はてなキーワード: しおりとは
自分も、洋服を買う=遊ぶにはつながらない女で旅行が趣味なので、増田の気持ちはよく分かります。
きっとまだ若いと思うので、同年代の女の子の趣味にあわせていたら疲れてしまったんだろうね。
「せっかく東京に来たんだから、お土産を見たい、浅草に行きたい!」そう思ったら主張する勇気も必要。
気が合う仲間なら、ちゃんと意向を汲んでくれるはずでしょう。
元増田も書いてるけど、「友達“と”遊ぶ」ことが重要であるのなら、その仲間でどこへ行っても楽しいでしょ?
私はそう。何もない公園でも、買い物でも、食べ歩きでも、楽しく過ごせる。
ただ自分の希望が叶えられなかったので不満が爆発してしまったんだよね。
その場で合わせていたら、元増田もほんとに楽しかったんだろうと、彼女たちは思っていると思うよ。
旅慣れた友達と行くなら「行きあたりばっ旅」もすごく楽しいんだけど、
初めて行く土地でガッツリ観光したいなら、旅行前にミーティングすることをおすすめする。
旅のしおり作ったりね。たのしいよ。
・黙っていった方が無難だし、一々、報告しない。
「こ、この店は別に今回のために探したわけじゃないんだからね!たまたま知ってただけなんだからね!」
・ボケるのは人を見てボケること。突っ込みとボケは信頼関係が大事。
・例えば、飲み会当日に「いいお店だね」とか褒められたら、その時に初めて「今回は色々とリサーチしたんだよ」って言ったらいいんじゃないだろうか。
逆に言うと、これで下手こいた場合、「アレだけ下見してもこの程度かよ・・・」という評価になる。
・本当にボケたつもりで発言したの?
少なくとも同僚はそれをボケとは受け取れなかったんだと思う。
もしかして、幹事って新年会とか歓迎会の店の下見とかってしないの?
わし「今日は3件、現地調査にいってくるぜ!」
同僚「はぁ~!?なんでそんなことを・・・」(ひいた感じ)
あるぇ~??
(追記と現状のまとめ)
・現地調査はかまわない。
・黙っていった方が無難だし、一々、報告しない。
「こ、この店は別に今回のために探したわけじゃないんだからね!たまたま知ってただけなんだからね!」
・ボケるのは人を見てボケること。突っ込みとボケは信頼関係が大事。
・実は新年会とかはPublicな行動らしいので、社会人と会社員の自覚をもって適切に処理すること。
・飲み会のしおりなる物を作ろうと思ったけど、ちょっと自重しとく。
・この日記が、こんな議論になるとは思わなかったよ!と思いつつ、部屋でガタガタふるえる。
タイトルが長すぎたのでちょっと縮めた。
本当のタイトルは
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshimysan/20429154.html
一般常識ブログマナーを訴える人と、全く話がかみ合わないたった一つの理由
http://e0166.blog89.fc2.com/blog-entry-550.html
http://anond.hatelabo.jp/20081123222911
一番上のが問題の発端となった記事ですね。
一番上のアホみたいな記事を読んだ人のなかで、
頭に大きな「?」マークが浮かぶと同時に呆れにも近い不快感を覚えた人は
僕だけではないはずだ。
一番上の記事の著者への問題指摘だとか、
「なんでこんなアホなこといってるの?」というある意味分析に近い記事はもう結構でまわってるし、
自分もおおむねそういった人たちの主張と一致している。
皆が言うように、問題のヤフーブログの著者はとりあえずインターネット、しいてはブログというものを大きく勘違いしている。
(一応僕の意見も下のほうにメモ書き程度に書いておいたので興味のある人は読んでほしい)
さて、ここで僕が問題にしたいのは
「大人のマナー」とか「一般常識」とかいう言葉を隠れ蓑に使った議論の進め方はそろそろやめにしないか?
ということだ。
「現実世界ではこれが一般常識でしょ?だからインターネットでも大人のマナーじゃない?」
とか言っている。
僕が思うにこの「一般常識」とか「大人のマナー」だとか「最低限のモラル」とかそういう言葉を使って、
たとえば、なんでも良いのだが、
自分は特に問題だとも思わずにとっていた行動が、実はある特定の人の中ではそれが許されない行為で、
その人に注意されたあげくとどめの一言に「それはないだろJK」とか「それが常識じゃないの?もっと大人になれよ。」とか言われると、
『え?!自分ってそんなに常識ない人間だったのかなぁ・・・。』とちょっとショックを受けたりする。
でもこういうことにかぎって他の周りの人に意見を聞いたりすると、
むしろ反対意見のほうがおおかったりすることもある。
みなさんもある程度『大人』ならこういう経験は少なからずあるのではないか?
