんどんえらいやつに聞いてくのよ。
課→部→局 ってどんどん上にあがって
そんでこの仕事が失敗した。
あれ、じゃあ誰の責任?
この稟議制ってシステムをとってる以上、
省の決定っていうのは、その省に属するすべての官僚の決定になるわけさ。
深夜、寝酒を買いに行ったときの話。
入口のまん前に営業車っぽい旧型のセダンが止まってて邪魔だった。
スーツ姿のイケメンとギャル女のカップルが乗っててエンジンかけっぱなしでぼんやりしている。
軽くにらみながら車をすり抜けて店に入ると明らかに目立つ女の客がいる。
顔は見てないけど若い女。
服は派手な原色使いで、丈は短いし使ってる布の量も少ない、肩の端でなんとか引っかかってるような服だった。
女は背中がぱっくり開いてる上半身と、95%露出完了した脚を装備している。
くさいのとチラ見したくないのとで、少し離れて新聞の見出し読みながら列を待った。
で、店出たらその女が店前の車に乗り込もうとしている。
どういうこと?なんでカップルにこの女が加わるの?
だが、部屋に戻ってすぐに気づく。あの組み合わせでありえるのはデリヘルだけだ、そうだデリヘルだ!
今日はムシャクシャしてるし、頼んでみるべか?今まで勇気なかったけど。
そう思うと、とりあえずゆうちょカード一枚を握ってコンビニまで走った。
その間30秒、だが車はもう走り去っていた。
さっきは車内でのんびりオデン食べはじめてたのに。
今になって考えると自分の行動も意味不明すぎる。でも、頭の一部だけは冷静だった。
「デリヘルですか?」とストレートに聞いて違ったら殴られるかもしれないから、曖昧にカマかけようって走りながら考えてた。
変な夜だった。たぶん忘れるのでここにメモしておく。
まさか自分がこうなろうとは。
今から大学院へ行こうか、また大学や大学院を中退しようか考えている方のために書きたいと思います。
あらかじめ断っておきますが、自分の主観が大きく入っているので、
この記事を読まれる個々人の状況により解決策は異なることと思います。
しかしそれでもこの体験は多くの理系大学院で起こりうるものであることと思います。
私が通っていた大学は4年生になった時から研究室への所属が決まります。
しかしながら、研究室というものには人数の定員があり、思ったところへ行けませんでした。
私の所属が決まった研究室は学校の中でもトップクラスの場所でした。
優秀な学生は自ら名乗りを上げ、大学院入試の際は外部の大学から受けに来られる方もいるくらいの場所でした。
そんな中で私もこれはそういう運命なのだと、やる気に満ちてがんばっていました。
同期の学生も同様で、4年生の当初はみんな楽しそうに研究を行っていました。
そんな状況が変わったのは修士2年生が修士論文を書く秋口のことでした。
その時私も学士論文を書く立場だったのですが、修士2年の方が学校を休学されました。
原因は『このようでは修士を卒業させないぞ』と言う教授達からの圧力でした。
その方は学術論文を1報出されており、研究技術と基礎知識において十分な方だったと思います。
そして度重なる言葉責めの結果、休学でした。
私が大学院中退を決めるまでの間に復学はなされておらず、まだ鬱病状態のままだそうです。
私はそのようなことがあった中、進学し大学院へと入学しました。
その辺りから私に対しても同様の言動が開始されました。
私は研究結果があまり芳しくなく、そこから考えれば不出来な学生でした。
私の所属していた研究室では実験技術や基礎知識と言った点は評価されず、
同じ実験量でも教授が帰る前に帰れば不出来、帰らなければ優秀と言った見方です。
研究が好きな方は楽しいし評価が上がるし良いのかも知れません。
しかし、研究だけではなく他分野などの実力も高めたい人にとってはあまり良い環境ではないです。
普通の研究室では勉強会と言ったような、学生の基礎知識を高める場が設けられると思います。
私が所属していた研究室ではそれはありませんでした。
研究結果だけを見ると旧帝大に引けを取らないかも知れませんが、学生の質は低かったと思います。
一緒に話す機会が設けられる学会などでその差は出てきました。
よく耳にするのは同じような厳しい研究室では鬱状態になる方が数人は出るそうです。
つまり、私が所属している研究室だけではないのです。
また同じ修士卒の資格を取るという点では楽な研究室もあります。
このような現実がある中、本当に自分にとって学歴というものが重要なのかを考えるようになりました。
しかし、質と言う見方をした場合はどうでしょうか?
