http://www.city.kobe.lg.jp/information/public/online/gorogorokobe2/171018.html
はてブ的にはこういうところがいいと思うのかぁ...
ほんまでっかTVを見ていて、家事はどちらかがやった方が分担するよりも家庭が円満というのをやっていたのを思い出す。その理由は、お任せしていると感謝の言葉しかないけれど、分担してやっていると自分と比べて口出しをしたくなるからだったと思う。「脳が壊れた」の著者 鈴木 大介氏が、相手が必要ないと思っていることをお願いしてやってもらっているんだから、家事してもらったら感謝しろ、文句言うなというようなことを言っていたけれど、そういうものだと思う。
幸福の共有ではなく、不幸の共有をしましょうということだよなぁ。
これもよく考えると善し悪しで、自分が出かけたいからとほとんど寝ていなくてもっと休みたい奥さんにも外出を促すとかなったら本末転倒だと思う。
ずっと疑問だったのだ。父親の育児評価は0点が基本からの加点方式なのに対し、母親の育児評価は100点が基本からの減点方式なのはなぜなんだろう。世の中は、母親に対して厳しい目を向けすぎなのではないだろうか
インターンの学生はそもそも会社の即戦力としては期待していないし、楽しく会社生活を送ってもらえばいいのでちょっと何かできるとプラスになる加点方式でしょ。逆に、ある程度の年次がいった社員だと、戦力として使えないと困るので評価は減点方式だと思う。
この著者の周囲において、男性はインターンの学生みたいな立場なんだよ。男性は育児を勉強しに来てくれている人、お手伝いに来ている人で、ちょっとできるだけでもたくさん評価して伸ばしていこうとなっている。ただそれだけ。難しいことになってくると、「責任者(母親)を連れてこい。おまえで話にならない」という態度を露骨にとられる。
二言目には「ママはどうしたの?」と聞かれるとか、保護者をさす言葉が大抵「お母さん」とか「ママ」とか言われるのってみんな気にならないんだろうか。
私は性別的には父親であるが、役割的には半分は母親でありたい。子育てに関するよろこびもしんどさも、分け合えるものはすべて均等に分け合いたいと思うからだ
結局、性差から逃れられていない感じだと思うんだけれど、そんなにいいこと言っているのか?
父親も母親もそれぞれキャラが違うんだから、違うキャラを生かして得意なことをやればいいんじゃない?
誰かがやらないといけない役割を誰かがやってくれて、やってもらっている人はやってくれている人に感謝するというので自分はいいと思うんだけれどな。