社会は「普通の人」というものすごく狭い型を作って、それに合致しない人はポイポイ排除してきたのではないだろうか。
結論からいうと、甘えているのは社会のほうかもしれない、という可能性を考えてみる。
いい学校を出た人じゃなきゃヤダ、明るく元気な人じゃなきゃヤダ、
コミュニケーション能力が「高い」人じゃなきゃヤダ、
景気の良いときにジャストタイミングで「若い」人じゃなきゃヤダ、
どんな理不尽な仕打ちにも劣悪な労働環境にも耐えられる人じゃなきゃヤダ、
職歴に空白期間がある人はヤダ、正社員経験のある人じゃなきゃヤダ、
会社の都合次第で時間いっぱい働ける人じゃなきゃヤダ、親の介護がある人はヤダ、
あの人もヤダ、この人もヤダ、ヤダヤダヤダ・・・、
それらの人がどうなるか?知らん!シッシッ!あっちいけ!ポイッ!
・・・そうやって排除するシステムが存在してきたのは社会の側ではないだろうか?
社会の枠組みから零れ落ちる人を、社会の構造が作り出したのではないだろうか?
そうやって作り出したのが、61万人ものひきこもりではないのだろうか?
誰だって無縁な話ではない、
それは負けた誰かをはじき出したことと表裏一体かもしれない。
それに今はよくても事故怪我病気が防げない形で降ってくる可能性は誰にでもある。
社会は資本主義で成り立っているから、個々の事業者は「優秀な人」だけ欲しい、
「優秀な人」というのは、その定義上、少数者しかなることができない。
「普通の人」というのも、ちょっと病気をしたりちょっと人と違う都合を背負っただけですぐ滑り落ちる。
制度設計として、少数者や一部の限られた人だけしか生き残れない社会というのはどうなのだろうか?
津波警報 引きこもりは避難しろ
おおむねその通りだと思う。人が余ってた時代に通用した社会のわがままが通用しなくなってきたのがこの10年。 今度は外国人受け入れでこれまで通りのわがままを通そうとしているが...