2018-04-13

下痢で生きていく vol.2

医者から下痢患者の集まりがあるのでそこで交流して、みんながどんな風に下痢と向き合ってるのかを解れば前向きになれる」のではないかと勧められた。

下痢患者が集まる病棟は、下痢特有臭いがする。それを死の臭いだと表現するものも居る。

そこで私が二時間交流をした。

最初交流したのはまだ中学生にもなっていない12歳の女の子だった。

彼女自分下痢だと理解しているが、みんなと何ら変わりのない生活をしていると誇らしげに言った。

「私は確かに下痢ですけど、それも個性だとお母さんや先生が言ってくれたか生活できています。」というと、隣りにいた母親が感涙していた。母親は「できることならこの子下痢を私に移してほしい。でもそれは出来ないから、私は芽衣子(娘の名前)がやりたいことは全力で応援して、生き続けてほしい」と語っていた。

この母親の話を聞いて、もし、亮太下痢だったら自分はどうしただろうと考えた。多分、この母親と同じく、自分下痢を移して亮太には元気に過ごしてほしいと思うはずだ。それならば、下痢亮太ではなく自分発症したのは幸いではないかと思った。

二人目に交流したのは私と同じ年ぐらいの漁師だった。下痢発症して、神聖な船や海を汚さないため、もう漁には出ないらしいが、それはとても後悔しているという話だった。親から受け継いだ船を、今は部下にあずけて自分市場で働いていると話をしていた。それでも、漁ばかりで家内子供相手をしてやれなかったが、下痢のおかげで家族と沢山話しができたことで家族距離はグッと縮まったという話をしていた。親から受け継いだ事業自体を潰すわけにはいかないので、この下痢を機にもっと大きな事をしていきたいという話だった。私は下痢のせいで仕事やめるようなことはなかったが、もしやめてたとしたら彼のように成れたのだろうか。自分は周りに下痢への理解がある人が多くて、下痢前と同じ生活を続けていられることが幸福だと思っていたが、本当の幸福は自らが掴むものなのだと感じた。

下痢患者交流し、自分がしがみついているものはとにかく世間常識や、人から幸福評価されることなのだと考えた。

それらは固形だが、本当はもっと下痢のようにドロドロしていてもいいのだ、本当はそのドロドロを染み付かせずうまく処理することなのだ感じた。

明日亮太には話そう。

そうケツ意を固めて、シーツ茶色に染めるのだった。

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