2021-08-14

親になって難しいと感じるのは叱りつけた子を許すとき、いつ許すのか

良いことは良いと褒め、悪いことは悪いと叱る。
評価基準は様々だろうけれど、誰しもがこれの実行を否定はしないだろうし、人や社会はそうあるべきだと言う人はそう少なくはないだろう。それを望む人は一杯居るのではないか

褒めることは比較簡単だ。
誰かが良いこと、しか自分の子が良いことをすると親としては嬉しいし、その嬉しい気持ちを全面に出して褒めまくる。
褒めることはそれで終わることができる。

しかし、叱るのは違う。
いつまでも同じことで親が怒りの表情を浮かべることはこの情操教育にとって良くないことは多くの親御さんは同意してくれるだろうし、子育て経験のない独身時代自分を振り返っても「そりゃそうだ」と返すだろうことが確信できる。
からこそ親は、大人は、誰かを叱りつけた際に許すタイミングを考えなければならない。

インターネット接続していると常に誰かが誰かを叱りつけている様子を見ることが出来る。
今それへ怒りを見せているあなたたちは叱りつけた人をいつ許すのか。

「許すことはない」「あれは許されてはならない言動だ」というのも選択肢の1つだろうことは私も知っている。
しかしそれを選ぶというのは叱り続けることを辞めない、怒りを継続させるということの裏返しであることは自覚しないとならない。
許していないのだからそれは当たり前だ。許していないのに何故途中で辞めようとするのか。あなたの決意は時間が経てば揺らぐほどの弱いものなのか。
それが大人としての誰かを叱った、大人として真っ当な姿勢なはずだろう?

・・・このエントリをここまで真摯に読んでくれた方々、大人気ない言葉運びで大変申し訳なかった。
あなたたちがこのエントリ不快感のような「そんなことは理解ってんだよ!」のような、何とも言えない微妙感情を抱くことを私自身も理解していて言葉を運んだ。

本当は怒りのまま誰かを叱りつけて、ついつい許すことを忘れてしまうなんてことは誰にでもあることなんだ。
許すことを忘れてしまうこと、時間とともに怒りが薄らいでいくのは当たり前のことで、私自身もそういう失敗を多くしてきたし、あなた達もそういう失敗を多くしてきただろう。

私達は親としても大人としても未熟なのだ
ついつい何も考えず世の中のセンセーショナル出来事へ飛びついて、ついつい我が身を振り返ずにテキトーな「正しさ」のまま脊髄反射で口出しし、ついつい口出ししたこと時間と共に忘れてしまい、ついついそれらをまるでインスタントコンテンツのように消化し、ついつい「正しさ」の基準自分のこととなれば甘くなる、誰かに叱られても簡単自分自身を許してしまう、それほど未熟なのだ

しかし、そんな自分自身に甘い未熟な自分からこそ、未熟なまま誰かをついつい叱ってしまったときこそ、その誰かをいつ許すかを考えなければならないんじゃないか
誰かから叱られてしまったとき許して欲しいと未熟な私は自分自身に甘いので願ってしまう。おそらくあなた達も願うだろう。

私は自分自身に甘いあなた達を許そう、だからあなた達も叱ってしまった誰かを、あなたが思う適切なタイミングで許してあげて欲しい。
そうしないと未熟な私も、あなたも許されることはないじゃないか
そんなのはすごく、すごく悲しいじゃないか

  • 問題がないと認識しているなら怒らないで済む仕組みを作りましょう 😡しても🥺しても問題は解決しません 問題を解決するという概念と責任感を持ちましょう anond:20210814145013

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