自分の顔の造作が上等じゃないという理由もあるが、それより何より自分の過去を想起させるのが嫌いなのだ。
自撮りはしないから、基本自分がいる写真は他人も写っている。他人と会話して失敗したことを思い出す。憂鬱な気分になる。
人と会話して楽しいと思ったことは殆どない。物心着いた頃から「傷つける言動をしてはいけない」「気を遣わなければいけない」「テンションを上げて楽しく会話することに努めなければならない」そう考えて会話する癖がついてきた。人と話す時は上記のことに囚われて、疲れてしまうことが多かった。だから成長するにつれ能動的に人と関わらなくなってきた。
過去はあまり振り返らないように生きてきた。思い出しても自分の失敗した記憶に苛まれるからだ。自分の写ってない、自分で撮った風景写真や、この様に考えを書くことは嫌いじゃない。そこに他人は介在しない、気を遣わなくていいからだ。後これとかは最悪嫌になったら消して、自分の中でなかったことに出来るから気楽である。
といっても今までは自分のことをそんなに不幸に思ってはこなかった。読書とかゲームとか映画鑑賞とか受動的な趣味、または手芸とか1人で楽しめる趣味をすることで楽しんできたからだ。それでそこそこ人生楽しんできた。将来も自立してそんな風に1人で暮らしていければいいと思ってた。
が、只今就活の面接でなかなか苦しい思いをしている。自分の成果を言うのは簡単だ。成果自体はある。だが面接は自分の成果をただ言うだけでは駄目で、どの様な考えで行動したかを面接官は知りたがっている。だから自分の行動を回想しないとならない。やってみると思った以上に憂鬱な作業だ。思い出そうとするとどうしても嫌悪感が出てくる。質問で深堀されるからさらに思い出そうとすると忘れていた嫌なことまで思い出す。こんなこと話せるかいという気分になる。貴方は集団でどんな役割をしてきましたか?なんて質問は…多少集団で何かした経験はあるが、もしかしたら他人は自分に迷惑していたかもしれない…話しながらそんなことを思ってしまう。こんな役割で貢献しました!…嘘をついている気分になる。
自分から目を逸らして生きてきたツケがこんなとこで回ってくるとは思いも寄らなかった。就活していて分かったのが会社は基本人のマイナスにならない奴じゃなくてプラスになる奴を求めているということだ。だがどうやら自分はマイナスにならない様にばかり努めて生きてきた。プラスになれる様に生き方と考え方を変えなければならない…億劫だなあ
なんのとりえもない文系なんで技術職にもなれないし、自立するには人と関わって生きてくしかないのであるー。わはははー。
とりあえず今年いっぱいは頑張る。