2021-09-21

飲みながら初代ガンダム見てるが

なんか前にあったガンダム見てみた増田見てみてるが、これはいいね。

そして、セイラミライの魅力に気づいたよ。見る前は「何がいいの?」って感じだったが。

見てるのは「ガルマ出撃す」の前後大気圏突入からジオン包囲網突破するぞあたり。割と序盤。

まずアムロセイラ、これは肉体関係がもはや「あるべき」って感じに見えるね。ここアムロ酷使がひどいが(その後もひどいけど象徴的に描かれてる)、アムロコアファイター乗っててドップとシャアザクに責められているところでセイラ通信するんだよね。戻れ、そしてガンダムに乗れって。これすごい要求なのよ。アムロがもう嫌だっていってもおかしくない場面。ここのセイラはすごい。なんというかキチンと言えないんだけど、これはアムロセイラは(ものすごく間を省略して言うと)セックスをすべきだなってすごく思った部分。愛のあるセックスとか慰安とか、そういう次元の話でなく・・・下品な話ではなくて、戦場という極限状態戦闘民と男性女性性の極みというか・・・。誓って下品意味ではない。なんというか、愛とかそういうものでなく必然というか・・・言い表せないが・・・セックスという行為の高尚性がここにあるなと感じる。やってないんだが。(小説だとやってんのか?知らんけど)

そしてアムロが命からがらホワイトベースに戻ると、そこには避難民がデモみたいなことしてるの。地球に下ろせって。この気持ちもわかるんだけど、アムロにはとてもとても辛いシーン。PTSDになってもおかしくないその刹那ミライがくるんだよ。「アムロお茶でもいかが?」って。女性母性を求めることが禁忌になっているであろう現代で、しかしこれを見たら女性母性がどれだけ貴重でどれだけ価値のあることなのか、文字通り身に染みるような感覚だ。もちろんお兄さん的なポジションの人が「お茶でもどうだ?」って言ってくれてもいいんだが、なんだろう、ここは女性じゃないとだめというか、ミライじゃないとだめというか・・・そういう気持ちになる。

性役割なんてもんはクソだし廃れるべきだと俺は思ってる。しかしこの極限を描写する作品を見ると・・・かなり思うところはあるよ。虚実皮膜というか、この世界においてこれまで長い年月をかけて形作られたこういう「男と女像」を、そんなに簡単放棄して良いものかどうか、とても考えさせられた(考えさせられたってのは考えてないやつが言うことなんだよな。そういう意味では、俺のこれまでの考えは先代を無視していた「考えていないやつ」だったな)。それをすべての男女に当てはめることは悪だとしても、その美しさを放棄することに果たして意味があるのだろうか?

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