先日、スプラトゥーンはなぜ失敗したかという記事が拡散され、大いに共感を呼んだ。しかしあの話は的を射てはいるが、任天堂が狙っている的とは違う。その意味で極めて的外れな記事だったと言える。ボウリングで隣のレーンのピンを倒して喜んでいるようなものだ。
そもそもの話として、スプラトゥーンシリーズは任天堂的には失敗作という立ち位置になる。
よく知られた話だが、任天堂は「ゲームへの無理解、無関心の解消」をミッションとして掲げている、その点においてスプラトゥーンは全くの失敗だということだ。
「死ね!」などという暴言を繰り返しながら延々とゲームをし続ける、このようなゲームが任天堂的に「成功」とみなされるわけはないのである。スプラトゥーンを語る上でこの巨大な要素を無視して語る人が多いが、スプラトゥーンは「子供に与えてはいけないゲーム」になってしまったのである。これが全ての問題の核にある。
これはユーザーが悪いのではなく、マリオカートのようなパーティーゲーム路線に切り替えられなかったたスプラ開発チームの迂闊さである。つまりスプラ2で「軌道修正」できず、eスポーツ路線という名の「暴言、ヘイト満載ゲーム」を送り出してしまったのが第一の、そして取り返せない失敗であった。
2の時点でパーティゲームに切り替えられたら、スプラトゥーンは自己矛盾を抱えなくともよかったのかもしれない。
しかし今やスプラトゥーンは「任天堂ゲームとしてのミッション」と「スプラらしさ」と「ユーザーのニーズ」のトリカラアタックによって崩壊しつつある。
スプラ3は、開発終盤におそらく急激な路線変更を余儀なくされている。任天堂の「ちゃぶ台返し」だ。
ユーザーの暴言、ストレスを誘発させないことを第一に考えろと厳命が下ったのではないか。そしてもしかすると、スプラの抱える矛盾を解決できなければ「4」はない、というところまで追いつめられているかもしれない。
開発終盤なので大きな仕様変更はできず、そのためにステージをいじったりするのが精いっぱいだったのではないか。折しもサーバシステムの刷新も重なって、スプラ3開発チームは心身ともにギリギリな状態にあったのではないかと想像する。
よって、スプラ3が2路線に回帰することは考えにくい。リスキルや裏取りが起こりにくい、「敗因がわかりやすい試合」がスプラ3からユーザーに求められている試合なのである。