例えば我々は早死にしなければ、いずれほぼ確実に老人になります。
だからこそ「年寄り笑うな行く道だもの」という論法が一定の説得力を持つわけです。
これに比べると、例えば「今ノンケである人がこの先ゲイになる可能性」は、おそらく無視できる程度に低いと言えるでしょう。
「じゃあ老人はともかくホモのことなんかどうでもいいじゃん」となる……というわけでもないので、まず論理としてまともに成り立っていません。
交通事故が怖くて外にも出られない人がまずいないように、「5年ノンケホモ率」なんていちいち考えていたらマジでキリがありません。
「なったらなったでしょうがない」ぐらいにしか考えていないのです。
もっと言えば立場が違えば言うことも違ってくるのが人間というものであり、
世間は冷たい冷たいと宣うマイノリティの皆様だって、別のマイノリティにはたぶん何とも思ったりしていません。
そんな連帯が簡単に成り立つならこないだの選挙で共産党が天下取ってます。
おそらくこれが最大の問題でしょう。
こういうことを言う人は「俺のお気に入りの誰かに優しくしない奴なんか悲惨な目に遭ったらいいんだ!」みたいな因果応報でも期待しているのでしょうが、
そんな最後の審判じみたことが実際に起こるなら、世の中苦労しないのです。
むしろ現実は因果応報よりも余計に悲惨で理不尽かもしれません。
地球環境を守らなかった奴だけが自然災害で死ねばゲラゲラ笑えるのかもしれませんが、そんなことがあるでしょうか?
無敵の人を放置したツケはあるにせよ、無関係の人がそれを被るのが因果応報というものでしょうか。
海外に目を向ければ、リベラルのウクライナ人も差別主義者のウクライナ人も、みな等しくロシアの脅威に晒されています。
まあリベラルはしれっと逃げてるかもしれませんが。