質というのは様々な方面の見方があり、一概には言えない事だと思います。
私は多くの社会人の方と話す機会を設けて頂き、
人生まだまだ60年近くあるこの身において、
就職を担当する人事の方もこの現実を考えて頂ければより良い会社に成長されることと思います。
それでは、長文失礼いたしました。
最初に彼女が俺のことを好きになり、それから俺が彼女を好きになった。
付き合い始めた頃は、毎日が幸せだった。
彼女の笑顔、俺の隣でたてる寝息、何もかも大好きだった。ずっと抱きしめていたかった。
でも、ある時からそんな幸せが少しずつ壊れはじめたんだ。
段々、彼女が家に泊まる回数が減り、セックスの回数も減り、そして出会う回数も減っていった。
俺は昔のような関係を取り戻したいって思って、それまであまりしなかったメールの量を増やしたり電話を定期的にかけたりした。
でも関係は良くならず、どんどん悪くなり続けた。
多分、俺がデートの時に発するちょっとした一言が段々と彼女を傷つけていったんだと思う。
俺は、彼女には自分の意見を率直に伝えておくべきだって、そうずっと思ってたんだ。
だから、彼女が言うことが自分と違うなと思ったら、それを指摘した。
彼女なら、俺の考えは全て理解してくれる。そんなバカな考えを持ってたんだ。
そして、それが彼女を傷つけ続けた。
今思うと、彼女はずっと、俺に対して変わってほしいっていうメッセージをずっと送ってくれていたんだ。でも俺はそのメッセージに気づかなかった。思いやりに欠けていた。
そして、先週言われたんだ。一度離れた方がいいと思うって。もう俺のことが信頼出来なくなったから。そういう理由だった。
その時は、電話で何時間か話し合ったんだけど、話はまとまらなかった。
だから、お互いもう一度考えてみて、今日会って話し合うことにした。
俺だって、この半年間の間に彼女の心がもう離れてしまっていることは分かってた。
でも、彼女が大好きだから絶対に別れたくなかった。
それから、俺は自分が彼女に出来ることは何か、俺の悪かったことは何か真剣に考えた。
そして、それをちゃんと伝えれば、彼女がまだ俺から離れないでいてくれるはずだって思ってた。
でも、今日会ってすぐに分かったんだ。彼女の決意はもうきっと変わらないんだって。
それでも、俺は一生懸命説得したさ。
今は彼女の気持ちが離れていても、付き合いを続けていけばもしかしたら彼女の気持ちを取り戻せるかもしれない。だから今日終わらせたくない。そう思ってさ。
でも結局はダメだった。彼女に考え直させるには、俺はあまりにも彼女を傷つけすぎてしまってた。
俺は不覚にも彼女の前で泣いてしまった。
それが彼女のことを困らせるのは分かってたし、男としてみっともないのも分かってたけど、でも涙が出るのを抑えられなかった。
彼女のことが大好きだから、ホントに辛かった。
分かってる。全部、自分が招いてしまったことだって。自分が悪いんだって。でもさ、それでも辛すぎるよ。
もっと早く、彼女の痛みに気づいてたら、こんな結果にはなってなかったかもしれないのにな。なんで気づいてあげられなかったんだろう。
あ、ごめん普通に間違えた。直しといたよ。
各板にもまあ色んな人がいるからね
「こういうのがこの板って常識になってるよな…まったく…」
っていうと、一部のまともな人たちは「そんなことない!」ってすぐ言うけど
「そっちが非常識、ちょっと変な人がいるだけ」てことにしたがるけど
果たして本当にそうなのか?
