2023-02-19

カレー粉を買ったら良い事と悪いことがあった

悪いことは、そのカレー粉を紛失したこと

今日買い物した時にカレー粉を買った。そして夕飯を作るため他の具材も用意していたら、買ったカレー粉が無くなっていることに気づいた。どこにも見当たらない。

冷蔵庫パントリー、車や手提げバッグなど全部みたけどない。レシートには記載があるし、スーパーにも拾得物になかったようだ。レジを通すとき最後にカゴの底にあったこから店で買ったことは強く印象に残っているのに、どこにもない。

結局はシチューにしたけど、正直ショックだ。

からはなぜそこまで狼狽えてショックなのかと嗜められたが、理由はある。

そもそも自分ものを無くす特性がある。目の前にあった書類小一時間探すなんてのは当たり前だ。ものをなくすというより意識の外に置いてしまうという現象に悩まされている。

そして最後意味不明場所に置いてあることが多い。


そういう特性があるため物をなくすのは日常であるが、それによるストレスに常に悩まされている。何度も同じ目にあったため、いつしかものを無くすことを神や妖精のイタズラのように捉えるようになった。そこまでストレスであり、対処のしようがないことへの憤りをぶつけるには存在しないもの責任を投げるしかなかったのだ。

人は何度も同じ目にあうとそれを偶然ではなく、何かの啓示や運命と捉えることがある。

何度も必要ものピンポイントでなくすうちに、自分に災いが降り掛かっているように錯覚するのだ。

そうした上で買った事実のあるカレー粉を無くしたことは、大きな衝撃だった。

自分今日食べようとしたまさにそのカレーが消えた。

普通の人からすれば、無くなったなら別のものにすればいいだけの話だが、こと自身にはあまりに多い事象なのだ

心の中で獣の巨人が「またかよ!」と叫んでいた。

さらに買ったものがないというのは、買いたいものがない、買い忘れたとも違う恐怖がある。なぜならどこかに無くした経緯が潜んでいるからだ。

単なる紛失ではあるけど、自分が食べようとしたものの中心的なものがなくなるという、奇跡的な現象と繰り返し経験してきた数多のストレスによるフラッシュバック。それを探さないといけないという苦行。これは一般人には理解しづらいことだろう。


最後に1つだけ良かったことがある。

冷蔵庫の上の段にありました。

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