幸せになってほしい人がいた。
その人は社会からはみ出てしまいがちな人で、わたしはその人と社会を繋ぐ何かになろうとしていた。それで彼は見事に人生を巻き返した。わたしが実際にそうであったかは分からない。彼自身が努力したことが大きかったのだとは思う。それでも感謝された時、わたしは間違っていなかったのだと思ったし、彼が立派な社会の一員になった時、心の底からうれしかった。
最後に彼と直接話したのは半年以上前のことだ。今、彼の周りには素敵な友人が溢れている。恋もしているようだった。わたしはそれをすごく離れたところから見ていた。昔は1週間も連絡を取り合わなければ、どうしたの、とメッセージが届いた。今開いてみても、やはり最後は「今日はありがとう」、というやりとりだった。直接どころか、話したこと自体が半年前だったみたいだ。
所在を失った感情がなかったというわけではない。けれどこれはわたしが望んだ未来だったし、彼は幸せそうなので、やっぱりこれでよかったんだろう。思えばずっと一緒にいた。もう7年にはなる。長いようで短かった。その間ずっと、わたしは幸せだったと思う。日常の小さな喜びを幸せだと捉えられるようになったのは、間違いなく彼のおかげだった。
昨夜、彼が繋がっているSNSを更新していた。写真の中の彼は本当に楽しそうに笑っていた。かつてわたしにしか見せていなかった顔。たぶんあの頃よりもわたしはずっと幸せになった。あの頃、わたしは彼の全てに憧れていたし、彼はわたしの理想に一番近い人だった。彼を支えることが自分を支えていた。だから今まで生きてこられた。有難いなと思った。こんな出会いは滅多にあるもんじゃない。
きっともうお互いに、お互いを必要としていないことは分かっていた。写真を見た時、それを確信した。だからわたしは行動に移すことにした。彼のSNSのフォローを解除して、メッセージをブロックして、電話帳を削除した。彼はきっと、そのことに気が付きもしないだろうと思う。わたしだって同じことで、わたしはもう、彼の携帯電話番号が090で始まるのか、080で始まるのかも定かではなかった。それを諳んじていた頃が、遠い昔のように思えてくる。いつの間にかわたしたちはそういう関係になっていた。
彼から貰った形に残るものはたった一つだけだ。本当はそれと、心に残る形でお別れしようと思っていた。海に流したり、土に埋めたり、その断片を取っておいたりしようと決めていた。けれどいざ目の前にして、それではいけないと思った。心に少しも残してはいけないものだった。だからわたしはそれをトイレに流すことにした。トイレの水の浮かんだそれは丸きりゴミで、わたしは心底安堵した。レバーを引くときに躊躇った理由は「トイレが詰まったらどうしよう」というものだった。けれどそれも杞憂に終わって、とても小さなゴミはどこに繋がっているのかも分からない穴の奥にすーっと吸い込まれていった。のだろう。すごい音を立てた水の中に紛れて、その最期は確かめることすらできなかった。この世のどこかにはまだ存在しているだろうが、もうすぐなくなって、わたしの心からはもうなくなったもの。穴はどこに通じているのだろう?
ずっと幸せだった。たぶんこれからも幸せだ。彼が幸せになってくれたことが、わたしの人生の支えになる。わたしはもう一人のわたしと決別した。それは寂しいことではなくて、新しいわたしに出会うために必要なステップだ。
わたしはもう一度トイレの水の中を覗き込んでみた。先日掃除したばかりなのに、もう黒い線ができ始めていた。掃除をしなくては。思い立ってわたしはブラシを手に取った。