そりゃ、「非常識だ」って分かってるまともな人もいることは知ってる。
でもそれが「変なこと言ってる奴があくまで少数派」には必ずしも繋がらないよ。
http://anond.hatelabo.jp/20080924231121
100万ぐらい借金あったけど普通に1年で返済したよ。正社員だからってのもあるかもしれんが。
もともと、大本の借金した理由が尋常ではないので、はっきりいうが、その借金は尋常ではない。ふつう、ありえない。
ないことはないが、そんな額の損害が発生するのはもともとの報酬もそれなりにでかい時。でも、そんなわけない。だったら、仕事2件受けていればもう1件のほうで返せるはず。これ1件しかない?それリスクとり過ぎ。
ようするに、そんな仕事を選んだ彼の責任がそもそも大きい。仕事はバクチじゃないんだから。
絶対にやっちゃいけないのが、増田がお金を貸すこと。これをやると、彼が自分の責任を自分で取らなかったという負い目を作ってしまい、また繰り返す。自分で返す手助けをすること。これなら、次は同じ失敗をしなくなる。お金を貸すことは自分も相手も泥沼に突き落とす事だと理解しましょう。お金を貸さないのが相手のためなのです。
どうしても支払えないなら、自己破産させろ。風俗堕ちるよりまし。増田の状況見て、風俗行ったら、二人ともいまより悪化するタイプ。
自己破産するなら、弁護師にたよるまえに、地方裁判所の無料相談コーナーへ行け。時間限定だが自分だけで自己破産する方法を教えてくれる。それで、自分ではできないと思ったら弁護士に頼れ。場合によっては司法書士にたよるだけでもOK.とにかく、相談する。これが重要。
次に、自己破産しないなら、派遣仕事探せ。安くても良いから楽なやつ。3年続けられそうなものを選べ。そしてどんな辛いことがあっても辞めさせるな。辞めるな。派遣が辛いなら、まかない付きのバイトとかでも可。とにかく、継続的に働けるまっとうな仕事を探せ。
借金は、まず、銀行をあたれ、困ってるのはお前だ。銀行は貸すほうだ。全部の銀行に1件1件お願いに行く気持ちで融資相談に行け。ただし、同時に複数回るな。1件回ってダメが確定したら次へ行け。理由はいろいろあるが、そうしたほうがよい。最初はでかい銀行から行ってみろ。ないせ金利がぜんぜんちがう。とにかく、金利の安いところから探せ。
そして、必ず返済を怠るな。毎月2万ぐらい返済をコツコツ続けろ。
いまサラ金からなら、銀行に借り替えるだけでもだいぶ楽になるはず。派遣仕事を続けられてればそのうち、銀行に駆りかえられるはず。金利のことを考えてすこしでも、金利の安いところで、銀行のようなところから借りたほうがよい。
絶対ダメなのはカードローンで限度額が高いやつ。50万の借金がいつのまにか数百万に膨れ上がる。絶対ダメ。最初に借りたらそれ以上の額は借りない。これが守れないならその瞬間自己破産の方がマシ。借金は膨れ上がるからね。
いまサラ金だとすると、返済のためにさらに借金抱えて雪だるまというのが最悪。それだけは、監視して管理すべき。
あと、酒を飲むな。徐々に辞めろ。一気に辞めるな失敗するから。今日1日5杯なら来月は4杯とかそういうペースで1日1杯まで減らせ。
とにかく、収入が安定すれば、貧しいながらも暮らしていけるという事がわかって、将来への不安が少し消えて、安定するはず。
あのな、あせるな一気に解決しようとするな失敗するから。すこしづつ 問題を10分割 20分割してちいさくちいさく問題をして、小さな問題を1つづつクリアーしていけ。
金利とか、銀行とかわかんなければ、また、相談しろ。どっかの増田が答えてくれるはず。
とにかく、困ったときに必要なのは、いろんな人に相談すること。早急に解決しようとしないこと。
つらいとおもうけど、Good Luck. 知恵ぐらいはエントリーに気がつけばいつでも貸すから あきらめないで、自分の人生を自分で守れ。
あと、世の中には いい男(いい女)はいっぱいいるぞ?共依存ってわかってるなら、おたがい徐々に自立しろ。
おれもな、親が大変で、作った借金は半分は親が理由。半分は自分が理由。大変だったよ。でも、がんばったら、なんとかなった。
60年代中頃ぐらいからエリート共産党員に多産を奨励し、労農階層には少子化を押し付けた。
その結果、どうなったか・・・
全然関係ない話だけど、この60年代のソ連の人口統計と、中央アジア展開部隊の隊員構成の統計をベースに、70年代後半ぐらい(進歩的文化人大流行中のあの時代だぞ)から一貫してソ連崩壊を予見してた小室直樹ってすごいと思う。
人のミスを叱ったり注意したりする時に一番してはいけないこと。
それは全人格否定だと思う。