(ここでいう『大人』とは僕のようにもうそこそこいい歳をとって数十年くらい生きていると、という意味としてあえて使った)
ちょっと話が特殊になるかもしれないが、
僕もIT(SI)畑で仕事をする人間で、はてなーにもこういう人が多いと思うのであえてもう一個例を出すと、
お客さんが色々と要求を言ってくるときに、ちょっとでも曖昧な部分とか『暗黙の了解』として残しておくと
後跡になってそれが問題の火種になることがある。
これも両者の常識(みたいなもの)がずれてた例だろう。
ここで言いたいのは、結局「一般常識」とか「最低限のマナー」とかいうのは人それぞれなのだ。
その人の生まれ育った環境などにおいて勝手に構築されるものである。
その人の中で勝手に構築された「一般常識」や「大人のマナー」をやぶると
こういう言葉を使われると強制リセットを受けたような気になる。
さも、
そんな非常識人間さんとはこれ以上議論の余地はありまえん、じゃーね」
と言われたかのようだ。
大切なことなのでもう一度言う。
「常識」なんて人それぞれです。
あなたが「こんなの一般常識でしょ」と思っていることでも、実は「常識」という言葉通りみんなが認識しているものではないかもしれません。
だから意見を主張するときに「こんなの常識だと思います」とかいう言葉を使って、いかにもまともそうに見せるのはやめましょう。
ふぅ、とりあえず言いたいことはこんな感じ。
とりあえず問題のブログの著者はこれだけ批判を浴びたんだから少しは自分の中での『常識』が
みんなの中での、すくなくともインターネットにおける『常識』ではなかったということを認めるべきだろう。
皆もご存知のようにインターネットはコンピュータ間の通信から始まり、
その通信網がどんどん広がり誰でも利用できるようになった。
特に情報発信のツールとしては重宝され、世界のどこにいても情報の取得・発信が可能になり、
このようなインターネットという世界において、現実世界におけるまったくもって的外れな例を持ち出しては
「一般社会でのマナーですよ。だからインターネットの世界でもそうするのが当然でしょ?」と言っている。
例えるなら日本人が言葉も文化も違うアメリカに行って、なおかつ日本の常識をアメリカにあてはめようとしているしか思えない。
インターネットとわれわれが日々生活する現実社会は思想も文化も発展した経緯もすべて違う。
郷に入っては郷に従えである。インターネットの世界にはインターネットの世界のルールがあるのだ。
それを彼女は
「ブログは自分の家と同じだ。コミュニケーションのためブログは門戸を開いているが、批判等は自身のサイトで行え。」
とか言ったかと思えば
「ブログの記事は図書館の本と同じだ。かってにしおり(ブックマーク)をはさまないで。」
とか言ってる。
いったい彼女にとってブログは家なのか店なのか、はたまた図書館に置いてある本なのかいったい何なんだろうか。
それにコミュニケーションとは自分の意見に対する賛否両論の意見を交えつつ、
堂々とブログで「批判は自分の見えないところでやってね」と主張するとは
これまたこのご時世にずいぶん面白い意見だ。
彼女は「コミュニケーションのためブログは門戸を開いているが、批判等は自身のサイトで行え」と唱えている。
ある人が「私は〓〓だと思う!」と情報を発信すれば、
当然「私もその意見に賛成だ!」という意見もあれば「いや、私は反対だ。なぜなら〓〓だからだ!」という批判もあびる。
そりゃ匿名性が高いインターネットだと「うるさい、氏ね」とか平気でぬかす輩がいるがそんなのは無視だ。
このようにして数多くの意見を交換し合い、その中から自分なりの理論を構築できるのがインターネットの世界だ。
だからインターネットにおいて論理性というのは非常に重要だし、
インターネットの世界を渡り歩くための唯一にして最大の武器、というかツールというか言語にも近い。
僕もこのような記事を、特に増田なんかに書いた日には色々言われそうだが、
批判意見は真摯に受け止める。
批判意見の理論のほうが正しいと思ったなら、自分の理論を改める。
そのようにしてインターネットも、それを利用する個人も成長していくべきだと考えている。
まさかこんなに長くなるとは・・・。
ここまで読んでくれた人はありがとう。
一般常識・礼儀とブログマナー - ☆女の徒然草☆ - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshimysan/20429154.html
前もこいつ見たような気がするぞ?
