2017-10-19

映画パターソン』についての感想

http://paterson-movie.com/

日常ルーティーンの繰り返しだ。

ただし、詩人の目を通すと、そのルーティーンは、シラブルに分解されて、音韻を持ち始める。

詩の律動で切り取られた何気ない日常の美しさは、何者でもない私達の日常可能性だ。

私はそのようにこの映画の美しさを理解した。

主人公の男はアメリカの片田舎に住むバス運転手

男は詩を愛し、誰に発表するでもない詩をノートに書き留める。

控えめで、寡黙。

一見すると、仕事は単調で、

生活に彩りは乏しく、時代から取り残された男という印象すら持つ。

映画その男の1週間を追う。

映画を見た後の彼の生活の印象は、その外見上の説明から想像する様子とはまるで異なる。

映画カメラは、彼の生活を描くのに、

同じカメラワークを使うことを慎重に避けているように感じた。

そのおかげか、彼のモノトーンなはずの1週間には決して同じ日はなく、

毎日の反復によるリズムの中に、小さなアクセントが隠され、

映像全体から音韻の繰り返しのような心地よさを感じる。

宙に浮いた謎掛けのように繰り返し用意された双子モチーフは、

そのまま、詩韻の映像表現であるように私は理解した。

男はやや風変わりではあるが、決して孤独ではない。

世俗から切り離された孤高の詩人ではなく、

彼は生活者目線で、等身大生活を愛している。

彼の愛するパートナーは、愛と尊敬にあふれているが、

スマートフォンタブレットを持ち、テレビ通販ギターを買ってしまうような

世俗の人として描かれる。

彼の彼女に対する、少し戸惑ったような視線の奥底には

蔑みでもなく、諦めでもなく、あるいは赦しのような高みに立った者の視点ではなく、

ただ、優しさと理解が溢れている。

彼女存在は、彼が世界をどう受け止めて、愛しているか象徴であるように見た。

彼はそれに居心地の悪さを感じながらも、否定せずに受け止め、

彼の方法で愛している。

それは男の世界の把握の仕方であるように思えるし、

彼の詩には、その把握の仕方が反映されて、

生活者の、優しい視線が溢れているし、

それは詩としてのこの映画全体にも同じことが言えるように思えた。

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