ミスをした行動などは叱らなければいけないが、本人になぜそれがいけないかと理由を
言わずに否定だけすると、本人はミスから学習をできずに否定だけされたことで萎縮を
してしまう。そして自分のすべてを自己否定してしまう。
何で叱られたか判らないから何をするにも「また叱られるかも」と思って何もできなく
なってしまう。今度はそれはそれで、何もしないと叱られて自己否定ループ地獄に陥る。
http://anond.hatelabo.jp/20080924181542を読んでつくづくと思った。
元増田がどんなミスをしてしまったかは判らない。が、生きててごめんなさいと思う事
は無いと思うよ。ミスをしたらそこから余すところなく学び取れ。ミスをしてしまった
今できることはそれだ。同じミスを繰り返さない為に。
・追記・
ブクマで「ポジティブな人ってそんな気持ちに一切ならずに次の事考えられちゃう?強者と
弱者を分けるポイントはここか」とありましたが、自分は強者ではありません。
今はポジティブ気味ですけど元はものすごくネガティブでしたし。
自分は元々萎縮しがちな人間で、世間に出てマッチョな人間に「お前も親も頭がおかしい」
とコテンパンに人格否定をされまくって、生きてていいのか自問自答することがありました。
子供のときに身に着けるべきことが身についておらず、それを周回遅れでやることは
恥ずかしくて情けないことでしたが、それが自分の現実と踏ん張りました。失敗を経て、
自分が新人に教える立場を経験するなどして、この考えに気付いたんですが、どん底にいる
時に誰かがこう言ってくれていたら、あんなに何年も自分を責めて生きずに済んだだろうと
思うと書かずにはいられませんでした。
確かに「生きててすいません」状態ではまだ重いことかもしれません。
元々増田さんが落ち着いた時に読んで伝わったらいいなと思います。
その日になってふらっと腰を上げて映画を観に行く人(首都圏在住)だけど、今の予約システム主流になってすごく助かってるよ。
予約できない頃は確実に観るには上映開始前1時間ぐらい前に着かなきゃいけなかったけれど、今は事前予約さえすればギリギリでも充分だもの。
予約が一杯で、例え空席があったとしても映画館自体が混んでいそうだったら、比較的空いている別の映画館を探してそっちにいったりできるし。
快適に観る、という点では今のシステムはとてもよい。
安さを重視するのであれば、映画の日なりその映画館が勧めているサービスデイなりに予定を合わせなければいけないから、不便になったんだろうけどね。
手間と快適さを金で買っていると考えれば、妥当なトレードオフだと思っている。
いや、普段から映画を見に行っている人には常識なことだろうけど、“何年かぶり”に行く者にとっては
何年か前の方法を引きずっているから、ネットで確認もなにもしないってこってす。
よくテレビなんかで「映画人口が激減している!良い作品をもっと作らないと!」って危機感を言ってるけど、
(あなたの言うような)情報検索の仕方を知ってる人しか想定していないところに問題があるんじゃないか!と当時は怒ったのでした。
知らねー奴のことなんて知ったこっちゃねーよという姿勢が、映画人口の増加に繋がるとは思えないんですよね。
ちなみに私は神奈川県横浜市の住人で、映画を見に行くと言えば関内の東宝会館、伊勢佐木町の東映劇場、松竹ピカデリー、関内アカデミーというところで、どこも半券もぎりは一列並びでした。全部潰れたけど、そういう映画館界隈で映画館の入り方を学んだんですよ。もう通用しないんですよねー。
専門書の増田です。なんか、こう説明力がたりなくて、ごめんなさい。
たとえば、今日の今さっきの話なんですが。
1.XXの本が欲しいな
2.Amazonで調べる。
3.これにしようと決める
4.たぶん、この本ならXX書店にあるだろう。
5.買いに行く
6.あれば、流し読みしてから買う(流し読みしてダメなら買わない)
という手順で、当日手に入れるというのがあります。
これはコミックなどでも売れ線なら出来ることだと思います。
ほかにも、
1.XXの本が欲しいな
2.Amazonで調べる。
3.これにしようと決める
4.あんまり書店にはなさそうだな
7.取りに行く
という使い方をしたことがあります。
結局、Amazonだと発送のかねあいで1日かかってしまうので、
在庫は電話すれば教えてもらえますよ?わざわざ歩いてさがさなくても。
とか、リアル書店もそこそこ 使えると思います。
新刊書店と新古書店の問題には思うところがある。「新刊はコンビニで十分」という意見はなかなか極端でナイスだ。元増田はちゃんと反論してくれるのがいいな。もっと意見を聞かせて。
