2021-04-07

善意

車イスの方が目的駅での降車補助を拒否された件で、駅員の方が臨機応変対応できてたら良かったのか(最終的にはできたのだが)、というのをずっと考えてしまう。

一部の論調では、鉄道会社の側に同情する意見差別心の現れで悪だという。当然の権利が適わずマイノリティ忖度強要される仕組みを支えている、ともいう。

また、制度インフラが悪いから、制度インフラを、それを敷いた鉄道会社批判しているのだ、とも言う。駅員個人を責めているのではない、と。

しかし、気になるのは、そういった論調の人たち自身が駅員としてその場にいた場合、どう振る舞えたか、ということである。どう対処できたか(あるいは、できなかった)と考えているか

今回の件に限らず、臨機応変対応や、とっさのルール逸脱、上の同意を得ることなどができれば円満解決があったのでは、というのが頭の隅にずっとある

インフラを整えるには時間費用がかかる。制度の変更も、人員を増やすなどの対策必要になると思う。もちろん早く完璧に達成したらそれ以上考えることはない。

ただ、今の状態インフラ制度も未達の状態で、マイノリティ不遇を解消するのは善の独断、善の特別ルールみたいなことじゃないかと思う。

そのことについてもっと話し合いがないのかなと思う。いかにすれば、善意が滞りなく(?)発動できるかを。どういった問題が考えられるか、など。立場にかかわらず。自分が駅員でない場合も。

まず「こちらが立てばあちらが立たず」というような問題が思いつく。あとは、能力差があるので、力を貸せる人(場合)と貸せない人(場合)がいるというような問題、とか。良かれとしてやったことが補助が必要な方にダメージを与えるような場合も考えられる。

もう語られ尽くされていて、そっちからアプローチは間違いということなのだろうか。

困った人がいたら助けたいと思っている人が可視化できたら、それは少し世間改善される方向なのじゃないかと思った。

なんか悪意か無自覚差別心かだけを持ってる人ばかりと言われてる、思われている、気がする。

  • あの電動車いす、135㎏もあるんでしょ? それを人力で移動させるって無茶過ぎない

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん