2020-03-28

祖母1964年東京オリンピック

先日の午後、実家近くの歯医者に寄った帰り道、連日のコロナ騒ぎのせいで、祖母のことをよく考えていたので、歯医者近くのパン屋祖母の好きな黒蒸しパンを買って、祖母の家に寄ることにした。

祖母の家の玄関で立ちながら、コロナやらオリンピックやら大変だね、と話していたところ、ふと、「祖母1964年東京オリンピック開会式を観に行ったらしい」みたいな話を聞いたことを思い出し、話題をふってみた。



1964年オリンピックは、素朴だったよ、と祖母は言った。

当時の東京は、どこもかしこ道路整備のために地面を掘り返していたそうだ。祖母運転していた赤いトヨタパブリカも、工事のせいであっという間にホコリだらけになってしまうので、窓をほぼ締め切っていたのだけど、当時の車にはクーラーが付いていなかったので、少しでも車が止まると車内がすぐ暑くなり、身体から汗が滴ってきて、大変だったそうだ。

五輪準備期間中の一番のビッグニュースは、日本橋道路元標の上に立つ柱が、上に高速道路が出来ると突き刺さってしまうので、橋の端に移動された、ということだったそうだ。

祖母の友人のうち、新しく整備される高速道路沿いに住んでいた人は、国が土地を購入するから移動してくれ、と言われたそうだ。祖母の友人のうちの一人は、日本橋の店を売って、板橋に大きな家を建てた。もう一人は大森海苔を作っていたが、国からまり大金が入ったとのことで遊び呆けてしまい、その後破産したそうだ。

 

新幹線が出来るというのも、当時の大きな話題だった。祖母父親は、「今の電車でも十分速いのに、これ以上速いものを作って、ぶつかったら危ないじゃないか」と、テレビに映る新幹線第一号に乗り込むニコニコ乗客たちを見ながら、顔をしかめていたそうだ。




オリンピック開会式チケット抽選式で、祖母は外れてしまったが、祖母父親が運良く当選したので、そのチケットを譲り受けて観に行ったそうだ。


祖母は、開会式のことはあまり覚えていないが、とにかく素晴らしく晴れた良いお天気だったことはとてもよく覚えている、と言った。

祖母は、小さなスケッチブックと、たくさんの色が入った色鉛筆祖母父親写真機を持って行ったが、写真が下手くそだったので、写真機は結局使わずじまいだったそうだ。

開会式の内容で、祖母が唯一覚えていたことは、飛行機が青い空に、五輪の輪っかを描いたのを見て、「おお、日本もなかなか器用なことをするなあ」と思ったことぐらいだけだった。




2021年開会式も、同じくらい素晴らしく晴れた、良い天気でありますように、

そして祖母テレビ中継でいいので、開会式を見れますように、

そう思った午後だった。

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