さて、書き込みを読んで思ったことを箇条書きで。
元増田は商店街の(小さい?)本屋、およびやや郊外型の中規模書店を何軒か回ったとのこと。
書店は「パターン配本」が普通なのね。取次が作る「この本を並べるとよく売れると思います」のパック。
配本基準はいろいろだけれど、たとえば「小さい書店向け新刊パック」的な配本もある。書店はそれを並べれば、新刊書店として押さえるべき新刊は基本的に押さえている品揃えになる。
とくに小さい書店は手堅く売れる本を置きたがるもので、個性的な品揃えの棚を作る余裕はない。本の利幅ってすごく少ないしね。
それに昔は書店って手堅い商売だったから、商品知識や本への愛情は別として「とりあえず本屋でもやるか」で開店したところもそれなりにあるわけ。「誰が本を殺すのか」では「パパママ書店」って呼ばれてるタイプね。
(そして今、そういう書店は元増田のお望み通り、どんどんつぶれてるわけですが)
そんなこんなで、「規模が同じなら、どの書店に行っても同じ本しかない」状態が普通になっちゃってる。問題は問題なんだけど、売れる本と売れない本がはっきり分かれてる今、そこを変えるのは難しいんだ。
なので近隣でいちばん大きな書店になかったら、もうほかの書店へは行かず、注文かAmazonかブックオフを使うのが効率的になっちゃってるんです。
新刊書店は新しく出てきた文化を紹介し、古書店はその中から厳選された文化を守っていく。これがお互いの立場なんじゃないかな。
一言ですんでしまった……でも私はそう思う。
になったので今はここまで。
42 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/05/06(火) 09:30:14 ID:z2zMK6/C0
一致団結って奴だな。だって私達みんな・・・仲間だもんげ!
46 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/05/06(火) 09:31:07 ID:z2zMK6/C0
×もんげ
○もんね
47 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/05/06(火) 09:31:31 ID:qRcAMw0H0
50 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/05/06(火) 09:32:54 ID:mmShhCmU0
素直に信じた自分
アイマスニコマス断絶問題には程遠いがニコマススレやらどこやらで「もんげ流行りすぎてうぜえよ」みたいな話はループ話題の一つになってる感があるけど、自分はこれが結構怖いわけだ。聞いていると突然背筋がぞくっと来るような怖さ。ニコマスに真剣にはまってた以前はそう感じなかったのだが最近は特にそう感じる。
まあ上記の通り突然浮上したフジの取材問題が解決の日差しにたった際に出てきたお決まりの誤字ネタなんだが、これがかつてないくらい流行った。当時の自分は「おいおい動画にまでネタ出張して、ニコニコしか見てないって人はネタがわかるのか?まぁ大百科もあるし大丈夫か」くらいに思ってたんだけど、よく考えてみれば大百科が出来る前から艶村やらダバァやらやってるわけだから、やっぱり内向きな文化だと思う。
ネタが流行ったのといえば2007年の年末にもPネタがやたらめった流行ったという過去があるが、直後に24時間TVがあったこともあってか、ここ数ヶ月間はずっとこのネタ一つだった印象がある。いくらなんでもネタ一つで回せるっていうのは異常だろう。
思うにこの「仲間だもんげ!」という言葉には単純なネタの中に非常に内側に引っ張る力があると思う。
他ジャンルのスレなんかでニコマスの印象として、「なんかあいつら良くわかんねえけど仲良さそうだよな」という評を良く聞く。そもそもストレートになかまなかましていた元ネタの団結が他の曲と比べても人気が高かったりしたのも、オールスターがみんなで和気藹々としている感じが受けたんだろうと思う。でもそのまんま言葉に出すとなんか馴れ合いっぽい。そうしたときにそういうフレーズをうまいことネタでオブラートに包んでくれるようなもんげネタが出てきたのでみんな喜んでこれを使い始めたわけだ。要するにみんなアイマスの彼女達みたいに和気藹々したいんだな。
で、もんげの中にはそういうネタとしてオブラートに包まれてはいるものの、もともとの原曲があってそうなのかしれないけどどこか女の子めいたものがある。「私たち友達だもんね!」みたいな。しかし何度も何度もそれを聞かされると、どこか笑顔の下に何か重圧を感じるのだ。急に不安になる。お前達は仲間じゃないもんげ!とか突然言われたりしたらどうしよう。そういう考えが頭によぎるともうだめだ。
