私のせいで推しが嫌われてしまったらどうしようと思うと、「推しのこういうところが好き」というのも躊躇われてしまう。
おたくなんて推しに盲目であって然るべきだし「推し最高!!」と叫ぶことに他意などないし誰もそこに他意があることを邪推なんかするはずもないのに、「推し最高!!と言うことで他の何かを二番以下に落としてしまう罪悪感とか、そうすることで他のおたくから推し自体が嫌われてしまうんじゃないかとか思ってしまって怖い。
正直おたくの客観的評価ほど当てにならないものはないし結局主観まみれで推しのこと露骨に贔屓してしまっているのが外から見たらモロバレだから最悪で、そんなしょうもないこといちいち書くくらいなら主観オンリーで「推しが世界でいちばんかわいい!!!!!!」と言っている方がよほど有意義で他人を不快にはしないことはわかるんだけど。
私の推しは技術はちっとも足りていないタイプ(なのだと思う。主観に基づいた判断なので自信はないが一応おたくの間ではそういうことになっているしそういうものなのだろう)なのに一番人気で、私としては推しの何がよくてその位置にいるのか本当に分からない。私も推しのことは好きだけど、なんで推してるかわかんないし。なんで推してるかわかんないとかいう気の狂ったおたくが数人いるのは別にわかるんだけど、一番人気ってまあまあおたくがいるわけで、何が良いのか聞いて回りたいくらい。
まあ結局推しは、運営からの推されなんだよね。運営から推されるからそれなりに露出も多くて人気が出ているだけっていうか。いや本当はもっと人気な理由があるのかもしれないけれど。
でももう私は私に「客観的」という呪いをかけてしまっているから、もはや客観的に判断できなくて、「自分が思うより推しはだめなんだろう」と思う事しか出来なくてつらい。
自分の主観を現実だと認識できなくて、上手く推しの一挙手一投足を飲み込めずにいる。そして客観的の呪いにかかっていない二推しの話ばかりしてしまったりする。でも私が何よりも大好きなのは推しなんだ……。
手放しで褒めたって、どうせ世間から見える推しの姿からは乖離してしまっているのだろうと思うと怖くて言えない。現実見えないお花畑おたくしかいないのかなとか思われたくない。推しのこと上手く見れないし推しってだめなやつなのかなとか思ってしまうけど、大好きだから推しには世間から出来る限りたくさん愛されてほしいんだ。こんなしょうもないおたくのしょうもない戯れ言で、印象を悪くしたくないんだ。印象を悪くしたくないとか言いながら、「こういうとこは良くないよね(でもかわいい!!)」みたいなことを書いてしまうと、結局良くない部分だけが他のおたくの目に入ることになってしまってだめなんだってわかってるんだけど自分に掛けた呪いが強固でどうしようもなくなってしまっている。
「推しくんのこと嫌いなんですか?」と訊かれてめちゃくちゃ悲しかった。こんなに大好きだし、大好きだからちょっと足りてないとこも好きだなって思ってつい喋ってしまうんだけど、そんなの外から見たらただの悪口でしかないんだなあと思うと本当に悲しくて悲しくて、やりきれない気持ちになった。
私は、おたくが愉快で楽しそうだと、「ああきっとこの人を推すと幸せになれるんだなあ、さぞかし素敵な推しさんなんだろうなあ」と思うタイプなので、自分だってそういうおたくであればいいのに、上手くできない。推しの価値がわからないくせに推したって、魅力を伝えることは出来ないんだよね。まあ当たり前なんだけど。
でも本当の本当に推しはこの世でいっっっちばん幸せになってほしい人だって思ってるんだよ。本当なんだよ。
なんかもう今は推しのこと推しているおたくですって大声で叫ぶことに抵抗しかない。こんな害悪おたくが今日も推しのことを好きでごめん。