まず、よく言われるのはジーンズが「その成り立ちにおいて作業着である」というもの。これについては、たとえば「着物」の世界における「紬」がそのような立ち位置になります。大変よく似た質問と回答の例があったので、参考になるかと。
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2009/0117/220783.htm
このような発想でいくと、成り立ちにおいて「労働服」であるジーンズは
https://www.fashion-press.net/news/28537
いかに上質であろうが高価であろうがフォーマルウェアではないと認識されるということになると思います。「ジーンズは社会人の仕事着としてはふさわしくない」という言葉が意味しているのはこういうことだと思います。
そしてもう一つの理由として、ジーンズが社会的に果たした象徴的意味があります。現在の60~70代のおじさん方にとって、ジーンズは「戦後・アメリカ」から入ってきた新しい風俗であり、長髪、サブカルチャーとともに戦後の「体制に反抗する」若者のファッションの象徴だったのです。これが、日本で依然として「社会人にジーンズは…」と言われる理由です。
そして最後に、今もなおこのように見られていること自体、「自由」を象徴するジーンズというファッションの社会的意味が消えていないということでもありますから、ジーンズの側でも積極的にその風潮を消し去ることに熱心ではない(つまり、仕事でもOKなジーンズ、といったカルチャーを創り出すモチベーションが生まれにくい)、というのが最後の理由になると思います。チノパン程度ならOKの仕事場でも、ジーンズはオフの日だけにしておきたいねとみんな思ってる。あるいは、「あえてカジュアルにいく」というスタイルの象徴としてジーンズを穿くという行為が成り立つ(たとえばジョブズのように)。これはつまり、ジーンズがそれほど愛されているということ象徴なのではないでしょうか。
あらためて伺いますが、あなたは本当に会社でジーンズを「穿きたい」ですか? ほんとうに、日曜日の朝ジーンズに足を通すときにも、いちいち会社にいく自分を思い出したいのですか?
ああ、確かに会社でジーンズOKになっちゃったら「今日は休日だからジーンズ履いていこう!」がなくなっちゃうな ちょっとビタースイートみたいな気持ちになった、ありがとう
あらためて伺いますが、あなたは本当に会社でジーンズを「穿きたい」ですか? ほんとうに、日曜日の朝ジーンズに足を通すときにも、いちいち会社にいく自分を思い出したいのです...
労働服を労働者が着たらいけないというのも変な話だな。 もしかして、自分たちは労働者では無いとでも思っているのだろうか。
日本はまだ個の精神と文字の概念が希薄だからそういう面はありそう
あらためて伺いますが、あなたは本当に会社でジーンズを「穿きたい」ですか? ほんとうに、日曜日の朝ジーンズに足を通すときにも、いちいち会社にいく自分を思い出したいのです...
>> 日曜日の朝ジーンズに足を通すときにも、いちいち会社にいく自分を思い出したいのですか? << その辺にあるワイシャツ適当に引きずり出して着てるけど。衣服の含意する...
日曜日の朝ジーンズに足を通すときにも、いちいち会社にいく自分を思い出したいのですか? その辺にあるワイシャツ適当に引きずり出して着てるけど。衣服の含意する政治思想...