[アイドルマスター]さてここで俺が颯爽と突撃して爆裂してみるよ - はてなで留まってすぐ溶解
いつだったか、「『歌ってみた』や『踊ってみた』を無視するからニコマスファンは駄目なんだ」というコメントをどこだかで見かけたこともありましたが、
歌ってみたとか踊ってみたとか演奏してみたジャンルは割と普通にランキング除外対象となっている。
そうしないとJとか有名歌手がランキングを占めるようになるからということで、割とこの除外に関しては大方の人間が同意しているらしい。
で、週マスになると架空戦記動画にネガ米をつける人がいるのはお決まりな感じで、それには一応擁護なんかもつくわけだけど、よくよく考えてみると歌ってみたとか踊ってみたなんかと同様そのシリーズものが毎週ランキングに居座ると不都合と考えているわけだ。
じゃあ歌ってみた踊ってみた、演奏してみたはようするに「仲間」じゃなくて、架空戦記は「仲間」なんだろうな。としてオチとするのは簡単なんだが、僕自身割と架空戦記がいわゆるニコマス内で「仲間」として認められてるかどうかなんか微妙な気がする
今では2chで新しいニコマスジャンルが定着し始めると専用スレが自然と立つわけだが架空戦記スレが始まったのは九月九日で、まだ閣下立志伝や律子の野望、春香三国統一なんかが主流で、曹操をプロデュース、春香で世界征服、貧乳なんかが始まりだした頃。
底辺スレなんかもそうだけど書き込むスレが異なり、語る対象も違えば当然住民層やら文化の違いなんかは出てくる。これが次第にジャンルが成長して大きくなっていって、さらにHOL関連の成りすまし削除事件を乗り越えていくと、その住民層の中にも何かしら内向きの力のようなモノが出てきて、またこの差異も大きな流れになってくる。なんかスレ内でネトゲなんか流行始めて、次第にニコマスやらぎろかくスレだけ見ている人間とは言葉が通じなくなってくる。
今までは「まぁそれはそれでそういうもの」みたいな自然な断絶としての雰囲気があったんだが、なんとなく最近になってから、この二つがうまくいってない気がする。特に「仲間だもんげ!」が流行りだした24時間前後辺りからそんな印象があった。ループ的にニコマス内での架空戦記的なモノへの扱いのような話題が出てきたような気がする。わりかしネガ方向で
僕個人としては昔から割と普通にあって、多分このままずっとそうあるだろうと思うニコマス、アイマスユーザー間の断絶よりも、現在進行形で進みつつあるニコマス内のジャンル同士の断絶関係の方が興味をそそられるわけだ。ニコマスは数多くのジャンルを包括できるような懐の大きいジャンルというふうに言っていたのは誰だったか忘れたけど、この流れでどんどんいくと、ニコマスという大きなジャンルが、異なった文化の集合体として細分化されていくのかもしれない。
一方でそういう断絶関係は文化の違うもの同士の必然ということで、こういう断絶があったから異なった文化の良い作品が産まれてきてるってこともあるし、そういった意味では良いこともあるかもしれない。でもなんだろう。さみしいじゃないですか。なんか独立しちゃう感じで。もうあれか、雪歩は黙ってて!と怒られるのが歌ってみたとかで「もうあたしは仲間じゃないなの!」とか言って事務所出て行くのが架空戦記かと。最終的に765プロは何人に減るんですかと。
この前のシネMADなんかはそういう断絶を逆に利用した感じがあるけど、でもなぜだろう、24の時もそうだけどこういう感じのは「コラボ」というよりは「交流」といった感じで、妙にボカマス祭りなんか連想しちゃったりする。もう仲間じゃないもんげ?
仲間だもんげって言葉の薄ら寒さはその言葉がニコマススレ界隈の人間にしか向けられていないことから発するかもしれない。その言葉と裏腹に、仲間じゃない人間に対して国境線を張っている。
最近考えたのは、「アイマスもミクも東方もハルヒもらきすたも遊戯王もキワミもひぐらしもドナルドも誰も彼も全部仲良くすればいいよ!」とか思ってる俺はアイマスもニコマスもそんなに好きじゃなくて、ニコニコが好きだったんだなあということでした。
http://anond.hatelabo.jp/20080924021347
IRC素で忘れてた!あそこもニコマス語る上では忘れちゃならんところですな。あれもたしかいくつかのニコマス系IRCと戦記IRCは別に存在してたはず
手描きMADは厳密の意味ではMADではないという人もいますよね。確かにPVとストーリー系という違いはありそうです。でもやっぱスレみたいなコミュニティが同じ所に存在するというのはわりかし大きいんじゃないかと