車イスの方が目的駅での降車補助を拒否された件で、駅員の方が臨機応変に対応できてたら良かったのか(最終的にはできたのだが)、というのをずっと考えてしまう。
一部の論調では、鉄道会社の側に同情する意見は差別心の現れで悪だという。当然の権利が適わず、マイノリティが忖度を強要される仕組みを支えている、ともいう。
また、制度やインフラが悪いから、制度やインフラを、それを敷いた鉄道会社を批判しているのだ、とも言う。駅員個人を責めているのではない、と。
しかし、気になるのは、そういった論調の人たち自身が駅員としてその場にいた場合、どう振る舞えたか、ということである。どう対処できたか(あるいは、できなかった)と考えているか。
今回の件に限らず、臨機応変な対応や、とっさのルール逸脱、上の同意を得ることなどができれば円満解決があったのでは、というのが頭の隅にずっとある。
インフラを整えるには時間や費用がかかる。制度の変更も、人員を増やすなどの対策が必要になると思う。もちろん早く完璧に達成したらそれ以上考えることはない。
ただ、今の状態、インフラも制度も未達の状態で、マイノリティ不遇を解消するのは善の独断、善の特別ルールみたいなことじゃないかと思う。
そのことについてもっと話し合いがないのかなと思う。いかにすれば、善意が滞りなく(?)発動できるかを。どういった問題が考えられるか、など。立場にかかわらず。自分が駅員でない場合も。
まず「こちらが立てばあちらが立たず」というような問題が思いつく。あとは、能力差があるので、力を貸せる人(場合)と貸せない人(場合)がいるというような問題、とか。良かれとしてやったことが補助が必要な方にダメージを与えるような場合も考えられる。
もう語られ尽くされていて、そっちからのアプローチは間違いということなのだろうか。
あの電動車いす、135㎏もあるんでしょ? それを人力で移動させるって無茶過ぎない