2016-11-19

ADHDについて覚書。それは果たして欠陥なのか?

ADHDについて覚書。それは果たして欠陥なのか?

1.不注意

注意力は有限で貴重な資源である。才能がある人ほど、日常的なつまらぬ些事にかまけるのはもったいない

もしエジソンライト兄弟回覧板税金の支払いなどのつまらぬ事に注意力を持っていかれていたら、人類の損失はいかばかりだっただろうか。

このように才能のある人間にとって、日常の不注意は欠陥ではない。普通の人がまんべんなく振り分けている注意力を、興味あることに一点集中してより効率良くしているだけなのである

2.衝動性、多動性

偉大な発見発明のためには、リスクメリット計算する前に衝動的に動く必要もある。

事実ライト兄弟が空を飛んだ直後も評価はされなかった。

空を飛ぶなど狂気の沙汰。まったく意味がなく危険なだけ。鉄道の方が安全で速く、大量の物資を運べるのになぜ飛ぶ必要がある? と当時の人々はおそらく思った。それは実際にグライダーで飛んだ人々のほとんどが悲惨事故死ぬ障害を負っていたからだ。

しかライト兄弟は飛んだ。後先考えず、飛びたくて仕方ないから飛んだ。

このように人類の偉大な夢は往々にして、リスクメリット計算をまったく考えない衝動性や、考える前に動くことによって成し遂げられる。

ADHD可能性と代償

上記のように、ADHDは未知の発見に対して有効機能しうる気質である反面、ごく普通の人々日常にとってはデメリットが目立つ。

ごく普通ADHDの人が日常義務仕事を忘れ、衝動的に何かを行い死ぬグライダーで飛ぼうとして死ぬように)。そういうことが有史以来、多くのADHDたちによって無数に繰り返され、ほとんど99,999%のADHDたちが無意味バカな死を代償として払った。

しかし、それが人類にとってなんであろうか? 例え100億のADHDたちがバカな死を遂げようと、たった一人の天才が偉大で無謀な夢を叶えれば、それで人類史は大きく前進する。

ADHDが常に人類の2%程度発生するというのは、人類にとって必要投資、賭けであるように思われる。

結局、ADHDというのは単にそういうハイリスクハイリターンな形質なのだと思う。

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