https://news.yahoo.co.jp/articles/2497653d5527ff651c54f6b08b91baf1ce6bc5e3
大リーグ・レッズの秋山選手と出身が同じ横須賀ということで対談。ちなみに2度目らしい。
元の対談記事はこれ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/02f88e06706b0c1329779b2abe5869cc15e08eea
3回の対談の最後なので、全部読まないと話の流れは分からないけれど
基本的には
という流れの中で
それを全否定するエネルギーを使うより、次に向けたエネルギーをどう使うかって考えた方が、自分の中では前向きなエネルギーの使い方になるなって思うんですよね。その典型的な例っていうのは、例えばレジ袋の有料化。有料化したのが僕だと思っている方が多いですけど、決めたのは僕の前の大臣なんです。私は具体化をしたんですね。それはほとんど知られてないでしょう。だけどそれを「あれは私じゃないんです」「私の前任者が決めたことをやってるんです」って言ったところで、それはプラスなエネルギーの使い方じゃないなと。だったら逆に、「こういうことって世の中のことを考えたら必要じゃないですか」っていう方向に話をしっかりしようって思います。もちろん、違うものは違うって言わなきゃいけない。フェイクニュースのようなもの、流してはいけないこともある。国民誰もがメディアみたいなものだから、そこは自分で自分を守る術っていうのを見つけていかないと、大変だなって思います。
というコメント。
まずそもそもこの記事すらも記者が書き起こしたものなので実際の発言と違ってるだろうし、雰囲気みたいなものは伝わりにくい。
例えば
「そうそう、一人歩きしたコメントと言えばね、レジ袋の有料化を言い出したのが僕だってことになってるんですよ。厳密に言えばね、前の大臣が言い出してて僕じゃないんですけど、まぁ、非常にいい取り組みだし、具体化したのは僕ですからねぇ」
とか言っててもこんな感じの記事になる。
もちろん逆に
「レジ袋の有料化を決めたのは僕じゃ無いのに叩かれまくってて意味不明ですよね。責任は僕にないですよ。」
ただ、その辺を踏まえた上で、この記事に向かって「責任転嫁」とか言い出すのはやっぱり読解力が低いと思う。
ここでの主張は誰が言い出したか、みたいなくだらないフェイクニュースの訂正にエネルギー使っても意味が無いっていう話。
彼自身も誰が言い出したかなんてのはどうでもいいと思ってるから訂正しない。
なのに何故か「責任転嫁」となって、彼自身が責任を転嫁しているように見えているらしい。責任問題は誰も言っていないのに。
つまりはこれに対して「責任転嫁」と言ってる人は、言い出しっぺにこそ責任があると思っているに他ならないんだけれど、その矛盾に気付いていない。
この辺を見ても対談で語られてる「SNSは陰湿」っていうのをよく体現していて面白い。
従来のメディアでも同じような切り取りと批判っていうのはあったけれど、SNSの時代になって
善人が善意でやったことを悪意と捻じ曲げられて拡散されるかと思えば ピザ屋の地下が悪の上級国民のロリショタ売春クラブになってて秘密会合が行われてるだとか 世界は上級国民同士...