人間、何を選び、何に重きを置いて生きるかは自由である。法とかモラルとか公序良俗とかに問題がない限りは。
では、服装や髪型など外見的要素に無頓着、更に無頓着であることに無自覚な人はどうか。
結論を言うなら、パッと見だけで他人から「生理的にダメ」と判断される可能性が高くなることに尽きる。これを社会的不利益と取るどうかは人それぞれだと思うけどね。
或いは生理的にダメとまでは行かなくても、取引先の相手と行動を共にしたり、彼女候補とのデートが計画される段階で
「この人と一緒にいると『うわ、あの人キモいオッサン連れて歩いてるマジありえねー』と嘲笑されるかも・・・」
という不安を与え、できればつるみたくないという感情を生起させる結果になって、やっぱり社会的な不利益になりうる。
とんでもなく古い話で恐縮だが、その昔「ときめきメモリアル」という名作ゲームがあって、これは大雑把に言うと「理系学力」「文系学力」「体力」「容姿」といった各種パラメータを、日常の活動(勉強とか部活とか)を通じて上げていき、かつ休日に意中の子とデートして・・・というゲームである。
そのゲームではデートの際、「容姿」パラメータがあまりに低いと、待ち合わせ場所に彼女が来た次の瞬間、顔をしかめて帰ってしまうのだ!
まあ、現実でも似たような事が起きると思えば分かりやすいかも?
別に寸分のスキもない二枚目になる必要はない。足切り食わないようセンターの勉強もしとけとか、面接行きたかったら筆記受からないとってくらいの話である。
勿論最初は赤点レベルからの出発であり、それこそエジソンよろしく「失敗する方法を沢山見つける」くらいのつもりでかかることになるが。
まあ、「見た目がアレだと社会的に大きな損をすると思うけどいいの?」という問いかけに対し「別にいいし」と返す人は、そんなの織り込み済みなんだろうから、それ以上しつこくは言わない。
ただ、「生理的にダメってかキモい」という評価は、人として受け入れ難いのが普通じゃね?気にしないってどんな価値観なのよ?と疑問には感じるけど。
服装や髪型に無頓着でキモい人って根本的に容姿がキモいだけなんで 小奇麗にしたとこで無駄なケースがほとんどよ