現在92ブクマもついておりちょっとした騒動になっているが、この騒動の焦点になっているのは、以下のソーシャルブックマークに関して言っている箇所。
また、ブックマークに関してですが、本来のブックマークとは本にはさむ、しおりのことを言います。
ここで本来のと書いたのは、Wikiなどの内容から引用して反論する方が居られることを想像して
そのように書いているのです。
しおりである以上、その機能は個人の趣味嗜好によってなされるものとなります。
そして、ブックマーク禁止を表示しているサイトやウェブページ、ブログについては
公開ブックマークを行うべきではないと考えております。
図書館で利用者が勝手にしおりを挟んでいるようすを想像してください。
施設によっては利用者が数万人、あるいは数十万、数百万人もの人が利用して、
それぞれの利用者が勝手にしおり(ブックマーク)をすると、どのようなことになるでしょうか。
きっと図書館はしおり(ブックマーク)であふれかえり、しおり(ブックマーク)に書かれた内容が
その図書館においてある利用物となってしまいます。
これでは本来の図書館としての役割を果たすことは困難でしょう。
また、何もかもが自由であるとして人の家にまでしおり(ブックマーク)を貼り付ける行為は
ブログは、企業などの団体が書いているもの以外、すべて個人の家と同じです。
門戸は開放されていますが、それはほかの方との交流を容易にするコミュニティーの手法であるだけで
要は彼女の言い分はこういうことだ。
ブログという開放されたスペースでやっているが、それは他の人とコミュニケーションするためであり、
乱暴な人がブックマークコメという手段で言いたい放題するのを許可するためではない、と。
ブログのコメにある反論に対しても、意味不明な例えと自身のインターネットに関する浅薄な知識とのらりくらりとした答弁を武器に
なかなか頑張っている。
私の雑感だが、
四つめについては他の増田に聞きたいけど、はてブにはブクマされないような設定ってあったよね?
たしかMETAタグを埋め込むとかだったはず。
仕事先の環境でホッテントリをチェックして、面白そうなエントリを見つけたら中身を見ないで[あとでみる]タグを付けてブクマする。自宅に帰ってからそれらをゆっくり消化していく。主にようつべ・ニコニコ・ブラウザゲーム・(18+)ネタなど。
[資料]タグをつけてブクマしておいて、後で仕事先のPCのブラウザでお気に入りに登録する。上のパターンの逆バージョンか。
これが一番多いかも。何か面白い・あるいは話題性のある記事を読んだときに、日課としてとりあえずブクマするみたいな。
例えばブログで何か記事を書いているときに、ふと昔読んだWebページを引用したくなったりするが、記憶があやふやな中でその目的のページを素早く見つけるのに役に立ったりする。
短編集。特に「Live me Me.」と「Slowlife in Starship」は入門として理想的な完璧さ。同じ短編集である「老ヴォールの惑星」でも良いが、入門なら上記を薦める。
内容が面白いのは当然だけど、最近発売されたから簡単に探しやすいってのもオススメの理由であったりする。こういう入門書とかで、絶版になった過去の名作とか薦めても仕方ないしね。
小川一水で準備体操を終えたら、イーガンに挑戦してほしい。理知と言語感覚と背景世界の美しさを味わいつつ、自分が翻訳物に向いているかどうかも確かめる。
イーガンを読み終えることができたら、君も立派なSF者だ。多分。それで誰に何を自慢できるのかということは別として。
強いて言うなら、あまり厚くないもの、シリーズでないものを選ぶべき。サクサク読める分量の短編集とかがベスト。前半4分の1あたりにしおりを挟んだまま半年経ったりすると、多分2度とSFに戻らなくなるから。
最初の1冊が地雷だとあんまりなんで、最初は上を薦めるけど、その後は自分の感覚を信じて、次の1冊を手にとってみるといい。選ぶときは Amazon も良いけれど、本屋で「自分で手にとって選んだ」って体験は強い。自分が選んだ本って、やっぱり特別だと思うんですよ。
そもそもネットの中で、「善・悪」を分けるのが野暮ってもんだな。
もっと殺伐としたもんなんだよってことで。
村上朝日堂(80年代末のエッセイ)で、そういう二分法(イケてる・イケてない)がはやってるってので、
