2024-07-02

闘病中の飼い猫を看取った話

Twitterとかmastodonかに書くのは、目にしたくない人も目にしてしまうことが申し訳ないので初めて増田で書く

姉さんだった。体も大きく、気品があり、一歩ひいて相手を優先する、病院などの状況を察して行動する、ベタベタしないけどするときはするツンデレというかクーデレというか、手がかからない、人間だったなら私から見ても理想的なお姉さん、そんな猫。

そんなお姉さん猫が闘病(詳細は割愛)の末、全く食べなくなってしまい点滴生活に入っていった。点滴で好転信じて延命続けていたが、もうそろそろ楽になっても、病院通い生活から脱してもいいのではないかと思い始める。

続けた点滴をやめて自宅療養として臨んだ今日、看取る覚悟も決めた今日、亡くなった。

苦しむ姿を見て、見殺しにしているんじゃないか、まだできることがあるんじゃないかと思う一方、このまま徐々に衰弱しながら点滴と酸素室を続けることが、その最後病院で独り寂しく、かもしれないことが本人にとって幸せなのだろうか、と看取る覚悟を決めてもグラグラする。

延命させるのも、看取る覚悟を決めるのも、本人の声が分からない以上、人間エゴで、正解がない。

段々と苦しさが増す、歩けない、頭を上げられない姿を見続けて目をそらしたくなる、病院とか誰かに任せたくなる、頑張って生きようとしているのに早く終わって欲しいなんて思ってしまう、そんな葛藤時間が続いた後、軽く咳き込んで静かに亡くなった。止まって、あっと思って、咳き込んでびっくりしたらすーっと息を引き取った。動物死ぬってこういうことなのか…と実感わかなくて他人事みたいなナレーションが頭の中で流れ続けた。

最後までサポートし続けられたこと、病院ではなく、私が見て触って声をかけている間に亡くなったこと、これで良かったんだよな、これで良かったんだと言い聞かせ続けた。

涙は止まらず亡くなった事実を受け入れている一方で、本当に眠っているようにしか見えない姿で受け入れられない自分も居続ける。

看病、病院通いが楽しい思い出になる、なんて嘘だと思っていたけど、本当だった。今は幸せ時間だったと感じる。

妻と電話した、看取ることが出来てよかった、看取ってもらえてよかったと。最後まで誰かを優先する、空気を読み続ける、ワガママ言わない出来過ぎた子だったと。いろんな記憶が駆け巡ってぐちゃぐちゃになった。

かかりつけの先生感謝を伝えた。今まで本当にお世話になった、勝手に看取る判断してごめんなさい、でもこれで良かったんだと肯定してもらってぶわっとなった。

看取る覚悟を決めて、看取ることが出来て、それを肯定してもらえたから、いま少し気持ちの整理ができているのかもしれない。

あのときとか、もう少し過ごす時間を、幸せだったのかなぁ、は極力思わないように、

今はお疲れ様と、楽しかった素敵な時間を本当にありがとうで、いっぱいにしてあげたい。

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