タイトルが長すぎたのでちょっと縮めた。
本当のタイトルは
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshimysan/20429154.html
一般常識ブログマナーを訴える人と、全く話がかみ合わないたった一つの理由
http://e0166.blog89.fc2.com/blog-entry-550.html
http://anond.hatelabo.jp/20081123222911
一番上のが問題の発端となった記事ですね。
一番上のアホみたいな記事を読んだ人のなかで、
頭に大きな「?」マークが浮かぶと同時に呆れにも近い不快感を覚えた人は
僕だけではないはずだ。
一番上の記事の著者への問題指摘だとか、
「なんでこんなアホなこといってるの?」というある意味分析に近い記事はもう結構でまわってるし、
自分もおおむねそういった人たちの主張と一致している。
皆が言うように、問題のヤフーブログの著者はとりあえずインターネット、しいてはブログというものを大きく勘違いしている。
(一応僕の意見も下のほうにメモ書き程度に書いておいたので興味のある人は読んでほしい)
さて、ここで僕が問題にしたいのは
「大人のマナー」とか「一般常識」とかいう言葉を隠れ蓑に使った議論の進め方はそろそろやめにしないか?
ということだ。
「現実世界ではこれが一般常識でしょ?だからインターネットでも大人のマナーじゃない?」
とか言っている。
僕が思うにこの「一般常識」とか「大人のマナー」だとか「最低限のモラル」とかそういう言葉を使って、
たとえば、なんでも良いのだが、
自分は特に問題だとも思わずにとっていた行動が、実はある特定の人の中ではそれが許されない行為で、
その人に注意されたあげくとどめの一言に「それはないだろJK」とか「それが常識じゃないの?もっと大人になれよ。」とか言われると、
『え?!自分ってそんなに常識ない人間だったのかなぁ・・・。』とちょっとショックを受けたりする。
でもこういうことにかぎって他の周りの人に意見を聞いたりすると、
むしろ反対意見のほうがおおかったりすることもある。
みなさんもある程度『大人』ならこういう経験は少なからずあるのではないか?
(ここでいう『大人』とは僕のようにもうそこそこいい歳をとって数十年くらい生きていると、という意味としてあえて使った)
ちょっと話が特殊になるかもしれないが、
僕もIT(SI)畑で仕事をする人間で、はてなーにもこういう人が多いと思うのであえてもう一個例を出すと、
お客さんが色々と要求を言ってくるときに、ちょっとでも曖昧な部分とか『暗黙の了解』として残しておくと
後跡になってそれが問題の火種になることがある。
これも両者の常識(みたいなもの)がずれてた例だろう。
ここで言いたいのは、結局「一般常識」とか「最低限のマナー」とかいうのは人それぞれなのだ。
その人の生まれ育った環境などにおいて勝手に構築されるものである。
その人の中で勝手に構築された「一般常識」や「大人のマナー」をやぶると
こういう言葉を使われると強制リセットを受けたような気になる。
さも、
そんな非常識人間さんとはこれ以上議論の余地はありまえん、じゃーね」
と言われたかのようだ。
大切なことなのでもう一度言う。
「常識」なんて人それぞれです。
あなたが「こんなの一般常識でしょ」と思っていることでも、実は「常識」という言葉通りみんなが認識しているものではないかもしれません。
だから意見を主張するときに「こんなの常識だと思います」とかいう言葉を使って、いかにもまともそうに見せるのはやめましょう。
ふぅ、とりあえず言いたいことはこんな感じ。
とりあえず問題のブログの著者はこれだけ批判を浴びたんだから少しは自分の中での『常識』が
みんなの中での、すくなくともインターネットにおける『常識』ではなかったということを認めるべきだろう。
皆もご存知のようにインターネットはコンピュータ間の通信から始まり、
その通信網がどんどん広がり誰でも利用できるようになった。
特に情報発信のツールとしては重宝され、世界のどこにいても情報の取得・発信が可能になり、
このようなインターネットという世界において、現実世界におけるまったくもって的外れな例を持ち出しては
「一般社会でのマナーですよ。だからインターネットの世界でもそうするのが当然でしょ?」と言っている。
例えるなら日本人が言葉も文化も違うアメリカに行って、なおかつ日本の常識をアメリカにあてはめようとしているしか思えない。
インターネットとわれわれが日々生活する現実社会は思想も文化も発展した経緯もすべて違う。
郷に入っては郷に従えである。インターネットの世界にはインターネットの世界のルールがあるのだ。
それを彼女は
「ブログは自分の家と同じだ。コミュニケーションのためブログは門戸を開いているが、批判等は自身のサイトで行え。」
とか言ったかと思えば
「ブログの記事は図書館の本と同じだ。かってにしおり(ブックマーク)をはさまないで。」
とか言ってる。
いったい彼女にとってブログは家なのか店なのか、はたまた図書館に置いてある本なのかいったい何なんだろうか。
それにコミュニケーションとは自分の意見に対する賛否両論の意見を交えつつ、
堂々とブログで「批判は自分の見えないところでやってね」と主張するとは
これまたこのご時世にずいぶん面白い意見だ。
彼女は「コミュニケーションのためブログは門戸を開いているが、批判等は自身のサイトで行え」と唱えている。
ある人が「私は〓〓だと思う!」と情報を発信すれば、
当然「私もその意見に賛成だ!」という意見もあれば「いや、私は反対だ。なぜなら〓〓だからだ!」という批判もあびる。
そりゃ匿名性が高いインターネットだと「うるさい、氏ね」とか平気でぬかす輩がいるがそんなのは無視だ。
このようにして数多くの意見を交換し合い、その中から自分なりの理論を構築できるのがインターネットの世界だ。
だからインターネットにおいて論理性というのは非常に重要だし、
インターネットの世界を渡り歩くための唯一にして最大の武器、というかツールというか言語にも近い。
僕もこのような記事を、特に増田なんかに書いた日には色々言われそうだが、
批判意見は真摯に受け止める。
批判意見の理論のほうが正しいと思ったなら、自分の理論を改める。
そのようにしてインターネットも、それを利用する個人も成長していくべきだと考えている。
まさかこんなに長くなるとは・・・。
ここまで読んでくれた人はありがとう。