パロってからかってるエッセイがあったけど、山崎元もその時代の人か。
っつうか、JMMだって、結局はMLだから、コメント付けられないのだから、1)の原則からしたら野暮だよな。
たんなる村上龍的経済観の押し付けでしかなかったし。単にネットを利用した経済評論としてうまくのっかっただけ。
で、山崎のおっさんの理屈によると、それによって「議論がクールになった」っつうんだから、
1)と9)が矛盾するじゃん。そういう論理的整合性の無いものを二分法で分けるってのは、頭が鈍感で幸せなんだね。
それにさあ、なんで九鬼周造で、「いき」の分析的側面じゃなくて、そういう「しおりの一遍」っていうか
学者として頭使ってないレトリックを引くんだろ。ブックオフでそういう線引いてある奴見たら、馬鹿と思う。
信じたいことだけしか頭の中に入れてないんじゃないの。
http://anond.hatelabo.jp/20080716103841に倣って、『ドラえもん』で喩えてみよう。
ご町内の皆さんは誰もがドラえもんを持っていて、君だけがドラミちゃんを持っている。
君は強弁する。
「みんなドラえもんを買ってるけど、ドラミちゃんのほうが優秀なんだぜ」
しおりにはこう書かれている。
「申し訳ありませんがドラミちゃんの参加はできません」。
説明書にはこう書かれている。
「申し訳ありませんがドラミちゃんには対応しておりません」。
店員が説明する。
「申し訳ありませんがドラミちゃん用のメロンパンは販売しておりません」
ついに君は言う。
店員は耳を貸さない。
町に一台しかないロボットのために、どうしてメロンパン用の機材を購入しなければならないだろう?
いまさらドラえもんの仕様を覚え、そして多くのパーツを買ってこなければならない…。
君はどうすればよかったんだろう?
ひとつの答えを述べよう。
増田で受けそう(ホッテントリ入りしそう)なネタを思いつく度にメモる癖が付いてしまった。
街を歩いている最中。
店で飯食ってる時。
仕事の休憩中。
常にメモ帳をポケットに入れて放さない。
持ってないと不安になる。
(というよりも、常に増田で受けそうなネタを考えながら行動している。)
そんでメールを見たふりをして(真ん中のボタンを押して下ボタン数回押す。演技派。)
メモ帳はjet-aceというかなり小さめで「しおりペン」の付いているもの。
合理的な俺。革張りっぽいのもかっこいい。
ポケットから取り出した瞬間、本気で「サッ」て聞こえるような気がする。
ページの上部に
等とカテゴリを分けして整理している。
増田に書いてあるネタで「やっぱりダイアリーに書けそう」というネタは
箇条書きの「○」を「◎」に変える(書いたものはいずれも●と塗りつぶす。「買う」とかも同様)。
帰路につく前に「買う」を買い「やる」でできそうなこと(投函・手続き等)をやる。
帰宅後手洗いうがいを終え、即「調べる」を調べる。
そして待ってましたよメインディッシュ。
ここで「何を書くか」を考える時間。
一日でもっとも心弾む時間だ。
等々など。
で、この記事を自分のとこに書こうかこっちに書こうか5分くらい悩んで、今こっちに書いたところ。
書きながら
「あー今日って日曜の夜じゃん。
早めに寝る人が多いからこの日だけは避けて綴るべきだった。」
等と後悔。
でも決めた。投稿する。
寝かせてしまうと仕事が手に付かなくなるからな。
「やばい。日曜の夜ならむしろいい文章書く奴が早めに寝てるから俺のが注目される。
日がたつと非モテやらマッチョやらの名文がアップされて俺の記事が霞むとも限らんどうしよどうしよ・・・」
なんて考えてしまうからな。
そうでなくとも仕事中に「増田のネタを考えないようにする」ことで頭がいっぱいだというのに。
で、これ以降は投稿後の追記。
今現在(22:24)、書いてから十数分経つがまだトラバ数とブクマ数を確認していない。
確認するのは明日(2008/03/24)の今ぐらいの時間。それまでは一切見ない。
「投稿し終えて数秒ごとにF5を押してチラチラトラバ数と赤い数字の増え具合を確認する」
ようなみみっちい姿が浅ましく思うんだよ俺は。
「蒔いた種を収穫する喜び」
これこそが増田の醍醐味であり、明日の仕事にも身が入るというもの。
例え上司に叱られても
「悔しい!でも帰ってからの増田を思うと・・・グフフフフwww」
となり、駄目だろ俺。